マリノスGKパク・イルギュが開いた夢の扉。地域Lも経験した29歳の挑戦、不断の努力が実ったJ1初 | かっちんブログ 「朝鮮学校情報・在日同胞情報・在日サッカー速報情報など発信」

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マリノスGKパク・イルギュが開いた夢の扉。地域Lも経験した29歳の挑戦、不断の努力が実ったJ1初舞台

 
 
 
今季、横浜F・マリノスに加入したGK朴一圭(パク・イルギュ)は異色のキャリアの持ち主だ。昨季までFC琉球に在籍しJ3優勝&J2昇格に貢献したが、それ以前には地域リーグでのプレーも経験している。29歳で初めてJ1の舞台に立った叩き上げ守護神が歩んできた道のりは、日本サッカー界にとってどんな意味を持つのだろうか。(取材・文:舩木渉)

【動画】J1ポジション別ベストプレーヤー
 
●「ミス」から始まったマリノスでのキャリア

「準備はできているか? 明日はお前でいくから」

 信頼を表すにはこの二言だけで十分だった。横浜F・マリノスのGK朴一圭(パク・イルギュ)は、アンジェ・ポステコグルー監督からゴールマウスを託され、初めてJ1リーグ戦のピッチに立った。2019年3月29日のJ1第5節・サガン鳥栖戦で、その時は突然に訪れた。

 今季新加入の朴は、昨年までJ3でプレーしていた選手だ。3シーズン在籍したFC琉球でJ3優勝とJ2昇格を成し遂げ、ステップアップ移籍を果たす。本人が「夢だった」と語るJ1への挑戦。オファーを受け取った時は鳥肌が立ったというが、横浜行きの決断に迷いはなかった。

 マリノスには2年にわたって正守護神の座を守り続けてきた飯倉大樹という不動の存在がいる。朴も背番号1を任されてはいるものの、その牙城を崩すのは簡単ではなく、新天地での公式戦初出場は3月6日に行われたYBCルヴァンカップのグループリーグ初戦・北海道コンサドーレ札幌戦だった。

 だが、そこで朴は失点に直接絡む「ミス」を犯している。後半開始早々の49分、キャッチしたボールを素早く左サイドに展開しようと蹴ったが、そのパスは遠藤渓太に届く手前で失速して相手選手にカットされる。そこから味方の守備体勢が整わないままカウンターを受け、最後は元イングランド代表FWジェイにゴールネットを揺らされた。

「ちょっと独りよがりな、いち早くサポーターの皆さんに自分のプレースタイルをわかって欲しくて、急いでプレーしてしまって、もったいない失点をしてしまった。チームスポーツで、特に後ろで守っているGKなので、ミスをしてしまうとああやって簡単に失点してしまって、試合を難しくしてしまう。そういうところはすごく勉強になりましたし、J3とJ1の差かなとすごく感じました。J3ならあそこで奪われても、なかなか失点までつながることはない。でもJ1だとあそこを仕留めてくる力があるのを、再確認させてもらいました」

 冷静に周りを見て正しい状況判断ができなかった。試合の雰囲気にも慣れて、こう着状態の中で自分からアクションを起こしていこうとした最初のプレーが、失点につながってしまった。試合は1-1のドローに持ち込めたが、朴は自分が絡んだ失点のことをしきりに悔やんでいた。

 そして次に与えられたチャンス、ルヴァンカップのグループリーグ第2節・湘南ベルマーレ戦は2失点して0-2で敗れた。彼は「自分にとって勉強になったゲーム」だと述懐する。激しくプレッシャーをかけてくる相手に、安パイなプレーで終わらず、どうやって自分の持ち味を出しながらマリノスらしいサッカーを体現していくかという課題を突きつけられた一戦だった。

●変わりつつある意識。突如抜てきの理由は…

 これまでの2試合、自分のパフォーマンスには決して納得がいっているわけではない。だからこそである。なぜ、このタイミングでリーグ戦出場のチャンスをもらえたのか。

「正直、わからないんですよね。自分もルヴァンカップの試合は良くなかったですし、湘南戦も2失点していますし、ビルドアップの部分でも、もちろんチャレンジはしにいっていましたけど、ミスもすごく多かったですし、何だったんですかね…」

 それでも指揮官は朴が日々ひたむきに練習に取り組み、貪欲に成長しようともがく姿を見逃していなかった。ポステコグルー監督は「彼はマリノスに入団してから、毎日一生懸命練習していた。特別な理由というより、自分はその努力を見ていたので、ここでチャンスをと思った」と鳥栖戦での起用理由を語る。

