25.04.23発売「OZAKI PLAYS OZAKI1.」Teaser
16前編
16後編
裕哉さんが思春期の頃には豊さんの全作品71曲を
歌えるようになっていたところに、何ともいえない
孤独な悲しみというか、父親のいない切なさ寂しさを
思った。
逆に豊さんが生きていたら、父親に反発してみたり
反面教師にして、親とは違った音楽を目指したり、
もっと他の世界に視野を広げたかもしれないけれども、
我が子の成長を見届けずに亡くなったことによって、
裕哉さんは、ずっと父親の面影を追い続けて
アイデンティティや父との対話、自分探しを続けてきた
思いの深さや強さを感じた。
尾崎豊さんの子でありながら、手の届かない場所に
父親が逝ってしまい、声も聴けず、姿も見えない。
唯一、尾崎豊さんの音楽を聴いて父の温もりを感じて、
父の言葉を読み解くことが、絆や心のつながりを深く
感じていられる瞬間だったのだと知った。
豊さんが遺した音楽の詞や息遣いから、
父親の温もりを味わってきた人で、それが、
全曲を心に落としてきたのは重いことだ。
「OZAKI PLAYS OZAKI」は、
父尾崎豊さんの言葉をバイブルとして育ってきた
ご子息裕哉さんの集大成なのかなと、
そんなふうに理解した。
やっぱり、私が尾崎豊さんの音楽を聴くと、
昭和の終わり頃の時代が思い出される。
1980年代から1990年代という時代の回想や、
尾崎豊さんの青春時代に起きていたような、、
当時は、ベビーブームで誕生した世代の人達で、
教育者の管理教育が厳しく、校則に縛られるなかで
鬱々とした学生生活を強いられてきて、
教育者と学生の対立もあれば、学生同士の
派手な喧嘩もあったりと、高度経済成長と共に
大きなうねりのなかで、価値観が大きく変化して、
感情がぶつかり合う時代だった。
なにしろ、今ほど物が豊かに溢れていて、
何かを与えてくれるような時代ではなかったので、
いつもハングリーで、、、
心が飢えていて何かを探し求める時代だった。
当時、先生たちは戦争体験した人が多かったので、
考え方も戦前教育や戦争を引きずっていたと思う。
戦後10年以上経って生まれた私達には、
新しい未来しか見えなかったので、古い体質の
大人達との考え方にはギャップがあったけれども
声に出して反発することが許されない時代だった。
そういう意味で、尾崎豊さんの魂に響く歌声は、
心の内側にある鬱積したものを吐き出させてくれる
メッセージソングのように感じられて、大ヒットした
印象を持っている。
尾崎豊さんの音楽は、それぞれ聴く人によって
いろんな受け止め方ができるのだなと思った。
6592円
2624円
番外 生誕59回目の尾崎豊さん
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