私の弘田三枝子追悼記事に彼女の絵を描いてくれた「とうくろう」氏は企業人にしてピアニスト、さらに業界紙に漫画を連載する才人。その彼が「改めて気付いたのですが私の前職の『社歌』も彼女によるものでした」と述懐。ああ、そうだった!かの有名な小林亜星作曲のレナウン娘のCMソング↓も弘田三枝子の歌唱だった。

 

このCMで私が思い出すのは小学生の頃、NET(現テレビ朝日)でレナウン1社提供の「危機一発シリーズ」。中身は「ハニーにおまかせ」と「それ行けスマート」の米国ドラマ二本立てだった。ハニー役のアン•フランシスは美人で大好きだったし、ドン•アダムス扮する間抜けな情報部員86号マックス・スマートは私のヒーローだった。

 

そして同様に親の目を盗んで観てたのが「ハワイアン•アイ」だ。当時、子供が寝る時間から始まる米国ドラマは「ララミー牧場」も「サンセット77」も「アンタッチャブル」も、み〜んな大人の香りがして魅力的だった。「早く寝なさい!」と親に怒られながらも観てたなあ。

そして気付いたのは「ハワイアン•アイ」が私のジャズの原体験だったという事。探偵事務所の主人公達行きつけのナイトクラブで専属女性シンガーがジャズのスタンダード•ナンバーを歌うシーンが必ず挿入されていた。その間にこの探偵ドラマでは事件が進展するのだが、バックではジャズ・スタンダードを1曲しっかり聴かせるのだ。

私はまだキャバレーに行ける歳でもなく当時ラジオで流れる音楽はオールディーズなので、ジャズのスタンダードを聴く機会はこのドラマ以外にない。“男女がお酒を嗜む店のステージで小編成のバンドをバックにカクテルドレスに身を包んだ歌姫が奏でる妖艶なオトナの音楽”それが私のジャズのイメージかつ原体験だったのだ。

 

歌っていたのは、当時アイドルの様に若くて可愛い女優で歌手のコニー•スティーブンスだった。軽快なナンバーからスロウバラッドまで難なく聴かせる歌唱力には今聴いても感嘆させられる。そしてドラマは毎回事件が解決して大団円となり、再びこの店「SHELL BAR」に皆が集まって笑顔で彼女の歌を聴いて終わるのである。

 

小学生の私は「いつか自分もこんな店に出入りするような大人になりたい」と思っていたが、まさか30数年後にジャズスポットで自分がステージに立ってスタンダードナンバーを歌うとは想像できなかった。弘田三枝子の訃報から次々に思い出が繋がり「ああ、これが自分のジャズの原体験だったのか」と発見でき実に感慨深い。

 

Saigottimo

NHKには私の好きな番組が多い。「奇跡のレッスン」「プロフェッショナル仕事の流儀」「72時間」「フランケンシュタインの誘惑」、そして最近特に気に入っているのが「駅/空港/街角ピアノ」だ。公共の場で誰でも自由に弾けるピアノに定点カメラを設置し、老若男女、様々な職業の人がピアノを弾いていく様に思わず目を奪われる。

【NHKの番組ホームページ(放送予定等も掲載)】

多くの人々は遠巻きに眺めているが、なかには一緒になって歌ったり、その場で知り合った人同士連弾したり、セッションが始まることすらある。年齢、国籍、職業、今日来た理由、曲名等が文字で映り、弾いた後に短いインタビューが入る。弾き手の人生における音楽の意義やピアノとの出会いなどが淡々と語られ興味深い。

 

観ていてふと思い出した光景がある。バックパックを背負って20歳で初めて海外旅行をした際、スイスはユングフラウの麓にあるグリンデルヴァルトのユースホステルに宿泊した時のことだ。夕食後、殆どの客が屋外に散歩に行ったのに何故か食堂に残っていた私は、奥から聴こえるピアノの音に誘われるように近づいて行った。

 

そこに居たのは学生と思しき外国人男子2名だった。一人がピアノを弾きながらもう一人とドイツ語?で話している。楽譜を見ながら弾いていたのはロック・オペラ「ジーザス・クライスト・スーパースター」の挿入曲だ。私はこの中のアリア「私はイエスが分からない」を高校三年の音楽の時間に独唱曲に選んで歌ったことがあった。

 

この曲をブロードウェイ公演(1971年)や映画(1973年)のオリジナル・キャストでマグダラのマリアとして歌ったのはイヴォンヌ・エリマン、ポップスでは豪州のヘレン・レディが歌ってヒットさせ(1971年)、その後(1991年)は、サラ・ブライトマンも歌っている

【オリジナルキャスト、イヴォンヌ・エリマンの歌唱↓】

 

