ケニアのマトマイニ(希望)を育てる

ケニアのマトマイニ(希望)を育てる

1987年から30年続いたマトマイ二・チルドレンズ・ホーム。その卒園生達と共に、貧しさ故に子どもを困窮状態に追いやっているスラムのシングルマザーの自立援助に力を注いでいます。マトマイニ第2章の始まりです。

ケニアから日本のあなたへ伝えたいこと

2年前、ケニアを含む東アフリカの国々は、壊滅的な大干ばつに襲われ、Ocha(国連人道問題調整事務所)のグリフィス事務総長が、「世界はこの危機に目を向けていないが、東アフリカだけで多くの人が飢餓状態に陥りつつある」と警告を発していました。この時、マトマイニ出身のシナイ君が地元の青年団を率いて瀕死の牛や山羊などの家畜を救ったり、餓死した家畜の屍体を集めて焼却したりと、大活躍したのをよく覚えています。

上の写真の乾ききった大地と家畜の死屍累々の風景と、先週送られてきた下の写真を比べて下さい。大洪水!シナイ君の生家がある村の人々は水や食料を得るために大河となった道を渡るしかありません。さいわいシナイ君は村から町へ移住し高台に家も建て被害は免れましたが、この辺り一帯カジアド西部地方は甚大な被害を受けています。 3月から相次ぐ豪雨による被害が拡大し、ナイロビをはじめとした地域で5月10日現在で218人が死亡し、20万人近くが避難を余儀なくされているとか。多くの野生生物が生息して有名なマサイマラ国立保護区でも、14のロッジが壊滅状態でツアーガイドや観光客が孤立していると報じられています。

 

「今まで経験したことのない未曾有の」自然災害です。他人ごとではありません。マトマイニのフェルト工房のメンバーも自宅が浸水し住めなくなったため他家や教会に身を寄せているママが数人います。水も食料も衣料にも不自由している中、懸命にフェルトアニマル作りに取り組む彼女たちに今月は「水害見舞い」を送りました。

 

ナイロビ市内のモイアベニュー。

 

4日前、写真や動画がエテメシさんから届きました。「ナイロビの町に行ったら驚きの風景に出くわしました!」と。

 

その写真を見て慌ててインターネットで「ケニア・洪水」と検索したところ、次々と画面に映る のは、衝撃の大洪水の映像でした。40年ケニアに住んで洪水も干ばつも見てきましたが、これは「未曾有」の大洪水です!

 

さっそく問い合わせをしたところ、回答が来ました。

 

上の写真は大河になったバガシ川。フェンスのこちら側がマトマイニです。生活用の道路は水の下。

 

カマンデ氏から、「マトマイニの下のバガシ川が氾濫して、昨年修理したフェンスを乗り越えて マトマイニ側に入ってきました。傾斜地にあるマトマイニの建物は無事ですが、上の方から流れ込む水でゲート辺りは土砂が流れ込んでドロドロです。

来週2学期が始まるけど、通学路が寸断されたので、子ども達が学校に行けるかどうか心配です。電線が切れてこの一帯は停電中です。復旧の見込みはわかりません。」

 

エテメシさん「ママ達が住んでいるクワレスラムは浸水被害で大変です。最も大きな被害を受けたのはユニスで、少し高台にある教会の一角に身を寄せています。」

 

雨はまだ降り続いているようです。住処を失っても、マトマイニに来て仕事をしているママ達を応援してあげたいと思っているところです。

年が明けたらマトマイニのフェルトアニマルを詰め合わせて国際郵便で送ってもらうように、エテメシさんに頼んでいました。その国際小包の発送時に、ケニアの郵便局に持って行ったところ、突然郵送料が値上げになっていたというのです。

 

ケニアの郵便局が1月5日付で発行した 「RE: Revised rates for international parcels」という書類と新しい郵便料金表が添付されていました。

32000シリング払ったそうです。2倍以上の値上げ!