 GKというポジションは一度誰かに決まってしまうと、なかなかレギュラーが交代することがない。カップ戦で控えGKにチャンスが回ってくることはあっても、リーグ戦なら尚更だ。飯倉が2年間、特にアタッキング・フットボールに取り組み始めた昨季は欠かせない存在だと考えられてきた中で、異例の抜てきだった。

 その飯倉はシーズン開幕前、「朴が新たに加入したことでライバルが増えたのか?」と問うと、とこう答えた。

「ライバルというよりも、俺はそう思っていなくて、一緒にやっていくチームの仲間だよ。別に誰が出ようが、俺が出たら俺が頑張るし、パギ(朴の愛称)が出たらパギを応援するし、それは(杉本)大地も(原田)岳も同じ。よく記事でライバルだあーだーこーだって言うけど、俺はそうは思っていないし、そんな堅苦しいものというより、チームが勝つための存在なんだから別に争う必要はない」

 共に高め合って、チームの勝利を目指すかけがえのない仲間の1人。もちろん朴の実力や日々の努力を認めているからこその関係性でもある。お互いに持っている意識を共有し、必要があれば変化させていく。先述した「ミス」に対する考え方も、マリノスに来てから少しずつ変わってきた。

 朴自身も「だいぶポジティブに考えられるようになりましたね。1つのミスに対してすごくネガティブになっていたんですけど、いい意味でポジティブに捉えて、起きたことはもうしょうがないと。そのミスが起きた後、次にどうするかというところに着目して、生活でもそうですし、サッカーも少しずつできるようになってきました」と自らの前向きな成長を実感している。
 
 
 
 
 


●掴んだ手応え、あくまでもポジティブに

 昨季までJ3を戦っていた選手が、J1の舞台に立つ。日本サッカー界であまり見られなかった、驚異的なステップアップ。夢だった舞台で90分を戦い抜いた朴は、これまでのカップ戦2試合の経験も踏まえて、J1で生き残っていくための手応えを掴み始めている。

「(自分の持ち味は)割と出せていた方だと思います。自分がどうしていきたいかという意識の部分で、特にビルドアップのところでは、もっと自分は『ここににパスを出したい』というのがあっても(これまでは)それが自分発信でなかなかできず、安パイなところにつけていた。今日はそれでも自分が出したいところ、こういう意図で出すというのに着眼してゲームができたので、自分の中でそこはすごくポジティブでしたね。

中距離のボールも、前半にマルコス(・ジュニオール)のところ左足で蹴ったのはうまく通ってファウルをもらえて(次に)つながったんですけど、本当にもうちょっとそういうシーンを自分は増やしたくて。もっとプレスをかけてくるチームも多いので、1つ飛ばしてしっかり味方につなげてあげる。今日はそれが3本蹴って1本しか成功できていないので、そういうところ(の精度)をもうちょっと(上げていきたい)。でも、それが今まではできていなかった。やっていいのかな…どうなのかな…という不安を持ちながらやっていたので、今日はもう『考えずにチャレンジしていこう』と思ってやれました。そういうところではすごく成長したと思います」

 朴のマリノスでのキャリアは、「ミス」から始まった。周りと切磋琢磨する中で、自然とその「ミス」に対する意識も変わりつつある。飯倉はトライしたが故にうまくいかなくても、それを「ただのミス」と捉えるのを嫌う。数々のトライ&エラーを重ねて築いてきたそのマインドは、新加入の背番号1にも確実に受け継がれていると飯倉は実感している。

「パギもそうだし、俺もそうだけど、そうやって失点につながったら、なんだかんだ連係ミスだ、あーだこーだ書かれるんだから。でも別に俺たちが本当に引きずっている訳じゃないし、ちゃんと意図としてあってやっていること。その『ミス』って俺は勝手にポジティブに捉えていて、それをやらなかったら自分たちのサッカーじゃないという割り切りは俺もパギもちゃんとしているしね」

 こうして1つひとつ、着実に積み上げて朴がJ1リーグ戦出場のチャンスを掴んだことは、彼自身にとってだけでなく、日本サッカーにとっても大きな意味を持つかもしれない。朝鮮大学卒業後の2012年、当時JFLの藤枝MYFCに加入した朴は、翌年FC KOREA(現東京都2部)で関東リーグ1部での日々も経験し、J3創設にともなって2014年に藤枝へ復帰。そして2016年に琉球へ移って3年を過ごした。決して順風満帆ではないキャリアを送ってきた選手が、努力を重ねた末にJ1へ。