2人が私に気付いてこっちを見たので、私は「I Don't Know How To Love Him」と英語の曲名だけを告げた。ピアノの彼はohと言い「そうか、その曲を弾いて欲しいんだね、よし」とばかりに楽譜本をめくると2小節のイントロを弾き始めたので私はこのアリアを譜面通りに英語で歌った。終わると2人が笑顔で拍手し私も笑顔に。

 

もしかしたら彼等は私がリクエストをするだけで、まさか歌うとは思っていなかったのかも知れない。そして「ほう、日本人でも英語で歌えるのか」と思ったかも知れないし、私も「ふーん、欧州でもこのロックオペラは若者に人気なんだな」と思った。ほどなく皆が外から戻ってきたが、このパフォーマンスに立ち会ったのは3人だけだ。

 

よく「音楽に国境はない」とか「音楽は言語の壁を越える」等というが、私にとってこのスイスでの体験は、まさにそうだった。生まれ育った国も髪の色も眼の色も異なる若者同士がティム・ライス/アンドリュー・ロイド・ウェバーの楽曲を通し、お互いの心の奥底にある何かが繋がり、それをお互いの笑顔で確認した。そんな感じだった。

 

それから23年経った1999年にジャズスポットでヴォーカルデビューをした私にとって、この曲は特別な存在になった。歌う場所の関係上、主なレパートリーはジャズのスタンダードだし、私が好きな音楽はビートルズ以前(1960年代前半迄)のオールディーズ。でも、この曲は1970年代のロックだから、どっちにしても異質なのだ。

 

しかもマグダラのマリアがイエス・キリストへの愛に悩むこの曲を男性の私が歌うのは不自然で無理があると知りつつ歌ってきた。当初はオリジナルの歌詞のまま「~Love Him」と歌っていたら、ある店で「あら、あの方、ゲイなの?」と言われたので、以来、HimをHerに、ManをGirlに変えて、それでもメゲずに歌い続けている。

 

♪Ⅰ Don’t Know How To Love Her 2014年7月4日・渋谷「SEABIRD」第一金曜ライブにて♪

 

Saigottimo

2020年7月27日(月)、歌手の弘田三枝子さんが21日(火)に急逝したと所属事務所が発表した。享年73歳。「ミコちゃん」の愛称で親しまれた往年のスタアであり、そして偉大な歌手だった。どれくらい凄かったかというと、私は日本のポピュラー界において彼女ほど実力ある女声歌手は「空前にして絶後」だと今も確信している。

(因みに私のiPodには彼女の歌が10曲以上入っています。)

【画:とうくろう】

彼女が登場したのは昭和30年代、まだ日本の大衆音楽界に「歌謡曲」が確立しておらず欧米のヒット曲を日本語詞で歌う「カバー・ポップス」の時代。同時代に活躍したペギー葉山、江利チエミ、雪村いずみ、伊東ゆかり、中尾ミエ、そしてあの美空ひばりを含めても、歌唱力という点では彼女は一人頭抜けた存在だったと思う。

 

同時代には米軍キャンプ廻りで鍛えてきたフランク永井松尾和子なども居た。彼らは美空ひばり同様、洋楽のスタンダードナンバーを英語で達者に歌ったアルバムも出している。これらを聴くと、歌もさることながら英語の発音も本当に綺麗だ。でも、でも、でも、弘田三枝子の「マック・ザ・ナイフ」を聴いて欲しい。これは凄い!

そして歌唱力よりも何よりも彼女が凄かったのは“オリジナリティ”。上手く歌う人など幾らでも居るので「カバーの方が本家より上手」はあるとして、彼女の場合は洋楽のカバーなのにデビュー曲「子供ぢゃないの」も代表曲「ヴァケーション」も本家のヘレン・シャピロコニー・フランシスを“オリジナリティ”で上回っていたのだ!

 

アートの分野ではどんなに上手くても“ユニーク”な“オリジナリティ”がなければ世界には通用しない。坂本九の「上を向いて歩こう」が全米No.1になったのも、彼が“ユニーク”で“オリジナリティ”が高かったからだ。弘田三枝子が日本人で初めてニューポート・ジャズ・フェスティバルに出場し大喝采を浴びたのもその証しである。

 

その後、昭和40年代に入ると日本の音楽界は日本人作詞家作曲家の手になる「和製ポップス」に移行しザ・ピーナッツが躍進。一方で邦楽の流れを汲む演歌がこれと合流して日本独自の大衆音楽「歌謡曲」が誕生し全盛時代に。弘田三枝子もカムバックして「人形の家」をヒットさせたが、これはもう往年のミコちゃんではない。

 

ミコちゃん(と呼ぶのは大先輩に失礼ですが)、貴方の実力と才能の凄さは、日本の芸能界や大衆のレベルでは恐らく正当に評価できなかったでしょう。同時代を生きた日本人を代表しお詫び申し上げます。どうぞ安らかにお休みください。「アスパラでやり抜こう!」(栄養ドリンクのCMソングでの貴方の強烈な歌唱に寄せて)合掌。

