【後編】関東1部リーグからJ1の舞台へ:横浜Fマリノス 朴一圭の成長物語 | かっちんブログ 「朝鮮学校情報・在日同胞情報・在日サッカー速報情報など発信」

かっちんブログ 「朝鮮学校情報・在日同胞情報・在日サッカー速報情報など発信」

毎日ブログ更新して15年かっちんブログでは全国の朝鮮学校(ウリハッキョ)情報・サッカーの速報・全国の在日同胞達の熱い活動をもっと知ってもらいたいので最新情報をアップしております。青商会時代で培ったネットワークを使って全力で発信しております

 

 

 

 

朴一圭選手

 

 

 

埼玉朝鮮→東京朝鮮→朝鮮大学

 

 

 

11月12日現在、J1優勝争いを演じている横浜F・マリノスのGK、朴 一圭。彼がどのようにして現在の立場まで上り詰めたのか。「知られざる、あの選手の成長物語」。今回は今季から横浜F・マリノスに加入し、レギュラーポジションをつかんだ朴 一圭選手のストーリーを紹介しよう。後編は、『初めてクラブ側からもらったオファー』で加入した、J3リーグを戦った2016年からの物語。

 

 

 

関東1部リーグからJ1の舞台へ:朴一圭の成長物語【後編】

 
 
 
 
 
↑こちらのサイトより
 
 
 

「今は鹿児島で監督をしている金 鍾成監督が就任するこということで、移籍することになりました。以前から評価してもらっていたんです。大学時代もGKを使ってビルドアップするサッカーをしていたので、『パギはこういう選手』とインプットしてくれていたんだと思います。監督が後ろからつなぐサッカーをしたいということで、そこはもう練習参加ではなくオファーをもらいました。まだ資金もなく、J2などから獲得できないということで、同カテゴリーでやっていた、さらに自分が知っている選手、という理由があったんだと思います。琉球の監督がジョンソンさんになったことも、一つのターニングポイントでしたね」

後方からビルドアップしながら攻撃的に戦う金 鍾成監督の下でプレーすることにより、朴 一圭の才能は開花した。どちらが良い、悪いという話ではなく、藤枝でプレーし続けていれば朴 一圭の未来は違っていたのかもしれない。

「そういうサッカーをしていなければ、ここまで自信を持つこともできなかったかもしれません。琉球に行ったことで自信がつきました。『自分はこういうプレーヤーなんだ』ということを出せるチームでプレーしなきゃダメだということを学ばせてもらいました。琉球での3年間、本当に良い経験ができました」

そして琉球での3年目には、大きな結果を手にすることになる。

「初めてだったんですよね。リーグ戦で優勝するのは。学生時代も含めて、優勝なんて無縁でした。いつも残留争いだったから(苦笑)。優勝した昨季にしても、紆余曲折がありました。最初は良くて、途中に落ちて、そこからまた上がった。良い時は良いけど、悪い時はとことん悪かった。でもそれを経験できたから、チームが落ちた時にどうすれば立て直せるかも知ることもできました。それは横浜FMでもチームが良くない時期もこういう立ち振る舞いをすれば上がってくるという確信がありました。それはカテゴリーが違っても役に立っています」

大学からJFL、地域リーグを挟んでJ3に上がり、3年目でJ3優勝。少しずつステップアップし、今季はJ2に挑戦するはずだった。しかし、横浜FMからのオファーが届いた。昨季までJ3で戦い、J2の経験すらない自分をJ1のトップクラブが欲してくれた。

「これは相当なレアケースですよ(笑)。率直にめちゃめちゃうれしかった」

しかし、その感情も一瞬のことだった。次の瞬間には、複雑な感情が芽生えていた。

「でも、不安しかなかったです」

それはなぜか。横浜FMには飯倉 大樹がいたからだ。昨季、アンジェ ポステコグルー監督の超攻撃的な戦術の下、GKながらハーフウェイライン付近まで守備範囲を広げたり、1試合の走行距離8kmを記録したり、センセーショナルなプレーで注目を浴びた守護神だった。GKとしての能力が申し分ない上、ポステコグルー監督の戦術を理解しきった彼からポジションを奪うのは至難の業だ。

 
 
 
 
 
 
↑続きはこちら