瞑想をしたから怒りが消えたわけではない。怒りをなくそうと思わなくなったから、囚われなくなったんだ | 生きる喜びを伝える伝道師〜くりはら せいこのブログ〜

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生きることは苦しみではなく喜びであるということを伝えています。
著書に、精神科医の齋藤学氏との共著『ヘンでいい。』

対話を使ったセラピー、魂のメッセージを伝えるソウルリーディング 、セルフラブグループ、笑いヨガリーダーなど、対面では東京を中心に活動中。

瞑想をやっていたから
怒りがなくなったのかと思っていたが、
よく考えたらそうじゃなかった。
 
怒りをなくそうと思わなくなったら
いつのまにか怒りがなくなっていた。
 
というか、
怒りはなくなっていないけれども、
 
もはや怒りがあろうがなかろうが
まったく気にしていないというか。

怒るときは烈火のごとく怒るが、それが何?
みたいな。


親についても随分怒っていた時期もあったが、
あいつ、どーしよーもねー親だったよなーと
親のひどさを肯定したら、
ま、人間だしなーみたいな
妙な愛おしさが湧いてきたりして。
 
その前には本当に悶絶するような
苦しみもあったわけだが、
 
結局のところ、
自分の中の自分の感情を許せなかっただけで、
いろんな感情があるのを
自分で面白がれるようになったら
どうでも良くなっていったというか。


なんでもありというか
善悪優劣もなくなったというか。


こうあってほしい
と思うから怒りが出るのかもしれない。


無くそうと思うと
そこにフォーカスし続けることになる。

テキトーっていうのがコツだよね。
真面目に真剣に考えすぎないというかね。


あと、なかには、
そういう感情(親に対する怒りなど)を
実際は手放したくないという場合も多い。

自分の人生がうまくいかないことを
親のせいにしていたいというか。

自分の人生を良くするために、
何ができるか考えればいいのだが、
親への怒りに固執している限り、
前に進まない。
 
だけど、過去の記憶に固執していることに
メリットを感じているというか。

ひきこもっている人にもそういう人はいたりして、
自分のことをダメだと思う裏側には
自分のことをすごいと思う感情もあるわけで、、、

プライド。

スピリチュアルな人にも
これがすごく多い。

謙遜しながらも、
私は特別だと思い続けている、、、
あなたたちとは違うんだと。



まー、
でもさー

そういうのもすべてひっくるめて
ヒトって面白いし、そういう人間臭さを
やたら愛おしいと思ってしまう私です。

立派な人になど興味ないからね。


まーー
瞑想もだね、
行になるとどんどん離れていくというか。
 
私の師匠は
「瞑想はできるだけ馬鹿な顔をしてやれ」
と言ってたけど。
 

 
すべては遊びだと思って
力を抜いて生きた方が
間違いないんじゃないかと感じている。



 

 

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