 

Saigottimo

通常、ジャズの演奏では、原曲を譜面通りに演奏しない。「おいおい、譜面通りに演ってどうすんだよ(笑)」という台詞が成立するくらい原曲を一つの“素材”とし、メロディやコード進行を含めてそれをどれだけアドリブ(即興)などでイジッて演奏者である自分達が自由(フリー)に演奏できるか、というゲームをして遊んでいるようだ。

 

よくセッションで「何やります?」「・・・うーん」「じゃあ『枯葉』で」というやり取りを聞く。「枯葉」は元々シャンソンの曲なのにジャズミュージシャンが最も多く演奏する曲だそうだ。といっても彼らはイヴ・モンタンが歌うあの曲想を愛している訳ではない。あの曲の「メロディ+コード進行」がジャズの素材として、よほど扱い易いのだろう。

 

ジャズでは原曲のメロディは最初の1コーラスくらいなぞるが、あとは皆でアドリブを駆使するので途中から聞いたら何の曲か分からない。でもコード進行や小節数は守るので演奏は成立する。この自由さは楽器奏者特有のものでヴォーカリストには無理だ。何故なら歌詞があるから。「枯葉」の歌詞で晴れやかには歌えまい。

 

“ジャズの異端児”と呼ばれたテナーサックス奏者レスター・ヤングはレコーディングの最中に「歌詞を忘れたので今日は吹けない」と言って帰ってしまったという逸話がある。彼はそれだけ歌詞も意識し、まるで歌うように演奏していた人らしい。でもこれが有名な逸話として残るほど、楽器奏者としては稀有な例なのだろう。

 

楽器奏者は「メロディ+コード進行」だけ、リズムセクションならコード進行だけ間違わなければ歌詞どころかメロディすら知らなくても演奏は可能だ。でも我々ヴォーカリストはメロディだけではなく「歌詞」を覚え解釈し理解しないと歌えない。仮にメロディに沿って歌詞を単純に声にしたとしても、それは「歌」と呼べる代物ではない。

 

私は楽器が出来る人はみな天才だと思い尊敬している。大学時代にバイト代でヤマハのピアノ教室に通ったが全くモノにならなかったし、最近になってウクレレとハーモニカを少しかじったが逆に楽器のハードルの高さを思い知った。自分はやはりヴォーカルしか出来ないし、だからこそ「歌詞」にはこだわって歌いたいと思う。

 

例えば「我が心のジョージア(Georgia On My Mind)」を歌う場合、Georgiaをどう解釈するかが問われる。この曲は米国・ジョージア州の州歌になっているが、実はGeorgiaという名前の女性を指すという説もあるので、土地と解釈して“望郷の歌”として歌うか、女性と解釈して“思慕の念”を込めて歌うかにより、歌い方も異なる。

【数あるこの曲の音源の中で私のお気に入りはコレ↓】

 

同じこの曲でもインストゥルメンタル(楽器のみ)で演奏するなら、演奏者も聴衆もそんな事など気にしないだろう。でもヴォーカリストが歌う場合は、歌詞という言葉を操る以上、「この言葉をどう解釈するか」というプロセスは避けられないし、また歌詞に一切束縛されずに歌詞を逸脱して自由な表現をするという事も出来ない。

 

私はこのブログでここ何回かジャズヴォーカルやアカペラにおける歌唱の可用性、特に“表現の自由度の高さ”について語ってきた。音楽の原点はアカペラ(鼻歌や民謡やワークソング)であり、「歌(人間の声)は楽器の演奏よりも制約が少ないので表現の自由度が高い」と縷々主張してきた。

 

しかし一方では、歌(ヴォーカル)ゆえの制約や限界もあり、その大きな要素が「歌詞」である。「歌詞」は他の楽器奏者にはない、ヴォーカリストのみが有する強力な武器であると同時に大きな制約でもある。スロウの感傷的な曲を全く違う曲のようにアップテンポで演奏は出来ても歌詞を操るヴォーカリストには難しいのである。

 

Saigottimo

以前、混声ジャスコーラスをしていた時期がある。コーラスは声が揃ってナンボなので、リズムや譜割りもそうだが、自分のパートの音程は絶対に外せない。少しでも外すとハーモニー(和音)が崩れるからだ。その代わりハーモニーがバッチリ決まった時のカッコ良さや快感たるやソロヴォーカルでは味わえない格別なものがある。

 
ソロヴォーカルならテンポを外したり音程を多少間違えても「フェイク(即興的に崩す手法)したのさー」という顔をすればバレないがコーラスはそれが許されないのでキツい。ただコーラスでも曲によっては各人が何小節かソロで歌えるフレーズがあり、そこではホッとしたものだ。でも私にとってこのコーラスは凄く良い修行になった。

私はコーラスをしていた時期でもソロ活動は続けていたが、コーラスのメンバーで殆どソロで歌わない人が居たので、ある時私は「なんでソロで歌わないんですか?」と何気なく聞いたのだが、その回答には少なからず驚かされてしまった。「う~ん、ソロだと自由に歌わなければならないじゃない?それがちょっとね…」 えぇ~っ?

