流離の翻訳者 青春のノスタルジア -19ページ目

流離の翻訳者 青春のノスタルジア

福岡県立小倉西高校(第29期)⇒北九州予備校⇒京都大学経済学部1982年卒
大手損保・地銀などの勤務を経て2008年法務・金融分野の翻訳者デビュー(和文英訳・翻訳歴17年)
翻訳会社勤務(約10年)を経て現在も英語の気儘な翻訳の独り旅を継続中

私が通った高校の校舎は当時木造だった。市内でも木造は我が母校だけではなかったか?恐らく旧制・高等女学校だったため、比較的丁寧に使用され校舎の破損が少なかったからだろう。ピカピカにワックスが掛けられた木造の飴色の廊下が今でも何となく目に浮かぶ。

 

我々の卒業後何年か経って校舎は改築され、普通の鉄筋コンクリートの校舎になったが、私は以後も何度か母校を訪ねている。確かに校舎に入っても懐かしさを感じることはないが、校庭や中庭のあちこちに当時の面影を偲ばせる情景が転がっているように思う。

 

 

昨今ユニークな問題で知られる東大・英作文だが、以前は日本文指定の従来型の問題も多く出題されている。以下は、上記の木造の校舎に関するものである。

 

 

(問題)

次の日本文の下線部を英語に訳せ。

 

数年前のことになるが、私の母校の小学校が改築された。それまでの木造校舎が取り壊され、どこにでもあるような鉄筋コンクリートの新校舎になった。私は新校舎に入ってみる気になれなかった。一つには、これはもう私の出た学校ではないというさびしさがあったためである。

(東京大学・1989年)

 

(拙・和文英訳)

Several years ago, my alma mater elementary school was renovated. The previous wooden school building was demolished, and replaced with such a new reinforced concrete school building that could be seen everywhere. I didn't feel like entering the new school building. One of the reasons was that I felt a feeling of loneliness that this school was no longer the school I had graduated from.

 

家内が長期間里帰りしている。最初は「これでのんびりできる!」と思ったがなかなかそうならない。結局時間を持て余してしまうのだ。酒量ばかりが増えている。困ったものだ。

 

松任谷由実の「きみなき世界」のような感じとまで言うと大袈裟になるが。

 

 

そんな暇な時間を埋めるために、またブログのネタ本として「東大英作の徹底研究」(山口紹著・駿台文庫)を購入した。まだパラパラめくっただけだがなかなか濃い内容のようである。それにしても東大の問題は頭を使うものが多い。

 

 

(問題)

現在、全世界で約3000から8000の言語が話されている。もしそうではなく、全世界の人々がみな同じ一つの言語を使用しているとしたら、我々の社会や生活はどのようになっていたと思うか。空所を50~60語の英語で埋める形で答えよ。答えが複数の文になってもかまわない。

 

If there were only one language in the world, …………………………………

(東京大学・2010年)

 

(拙・解答例)

If there were only one language in the world, communication between the people in the world would have been much better. This is because there would have been no misunderstandings or discrepancies due to difference in languages, and there may not have been any conflicts. On the other hand, our way of life, including in terms of art and culture, might have become more monotonous in a sense.

(59 words)

東京で働いていた昭和の終わり頃「ファミコン」というものが登場した。私の周りでもこれにハマったものが数多くいた。彼らが「ふっかつのじゅもん」がどうのこうの言っていたことを思い出す。

 

私は「ドラクエ」にはハマらなかったが、平成に入って歴史シミュレーション・ゲームにハマった。コーエーの三国志や水滸伝のシリーズである。

 

とくに「水滸伝 天命の誓い」にハマりまくった。仲間を集めて領土を拡大し、最後には皇帝の命を受けて奸臣高俅を打倒するというストーリーが面白い。

 

「水滸伝 天命の誓い」でも市場へ出かけて買い物をしたり情報を収集するシーンがあるが、以下はそんな世界をテーマにした京大の英作文問題である。

 

 

(問題)

