以前、混声ジャスコーラスをしていた時期がある。コーラスは声が揃ってナンボなので、リズムや譜割りもそうだが、自分のパートの音程は絶対に外せない。少しでも外すとハーモニー(和音)が崩れるからだ。その代わりハーモニーがバッチリ決まった時のカッコ良さや快感たるやソロヴォーカルでは味わえない格別なものがある。

 
ソロヴォーカルならテンポを外したり音程を多少間違えても「フェイク(即興的に崩す手法)したのさー」という顔をすればバレないがコーラスはそれが許されないのでキツい。ただコーラスでも曲によっては各人が何小節かソロで歌えるフレーズがあり、そこではホッとしたものだ。でも私にとってこのコーラスは凄く良い修行になった。

私はコーラスをしていた時期でもソロ活動は続けていたが、コーラスのメンバーで殆どソロで歌わない人が居たので、ある時私は「なんでソロで歌わないんですか?」と何気なく聞いたのだが、その回答には少なからず驚かされてしまった。「う~ん、ソロだと自由に歌わなければならないじゃない?それがちょっとね…」 えぇ~っ?

 

「自由に歌える」ではなく「自由に歌わなければならない」だって?それって「健康のためなら死んでもいい」みたいに矛盾してない?確かにソロヴォーカルはコーラスと違って譜面通りに歌う必要もないしjazzなので歌い手の解釈で自由(フリー)にフェイクやアドリブを入れて歌うことが、ある程度期待されているかも知れないが…。

 

前回の記事でも、私はアカペラ(無伴奏歌唱)は楽器や楽譜の制約無く自由に歌えると書いた。但しテンポだけなら、アカペラでなくてもルバート(イタリア語:tempo rubato)奏法により、jazzスタンダードのヴァース(前歌)などは「ルバートで」と指定することでシャンソン歌手が語るように自由なテンポで歌っても伴奏してもらえる。

 

jazzスタンダードナンバーのヴァース(前歌)の中で最も有名なのは「スターダスト」だろう。なんとフランク・シナトラにはこの曲のヴァースだけを歌って本編を歌わないレコーディングもある。

これもルバートだが、シナトラらしくフル・オーケストラのルバートだから凄い!指揮者が彼の歌に合わせて指揮をしたのだろうか。

 

だが音程となるとそうはいくまい。ピアノにしろギターにしろ、「ド」の上の音は半音高い「ド♯(=レ♭)」(ピアノなら黒鍵)になるが、その前後の音(例えば4分の1音だけ高い音とか)は出せない。でも人間の声なら無段階に高低音が出せるではないか(ギターのようなスレッドが無いウッドベースやスライドトロンボーンも出せるが)。

 

自分が歌う際のキー(調)だって、楽器の伴奏がある場合はピアノ等に合わせて半音単位で決めなくてならないから「C」が高くて辛ければ「B♭」になる。でもアカペラならその中間(ピアノで出せない白鍵と黒鍵の中間音の調)だってOKだし、転調だって半音単位でなくていいのだから、アカペラはかなり自由に歌えるはずだ。

 

ただ問題は「本当にそんなに自由に表現したいか?」という点だ。「ここは感情を込めてゆっくり」「ここはササッと速く」「この言葉はもっと長く伸ばしたい」「ここで滑るように音を下げて」など、歌い手が自由に表現したいならアカペラは有益な手段だが、かのメンバーの様に「自由に歌わなければならない」と思う位なら必要ない。

 

これはアカペラでもルバートでもないが、アンディ・ウィリアムスの「ダニー・ボーイ」はサビ後の「It's I'll Be Here~」のHereを通常より1小節程長く伸ばしている(先頭から1分30秒後の部分)。

きっと彼は表現者(歌い手)として、ここを伸ばしたかったのだろう。そこでレコーディングする関係上、演奏者全員の譜面をそのように修正することで何事も無かった様に自然に歌っている。

 

そして、始めたばかりの私のウクレレのように、「C⇒Am」など運指が易しいキー展開だとテンポが速くなり、「G⇒E7」のように運指が難しいキー展開になると急にテンポが遅くなる等というのはルバート奏法でも何でもなく、単に下手クソだからイン・テンポ(一定のテンポ)で弾けないだけで、当然ながらこれは表現力以前の問題です。

 

Saigottimo