 

「自由に歌える」ではなく「自由に歌わなければならない」だって?それって「健康のためなら死んでもいい」みたいに矛盾してない?確かにソロヴォーカルはコーラスと違って譜面通りに歌う必要もないしjazzなので歌い手の解釈で自由(フリー)にフェイクやアドリブを入れて歌うことが、ある程度期待されているかも知れないが…。

 

前回の記事でも、私はアカペラ(無伴奏歌唱)は楽器や楽譜の制約無く自由に歌えると書いた。但しテンポだけなら、アカペラでなくてもルバート(イタリア語:tempo rubato)奏法により、jazzスタンダードのヴァース(前歌)などは「ルバートで」と指定することでシャンソン歌手が語るように自由なテンポで歌っても伴奏してもらえる。

 

jazzスタンダードナンバーのヴァース(前歌)の中で最も有名なのは「スターダスト」だろう。なんとフランク・シナトラにはこの曲のヴァースだけを歌って本編を歌わないレコーディングもある。

これもルバートだが、シナトラらしくフル・オーケストラのルバートだから凄い!指揮者が彼の歌に合わせて指揮をしたのだろうか。

 

だが音程となるとそうはいくまい。ピアノにしろギターにしろ、「ド」の上の音は半音高い「ド♯(=レ♭)」(ピアノなら黒鍵)になるが、その前後の音(例えば4分の1音だけ高い音とか)は出せない。でも人間の声なら無段階に高低音が出せるではないか(ギターのようなスレッドが無いウッドベースやスライドトロンボーンも出せるが)。

 

自分が歌う際のキー(調)だって、楽器の伴奏がある場合はピアノ等に合わせて半音単位で決めなくてならないから「C」が高くて辛ければ「B♭」になる。でもアカペラならその中間(ピアノで出せない白鍵と黒鍵の中間音の調)だってOKだし、転調だって半音単位でなくていいのだから、アカペラはかなり自由に歌えるはずだ。

 

ただ問題は「本当にそんなに自由に表現したいか?」という点だ。「ここは感情を込めてゆっくり」「ここはササッと速く」「この言葉はもっと長く伸ばしたい」「ここで滑るように音を下げて」など、歌い手が自由に表現したいならアカペラは有益な手段だが、かのメンバーの様に「自由に歌わなければならない」と思う位なら必要ない。

 

これはアカペラでもルバートでもないが、アンディ・ウィリアムスの「ダニー・ボーイ」はサビ後の「It's I'll Be Here~」のHereを通常より1小節程長く伸ばしている(先頭から1分30秒後の部分)。

きっと彼は表現者(歌い手)として、ここを伸ばしたかったのだろう。そこでレコーディングする関係上、演奏者全員の譜面をそのように修正することで何事も無かった様に自然に歌っている。

 

そして、始めたばかりの私のウクレレのように、「C⇒Am」など運指が易しいキー展開だとテンポが速くなり、「G⇒E7」のように運指が難しいキー展開になると急にテンポが遅くなる等というのはルバート奏法でも何でもなく、単に下手クソだからイン・テンポ(一定のテンポ)で弾けないだけで、当然ながらこれは表現力以前の問題です。

 

Saigottimo

以前、あるヴォーカル仲間と話していた時のこと。

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私「(何の曲だったか忘れたが)それ、アカペラなら歌えるかも…」

某「え、アカペラで歌えるんですか?うわぁ、すごいですね!」

私「???」

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アカペラとは音楽用語のア・カペッラ(イタリア語: a cappella)のことで、元来は教会音楽の一様式を指していたそうだが、今では楽器による伴奏の無い歌唱、つまり「無伴奏で歌うこと」を指す。

上記のヴォーカル仲間が「アカペラで歌えるんですか?」と言った意味を理解するのに私はしばらく時間を要してしまったが、ようやく分かった。彼女が言っているのはこういう事だ。ピアノなど楽器の伴奏無しでも、さもバンドが伴奏しているかのように、ピッチ(音程)もテンポ(速さ)も楽譜通りに歌えるんですよね?という意味だ。

 

ここまで聞いて彼女の感覚に何も不自然さを感じない人は、きっと彼女のように歌やピアノなど音楽を習っている人ではないかと思う。そういう人のためには、逆に私が何故彼女の発言の意味が分からなかったかを説明しなければなるまい。それにはまず私は「ちゃんと習っていない人」だという前提で聞いて戴きたい。