「コンビニに行ってもどうやってものを買ってよいのかわからない」と言う子供がテレビゲームの世界ではいろいろな町に寄って人と話し、驚くほど効率よく情報を集めながら目的地にらくらくとたどり着くさまを見ていると、たとえ同じ試行であっても、現実とゲームの世界ではそれをするのに必要とされる論理がまったく違うのではないか、と思えるほどです。

(京都大学・2000年後期)

 

(拙・和文英訳)

I happen to see a child who says, “I don't know how to buy things when I go to a convenience store.” However, in the world of video games, the child drops in at various towns, talks to people, gathers information with surprising efficiency, and easily arrives at his destination. Considering these facts, it seems like to me that the logic required to do the same thing in the real world and in the game world is completely different.

 

 

先月末からの雨模様が昨日の午後になってやっと少し晴れたので、久しぶりにスパに行ってきた。平日のスパは自分も含め高齢者が多い。毎日のように来ている人もいるようだ。

 

ゆっくりと湯船に浸かっていると心地よくて何も考えなくなる。それにしてもリタイヤしてからストレスが少なくなった。ボケ防止のためにも、少しものを考えなければならないのだが。困ったものである。

 

 

気がつけば今日は節分。暦の上では冬も今日までである。明日は立春。どこかで早咲きの梅が開花したというニュースを聴いた。

 

 

「早春賦」

作詞:吉丸一昌/作曲:中田章

 

春は名のみの 風の寒さや

谷の鶯 歌は思えど

時にあらずと 声も立てず

時にあらずと 声も立てず

 

氷融け去り 葦は角ぐむ

さては時ぞと 思うあやにく

今日もきのうも 雪の空

今日もきのうも 雪の空

 

春と聞かねば 知らでありしを

聞けばせかるる 胸の思いを

いかにせよとの この頃か

いかにせよとの この頃か

 

今までに一度だけ「座禅」を組んだことがある。予備校時代のちょうど今の時期だ。我が予備校では受験直前の受験生の精神の統一を図る(?)べく「座禅会」が催された

 

当日の朝、予備校から貸切バスで足立山麓の禅寺に向かった。参加した受験生は50名ほど。興味本位で何となく参加してみた。

 

寺に着くと早速壁に向かって座禅を組まされた。スカートの女子には正座が許可された。しかし大勢で座禅を組んでいると心が落ち着く……?なんてことはない。それどころか何かしら滑稽であちこちから「ククッ……」と笑いをこらえる声が聞こえてきた。

 

木魚の音が「ポクポクポクポク…………」と鳴り響き、最後に鐘が「カァーン」と鳴った瞬間、こらえ切れずに笑いが爆発した。

 

「そんなことじゃ試験には合格できませんぞっ!姿勢を正して精神を統一なさい!きっと仏様の姿が見えてまいります!」などとほざく禅僧の言葉で余計に可笑しくなって、再び全員が大笑いとなった。

 

今度は、禅僧サイドも黙ってはいなかった。警策(きょうさく)を持った若い禅僧たちが通路を走り回り、我々のように精神統一ができていない受験生を容赦なく叩きまくった。笑うのを我慢するのに精一杯で精神統一などできるはずがない。結局私は2回叩かれた

 

果たしてどんな御利益があったのかわからないが、ともかくもこれが予備校で最後のイベントとなった。それから46年余りが経つが、以来「座禅」を組んだことは一度もない。

 

 

 

「座禅」はともあれ本格的な「精進料理」など食べたことがない。以下は「英文表現法」から「精進料理」に関する英訳の問題である。

 

 

(問題)

禅寺で本格的な精進料理を食べた。商売で食べさせるわけではないから本物だ。朱塗りの膳に同じ塗りの食器、料理屋風の料理を見なれた者にとってはいささか素朴にすぎる、しかし食べてみて驚いた。意外なことに大変美味い。材料が良い、味噌や醬油も自家製のようである。いまどき食料を自給自足できるのは大きいお寺と豪農くらい、これほどの贅沢な食生活はまたとあろうか。

 

 

(拙・和文英訳)

I ate authentic vegetarian dish at a Zen temple. It was real because they didn’t offer it for business. The vermilion-painted dining table and tableware were a little too simple for those who were used to restaurant-style dishes, but I was surprised when I tried it. It was much more tasty than I had expected. The ingredients were good, and the miso and soy sauce seemed to be homemade. Nowadays, only large temples and rich farmers could be self-sufficient in food, and I think I’ll never experience such a luxurious diet again.

