ケニアのマトマイニ(希望)を育てる

ケニアのマトマイニ(希望)を育てる

1987年から30年続いたマトマイ二・チルドレンズ・ホーム。その卒園生達と共に、貧しさ故に子どもを困窮状態に追いやっているスラムのシングルマザーの自立援助に力を注いでいます。マトマイニ第2章の始まりです。

ケニアから日本のあなたへ伝えたいこと

1987年にオープンしたマトマイニ孤児院からは、200余名の子どもがケニア社会に巣立っていきました。54名の子どもを抱えていた頃は、「豆・米・トウモロコシ」と食糧調達に東奔西走したり、従業員の給料支払いの為にナイロビ在留邦人の方に借金をお願いしたものです。

 

ケニア政府が6年前に「新たな孤児院の開設は認めない。子どもは地域で育てるべき。既存の孤児院は子どもを保護者、親戚等に戻すように」と告示しました。以来、マトマイニに新しく入所した子は居ませんが、子どもが進学し独り立ちするまでのサポートは今も続けています。

 

その中で「果たして自立できるだろうか?」と心配したのが、ドナルド君(23才)でした。生まれながら特別ケアーが必要な基礎疾患を持つ天涯孤独の孤児であるドナルド君は、2002年にマトマイニに来てからいろいろありました。眼病で失明寸前の時には緊急手術の費用を募りました。成績不振で進学先を探すのにも苦労しました。

 

マトマイニで暗い顔をしていたドナルド君が最もキラキラしていたのが台所でした。料理大好き!専門校で調理を学んだ後 、就活も即決とはいきませんでしたが、調理への情熱と確かな腕を見込まれてお声がかかり、コロナ禍に負けず逞しく生き延びたのです。

 

今、近隣の町のアパートに住んで、2つの店をかけ持ちフル回転で働いています。

 

ドナルド君から先週届いた写真をご覧下さい。

 

この笑顔、ドナルド君には守るべきファミリーが出来たのです!

ドナルド君の新たな出発、また書きます。 

 

マトマイニ孤児院がオープンした当時から、長年にわたりお世話になっている坂部さん主宰の秋冬ポレポレバザールが開催される運びとなり、案内が届きましたので、皆様と共有させていただきます。

 

紅葉名所の様子が伝えられるこの季節に、色とりどりのアフリカングッズに触れて、遥かなアフリカの地でものつくりに励んでいる人々に想いを馳せてみては如何でしょうか?

 

以下、坂部さんからのご案内です。

 

日時:11月23-26日(木-日) 開催します

 

場所:@atlier_polepole

住所:茅ヶ崎市共恵2丁目3-37

 

ケニア から、ウガンダ から、沢山の出来たて作品、新作もいろいろ届きました。

可愛いカンガ布、とってもオシャレなキテンゲ布(パーニュ)のバッグやエプロンが何種類もあります。

 

マトマイニアニマルは100体越えの大集合 。

アフリカンプリント布、藍染布、ケンテまで、布もいろいろ。

ホーン(角)やビーズ、樹皮やバナナの茎、ザイザル麻などのクリスマスオーナメントも揃いました

 

4日間、小さいアトリエはアフリカングッズであふれます。

湘南の晩秋、遊びに来てください。

フェルト工房の10月の様子をお伝えしましょう。工房のママの中,マトマイニの卒園生でフェルトボールのキーホルダーやアクセサリーでは誰にも負けない腕を持つモニカが戻って来たのです。とはいえ、教会が運営する小学校の先生として正式な雇用契約を結んでいる今、直ぐに仕事を辞めるわけにはいきません。学校側がドンドン仕事を任せるため、休む間もなく働き詰めでプレッシャーに押しつぶされそうだと愚痴っていましたが、正規の教職の身分を保持しながらも、何とか「毎週土曜日と学校の休みにフェルト工房で作品作りに取り組む」ことは可能になったようです。ですから、当面、「学校の先生」と「フェルトボール工芸の作り手」の二刀流です

 

原毛が入手できなくて、一時期、羊毛加工部門の2名のママは自宅待機でもと思ったりしましたが、30キロの原毛を買い付けることが出来ました。この原毛をユニスとマグダリンが洗ったり染めたりし、ポリーンとラハブがキリンとシマウマを作成し、モニカがフェルトボールやビーズを用いてアクセサリーを作る、という5人の体制で進んでいます。写真左がモニカです。

 

10月末、久し振りに会った友人がベージュのセーターにモニカ作成のベージュのネックレスを付けておいでで、嬉しくなり、写真を送ったところ同じデザインのものを作ったようです。頑張れモニカ!


