流離の翻訳者 日日是好日 -24ページ目

流離の翻訳者 日日是好日

福岡県立小倉西高校(第29期)⇒北九州予備校⇒京都大学経済学部1982年卒
大手損保・地銀などの勤務を経て2008年法務・金融分野の翻訳者デビュー(和文英訳・翻訳歴17年)
翻訳会社勤務(約10年)を経て現在も英語の気儘な翻訳の独り旅を継続中

今日は快晴。年末年始に向けて朝から1階の窓やサッシの清掃を依頼した。家内の友人紹介の業者である。枚数が結構あるため午後3時くらいまで掛かるらしいが見違えるほどにピカピカになっている。やはりプロは違うと感じた。

 

毎日清掃を行っている人は、きっと心の中も清々しいものだろう。そんな気がする。

 

 

高校時代の友人でビジネス・コンサルタントになった者がいる。もう随分昔、彼が福岡で事業を立ち上げた当初、毎朝仕事前に近隣の公園などの掃除を行ったらしい。

 

親不孝通り近くの事務所だったが、掃除というプラスの行動がプラスの気持ちを生じさせ、それが仕事に良い影響をもたらしたそうだ。

 

 

銀行などの支店で、行員(従業員)に毎朝店舗の周りを掃除させているところもあるが、これはCSR(Corporate Social Responsibility)の取り組みの一つでもある。

 

他にも掃除と経営を結び付けて考える理論は結構あるようだ。

 

 

昨日の昼過ぎから関節痛がすると思ったら微熱が出ていた。思えば久々の発熱である。コロナの時代、発熱に神経質になりすぎていたようである。

 

薬を飲んで一日おとなしく寝ていたら、今日は随分楽になった。風邪の引きかけだったのかも知れない。もう大丈夫そうである。

 

 

今朝から冷え込むと予報されていたがさほど寒くはないようだ。郵便受けを覗くと、朝刊とともに11月に受けた健康診断の結果と一通の喪中はがきが届いていた。今年もそんな季節になった。

 

再びベッドで寝ていると頭の中にある曲のメロディーが流れてきた。「♪♪~街中を秋のクレヨンが足ばやに染めあげてます~♪♪」。太田裕美の「最後の一葉」

 

 

「秋のクレヨン」。何とも美しい表現である。今年も美しい季節が過ぎてゆく。

 

 

「マグニフィセント・セブン」(The Magnificent Seven)とは、1960年のアメリカ映画「荒野の七人」の原題であるが、昨今この「マグニフィセント・セブン」が違う意味で使われるようになっている。

 

 

「マグニフィセント・セブン」とは、米国株市場における主要テクノロジー企業7社を指す。GAFAM(Google,Amazon,Facebook(現Meta Platforms, Inc),Apple,Microsoft)と呼ばれる主要5銘柄に、TESLA(テスラ)とNVIDIA(エヌビディア)を加えた7銘柄を意味する。

 

この7銘柄は、2023年年初からの米国株式市場を牽引しており、その影響力の大きさからマグニフィセント・セブンと呼ばれている。中でも、半導体大手のエヌビディアの株価は2023年5月末時点で年初来約2.6倍上昇し、その時価総額が一時、1兆米ドルに達して注目された。

(以上、野村證券HP【野村の解説】より引用)

 

 

昨日から急に寒くなった。今日からファンヒーターを使い始めた。今年も秋は短そうだ。午前中外出したが、ダウンジャケットを羽織った人が見られた。11月初旬は半袖でも過ごせたのが嘘のようである。

 

水温の温度調節がマズかったようで、熱帯魚と一緒に飼っていた淡水魚(メダカ・小エビ・貝など)が死んでしまった。水温が高すぎたようである。可哀想なことをしてしまった。

 

 

「日高睡足猶慵起」(日高く睡り足れども猶(なお)起くるに慵(ものう)し)で始まる漢詩がある。「日は高く昇り、睡眠も十分とれているのに起きるのが面倒くさい」という意味だ。寒くなったからかよく眠れるようになった。毎朝こんな気持ちになる。

 

学生時代(とくに大学3年以降)は、毎日がこんな感じだった。何か一つでも打ち込めるものが見つけられれば、もっと充実した学生生活が送れただろうに。また仮定法過去完了の話になった。

 

 

「日高睡足猶慵起」の漢詩は、以前英訳を試みているので、以下に記載しておく。

 

 

 

「香爐峰下新卜山居草堂初成偶題東壁」      白居易

「香炉峰下新たに山居を卜(ぼく)し草堂初めて成る 偶(たまた)ま東壁に題す」

 