 
私が「アカペラなら歌えるかも?」と言ったのは、自分が覚えている範囲でテキトーに鼻歌のように独りで口ずさむなら可能かもしれないがバンドと一緒に演奏するのは難しいという意味。何故ならバンドと合わせるには「楽譜通り」にキッチリ歌うことが要求されるが、楽譜が確認できてなくてその通りに歌える自信がなかったからだ。

 

アカペラに対する両者の考えの違いは、彼女は「アカペラ(伴奏無し)でも楽譜通りに歌えるんですね」と、最初から楽譜通りに歌うことを前提に考えているのに対し、私は「アカペラなら楽譜通りに歌う必要がない(あるいは楽譜通りに歌えなくても問題ない)」と考えている点だろう。つまり「はじめに楽譜ありき」なのかどうかである。

 

この両者の違いを認識した上で私が痛切に感じたのは、原点は何?という事。歌の原点は鼻歌であり労働歌であり民謡だろう。「ソーラン節」でも「南部牛追歌」でも、最初から「楽譜」なんて無いし、当然、決まったキー(調)もテンポも無く、人に拠るし体調や気分に拠るし船を漕ぐ速さや牛の歩調によって違って当然であろう。

 

とはいえ、それをステージ上で複数の歌手や奏者が一緒に演奏するためには、キーやテンポやメロディ(旋律)を一意に決定し、誰もが分かるように記載した「楽譜」が便宜上、必要になるというだけのこと。どっちが原点かといえば生活の場において心から紡ぎ出された「歌」が原点なのであって、決して「楽譜」ではないはずだ。

 

冒頭でヴォーカル仲間の彼女が言っている事は、漁船で「ソーラン節」を歌う人に「無伴奏で歌えるなんて凄いですね」と言うようなものだし、下手したら「あれ、いまのテンポ、譜面の指定(例えば♩=94とか)より速くないですか?」とか「これ、キーが譜面と違いませんか?」と突っ込んでしまいそうではないか。(笑)

 

民謡やブルーズ等が口伝で歌い継がれてきた昔と違って、現代は何でもスクールに通って習うという“時代の変化”によるものなのだろうが、私は「(貴方はヴォーカリストなのに)“歌(てゆーか音楽)の原点はアカペラ”だという事を忘れちゃっていませんか」と、逆にそう突っ込みたくなったのである(勿論、黙ってましたけどね)

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・あの素晴らしい歌声のCM(「会津ほまれ」)もアカペラのソロ

 

Saigottimo

前回の記事でビリー・ヴォーンについて書いたら、もっともっと多くの人に知ってもらいたくなってしまった。本来はファンページを開設するか、あるいは一冊の書籍にしたいくらい書きたいことがあるのだが、ここでは逸る気持ちをグッとこらえて、多くの音楽ファンにとって興味ありそうな話題に絞ってビリー・ヴォーンを語りたい。

 

彼についてはwikipediaなどの情報ページ以外では英語のファンページが1つあるのみで日本語でのファンページはない模様。「日本一のビリー•ヴォーンファン」を自認する私としては、ここはひとつライフワークとして取り組む価値はあるかも知れないと考えている。

 

同じムード音楽(イージー•リスニング)でもパーシー•フェイス楽団は「夏の日の恋」(1960年)で、ベルト・ケンプフェルト楽団は「星空のブルース」(1961年)で全米N0.1になっているが、ビリー•ヴォーン楽団は14年間に37曲ものシングルレコードを100位以内に送り込みながら、全米No.1は獲得していない。彼は生涯でシングル、アルバム併せてゴールドディスク(総売上100万ドル超)11枚とプラチナディスク(同200万ドル超)2枚を獲得しているが、彼が音楽界に残した業績はそこだけではないのだ。

1950年代初頭の米音楽業界の合言葉は「ニグロ(黒人)のように歌える白人がいれば大儲けできる!」だった。当時の米国ではレコード購買層は白人だし、今では信じ難いが白人向け放送局で黒人音楽は流せなかった。だから白人の若者達は親に隠れてこっそり黒人向けラジオ局でR&Bを聴いて夢中になっていたのだ。

 

結論から言うと、その決定打がエルヴィス•プレスリーだった。彼のレコードが初めてラジオで流れた時、彼はすぐ放送局に呼び出されてインタビューされ、その最初の質問は「出身校は?」、つまり顔が見えないラジオでリスナーに白人だと知らせたのだ。それくらい「黒人の歌を流すな!」と苦情の電話が殺到したのだ。

 

彼を見出したのはサン・レコードのサム・フィリップスで、後にメジャーレーベルのRCAにその権利を売るのだが他の業界人も指をくわえて見ていたわけではない。ドット•レコードは新人の登竜門となるタレント•コンテストで優勝したパット•ブーンを起用して黒人のR&Bを次々と歌わせ、白人マーケットで大ヒットさせた。