ほぼ毎日、マトマイニのボランティアのエテメシさんからメールが届きます。フェルト工房は、4名のママ(羊毛加工部門のマグダリンとユニス、キリンとシマウマ作りが得意なラハブとポリーン)が活動を続けており、その進捗状況の報告や課題への問い合わせ等々です。私の健康問題のため、直ぐにケニアに行けない今、エテメシさんの存在は非常に大きく、安心して工房を任せています。あまり写真が添付されて来ないのが残念ですが。

 

 

フェルトアニマルの作成も少しずつ進んでいます。新作のキリン達。

 

キリン作りの名人ポリーンさん。傍らには息子のキンキン君がいるようですね。

 

昨日のメールは、「原毛を購入したいけど、注文を入れてあてにしている業者から連絡が来ません」とのこと。

 

はっとしました。 

 

そう言えば、ちょうどこの時期はケニアの国民的恒例行事、いわゆるナイロビショーがあるんだった!酪農関係者は高品質の生産物を持って集結するはず。以前、何度かショーの会場に出かけて原毛の買い付けをしたことがありました。展示品と買い付けた実物が異なっていて悔しい想いをしたのを覚えています。

 

ナイロビショーの酪農部は強欲なイヤな輩のたまり場だったのですが、「でも、エテメシさん、もし時間があれば、ちょっと覗いてみたらどうかしら? 何か有用な情報があるかも知れないわ」とメール連絡をしたところです。

 

マトマイニのアルバムを整理していたら懐かしい写真がみつかりました。1992年、金満里さんがマトマイニを訪問された時のものです。キベラスラムの女性グループの活動にも同行しました。

 

「態変」という劇団を立ち上げ、その主宰・芸術監督・パフォーマーとして常に挑戦をし続けておいでの金さんの初のアフリカ入りは、ケニアのネーション紙で「カリスマ的雰囲気の女性」と大きく報道されていました。

 


1992年、金満里さん(車いす)マトマイニ訪問。子ども達は国立劇場での公演を観に行きました。

 

その態変の40周年を祝して「私たちはアフリカからやってきた」と題する記念公演が、今年10月(27~29日)に解される予定で、それに向けてのプレ企画に私も参加させていただく運びとなりました。

以下、態変事務所のチラシを紹介します。

 

1日目「映像と報告」態変ケニヤ公演(1992年)回顧

日時:8月25日(金)19:00~21:00 会場:メタモルホール 料金:500円

 

全ての発端となったケニヤからの1通の手紙は、何の前触れもなく突然に舞い込んできた。

差出人は、青少年を対象にした演劇企画を専門にする組織だという、ナイロビプレイヤーズのプロデューサー。

そこから態変は、いかにして、ケニヤ 3都市公演を成し遂げることができたのか。

伝説のツアーを経験したパフォーマーとスタッフが当時を振り返りお話します。

現地で撮影した記録映像もご覧いただきます。

 

2 日目[講演] 「ケニヤのマトマイニ(希望)を育てる」 お話:菊本照子さん

日時:8 月 26 日(土)14:00~16:00 会場:メタモルホール 料金:500 円

 

ケニヤで長年にわたり孤児院マトマイニ・チルドレンズ・ホームを運営してこられ、またシングルマザーの 自立支援などにも取り組んでこられた菊本照子さん。 態変ケニヤ公演の準備渡航でメンバーの一人が重病で 命を落としかけた際に手を差し伸べてくださって以来 のご縁です。 この春も現地で活動されてきた菊本さんに、ケニヤの これまでとこれからをお話いただきます。ケニヤから やってきた紅茶を飲みながら。 フェルトアニマルも販売予定。

