優しい陽射し

 


 

今回の尾崎繁美さんの寄稿文中に、

岐阜県高山市の桜の前で尾崎豊さんが佇む画像があり、

wikiにも記載がなかったので知らなかったけれども、

尾崎豊さんのご両親の出身が岐阜で、尾崎さん自身も

結婚する頃は高山市の本籍だったのを知った。

 

東京に本籍を遷さなかったのは、きっとその土地や

人間関係や大切にしたいものが、沢山あったから

だったのだろうと思った。

 

岐阜と愛知も近いので、尾崎豊さんが岐阜県に住んて

いたと想像するだけでも、何故か親近感がわいた。

 

  ヒマワリ      ヒマワリ      ヒマワリ

 

もう一つ、尾崎豊さんの墓石に繁美さんが

最後のアルバムのタイトル

「生きること。それは日々を告白していくことだろう

 ー放熱への証ー」

という言葉を選んで刻んだというのを読んでいて、

ハッとしたことがあった。

 

2年前に、キーボーディスト牧野信博さんが

亡くなったことを、私は最近になり、

ヤフーニュース知った。

 

牧野信博さんは、昔の私の知り合いであり、

尾崎豊さんの最後のアルバムー放熱への証ーの

作品にキーボーディストとして参加していた。

 

1980年頃だったか合歓で知り合ってから

時々、連絡を取り合ったりしていた友人で、

日付ははっきり思い出せないけれども、

最後に会った日に、牧野さんは本をくれた。

 

「結婚したい女性がいて引っ越すことにしたから

 おまえ、キーボードの勉強したいんだろ、

 俺が使っていた本をやるから、これで勉強しろ。

 このコードブックは使いやすいから、

 大事に持ってろよ」

と、餞別にキーボードのコードブックをくれた。

 

その日以来、牧野さんとは連絡を取らなかったので

彼が、どこで何をしているかは知らずに過ごしていた。

 

本当にわりと最近のことだった。

 

牧野信博さんの訃報がヤフーニュースになっていた。

山口百恵さんの義娘が牧野さんの娘さんだったのだ。

「父が1年前に死去しました」と発表があり知った。

 

ヤフーニュースの中に、牧野信博さんが

尾崎豊さんのバックでキーボードを担当し、

最後の作品『放熱への証』に関わったことが

載っていたので、その時にその功績を知った。

 

牧野信博さんがキーボード担当で

「放熱への証」に関わった楽曲

優しい陽射し
贖罪
ふたつの心
原色の孤独
太陽の瞳
Monday morning
闇の告白

 

その言葉が墓石に刻まれていると思うと、

これまで尾崎豊さんが、遠い存在だったのが、

自分の友人の延長線上にいたミュージシャンだったかな

と、これまでとは少し違った親しみを感じた。

 

ー放熱の証ーは、

知人のキーボード音源も入っている作品なので

もう一度、あらためて聴き直そうと思う。

 

放熱への証 CD買おうと思う 2873円

 

 

 

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