この件については黒人アーティストの中でも評価が分かれている。「パット・ブーンは我々黒人の音楽を横取りしてスターになった奴だ」と罵る者が居る一方で「パット•ブーンのお陰で我々の音楽が白人のマーケットでメジャーになれたんだ」と、むしろ歓迎する者も居る。名をとるか実を取るか、評価は分かれて当然かもしれない。

 

そして当時のドット•レコードの音楽監督がビリー•ヴォーンだった。

彼は除隊後に大学時代の仲間達と男性コーラスグループ「ヒルトッパーズ」を結成し黒人のザ•プラターズに対抗しヒットも飛ばした。ドット•レコードの社長ランディ•ウッドはすぐ彼と契約して音楽監督に抜擢し、パット•ブーンなどのディレクションを彼に任せたのだ。
 

従ってパット•ブーンに限らず、ゲイル•ストームフォンテーン•シスターズなど、この時期のドット•レコードのヒット曲のバックバンドは、殆どがいわばビリー•ヴォーン楽団だったのであり、「彼が音楽界に残した業績はそこ(ビリー•ヴォーン楽団としてリリースされた楽曲)だけではない」というのは、そういう意味でもある。

 

確かにパット•ブーンはリトル•リチャードやファッツ•ドミノなど黒人のR&B曲をカバーして何曲も大ヒットを飛ばした。だが彼の最大のヒット曲となった「砂に書いたラブレター」(1957年)は黒人のR&Bではなく、1931年のポップソングのリメイクであり、ビリー•ヴォーンがアレンジも演奏も手掛けて、5週連続で全米No.1に輝いている。

 

ビリー•ヴォーンは古い曲をリメイクすることにかけては名手である。自身の代表作である「波路はるかに」(1957年全米5位)も20年前のビング•クロスビーのヒット曲(邦題「銀嶺こえて」)のリメイクであり、1954年に全米2位となった「愛の調べ」に至っては、なんと半世紀も前の1903年に作られた古い曲のリメイクだった。

さて、一時は「危険な不良の匂いがするエルヴィス」と「良家の子息で優等生タイプのパット」は女子の人気を二分するほどだったが、1950年代は白人のカントリー(ヒルビリー)音楽と黒人のR&B(リズム&ブルース)が融合して「ロックンロール(ロカビリー)」が誕生し、最終的にはその王座にプレスリーが君臨した。

 

そして1950年代後半から60年代前半にかけての音楽シーンは新しい音楽を模索し続けた混迷期だった。ここも結論から言うとその決定打はザ•ビートルズだったのだが、彼らが台頭する60年代半ばまでは、カンツォーネの「ヴォラーレ」(1958年)や坂本九の「上を向いて歩こう」(1963年)など国外からの異色の音楽が全米No.1になっている。そしてビリー•ヴォーンのカバー盤もアルバムチャートで前者は全米5位後者も全米15位にランクインしている。

 

現在、オールディーズと呼ばれている1950~60年代前半迄(すなわちビートルズ出現前)の音楽を私は愛して止まない。そして、この時代におけるビリー•ヴォーンとは、(単なるムード音楽の楽団の一つではなく)言うなれば「裏プレスリー」であり、また「ビートルズ以前の音楽」の象徴的存在だったという事を音楽ファンの方々には是非認識しておいて戴きたいのである。

 

Saigottimo

7月2日(木)、梅雨の合間にジャズ喫茶SEABIRDにビリー•ヴォーン人形を受け取りに行った。これは一金(第一金曜日)ライブの本多バンマスが自身の憧れのアーティスト人形を作ってもらっていたのに影響され、私も自分が最も敬愛するアーティストとして先月ママに製作をお願いしていたものだ。

ビリー•ヴォーン(Billy Vaughn、1919-1991)はアメリカのムード音楽(今風に言えばイージーリスニング)のバンドリーダーで、1950~1960年代にかけて数多くのヒット曲を生んだ。その特徴は「ツインサックス」と呼ばれるサックスのハーモニーと「ロッカフラスタイル」と呼ばれるハワイアンにビートを利かせた軽快なサウンドだ。

代表曲は「波路はるかに」「峠の幌馬車」「真珠貝の唄」「星を求めて」「夕日に赤い帆」「思い出の中に「サファリの夕陽」等々。その殆どが他のアーティストのカバーや古い曲のリメイクだが、彼独特のアレンジ(オーケストレーション)によって、誰が聴いても心地良くて分かり易く耳障りの良い楽曲になってしまう。

 

ビリー・ヴォーン自身は6歳でウクレレ、以降はピアノ、クラリネット、サックスと様々な楽器を演奏し、プロ活動としては「ヒル•トッパーズ」という男性コーラスグループでヴォーカルも経験している。来日公演では時にコーラスやサックスも披露したがビブラフォンを演奏することが多く、ママの人形ではビブラフォンを叩いている。

