観る者と表現する者の境界を超える。誰もが表現者であり、創造者である。 | 生きる喜びを伝える伝道師〜くりはら せいこのブログ〜

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生きることは苦しみではなく喜びであるということを伝えています。
著書に、精神科医の齋藤学氏との共著『ヘンでいい。』

対話を使ったセラピー、魂のメッセージを伝えるソウルリーディング 、セルフラブグループ、笑いヨガリーダーなど、対面では東京を中心に活動中。

自分のための備忘録として。


私が長年やっている、例えば、対話だとか自助グループだとかいうのは、

専門家主義の否定というか、

癒す者と癒される者、治す者と治され者

みたいな二項対立をどうやったら超えていくか

というのが根底にあるわけで。


だから同時に、治療者とか癒す側の立場の人に対しては、自分の問題を棚上げにするな、自分のことをやるより人のことをやる方が簡単だ

と言い続けている。


同じように


来年7月に個展をやるわけだが、

それは自分の特別性や才能を見せつけたい

という意味は1ミリもない。

むしろ、絵なんて一度も描いたことがなくたって個展やるってすごいだろと見せつけてやるためにやる。

(実際、まだ1枚しか描いてない。爆)


テーマは、誰もが表現者であり、創造者である、ということだ。


すべての人が神だ

と、

私はずっと言い続けている。


多くの場合、芸術をやる者と観る者、表現する者と観客。

という具合に、きっぱりとぱっきりと分断されている。

その境界が、しゃらくさくて仕方ない。


自分は観る側だからと

安心してきた者を

観るだけでいられない仕掛けをつくる。


この辺のことをずっとやってきたのが

オノヨーコだが。

(私はオノヨーコから、あんたこそ頑張りなさいよと、直接お叱りを受けたことがある。)


他人事を自分ごとにする。


観る側の、受け身でいる限り

自分の力は思い出せないのだ。


講座でも、美術館でも、芝居でも、音楽でも

行って、鑑賞して、また家に帰って一人にもどる。


その中では孤独は癒せないのだ。


分断は超えられないのだ。


自分は助ける側だといつまでも勘違いしてるんじゃないよ。


そして、助けられる側に甘んじて、自分の力を放棄してるんじゃないよ。


それが、私のテーマだ。


このへん、もっと、がっつり書きこんでいく。

noteかなんかに。




昨日食べた、よもぎのみつ豆。



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