日高睡足猶慵起                    日高く睡り足れども猶起くるに慵(ものう)し

小閤重衾不怕寒                    小閣に衾(ふすま)を重ねて寒を怕(おそ)れず

遺愛寺鐘欹枕聽                    遺愛寺の鐘は枕を欹(そばだ)てて聴き

香鑪峯雪撥簾看                    香鑪峯の雪は簾(すだれ)を撥(かかげ)て看(み)る

匡廬便是逃名地                    匡廬(きょうろ)は便(すなわ)ち是れ名を逃るるの地

司馬仍爲送老官                    司馬は仍(な)お老を送るの官為(た)り

心泰身寧是歸處                    心泰(やす)く身寧(やす)きは是れ帰する処

故郷可獨在長安                    故郷何ぞ独り長安にのみ在らんや

 

(拙・現代語訳)

日は高く昇り、睡眠も十分とれているのに起きるのが面倒くさい。小さな部屋に布団を重ねているので寒さは怖くない。

遺愛寺の鐘は枕から頭を上げて聴き、香爐峰の雪は簾を上げて見ることができる。

匡廬(廬山)は名誉や名声を求めず引き篭もるには都合のよい場所であり、司馬も老後の隠居生活には恰好の職である。

心が落ち着き、身体も安まる場所こそが安住の地であり、故郷はなにも長安に限らない。

 

(拙・和文英訳)

“A poem composed on the east wall in commemoration of the first settlement of the thatch hut at the foot of Mt. Koroho” by Bai Juyi

 

Even in the late morning with enough sleep, I’d like to be in the bed a little longer,

Where there’s no fear of cold under layered bedclothes in this small hut.

I listen out for the sound of bells from Iaiji temple on the pillow,

Whilst scrolling the reed screen to look at the snow on Mt. Koroho.

Lushan is a place to hide myself from seeking honor and fame,

While the local governor is a suitable post for me to spend my last days.

Here’s the very place that I could live a quiet life with peaceful mind,

There’s no reason why Chang’an should solely be my hometown!

 

最近、日経新聞のコラムで興味深い記事を見つけると、その著者(学者)の本を探して買うようになった。また積ん読本が増えつつある。

 

ただ、興味深い(=わかりやすい)と思ったコラムはどういうわけか女性著者のものが多い。文章が柔らかいからか、スッと頭に入ってくる。一冊は消費者行動論・マーケティングに関するもの。もう一冊は国際関係論に関するもの。

 

それにしても今月の「私の履歴書」前日本銀行総裁の黒田東彦氏の文章の内容は難しい。【経済教室】よりも難解だ。これまでの不勉強が悔やまれる。

 

 

とにかく年内はもう本を買うのはもうやめよう。机の上が積ん読本で山盛りになってしまう。気がつけば今年も残すところ1か月半。年内にどこまで積ん読本を消化できることやら。

 

 

郊外では田畑で雑草を燃やしているようであちこちで煙が上がっている。その近くを車で通りすぎると車内に煙の香りが入ってくる。何か懐かしい匂いだ。

 

柿がたわわに実っている景色があちこちで見られるようになった。秋は確実に深くなっている。日本は今の時期が一番美しい。

 

 

青春時代に聴いたアーティストが亡くなるのは辛いことだ。これからはそんな訃報も多くなるだろう。随分歳をとったものである。

 

 

 

 

県内のあちこちで紅葉が見頃となりつつあるが、今日は生憎の雨。来週は一気に寒くなるようである。

 

ウイークデイの何処かで近場で紅葉狩りでもでしてみたい。

 

 

「山行(さんこう)」           杜牧(とぼく)

遠上寒山石径斜                    遠く寒山に上れば 石径(せっけい)斜めなり

白雲生処有人家                    白雲生ずる処(ところ) 人家有り

停車坐愛楓林晩                    車を停めて坐(そぞろ)に愛す 楓林の晩(くれ)

霜葉紅於二月花                    霜葉は二月の花よりも 紅(くれない)なり

 

(拙現代語訳)

遥々と寂しい山に登っていくと、石の多い小道が斜めに続いている。白い雲がかかっているあたりに人家が見える。

車を停めて思わず夕日に照り映えた楓の林の景色を眺めてみた。霜にあたり紅葉した楓の葉は二月の桃の花よりもずっと赤くて美しい。

 

(拙英語訳)

“Mountain Walking” by Du Mu

Desolate mountain top afar off commands a stony path running slantwise to a house under the white clouds in the distance.

Stopping the cart to stroll around the maple trees in the twilight, frosted leaves look redder than plum blossoms of February.

