Jリーグ在日選手・監督契約更新情報 5 (朴一圭選手 J1 横浜マリノスに移籍決定!)
速報しました!J1リーグ 横浜マリノス GK朴一圭選手先発!(東京朝鮮・朝鮮大学出身)結果は?
朝鮮大学出身!横浜FM GK朴一圭29歳で初のJ1ピッチ「これで満足しているようではダメ」
マリノスGKパク・イルギュが開いた夢の扉。地域Lも経験した29歳の挑戦、不断の努力が実ったJ1初
J1 横浜マリノス 朴一圭選手 対浦和レッズ戦 (完封!勝利に貢献)
J1 横浜マリノス 朝大出身 朴一圭選手(2試合連続完封!SNSの反響)
ファインプレー集 動画はこちら 横浜Fマリノス 朴一圭選手 (チャントもいい)
【前編】関東1部リーグからJ1の舞台へ:横浜Fマリノス 朴一圭の成長物語
【後編】関東1部リーグからJ1の舞台へ:横浜Fマリノス 朴一圭の成長物語
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J1優勝!GK朴一圭選手おめでとう! 4 (地域Lから駆け上った愚直な努力と生き様)
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J1優勝!GK朴一圭選手おめでとう! 6 (母校埼玉ハッキョ訪問の記事 2 はこちら)
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Jリーグ在日選手・監督契約情報 11 (J1優勝キーパー 朴一圭選手の契約について②)
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ミョンウの記事をご覧ください。
横浜F・マリノスGK朴一圭選手のインタビューです。
なぜ彼がここまでたどり着くことができたのかが、よく分かる取材でした!
努力家で熱い。
イップス、衝突、安英学の助言。マリノスGK朴一圭「勝負は2年目」
2019年、師走。忙しい時期にも関わらず、横浜市内のホテルに足を運んでくれたのは横浜F・マリノスのGK朴一圭(パク・イルギュ)だ。
身長180センチ。GKとしては平均的な身長だと思うが、目の前に立たれるとやはりでかい。
「今日はよろしくお願いします! こうして取材のオファーが来るのは本当にありがたいことで、うれしいです。活躍しないと取り上げてもらえないですからね」
開口一番、そう言って笑顔を見せてくれた。つかの間のオフということもあり、表情はとてもリラックスしていた。
大学時代は朝鮮大学校サッカー部でプレーし、2012年に当時JFLの藤枝MYFCに加入。その後、2013年に関東1部のFC KOREAを経て、2014年からJ3にカテゴリーを上げた藤枝へ再び籍を置いた。2016年からは3シーズンFC琉球で過ごし、2018年にJ3優勝を経験。2019年にはいきなりJ1のマリノスへとステップアップし、正GKとしてJ1を制覇した。驚くようなサクセスストーリーだ。
「実力というか、ラッキーがすごく多かったなっていう1年でした。出来としては100点満点、いや、それ以上ですね。'19年は実力以上のものがすべて来てしまった感じがあるので、新シーズンがすごく怖いですね(笑)」
実力よりも“運”が勝っていたとかなり謙遜していたが、決してそんなことはない。話を聞いているうちに、彼が努力で運を手繰り寄せたことがよく分かってきた。
バシバシ止めるGKがかっこいい。
子どもの頃の話だ。サッカーを始める前は、両親の影響もあり、朝鮮学校ではバスケットボールをしていた。
そんな時、仲のいい友達から「パギ(愛称)、もちろんサッカー部に入るよな?」と言われ、断ることができずしぶしぶサッカー部に入部。
初日の体験会のときに目を奪われたのが、シュートを何本も止めるキーパーの姿だった。「キーパーやっている人がシュートをバシバシ止めていたんです。それがむちゃくちゃかっこよくて。それで自分から『キーパーやります』って言いました」。
これが“パギ”のGK人生の始まりだった。バスケットボールには未練もなく、サッカーにどっぷりとのめり込んだ。中学生になると部活ではなく、外部のクラブチームでサッカーを続けた。