 

その小包が関空に到着し、間もなく配達されると待っていたところ一通の封書が届きました。大阪税関から「この荷物は輸入申告が不要な郵便物に該当するという証明をすべき」とあり、書類を提出したら更に別の書類を用意するよう言われました。

 

ケニアから発送して1ケ月後にやっと荷物が着きました。関税は5千円でした。小包に貼られていたケニアの郵便局の領収書の郵送料は写真のように手書きで書き直され、重量も嵩ましされてました。ケニアの郵便局、特にマトマイニの最寄り局は不正腐敗で何度も料金をごまかされましたが、今回もやられました。

ケニアから国際小包を送る際には、重量をごまかされないように計りと料金表で前もって料金を調べておく必要があります。

 

今年、マトマイニのフェルト工芸品は値上げせざるを得ません。

 

 

皆様に支えられマトマイニファミリーは無事に新年を迎えることが出来そうです。私達の草の根活動は大きな花を咲かせたわけではありませんが、地下で逞しくしぶとく根を張り巡らせている、と実感しています。

 

フェルト工房では、ユニス、マグダリン、ポリーン、ラハブの4名とボランティアのエテメシさんが仕事を続けていますが、加えて地元の小学校と雇用契約を結んでいるジェーンとモニカが時間を見つけて作業に参加しています。原毛も調達出来ているようです。

ジェーンの最新作。ホロホロ鳥、サンタ、ライオン、チータなどです。

マトマイニ孤児院出身のOB・ OGもポレポレ(ゆっくり)ながらそれぞれの道を歩んでいます。看護師のマーガレットは来年のアメリカ移住を実現したいのですが、一家で移住は経済的に無理と分かり、とりあえず一人で行くことになりそうです。単身赴任は苦渋の決断でしょう。

 

11月ブログに書いた調理師のドナルドはその後、理由を告げられずに突然解雇され、行き場がないということでマトマイニの一部屋に親子3人で暮らしています。腕の良い彼のことですから、職はみつかると信じています。

 

農業指導で時々マトマイニに来て畑仕事をしているカマウ・ムルククは「植えた苗が良く育っている」と報告してきました。

 

遠いマサイの町に住むシナイは、新築の家のWarming Ceremonyの写真を送って来ました。私は出席できず残念でしたが、「盛況でした。涙と喜びにあふれた式典でした。自分の今までの歩みを振り返り感無量でした」と。

 

来年もどうぞよろしくお願い致します。

 

1987年にオープンしたマトマイニ孤児院からは、200余名の子どもがケニア社会に巣立っていきました。54名の子どもを抱えていた頃は、「豆・米・トウモロコシ」と食糧調達に東奔西走したり、従業員の給料支払いの為にナイロビ在留邦人の方に借金をお願いしたものです。

 

ケニア政府が6年前に「新たな孤児院の開設は認めない。子どもは地域で育てるべき。既存の孤児院は子どもを保護者、親戚等に戻すように」と告示しました。以来、マトマイニに新しく入所した子は居ませんが、子どもが進学し独り立ちするまでのサポートは今も続けています。

 

その中で「果たして自立できるだろうか?」と心配したのが、ドナルド君(23才)でした。生まれながら特別ケアーが必要な基礎疾患を持つ天涯孤独の孤児であるドナルド君は、2002年にマトマイニに来てからいろいろありました。眼病で失明寸前の時には緊急手術の費用を募りました。成績不振で進学先を探すのにも苦労しました。

 

マトマイニで暗い顔をしていたドナルド君が最もキラキラしていたのが台所でした。料理大好き!専門校で調理を学んだ後 、就活も即決とはいきませんでしたが、調理への情熱と確かな腕を見込まれてお声がかかり、コロナ禍に負けず逞しく生き延びたのです。

 

今、近隣の町のアパートに住んで、2つの店をかけ持ちフル回転で働いています。

 

ドナルド君から先週届いた写真をご覧下さい。

 

この笑顔、ドナルド君には守るべきファミリーが出来たのです!