【お問い合わせ/ご予約】態変taihen.japan@gmail.com 06-6320-0344

メタモルホール(態変事務所1階)の場所は 「メタモルホール 地図」と検索すれば出てきます。

今回のケニア滞在中に「フェルト工房を小規模で再開する準備」を手配したのですが、問題は山積みです。

 

水供給や原毛調達の他、フェルト作品を作るには細かい作業と道具が必要です。原毛の使えない部分を切り取るハサミ、原毛を洗うシャンプー、湯沸かし用の鍋とバケツ、薪、染料、手袋、ハンドカーダー、アニマルの芯にするスポンジ、フェルト針等々沢山あります。この中、マトマイニの敷地内で調達できるのは薪だけで、他は輸入品が殆どです。

 

例えばハンドカーダー。洗って染めた羊毛をフワフワの状態に梳くための道具で、髪を梳くヘアブラシと同じ役目を果たします。以前は日本から手持で運んでましたが、消耗品なので現地で調達できるケニア製に切り替えたのです。それが今回は2倍に値上がりしてました。仕方なしに注文してカマンデ氏に後を託しました。

ハンド・カーダーを使って羊毛をフワフワにする作業は地味で単純な仕事ですが、大事な工程です。

写真はマグダリン。2人の子どもの母です。

 

カマンデ氏はスポンジや原毛、染料の購入、小包の発送等、多岐に渡る仕事を担当しています。出発前修三がエテメシさんとカマンデ氏に改めて全ての手順を説明し記録と報告をお願いしてケニアを発ちました。

 

10年以上かけてヒット作品になったフェルト工芸品。一つ一つの工程に失敗と学びがありました。コロナ禍で再びゼロからの出発をするフェルト作りですが、この長い試行錯誤の経験こそが手元に残ったとても大きな財産です。

 

 

 

ジェーンは朝早くから夕方まで学校の用務員の仕事で忙しく、日曜の教会のミサが終わった後は、体の不自由な高齢者のケアーをする教会の活動に参加しており、日曜の夕方しか時間がないそうです。2人の子どもと一緒に会いに来てくれました。

 

コロナ禍で3年間閉鎖していたフェルト工房の活動を、今回のケニア短期滞在中に「小規模でもスタートしよう」という所まで何とか漕ぎつけることが出来ました。

 

3年前まで工房はセルフヘルプ・グループとしてケニア政府に認定され、乳幼児のベビーシッターさんも含めた22人がフルに稼働していました。

 

でも、今は羊毛加工部門のマグダリンとユニス。アニマル製作部門のラハブとポリーン。ボランティアのエテメシさんを加えると5名でのスタートです。

 

病気で亡くなったママが2名。他にはサウジアラビアやカタールに出稼ぎに行ったママ。遠い田舎の実家に帰って農作業しているママ。このオンガタロンガイの町に住みながら、「他の仕事が入ったから、もうマトマイニには行けない」というママ。みんなコロナ禍の中懸命に家族を守りながら生き抜いてきたママ達です。

 

マグダリンとユニスとラハブは面接した時、「直ぐ来ます」と即決でした。ポリーンは週に2日入る他の仕事を続けながらの2刀流です。

 

大ベテランのジェーンとモニカは、まだ正式に「戻って来て」とは言えません。日雇いをしている中、やっと手に入れた学校の仕事は決して楽ではないとはいえ、勤勉な仕事ぶりを認められ正式な職員として雇用契約を結んだばかりの2人は安易に辞職する訳にはいきません。

 

小規模で始めてみて必ず進めて行くから、一緒に仕事をしようね。3,4ヶ月待って、との約束を私は守らなければならないのです。

モニカにピーナッツバターを注文しました。以前から自宅で作っていたのですが、今は忙しいので、注文がある時だけ作るそうです。次女と一緒に配達に来てくれました。

 

 

 

マトマイニの夜もあと1晩。久しぶりに停電でロウソクの灯で夕食を終えました。木々を飛び回る小動物のギャーという鳴き声が暗闇に響きます。あの動物の正体は何なのか?スティーブンいわく、「鼠より大きい奴だ」とか。きっと6年前に出会った、あの幻のアフリカ鬼鼠だろうと勝手に想像しています。

 