金鍾成監督との出会い。
自分のレベルがどれほどのものなのかを知りたいという欲求は、すでに当時から芽生え始めていた。GKとしてのスキルをもっと高めたいという思いが強くなる中、どの高校でサッカーを続けるのかを迷っていた。
そんなときに声をかけてくれたのが、のちに朴の恩師となる金鍾成(キム・ジョンソン)監督率いる東京朝鮮高級学校のサッカー部だった。
金氏は現在、J3の鹿児島ユナイテッドの監督を務めている。元北朝鮮代表FWで、現役時代はジュビロ磐田、コンサドーレ札幌(現・北海道コンサドーレ札幌)でプレーした。現役引退後は朝鮮大学校サッカー部やFC琉球の監督を歴任。'18年にはFC琉球をJ3優勝に導いた。
「金監督のいる高校が僕のことを必要としてくれていたんです。日本の高校に行こうかとも迷っていたのですが、求められたのが初めてでうれしかったし、試合に出られる環境にいないと意味がないと思っていたので、東京朝鮮高に決めました」
全国の舞台には届かなかったが、プロでやりたいという意志は明確にあったという。
セレクションを受けるも、JFLへ。
高校卒業後、Jクラブのセレクションを受けるも叶わず、朝鮮大学校へ。当時、同大サッカー部は関東2部リーグ所属だったが、小林悠(川崎フロンターレ)ら後にJリーグで活躍する選手たちが切磋琢磨していた。そうした恵まれた環境の中で、プロという目標を明確に掲げて練習を続けた。
大学4年間で力がついた確信もあったし、少しの自信もあった。朴は再度、Jクラブへ挑戦する。横浜FC、大分トリニータ、ガイナーレ鳥取、ザスパ草津(現・ザスパクサツ群馬)の当時J2クラブのセレクションを受けた。だが、ここでもまた合格を勝ち取ることができなかった。
「危機感はありましたが、とにかくサッカーを続けることは諦めませんでした」
いくつかのJFLチームのセレクションを受けて、2012年に入ることができたのが創設4年目の藤枝MYFC。JFL1年目のクラブで朴は社会人としてのキャリアをスタートさせた。だが、翌2013年はもう1つカテゴリーを落とした関東1部のFC KOREAに行くことになった。
「このままサッカー人生が終わっていくのかという不安もありましたが、とにかくJリーグの舞台に立ちたいと必死でした」
チャンスをつかむきっかけは「声」。
悶々としていた日々についに転機が訪れる。2014年、J3昇格を果たした藤枝MYFCへ再び加入する機会を得た。ついに“Jの舞台”に立てる日が来たのだ。
チャンスをつかんだきっかけは「声」だったという。
「とにかく大舞台でやりたいという気持ちがあったので、それで練習中にたくさん声を出したんです。一週間、練習に参加させてもらいましたが、もう喉がつぶれるくらいでした。そしたら監督が『あのキーパーはいい。試合に出る出ないに関係なく、必ずチームにプラスになる』と評価してくれたみたいで」
実体験で得たものだからこそ、説得力がある。「声」を武器に入団を勝ち取った朴は、今でも忘れられない光景があるという。
「藤枝MYFCがJ3のカテゴリーに上がったとき、練習場にあるボールがJリーグの公式球に変わっていたんです。『自分もようやくJの舞台に来ることができたんだ』と、そのボールを見て熱いものが込み上げてきて……。カテゴリーが上がるだけで、大きく環境も変わるんだとものすごく感じました。自分が追い求めていたものに少し近づけたと感じた瞬間でした」
ボールを見てそのような感情を抱くところが、いかにも“ゴールキーパー”らしい。それくらい「Jリーグの舞台でやりたかったし、もっとうまくなりたかった」のだ。
イップスと戦いながらJ3琉球で優勝。
そこから2年間、正GKとしてプレー。2015年のシーズン終了前に直接連絡があったのが、高校3年間、大学3、4年時に指導を受けた金鍾成監督だった。2016年からFC琉球の指揮官となった金監督はGKを探す中で、かつての教え子に声をかけた。
「(藤枝時代に)1カ月で2回も退場してしまい、2試合出場停止になって最終節に出れなかったんです。そんなときに金監督から連絡がありました」
