先日、「オンラインでダラダラ話す会」をやっていて、
自分がなんでこういう会をやっているか、
よくわかった。
この会は、ひとり10分ずつ、
自分が今感じでいることを話し、
他の人は一切口出しせずに、
ただ聞いているだけなんだけど。
10分、その人が日々のよしなしごとを話していると、
言っている内容や言葉に関係なく、
その声から、
その人がどんな人かわかってくる。
話している内容はどうでもいい。
というか、私はそれよりも、
言葉の下に流れている「何か」を
聞こうとしているんだと思う。
唯一無二のその人固有の美しさのような。
それが、
日々のよしなしごとというか、
その人が感じていることを
そのまま思いつくままに話している
その「声」を聴いていると、
その人がどんな人なのかがわかってくる。
その時空間の中にいると、
すべてが完全で美しいと思いだす。
だがその語りが、
自分の考えや正しさの主張やジャッジになったり、
相手が言葉を選びながら話しているのが待てなくて、
言葉を重ねていくと、
表面的な言葉の応酬になって
その下にあるものが見えにくくなる。
私は言葉の下に流れているものが聞きたいんだ。
改めて、それを確認していた。
ダイアローグセラピーも受付中です。
精神科医の斎藤学氏と共著。
『ヘンでいい。』(大月書店)
アマゾンから購入できます。