 

最近「頭の柔らかさ」が大切だとよく感じる。歳をとるにつれ色んな常識・知識は増えてきているが新たな発想というものが衰えている気がする。

 

翻訳のような仕事をしていると、与えられた日本語を著者の意図を汲みとりながら無難な英語に訳すという姿勢が中心となる。自由な発想ができる余地は少ない

 

 

従来の大学入試の英作文問題は日本語指定型が殆どだった。受験生は基本文例をひたすら覚えておけばそれらを組み合わせることにより何とか対応できた。

 

近年、自由英作文を出題する大学も多くなった。だが、大半は正解の日本語がある程度想定できるケースで、日本語さえ思い浮かべばそれを英語にすればいいだけだ。さほど難しくはない。

 

だが、それを超える問題を出す大学がある。まずどんな日本語を発想するかに時間が掛かってしまう。以下はそんな問題だ。(東京大学・2016年)

 

 

(拙・解答例)

A pet cat is sleeping happily on the carpet. The owner is trying to pick it up with his fingers. This is a trick photo using perspective. The cat looks like a small toy. It's also ludicrous. Who is the owner going to show this picture to? To his own children? The owner seems to love the cat a lot. It is a photo that remembers the owner's love and humor for the cat and his children. (78 words)

 

大河ドラマ「光る君へ」を久しぶりに飽きずに観ている。大体2回ほど観ると飽きてしまうことが多いのだが、時代背景が珍しいのか何となく続いている。

 

それにしてもセリフの現代語調がここ数年甚だしい。確かにわかりやすいが真面目さとか格調の高さといったものが損なわれているような気もする。とは言え「おのおの方………」となってしまうと洒落にならない。

 

 

少し調べてみると大河ドラマで初めて現代語調を取り入れたのは「草燃える」(1979年)らしい。北条政子が岩下志麻、源頼朝が石坂浩二という配役だった。私が大学二年時の作品である。

 

 

まあ、実際の古典や中古・近世の日本語(古文)に比べれば、文語調のセリフと言っても全く異なるわけだから、現代語調にしたとしても五十歩百歩だろう。あまり厳密に考える必要はなさそうである。

 

また、今から50年も経てば、昭和の映像も立派な時代劇になるだろうから、我々が話した昭和語も未来の現代人からみれば「古語」になるかも知れない。日本語もどんどん変化してゆくのである。

 

 

回復しつつある胃腸炎をこらえつつ大河ドラマ「光る君へ」を観ていて、そんなことを考えた。

 

 

一念発起して英語の再勉強を始めたのが1999年3月。もうすぐ25年(四半世紀)になる。

 

きっかけはある病院でのカウンセリングだった。女性カウンセラーから「何か好きなことを始めてみたら!?」と提案された。それで始めたのが英語だった。

 

 

本棚の片隅になかなか捨てられない本がある。「パターン活用 ビジネス英文手紙」(佐藤猛郎著・創元社)というものだ。

 

同年4月に英会話スクールのNOVAに入学、恥を忍んで中学生と一緒にレッスンを受けることもあった。若い子はさすがに覚えが速い。汗をかき、しどろもどろになりながらの英語学習だった。

 

 

少し余裕が出た1999年の夏ごろ購入したのが「パターン活用 ビジネス英文手紙」だった。「しゃべるばかりでなくビジネス英語が書けるようになりたい」と思ったからだ。

 

しばらくは本棚で埃を被っていたが、それから数年が経ち翻訳を志そうと思ったときに一通り読み直した。これを読んで自分がライティングについて何一つ知らなかったことを痛感した。

 

