宮城県 牡鹿半島より | Re START from 仙台

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仙台在住、通信インフラ整備を生業としている人間の、東北人の生活、東日本震災に関するレポートです。

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昨日は宮城県北部に位置する、

牡鹿半島南側のとある避難所へ行ってきました。
石巻中心市街地から車で、約1時間ほどのところです。


※牡鹿半島 - Wikipedia

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%89%A1%E9%B9%BF%


この半島全体は山地となっていて、
海岸は、いわゆるリアス式海岸で構成されているところです。

半島南部には、伊達政宗が送りだした支倉常長の出港地と、
当時使用していた帆船を復元したサンファンバウティスタ号もあります。


半島山間部は、野生鹿が多数生息しており、

当日も親子らしき鹿が車の前に飛び出してきました。


半島北側には、女川原発があり、

半島先端部の鮎川浜では調査捕鯨の水揚げが行われています。

その為、鮎川地区では鯨肉の配給があり
美味しい部分の肉は、全てここで配給により取り除かれ、一般市場へと販売されます。

震災復旧後は、

是非、この鮎川浜地区の鯨料理店で最高の鯨肉を堪能してみてください。

ここの鯨肉料理は、目から鱗、間違いなしです。

半島の先端、鮎川地区のまとまった平野部を除いて、
切り立った崖が続く沿岸線沿いに、点々とある猫のひたいほどの平地に、
数十単位の集落が連なっています。


半島付け根からこの福貴浦までは、

半島の内側にあるため為か、
津波自体は2~3mくらいだった模様ですが、
それでも、海抜高さとほとんど変わらないわずかな平野を飲みこむには十分すぎるもので、


海岸線点状に存在していた各々集落は、

すべて壊滅していました。

鮎川地区までは行っていないので、そこのあたりの状況は分かりませんが、
半島付け根の万石浦付近からその集落までは、
全キャリア不感地帯(携帯電話のつながらない地域)となっていて、

半島海岸線を縫うように走る県道は、

地割れが著しく、海側の路肩が崩落、陥没に加えて、
山側からの落石防護ネットや、法面擁壁が崩壊し、

土砂、落石で道路が一部埋まっていたりの連続で、

一歩間違えば二次災害も発生しかねない状況で、

道中、かなり心拍数が上がりました。

このあたりの各集落は、各集落の規模が小さい為か、

瓦礫撤去などの作業はまったくすすんでいません。

ボランティアなどの目も届きにくい地域であることは間違いないでしょう。
ただし、各集落は県道沿いに存在するため、物資は少しずつ届いてきているようです。

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上写真は、津波で流された漁船のように見えますが、
実は、海岸線が、地震による地盤沈下により水没してしまって、


接岸施設が水面下にあり
漁船が接岸できず、

このように沖合いに停船させているのだそうです。

地元の漁師らしき親父さんが曰く、
津波が来ると警報が鳴ったとき、とりあえず船を守らなくてはと、

船に乗り込んで沖合に出たそうです。

船中で無事に津波を乗り越え、おさまってから港に戻ったら、

家が、皆、無くなっちゃってて、とのこと。


家よりも船を守ることを優先させた親父さんの行為は、
家が無くなることよりも、

職を失ってしまう恐怖が優先したことによるのかもしれません。

余談ですが、半島南側、女川原発周辺は大量に物資が届いていて、
物資面ではかなり裕福なようです。

この地域に赴いた作業員の話では、

作業員に対しておやつや飲み物がかなりふるまわれたようです。

また、某キャリアの移動無線基地局も、この地域に停車してあり、

この地域に限っては、某キャリアの携帯が使えます。
半島南側とは、格差が著しいような感じがしました。