対話グループで思い出した、私の宇宙人的な小学校・中学校時代について。 | 生きる喜びを伝える伝道師〜くりはら せいこのブログ〜

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生きることは苦しみではなく喜びであるということを伝えています。
著書に、精神科医の齋藤学氏との共著『ヘンでいい。』

対話を使ったセラピー、魂のメッセージを伝えるソウルリーディング 、セルフラブグループ、笑いヨガリーダーなど、対面では東京を中心に活動中。

今年の1月から
対話グループというのをやっている。
 
募集した時の投稿はこれ。
 
   ↓

 

 

 

 一回しか告知しなかったのに、

参加希望してくださった方がいて

ありがたい。


 

対話グループとは書いたが、
 

対話=ダイアローグ

というよりは

モノローグ=1人語り、に近い。

 

ナラティブ=語り、というか。


 

でも、
 

ナラティブグループと言っても

わかる人は少ないので、

対話グループとしている。



 

基本的には、

自分のことを語り、

聞いている人は

ジャッジも意見も助言もしないで

ただ聞いている。


 

このグループで私は

特にファシリテーションもしないし

何かを提供することもしない。

 

なるべく等身大の

うそのない自分のままで、

同じ対等な関係の中で

私もその場にいる。

 

それが一番だいじだと思っている。

 

私が何かをやろうとした途端に

その場にいる人たちの力を

奪ってしまうのだ。


 

私ができることは、

自分が自分のままでいていい

ということを

自分の姿を通じて表現するだけで、、


 

そう。
 

だから、
ファシリテーターにとって

一番大事なことは


 

それまでの人生をどうやって生きてきて

普段何を考えて

どう生きているかということで。


 

それがそのまま出るわけで、


 

自分が空っぽなら

空っぽな場しか作れないし、
 

人と自分を比べてばかりいたら

そういう場しか作れないし、
 

損得しか考えてないなら

それ以上の場は作れない。

 

ファシリテーションというのは

生き方がそのまま反映される。


 

だから、
目の前の場の作り方だけを

お勉強的に

知識やマニュアルとして学んでも

ムリなのだ。


 

参加者の人はバカじゃない。
 

それが形だけのウソだというのは

すぐに見抜かれる。


 

最近、私が作っている場のやり方を
そのままパクって

それでお金をとろうとした者がいて、

私はひどく憤慨したが、
 

形だけまねても

私と同じ場は絶対に作れない。

 

 

ま、えらそうな話や

自慢話はさておき(爆)、



 

この対話グループで

私も同じように

自分の人生のことなどを
語っているので、

忘れていた過去のことを

いろいろ思い出す。


 

昨日の対話グループでも

いろいろ思い出して話したのだが、

そのあともまた
いろいろ思い出したので、
 

忘れないように

記録的に記しておこうと思う。

 

 

 

昨日私が話したのは、

小学生の高学年から
中学生時代のことだった。


 

10歳の時に遠藤周作の『沈黙』を読んで

助けない神に激怒し(爆)

遠藤周作の影響をいろいろ受けたこと。

 

中学2年生の時に

ひとりで暴力教師反対運動をやって

学校にも家にも

居場所がなくなったことなどを話した。

 

そのあと、

いろいろ思い出したこと、、、
 

それを書きとめておく。

 

 

学校にも家にも居場所がなかった。
 

なんで私が暴力教師反対運動をするのか、

教師も親も誰も聞いてくれなかった。
 

私は誰かに、

自分がなぜそうしたかを
聞いてほしかったんだな、、


 

だから、

今、自分の思いを話せる場を
作っているのかもしれない。


 

また、当時(中学2年生当時)私は

完全に孤立していて

ひとりぼっちで、

もし私が死んでも
誰も私のために

涙を流してくれる人はいないだろうと

しばしば想像していた。


 

中学2年で既に人生に絶望し、

誰も自分のことを理解してくれないと思い、

もう生きていても仕方ないから

ぐれて不良になってやろうと思った。


 

そうしたら、

どこからともなく

「道を踏み外してはならない。

お前には、弱き者を助ける仕事がある。」

という声が聞こえてきた。


 

そして、自分のように居場所がない子供が
逃げこめる場所をつくるイメージが浮かび、

それをやるためにも

大学のようなところで
ちゃんと学ばなきゃだめだと思った。

 

そんなことを思い出した。

 

この声やイメージは、

20年くらい前までかなりはっきり覚えていて、
 

この記憶があったからこそ、

児童虐待を最初に問題視した精神科医である

斎藤学氏を訪ねていったのだし、

いま、場づくりをしているのも

その延長線上にある。


 

学校や家庭に居場所がないから

孤独だったということもあるが、

同級生とまったく話が合わないというのも

孤独の原因だった。


 

遠藤周作の『沈黙』を読んで

神はいるのかと思ったり、

殉教願望を持ったりする小学生が

同級生と話が合うわけないが。爆


 

しかし、それ以外にも

周囲の同学年の人たちとは
まったく話が合わなくて、、、

 

小学生高学年くらいになると

みんな、
誰が好きとかそういうことを
言い始めるのだが、

私は当時、
人を好きになるという感覚が
まったくわからなかった。

というか、

性虐待を目撃してしまったということもあり、

人間に対する怒りと憎しみしかなかった。

 

どうすれば、
人を好きになれるのだろうと思っていた。
 

 

また、学校の提出物で、

「尊敬する人は?」
と答えさせる項目があり、

これまた皆目わからなかった。
 

尊敬できると思える人など
ひとりもいなかった。

 

大人達を見て、

あんな風になるなら
生きていても仕方ないとしか思えなかった。

 

また、

自分の人生や命なんて、
長い人類の歴史から見たら、
海岸の砂の一粒のようなもので、
そんな人生なんて意味があるんだろうかと、
海岸の砂浜をありありとイメージしながら
思っていたことも思い出した。


 

こんなことばかり考えている

小学校5〜6年生ってどうよ?爆


 

だけど、

孤独だったけど

不思議と寂しくはなかったんだな、、
 

 

むしろ、
合わないのに無理して
みんなと遊びたくないと思っていたくらいで。


 

寂しくなかった理由として

この時期、
いろいろ不思議な

スピリチュアルな体験をしていた
ということもある。


 

「お前には弱き者を助ける仕事がある」
という声が聞こえたのもそうだし、


 

中学校2年生の時には
 

深夜眠れなくて、

ベッドに寝転がって
窓の外を窓越しに見ていたら、

大きな宇宙船が窓のすぐ近くまで来て、

私にオレンジ色の光を

窓越しに浴びせてきた。

 

当時は、

夢か幻か妄想なのかと思っていたんだが、、、



のちに、

宇宙人がウォークインしてきたという人と出会い

「あなたは宇宙人だ」と言われた。笑


まー

宇宙人だったとしたら、

同級生と話が合わなかったとしても

しょーがねーか。爆  笑爆  笑爆  笑

 


宇宙人と言われたことについて

書いた投稿は下記。

 

 

 

 

 



子供時代のことで思い出したことがあれば、

またこちらに

記録的に書かせてもらうと思う。




宇宙人だと言われてから、

ギャグ的に宇宙人に扮装して

「宇宙人が語る地球人の生と死」とかいう

わけわからんイベントをやったりした。

 

写真はその時のもの。
 

 

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