アメリカ式とイギリス式の日付や宛名の書き方からである。今でも時々「どうだったっけぇ~」と同書を紐解くことがある。頼れる先生みたいな本である。

 

一昨日の朝から降りはじめた雪は降り続け昨日の朝には一面の雪景色となった。午後からは時々日も差し始め今朝は雪もほぼ溶けてしまったようである。

 

先日、家内が故郷へ帰るのを福岡空港まで見送りに行ってきた。国際線はまだ改装中のようである。久しぶりの独身になった。

 

 

「これで誰ばかることなく酒が飲める!」などと考えているとろくなことがない。昨日から酷い胃腸炎である。ここまで酷いのは久しぶりだ。

 

腹に悪いものを食べた覚えがない。「空港で食べたうどんか!?」とも思ったがうどんで腹を壊すなど聞いたことがない。やはり正月以来の不摂生が祟ったのか?

 

先ほど雑炊を作って口に入れてみた。少しだけ元気が出た。昨日受けた英会話のレッスンの復習をするか?もう少し眠るか?とにかく体調を回復せねば。

 

「病気になって初めて健康の有難さがわかる」というものだ。

It is not until I get sick that I appreciate the value of being healthy.

 

 

英会話のテキストを見ていると、受験英語とは全く異なる視点で書かれているとつくづく思う。語彙についても然り。昨日出てきた単語に defeatist というものがある。「敗北主義者」という意味だ。英英辞典の定義は以下の通り。

 

Defeatist:

A defeatist is someone who thinks or talks in a way that suggests that they expect to be unsuccessful.

敗北主義者とは、失敗するのを期待していることをそれとなく示すような方法で考える、または話す人のことをいう。

 

これがテキストでは「悲観的過ぎたり、失敗することを待ち受けているような人」と説明されていた。

 

以下例文を挙げておく(トレーニングジムの映像から)。

 

A: It’s impossible. There’s no way I can manage four kilometers in under twenty minutes.

B: Don’t be so defeatist. It might be tough, but it is possible. Lots of people do it every day.

A: Yeah, but they’re not as unhealthy as I am.

露天風呂ではなく、屋外の天然温泉に一度だけ入ったことがある。北海道・斜里の「カムイワッカ湯の滝」である。時は1980年、季節は夏だった。もう44年にもなるのか。

 

1980年の夏。友人と二人で北海道一周のキャンプ旅行を挙行した。交通手段は友人の車である。とは言え私は当時運転免許を持っておらずナビゲーターに徹した。

 

旅行は7月20日頃から3週間余り。自由気ままな二人旅である。フェリーで京都・舞鶴から小樽へ。札幌を経由して日本海側を北上、稚内、宗谷岬へ。それから太平洋側を南下して知床に向かった。

 

斜里の「カムイワッカ湯の滝」に着いたのは旅を始めて10日目頃だった。駐車場に車を停めて隣の車を見ると……。なんとフロントグラス越しに見覚えのある駐車証を見つけた。京大のものだ。名前を見ると同じクラスの友人だった。「こんな偶然もあるのか……?!」と驚いた。

 

「カムイワッカ湯の滝」は温泉が川になって流れているものだ。流れる温水プールのようなものである。海パンに着替えて川に入った。久しぶりの温水浴(風呂)が心地よかった。

 

北海道旅行を終えて、友人と「20年くらい経ったらもう一度北海道を旅しよう」と約束したが、いまだに実現できないでいる。

 

 

(問題)

世界でただ1つの、猿と一緒に入れる温泉だと聞いて、私は真冬にそこへ出かけた。頭に雪を積もらせながらじっと温泉につかっている1匹の猿は、まるで哲学者のように見えた。人間と猿の違いは、私たちが思っているほど大きくないのでは……という気がふとした。

(京都大学・1997年後期)

 

(拙・和文英訳)

I heard that it was the only hot spring in the world where we can soak with monkeys, so I visited the hot spring in the middle of winter. There was a monkey soaking quietly in the hot spring with snow on his head. Then, he looked like a philosopher. Suddenly, an idea came up to my mind that the difference between humans and monkeys was not so big as we had thought.