 

誰でもお気に入りのアーティストは居ても「自分が一番のファンだ」と自認出来る人は少ないはず。特にシナトラやプレスリーやマイケル•ジャクソンの様なトップスターなら難しいだろう。でもビリー•ヴォーンなら、そして存命者に限れば世代的に見ても今や私が「日本一のファン」ではないかと真剣にそう思うのである。

 

私は保有する100枚以上のアナログレコードの約半分はビリー・ヴォーンだし、来日コンサートも中学生だった1969年を皮切りに、彼が亡くなった1991年以降も含め20回以上は聴きに行っている。彼の代表作「波路はるかに」が1957年(昭和32年)だから主要なファン層は現在70~80代で、私の年代以下のファンは珍しいだろう。
 

「最初の洋楽はビリー•ヴォーンのアルバムでした」という人は多いだろうが、ムード音楽(イージーリスニング)は洋楽への入口とはなっても大抵の人はそこから本格的なロックやソウルやジャズ等の最終地点に向かう。でも私は最終地点がビリー•ヴォーン!そこが「何事も本格的にやらない」ナンチャッテ男の本領かも知れない。

また「よくそんな曲まで幅広く洋楽をご存じですね」と感心される事もあるが、これも実は多方面のオリジナル音源を知っている訳ではない。カントリー、ハワイアン、ラテン、フォーク、ロック、R&Bなどあらゆるジャンルの音楽を、ビリー•ヴォーンが自分流にアレンジしてカバーした彼のアルバムを一貫して聴いてきただけなのだ。

 

音楽的に分析するならビリー•ヴォーン・サウンドの根底にはジャズがありカントリーがある。出自を辿ればケンタッキー州グラスゴーだから英国からの移民の子孫で床屋の息子だから所謂バーバーショップ・コーラスを聴き、若い頃はグレン・ミラーがアイドルだったというから、この音楽的バックボーンもよく頷ける。

 

私はここ20年間ジャズスポットで歌っているが決してジャズ「を」歌いたい人ではなくジャズ「も」歌いたいが他のジャンルも大好き。「じゃ一体どんな音楽を目指しているの?」と問われれば、それは「ビリー•ヴォーン•サウンド」に他ならない。ヴォーカリストとしての私が目指すのは「歌う一人ビリー•ヴォーン楽団」なのだ。

【憧れのアーティストと夢の共演】

 

ビリー・ヴォーンについては、別の記事でもう少し語りたい。

 

Saigottimo

コロナ禍での休業要請等は概ね解除されたものの、まだ社会活動は本格始動していない。私が参加している「座・高円寺(杉並区立杉並芸術会館)」での絵本読み聞かせイベント「絵本の旅@カフェ」も通常ならGW明けから再開するのだが今季はまだ開催に踏み切れていない。

 

この読み聞かせイベントは教室などでの集団対象ではなく、子供達一人ひとりが選んできた絵本をカフェのテーブルで個別に読むので、感染防止対策が難しいからだろう。そこで主催者は「絵本の旅もしもし便」という代替企画をスタートさせた。

これは我々のような「本読み案内人」と呼ばれるボランティアや会館スタッフが利用希望者に電話で絵本を読み聞かせるという、いわば「リモート絵本読み聞かせイベント」である。今回、会館スタッフさんから「ご利用者さんの希望なんですが平日の夕方でも大丈夫ですか?」と打診があり、私はその日(6/23)にPM半休が取得できたので応諾した。

今回の利用者さんは杉並区内在住のご兄弟。二人が希望した絵本は小2のお兄ちゃんが「サイモンは、ねこである」、4歳の弟くんが「キャベツくんとブタヤマさん」。お子さんの手元(ご自宅)にある絵本と同じ絵本を会館側で用意してくれることになっている。

 

16時半がご希望の開始時刻との事なので、私はその前に会館に出向いて当該絵本を下読みし、開始時刻になったら会館の会議室からスタッフさんに電話をかけてもらって読み聞かせる、という手筈である。

【↑2階の絵本カフェを見下ろせる3階の書庫前スペース】

 

どちらも初めて読む絵本なので会館に1時間ほど前に到着してスタッフさんから絵本を受け取り、3階の書庫前スペースでしっかり下読みをした。ま、録音するわけではないので絶対に読み間違えちゃダメという訳ではないが、間違えないに越したことはない。ほう、ブタヤマさんだから「ブーッ」と叫ぶのかと思いきや、よく読むと「フーッ」だった、危ない危ない…。

 

そして本番5分前。2階の会館事務所内にあるガラスで仕切ったフツーの会議室にスタッフさんと2人で入る。16時半丁度にスタッフさんが会議室の電話機から利用者さん(の恐らくスマホ)に電話をかけ、その場に兄弟二人と絵本があることをお母さんに確認して「では今日は本読み案内人のさるごーさんが読んでくれますので電話を代わります」と私に代わる。