ドナルド君の新たな出発、また書きます。 

 

マトマイニ孤児院がオープンした当時から、長年にわたりお世話になっている坂部さん主宰の秋冬ポレポレバザールが開催される運びとなり、案内が届きましたので、皆様と共有させていただきます。

 

紅葉名所の様子が伝えられるこの季節に、色とりどりのアフリカングッズに触れて、遥かなアフリカの地でものつくりに励んでいる人々に想いを馳せてみては如何でしょうか?

 

以下、坂部さんからのご案内です。

 

日時:11月23-26日(木-日) 開催します

 

場所:@atlier_polepole

住所:茅ヶ崎市共恵2丁目3-37

 

ケニア から、ウガンダ から、沢山の出来たて作品、新作もいろいろ届きました。

可愛いカンガ布、とってもオシャレなキテンゲ布(パーニュ)のバッグやエプロンが何種類もあります。

 

マトマイニアニマルは100体越えの大集合 。

アフリカンプリント布、藍染布、ケンテまで、布もいろいろ。

ホーン(角)やビーズ、樹皮やバナナの茎、ザイザル麻などのクリスマスオーナメントも揃いました

 

4日間、小さいアトリエはアフリカングッズであふれます。

湘南の晩秋、遊びに来てください。

フェルト工房の10月の様子をお伝えしましょう。工房のママの中,マトマイニの卒園生でフェルトボールのキーホルダーやアクセサリーでは誰にも負けない腕を持つモニカが戻って来たのです。とはいえ、教会が運営する小学校の先生として正式な雇用契約を結んでいる今、直ぐに仕事を辞めるわけにはいきません。学校側がドンドン仕事を任せるため、休む間もなく働き詰めでプレッシャーに押しつぶされそうだと愚痴っていましたが、正規の教職の身分を保持しながらも、何とか「毎週土曜日と学校の休みにフェルト工房で作品作りに取り組む」ことは可能になったようです。ですから、当面、「学校の先生」と「フェルトボール工芸の作り手」の二刀流です

 

原毛が入手できなくて、一時期、羊毛加工部門の2名のママは自宅待機でもと思ったりしましたが、30キロの原毛を買い付けることが出来ました。この原毛をユニスとマグダリンが洗ったり染めたりし、ポリーンとラハブがキリンとシマウマを作成し、モニカがフェルトボールやビーズを用いてアクセサリーを作る、という5人の体制で進んでいます。写真左がモニカです。

 

10月末、久し振りに会った友人がベージュのセーターにモニカ作成のベージュのネックレスを付けておいでで、嬉しくなり、写真を送ったところ同じデザインのものを作ったようです。頑張れモニカ!


ほぼ毎日、マトマイニのボランティアのエテメシさんからメールが届きます。フェルト工房は、4名のママ(羊毛加工部門のマグダリンとユニス、キリンとシマウマ作りが得意なラハブとポリーン)が活動を続けており、その進捗状況の報告や課題への問い合わせ等々です。私の健康問題のため、直ぐにケニアに行けない今、エテメシさんの存在は非常に大きく、安心して工房を任せています。あまり写真が添付されて来ないのが残念ですが。

 

 

フェルトアニマルの作成も少しずつ進んでいます。新作のキリン達。

 

キリン作りの名人ポリーンさん。傍らには息子のキンキン君がいるようですね。

 

昨日のメールは、「原毛を購入したいけど、注文を入れてあてにしている業者から連絡が来ません」とのこと。

 

はっとしました。 

 

そう言えば、ちょうどこの時期はケニアの国民的恒例行事、いわゆるナイロビショーがあるんだった!酪農関係者は高品質の生産物を持って集結するはず。以前、何度かショーの会場に出かけて原毛の買い付けをしたことがありました。展示品と買い付けた実物が異なっていて悔しい想いをしたのを覚えています。

 

ナイロビショーの酪農部は強欲なイヤな輩のたまり場だったのですが、「でも、エテメシさん、もし時間があれば、ちょっと覗いてみたらどうかしら? 何か有用な情報があるかも知れないわ」とメール連絡をしたところです。

 