 

 

最近、ウォーキングができない冬場のためにフィットネス・バイクを買い求めた。今は一日20分ほど漕いでいるが、少しずつ増やしてゆきたい。果たして何時まで続くことやら……。

 

私が大学に入学した1978年は女性ヴォーカルの名曲が多い年だ。

 

渡辺真知子さんの「かもめが翔んだ日」「ブルー」八神純子さんの「思い出は美しすぎて」「水色の雨」庄野真代さんの「飛んでイスタンブール」「モンテカルロで乾杯」などなど。

 

いずれもカラオケでよく歌ってきた曲だ。そんな中、その年の夏ごろに発売されたのが大橋純子さんの「たそがれマイラブ」だった。非常に虚無的(ニヒリスティック)な歌詞が魅力的な曲だった。難しい曲なのであまり歌ったことはない。

 

大学1年の夏休みはあまり思い出がないが、丸山真男「日本の思想」の感想文と格闘していた記憶が残っている。同書は45年の時を超えて、今年なんとか読破したが、当時の自分には歯が立たなかったようである。

 

 

ご冥福を心からお祈りしたい。

 

 

「自己啓発」は英語で self-development とか self-enlightenment と言うが、この反対(?)を「自己破壊(セルフサボタージュ)」(self-sabotage)という。

 

たまたま今日新聞で見かけた単語だが、もともと心理学の用語で以下のようなものである。

 

(説明文)

習慣を変えることは難しい。そのとおりです。運動量を増やす。外国語を勉強する。睡眠習慣を変える。ストレスとうまく付き合っていく。これらのすべてが長い目で見て脳の健康を守る上で良いことですが、変えることが非常に難しい習慣でもあります。

 

変化を難しくしている大きな理由の1つが、心理学でいう「セルフサボタージュ(自己破壊)」という行動です。これは、何か目標を設定した際に、その達成を妨げる障害を自ら創り出してしまう考え方や行動を指します。こうすることで、目標を達成できない理由を自分ではなくその障害のせいにできるわけです。誰もが失敗したくないと思っていますが、セルフサボタージュによって、たとえ失敗したとしても自分以外の誰かや何かにその原因を押し付けることができるのです。

 

自ら失敗の原因となるようなことをしていませんか?毎晩遅くまで起きていて、寝不足で仕事の効率が上がらないということはありませんか?毎日運動しようと決めたものの、運動の時間を作れない言い訳を日々作っていませんか?

 

シンガポール・マネージメント大学の心理学教授で行動科学研究所のディレクター、デビッド・チャン氏は、セルフサボタージュを克服する3つの方法を提案しています。

 

セルフサボタージュを克服する3つの方法

1.謙虚であること

目標を決めて実現しようとするときに、すべてに完璧である必要などありません。設定した目標が必ずしも自分の得意分野ではないこともあるでしょう。時には誰かの助けを借りる必要があるかも知れませんが、それでいいのです。

 

2.素直であること

素直であること、すなわち客観的であるということです。失敗すると思ったら、そう思う理由を書き出し、本当にそうなのか、証拠はあるのかを確認しましょう。目標を達成できないと思う、その理由を裏付ける証拠はありますか?

 

3.人間的であること

これは基本的に周りとの人間関係を想定していますが、**個人の目標を達成しようとしている場合は自分の内面との関わり方が最も大切になります。自分自身に人間的であるとは、「自分にやさしい」ということです。自分へのやさしさは、決して弱さではありません。強くなければやさしくなることはできません。自分が完璧ではないことを認め、自分の弱さを受け入れましょう

(以上Neurotrack Technologies, Inc.のHPより引用)

 

NHKのBSで「六角精児の呑み鉄本線・日本旅」をよく観る。彼が飲むのを見ているとるとこちらも酒が飲みたくなる。困ったものだ。でも、こんなのんびりした酒蔵巡りのひとり旅もいいものだ。

 

 

 

昨今、「オーバーツーリズム」という語をよく聞くようになった。定義は以下のようなものである。

 

(日本文)

オーバーツーリズムとは、特定の観光地において、訪問客の著しい増加等が、地域住民の生活や自然環境、景観等に対して受忍限度を超える負の影響をもたらしたり、観光客の満足度を著しく低下させるような状況を言う。

 

世界の観光地で、観光客の増加による交通機関の混雑や交通渋滞、ゴミや騒音など生活環境の悪化が住民の反発を招いたり、自然環境保護のため人気の高いビーチが閉鎖されるなどの状況が発生している。

 

オーバーツーリズムであるかどうかは、観光客の増加を地域がどのように認識するかに左右され、観光客増加による社会課題が発生している地域でも、住民の大半が観光のメリットを認識し、一層の成長を望んでいるケースも少なくない。

(JTB総合研究所HP・観光用語集より引用)

 

 

(拙・和文英訳)

Overtourism indicates a situation in which a significant increase in the number of visitors to a particular tourist spot has a negative impact on the lives of local residents, the natural environment and the landscape, etc., beyond the tolerable limit, or significantly reduces the satisfaction of tourists.

 

In tourist spots around the world, a deterioration of the living environment such as traffic congestion, garbage and noise due to the increase in tourists has caused a backlash from residents, and popular beaches have been closed to protect the natural environment.

 

Whether it is overtourism or not depends on how the area recognizes the increase in tourists, and even in areas where social issues have already occurred due to the increase in tourists, there are many cases where the majority of residents understand the benefits of tourism and want further growth.

 

 

こんな状況なので、私の第二の故郷である京都にもなかなか行きづらくなっている。