プロになって初めて受けたオファー。求められることに喜びを感じた朴は二つ返事で快諾し、正式にFC琉球への移籍が決まった。そこで過ごした最後の3年目の2018年、J3で優勝を手にする。「この3年間を振り返ってみて感じるのは、自分のパフォーマンスがすべて良くなった」ことだという。そのきっかけはとにかくキックの練習に集中して取り組んだこと。現代のGKにはキックのスキルは必要不可欠だが、朴には強化しなければならない理由があった。
「今だから言えるのですが、実は長らくキックの“イップス”になっていたんです。当時は周りの誰にも言えなくて」
ゴルフや野球で“イップス”になる選手はいると聞くが、サッカーではあまり聞いたことがない。
「藤枝時代に足首のケガをしてから、インステップの形をしっかりと作ることができなくて、すくい上げるような形で蹴っていたんです。治療も終わり、まっすぐ足首を伸ばして蹴ったら地面を蹴ってしまう。これがずっと続いていました。
金監督は(自分に)キックがうまいイメージを持ってくれている。周囲の選手からもキックが下手とも思われたくなかった。だから、とにかく必死に、毎日緊張感を持ってボールを蹴っていました。チーム練習が終わってから2時間、ぶっつづけでボールを蹴りこむ日もありましたね。そのおかげでいろんな球種のボールを蹴られるようになりました」
朴にはプロとしてのプライドがある。弱点があれば、周囲に知られまいと隠れてコツコツと努力して克服する。それは自分のためでもあるのと同時に、チームのためでもあることを朴はよく知っている。
チームのために憎まれ役に徹した。
朴のプロ意識の高さを知れるエピソードがある。
J3というカテゴリーには様々な選手がいる。現状に甘んじるか、より上を目指すのか、選手のマインドは人それぞれだが、総じて「“物足りない”と感じることも多かった」と朴は正直に話す。
特にFC琉球にいた3年目は、自らキャプテンになることを志願した。「自分がキャプテンになればチームをJ3優勝に導く自信がある」と。周囲からすれば「何を生意気な」と映ったかもしれない。
朴はチームのために憎まれ役に徹した。当時、チームには日本代表経験もあるFW播戸竜二が所属し、時にチームメイトの要求を「パギ、お前いいすぎやぞ」と言われることもあった。それでも朴はチームへの思いから、遠慮をしたり、自分の姿勢を変えることはなかった。
「最後は播戸さんも自分の気持ちを分かってくれ、『J3ではそれくらい言わなあかんのかもな』と言ってくれました。そして静かに自分のことを見守ってくれてました。自分の思いと姿勢を、実績のある選手にも理解してもらえたことはとてもありがたかったです」 その姿勢がチームメイトにもしっかりと伝わったのかもしれない。キャプテンを務めてJ3優勝という結果を残し、朴は2019年にマリノスへと移籍する。
ヨンハさんが背中を押してくれた。
「このとき他クラブからも熱心にオファーをもらっていて、ほぼ心の中では決めていたんです。自分のプレースタイルにもきっと合うという確信もありましたから。そしたら、マリノスからもオファーをいただいて……。マリノスには絶対的な存在として飯倉(大樹)さんがいたので、試合には出られないだろうと思っていました。自分はこれまで試合に出て実力を上げてきたので、ものすごく迷いました」
そこでアドバイスをくれたのがJリーグでプレーした在日コリアンの大先輩でもある安英学(アン・ヨンハ)だった。
「ヨンハさんに『パギはどうサッカー人生を歩みたいのか。なぜサッカーをしているのか』と聞かれたんです。僕は昔から『在日の子どもたちのために夢とか希望とか与えたくてサッカーをやっています』と。そしたら『J1はなかなか行けない舞台で、なおかつ名門のマリノスは誰もが入れるチームじゃない。試合に出られるか分からないけれども、子どもたちは練習している姿を見るだけでもがんばっているお前を見てすごく力になるし、夢を与えることなんだよ』って言ってくれました。それを聞いてハッとしました」
※今期もがんばってほしいですねー
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