マトマイニのアルバムを整理していたら懐かしい写真がみつかりました。1992年、金満里さんがマトマイニを訪問された時のものです。キベラスラムの女性グループの活動にも同行しました。

 

「態変」という劇団を立ち上げ、その主宰・芸術監督・パフォーマーとして常に挑戦をし続けておいでの金さんの初のアフリカ入りは、ケニアのネーション紙で「カリスマ的雰囲気の女性」と大きく報道されていました。

 


1992年、金満里さん(車いす)マトマイニ訪問。子ども達は国立劇場での公演を観に行きました。

 

その態変の40周年を祝して「私たちはアフリカからやってきた」と題する記念公演が、今年10月(27~29日)に解される予定で、それに向けてのプレ企画に私も参加させていただく運びとなりました。

以下、態変事務所のチラシを紹介します。

 

1日目「映像と報告」態変ケニヤ公演(1992年)回顧

日時:8月25日(金)19:00~21:00 会場:メタモルホール 料金:500円

 

全ての発端となったケニヤからの1通の手紙は、何の前触れもなく突然に舞い込んできた。

差出人は、青少年を対象にした演劇企画を専門にする組織だという、ナイロビプレイヤーズのプロデューサー。

そこから態変は、いかにして、ケニヤ 3都市公演を成し遂げることができたのか。

伝説のツアーを経験したパフォーマーとスタッフが当時を振り返りお話します。

現地で撮影した記録映像もご覧いただきます。

 

2 日目[講演] 「ケニヤのマトマイニ(希望)を育てる」 お話:菊本照子さん

日時:8 月 26 日(土)14:00~16:00 会場:メタモルホール 料金:500 円

 

ケニヤで長年にわたり孤児院マトマイニ・チルドレンズ・ホームを運営してこられ、またシングルマザーの 自立支援などにも取り組んでこられた菊本照子さん。 態変ケニヤ公演の準備渡航でメンバーの一人が重病で 命を落としかけた際に手を差し伸べてくださって以来 のご縁です。 この春も現地で活動されてきた菊本さんに、ケニヤの これまでとこれからをお話いただきます。ケニヤから やってきた紅茶を飲みながら。 フェルトアニマルも販売予定。

【お問い合わせ/ご予約】態変taihen.japan@gmail.com 06-6320-0344

メタモルホール(態変事務所1階)の場所は 「メタモルホール 地図」と検索すれば出てきます。

今回のケニア滞在中に「フェルト工房を小規模で再開する準備」を手配したのですが、問題は山積みです。

 

水供給や原毛調達の他、フェルト作品を作るには細かい作業と道具が必要です。原毛の使えない部分を切り取るハサミ、原毛を洗うシャンプー、湯沸かし用の鍋とバケツ、薪、染料、手袋、ハンドカーダー、アニマルの芯にするスポンジ、フェルト針等々沢山あります。この中、マトマイニの敷地内で調達できるのは薪だけで、他は輸入品が殆どです。

 

例えばハンドカーダー。洗って染めた羊毛をフワフワの状態に梳くための道具で、髪を梳くヘアブラシと同じ役目を果たします。以前は日本から手持で運んでましたが、消耗品なので現地で調達できるケニア製に切り替えたのです。それが今回は2倍に値上がりしてました。仕方なしに注文してカマンデ氏に後を託しました。

ハンド・カーダーを使って羊毛をフワフワにする作業は地味で単純な仕事ですが、大事な工程です。

写真はマグダリン。2人の子どもの母です。

 

カマンデ氏はスポンジや原毛、染料の購入、小包の発送等、多岐に渡る仕事を担当しています。出発前修三がエテメシさんとカマンデ氏に改めて全ての手順を説明し記録と報告をお願いしてケニアを発ちました。

 

10年以上かけてヒット作品になったフェルト工芸品。一つ一つの工程に失敗と学びがありました。コロナ禍で再びゼロからの出発をするフェルト作りですが、この長い試行錯誤の経験こそが手元に残ったとても大きな財産です。