「ここは空気がきれいです」とマスクを外して笑顔を見せて下さった訪問者は、マクセル・ムセンビ氏です。プロのランナーとして活躍中、マトマイニの子ども達のコーチをして下さったことを私は忘れ得ません。今も毎日25キロは走って体を鍛えておいでだそうです。また、食養学にかけても卓見をお持ちでいろいろ教わりました。最後に一つお聞きしたかったのは、「日本に住んで、日本の食べ物でベストとお思いなのは何ですか?」「納豆です」そうか、と修三と顔を見合わせた次第です。

「うわあ、チャンピオンだって」キンキンは尊敬の眼差しでマクセル氏を見上げてます。

小規模ポレポレで始めたフェルト工房の、原毛を洗って染めるママ達の作業を見て頂きました。マクセル氏も日本への帰国前でご多忙の中、遠路はるばるおいで下さったのです。

 

苗木作りもしたいなあ、と語るカマウ君(写真右)。3人の娘さんの父です・

今は深い森になったマトマイニの木々のほとんどを植えたのは、孤児院一期生のカマウ君です。近所に住んでいる彼は小規模ポレポレで有機農業も始めたいと言ってますが、手始めに壊されたフェンスの修理を担当し、その作業を腰痛の私は「お願いします」と頼んでマトマイニを後にします。次回には一歩も二歩も進んだマトマイニを見ることが出来ると信じて。

 

 

ご心配をおかけした足腰の痛みは鎮痛剤で抑えながら、ソロリソロリと動いてます。

 

ケニアを発つ日が迫って来て、フェルト工房の再開に向けて少しずつ事が動き始め、普段は静かなマトマイニに賑やかな会話や笑い声が 響いています。

今週は、3人のママが大掃除と機材や材料の状態を調べに来ています。キンキンも一緒です。

ママ・ムクブワ(ビッグマム)と背の高い男性が私に呼びかけてきました。先般足を運んだマサイ・マーケットのザンギ君です。

「菊本さ~ん」と元気の良い声は、ママ・カマウこと恵子さん。ザンギ君と恵子さんが会うのは何年振りでしょうか。

2001から7年間実施したILCP貧困層の生活改善プロジェクトで、恵子さんと私はナイロビのスラム住民対象の活動を共にしました。マトマイニのカマンデ氏もザンギ君もマザレスラムの住民で、その当時からの長い付き合いです。話は尽きません。

持ってきた作品をその場に並べ、ミニマーケット。恵子さんにも選んでもらいました。

「夏はトルコ石入りのバングルなんかいいかも」

 

「ところでザンギ君、何歳になったの?」

「57歳。孫が3人」

 

今はマザレを出てジュジャという町に住み、週3回マーケットに出店し、あとは自宅で地域の若者達にアクセサリー作りを教えているそうです。ペンチ一本で生きる姿に付いて来る若者も多いのでしょう。

 

 

ラハブさんとポリーンさん姉妹は、キリンとシマウマ作りのベテランです。フェルトアニマルの中で最も売れ目のアニマルですから、この2人には「今、どういう生活をしているの?」「再開すると決めたら、戻って来れそう?」と聞いておきたかったのです。

 

子連れで来てくれました。ラハブさんの娘のホープちゃんはズンと伸びていました。

「あれっ?」ポリーンさんは小さな男の子を連れているではないですか。

「キンキンって呼んでやって」 キンキンは人見知りもせずホープちゃんと走り回わります。もうすぐ3歳とか。

 

ということは、コロナ禍で工房を閉めた2020年3月に、ポリーンさんのお腹にキンキンが居たのかな。ふむふむ。思い起こせば、当時ポリーンさんはお母さんの介護で疲れ果て、亡くなった時にはガックリと疲労困憊の様子で、よく机に臥せて気分悪そうにして、遅刻も早退もありました。その頃は生産性も落ちていました。

 

でもあれは、もしかしたら妊婦さんの辛さもあったのかもしれない!今は元気になった親子を見て納得した次第です。目下、週に3日のパートの仕事をしているとかで、空いている日は工房の機材や材料を調べるためにマトマイニに来てもらいます。キリン・シマウマ作りのママ、復帰するかも知れません。