●29歳の守護神が開いた夢への扉

 地域リーグも経験した29歳の守護神は、「〇〇の選手」とカテゴライズされて、それに基づいた先入観や固定化したイメージを持たれがちな日本サッカー界において、後進に希望をもたらす大きな夢の扉を開いた。鳥栖戦でキャリアにおける重要な一歩を踏み出した朴は言う。

「確かに自分も大学を卒業して、そのままJ2とかへ行けなかった時に、JFLへ行ったじゃないですか。その時、『もう(Jリーグに)上がれないな』って正直思ったんですよね、やっぱり。もう見向きもされていないので、何か目に見える数字がないと、本当に凄い成績を残さない限りダメだなと思ってやっていたんですけど、本当にタイミング良くJ3ができた。

J3ができて、天皇杯とかで上のカテゴリと試合できることもありますし、キャンプで他のJのクラブと試合をできることが自分にとってキッカケになったんです。なので、上に行くことを諦めてはいませんでした。まず自分は元々サッカーが好きだったので、確かに上のカテゴリに行きたくても行けない現状なりに、シンプルにサッカーが上手くなるために何をしなきゃいけないのかなと、自分なりにすごく考えてやっていたんですよね。

それこそ世界のサッカーを見るとか、今何がトレンドでGKに何が求められているのかとか、結構自分なりに研究して、それを練習に落とし込んでやってきたつもりなので、それを諦めず、腐らずやれたことが、こうやってマリノスに移籍できて、試合に出ることができてということに繋がってきていると思います。もちろん周りの力があってのことなんですけれども。

そしてGKに関しては、(自分のような例は)すごくレアなケースだと思うんです。そこはシンプルに嬉しい。本当に社会人にも上手なGKって本当に多いんですよね。自分が諦めることがすごく嫌いなので、今GKをやっている選手は決して諦めることなく、本当に信念を持ってやり続けることができれば、こうやってチャンスが来るんだよというのを、どこか1つの結果として何か残せたらなという気持ちを常に抱きながらサッカーをやってきました。

そういう面ではすごく感慨深かった。1つ自分が同じサッカー仲間とか、サッカー少年とか、プロを目指している子どもたち、今は下のリーグにいるけれどまだまだ諦めていない選手たちに、少しでも力になれたのかなという部分では、めちゃめちゃ有意義な1日だったのかなと、すごく感じています」

●失敗も全て自分の糧に。マリノスで目指すのは…

 JFLで16試合、関東リーグ1部で15試合、そしてJ3で藤枝と琉球時代合わせて147試合。恵まれているとは言えない環境にも腐らず、毎日努力を重ねてきたことで、マリノスに認められた。最初の接点は、2018年1月の石垣島キャンプで行われた練習試合。似通ったスタイルだった両チームがぶつかり合い、そこで琉球の正守護神として攻守に高い能力を発揮していた朴は、1年後に飛躍を遂げる。

 彼の言う通り、諦めなければ必ず見てくれている人がいるのである。

「J3然り、地域リーグももちろんそうですし、JFLでも試合に出させてもらっていましたけれども、全てが自分の糧になっていました。そこで失敗したことを、じゃあ次はどうしたらいいのかと常に考えて、毎日毎日過ごしたことが、今のこのマリノスでの試合出場までつながっていると思う。ここがゴールじゃないので、どんどんまたさらに課題が出て、それを修正してとつながっていくんですけれども、間違いなくこうやって試合に出続けた結果、今があるというのは事実かなと感じています」

 朴のマリノスでの挑戦は始まったばかり。鳥栖戦に出場したから終わりではなく、今後も他の3人のGKたちと切磋琢磨する「めちゃめちゃポジティブ」な日々は続き、最高のパフォーマンスを発揮するための次なるチャンスを待つことになる。果敢な飛び出しやセービングの瞬発力、琉球のキャプテンとして培ったリーダーシップ、そして類い稀なパスセンスはすでに証明済みだが、これまでと変わらずGKとしての自分を磨く毎日に終わりはない。

「もちろんレギュラーを取ったわけじゃないし、来た当初から言っている通り、タイトルを獲りにマリノスに来ました。もちろん試合に自分が出て活躍して、チームがタイトルを獲ればベストですけれども、なかなかそうじゃない状況も生まれると思うんですよね。

そういうのを抜きにして、本当にマリノスの一員として、しっかりチームのタイトル獲得に貢献できるようにすることが今年の目標で、試合に出ていようが、サブだろうが、ベンチ外だろうが、自分のやることは変わらないです。ここで俺のサッカー人生は終わりじゃない。まだまだ続けていきたいと思っているので、マリノスが終点ではないかもしれない。そこまで踏まえて、1日1日、しっかりやっていければなと思っています」

(取材・文:舩木渉)