 

先方のスマホはスピーカーフォン状態にしてもらった。そうすれば子供も手が空くし、一緒に聴いている(であろう)お母さんの声など周囲の音も拾うので雰囲気が少しは伝わるからだ。

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「はーい、さるごーでーす。じゃキャベツくんの方から読むけど、この本はもう何回も読んだのかな?」「…うん」てな感じでスタート!通常のリアル読み聞かせと違って電話だと子供の表情が見えないので本当にそのページを見て集中しているか半ば飽きているか等はこっちからは分かり難い。

 

でもまあ、それは予想してたので、読み手としての所感や会話を頻繁に挟むことにした。「…おおきなミミズが出てきました(と本文をキチンと読んでから、トーンを変えて)でもさー、このミミズさあ、いっくらなんでもデカ過ぎるだろう、そう思わない?」「うん、そーだね、アハハハ、でかすぎー!」てな感じで相手の状況を確認しながら読み進める。

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お兄ちゃんの絵本はネコ科の動物がいっぱい出てくる。「次のページの動物でお兄ちゃんはどれが好き?」「・・・うーん、チーター!」「へえ、なんで?」「・・・足が速いから」「ああ、そうだね、時速何キロくらいだか知ってる?」「うん、110キロ(㎞/h)」「いやあ、そんなに速くないっしょ、それじゃ高速道路走れるじゃん」「うん、走れるよ」「まさか・・・(いや70~80Km/hだろう、と思いつつ)じゃ今、さるごーさん、スマホで調べるよ・・・あ、ホントだ!110Km/hって書いてある!」「でしょ?」なーんてやってるうちに、アッという間の2冊、丁度30分間だった。

 

スタッフさんが最後に電話を代わってくれて「面白かった?…そう、よかったね」と笑ってくれていたので、何とか役割を果たせたようでホッとした次第。私としては「リモート絵本読み聞かせ」は初体験だったが、まあ、これはこれでITではなく電話というローテクだけど面白かった。うん、これもアリ、ですかね。

 

Saigottimo

6月に入ってコロナ禍による休業要請が相次いで解除され街に活気が戻りつつある事は好ましいが、マスクをしない人が多いのが気になる。実際にマスクではウィルスから身を守れない(花粉ほどの大きさならマスクでも防げるが細菌やウィルスは特殊な医療用マスクでも完全には防げない)が、では何故マスクが推奨されているかというと、自分の呼気の飛沫を周囲に撒き散らさないからだ。

 

新型コロナウィルスは「接触感染」と「飛沫感染」のみならず、飛沫として一旦地面に落ちた大量のウィルス(5分間の会話で3千個とも)が相当時間生き続け空気の流れで舞い上がり、他の人の鼻や口や眼から入って感染する「エアロゾル感染(一種の空気感染)」も確認されている。

 

つまりマスクは自分が感染しないためではなく〝他人を感染させないための道具〟であり「マスクをしないこと」は「自分は感染しても構わない」ではなく「自分は他人を感染させても構わない」という意思表示になってしまうのだ。

 

勿論、自分が感染してなければ感染させないがそれは保証の限りではない。何故なら現時点で感染してなくても、次の瞬間に吸った空気(または眼の粘膜に触れた空気)の中にウィルスが含まれていて感染してしまうかも知れないからだ(これはマスクをしていても防げない)。無症状で自覚もない感染者がマスクをせず数秒前に近くを通っただけで、その呼気からも感染し得るのである。この事を一体どれだけの人が理解しているだろうか?

 

私はいま仕事は既に在宅勤務だが、趣味のヴォーカルも朗読も現時点ではキチンとした対策をしながらの活動が難しいので自粛中だ。でも私は意味も分からずに怖がっている訳ではない。実際に意味のある対策をした上で活動を再開したいのである。

 

そんな中、我々の音楽の殿堂、SEABIRDでは知る人ぞ知るクリエーターのママさんが、ペットボトルミュージシャンを作り続けている。

Saigottimo人形とマッキー人形は既にこのブログでも紹介したが、他の人形もここでご紹介したい。

 

【トム・ハレル人形と注文者の一金バンマス本多一光】

【K3&O2人形と和田敬三&大津晃子】

【エラ&益田伸子人形と益田伸子😋 with イケメンギタリスト】

【左:小島幸三人形、右:マイルス人形、下:二金バンドメンバー】

【ジョー・ヘンダーソン人形&デビッド・サンボーン人形】

【フレディ・マーキュリー人形】

ママさんのクリエーター魂は留まるところを知らない。こうしてライブ演奏が出来ない期間も我々に夢を見させてくれるのは、やはりSEABIRDだったのだ。ただただ、感謝、感謝、です。

 

Saigottimo