1年生の漢字⑬回目。
なりたちから漢字を書く
80字が一通り完了(80枚の漢字カードをファイルしました)。
なりたちを見て、漢字一覧を書くプリントをつくりました。結構なエネルギーがかかったけどね。
空いたところに漢字を書き込みます。
ただのドリル学習にしないための学び(あそび)です。
交ぜ書きへの違和感(井上ひさしさんのエッセイ)
ぼくが交ぜ書きに違和感を持ち、その解決方法として振り仮名をつけることにすればよいということを教えてくれたのは井上ひさしさんでした。
『日本語日記②』(文芸春秋1992.8.6)のなかで、「読み書き並行論」という文章を書いています。
そこからまとめてみます。
『日本語日記②』より
<交ぜ書きの背景>
*新聞や雑誌の記事で「交ぜ書き」を見ると、なんとなくその日の御飯がまずくなる。
*交ぜ書きとは、「骸骨」を「がい骨」、「拉致」を「ら致」、「改悛」を「かい俊」と書く方法のこと。
*交ぜ書きの歴史は、昭和21年(1946年)に内閣告示「当用漢字表から。表にない漢字は仮名で書く。1981年の「常用漢字表」にも引き継がれる。
<交ぜ書きが御飯をまずくする理由>
*漢字は表意文字、仮名は表音文字。元の漢字の意味を失うと、単なる音になってしまう。結果、漢語は意味を失って死んでしまう。
*交ぜ書きは、前後の繋がりを一瞬、曖昧にする。
「いつからら致されたのかは不明である」は、「らら」に惑わされて0.5秒ぐらいは意味がとれずにぼんやりする。「意味を漢字が担い、文法的な関係を仮名が受け持つ」が日本語表記の原則。
<読めなきゃ仕方がないと交ぜ書きへ>
*親切な振り仮名がある。「振り仮名というものは漢字教育において常に傍らにいる教師である」(国語学者・原田種茂)
*振り仮名をお払い箱にしたのは、明治以来の文部省の理想が「読み書き並行主義」にあったから。
*「読み書き並行主義」=読める字は同時に書くことができる字でなければならぬという考え方。
*学習指導要領における規定(かたい)(漢字は読めて、書けるようにすることにこだわる)
こういうことも考えて、ただの練習にならないようにしたい。
書けなくても、読める漢字を増やすことも大事なのです。子どもの生活には、漢字は入り込んでいます。学校での漢字授業まで使わないなどと硬く考えることはないでしょう。もっと柔軟に学び=あそびましょう。
「ルビ」については、『私家版 日本語文法』(新潮社)の中で、説明しています。
「振仮名損得勘定」というエッセイ。「ルビはそんとくかをかんがえる」というルビが振ってあります。
『私家版 日本語文法』より
*ルビは英国の印刷工たちが5と2/1ポイントの活字を紅玉(ルビー・ruby)と呼んだことが起源。美人の「紅い唇」という隠れた意味もある。
*そのルビを戦後の国語改革の中心にいた山本有三が「ふりがな廃止論」を書き、「黒い虫」や「ボーフラ」といって非難する。それに島崎藤村や柳田邦男などの文化人も賛同した。
*その中で内務省警保局が幼・少年雑誌の編集者たちを呼び集めて「幼年、少年読物の振り仮名は、今後一切、廃止せよ」と申し渡したということである。ここに「ルビ」の命運は尽きてしまった。
*井上さんは、振り仮名が盛んになっていく動きと、多くの人の知識が広がっていたことを歴史的に検証し、「江戸後期から明治期にかけて振り仮名という名のあの黒い虫によって世の中に広がって行った」と書きます。
*「振り仮名は、漢字と仮名=意味と音をつなぐ貴重な工夫なのだ。働き者の黒い虫たちにこれ以上、駆除剤を撒(ま)くと日本語はバラバラになってしまう。大衆化だの、合理化だのということばに浮かれていてはならないと思う。」(P.109)
今やっているから、教科書にそうあるから、「みんな」という周りがそうしているから…などという権威主義、同調主義、思考放棄から離れることなしに、漢字は楽しく学べません。
これはぼくの結論です。(進めかたは柔軟でもね)