瞑想をやっていたから
怒りがなくなったのかと思っていたが、
怒りがなくなったのかと思っていたが、
よく考えたらそうじゃなかった。
怒りをなくそうと思わなくなったら
いつのまにか怒りがなくなっていた。
というか、
怒りはなくなっていないけれども、
怒りはなくなっていないけれども、
もはや怒りがあろうがなかろうが
まったく気にしていないというか。
怒るときは烈火のごとく怒るが、それが何?
みたいな。
親についても随分怒っていた時期もあったが、
あいつ、どーしよーもねー親だったよなーと
怒るときは烈火のごとく怒るが、それが何?
みたいな。
親についても随分怒っていた時期もあったが、
あいつ、どーしよーもねー親だったよなーと
親のひどさを肯定したら、
ま、人間だしなーみたいな
妙な愛おしさが湧いてきたりして。
その前には本当に悶絶するような
苦しみもあったわけだが、
結局のところ、
自分の中の自分の感情を許せなかっただけで、
いろんな感情があるのを
自分で面白がれるようになったら
どうでも良くなっていったというか。
なんでもありというか
なんでもありというか
善悪優劣もなくなったというか。
こうあってほしい
こうあってほしい
と思うから怒りが出るのかもしれない。
無くそうと思うと
無くそうと思うと
そこにフォーカスし続けることになる。
テキトーっていうのがコツだよね。
真面目に真剣に考えすぎないというかね。
あと、なかには、
テキトーっていうのがコツだよね。
真面目に真剣に考えすぎないというかね。
あと、なかには、
そういう感情(親に対する怒りなど)を
実際は手放したくないという場合も多い。
自分の人生がうまくいかないことを
自分の人生がうまくいかないことを
親のせいにしていたいというか。
自分の人生を良くするために、
自分の人生を良くするために、
何ができるか考えればいいのだが、
親への怒りに固執している限り、
前に進まない。
だけど、過去の記憶に固執していることに
メリットを感じているというか。
ひきこもっている人にもそういう人はいたりして、
メリットを感じているというか。
ひきこもっている人にもそういう人はいたりして、
自分のことをダメだと思う裏側には
自分のことをすごいと思う感情もあるわけで、、、
プライド。
スピリチュアルな人にも
プライド。
スピリチュアルな人にも
これがすごく多い。
謙遜しながらも、
謙遜しながらも、
私は特別だと思い続けている、、、
あなたたちとは違うんだと。
まー、
でもさー
そういうのもすべてひっくるめて
まー、
でもさー
そういうのもすべてひっくるめて
ヒトって面白いし、そういう人間臭さを
やたら愛おしいと思ってしまう私です。
立派な人になど興味ないからね。
まーー
瞑想もだね、
行になるとどんどん離れていくというか。
やたら愛おしいと思ってしまう私です。
立派な人になど興味ないからね。
まーー
瞑想もだね、
行になるとどんどん離れていくというか。
精神科医の斎藤学氏と共著。
『ヘンでいい。』(大月書店)
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