前回の記事でビリー・ヴォーンについて書いたら、もっともっと多くの人に知ってもらいたくなってしまった。本来はファンページを開設するか、あるいは一冊の書籍にしたいくらい書きたいことがあるのだが、ここでは逸る気持ちをグッとこらえて、多くの音楽ファンにとって興味ありそうな話題に絞ってビリー・ヴォーンを語りたい。

 

彼についてはwikipediaなどの情報ページ以外では英語のファンページが1つあるのみで日本語でのファンページはない模様。「日本一のビリー•ヴォーンファン」を自認する私としては、ここはひとつライフワークとして取り組む価値はあるかも知れないと考えている。

 

同じムード音楽(イージー•リスニング)でもパーシー•フェイス楽団は「夏の日の恋」(1960年)で、ベルト・ケンプフェルト楽団は「星空のブルース」(1961年)で全米N0.1になっているが、ビリー•ヴォーン楽団は14年間に37曲ものシングルレコードを100位以内に送り込みながら、全米No.1は獲得していない。彼は生涯でシングル、アルバム併せてゴールドディスク(総売上100万ドル超)11枚とプラチナディスク(同200万ドル超)2枚を獲得しているが、彼が音楽界に残した業績はそこだけではないのだ。

1950年代初頭の米音楽業界の合言葉は「ニグロ(黒人)のように歌える白人がいれば大儲けできる!」だった。当時の米国ではレコード購買層は白人だし、今では信じ難いが白人向け放送局で黒人音楽は流せなかった。だから白人の若者達は親に隠れてこっそり黒人向けラジオ局でR&Bを聴いて夢中になっていたのだ。

 

結論から言うと、その決定打がエルヴィス•プレスリーだった。彼のレコードが初めてラジオで流れた時、彼はすぐ放送局に呼び出されてインタビューされ、その最初の質問は「出身校は?」、つまり顔が見えないラジオでリスナーに白人だと知らせたのだ。それくらい「黒人の歌を流すな!」と苦情の電話が殺到したのだ。

 

彼を見出したのはサン・レコードのサム・フィリップスで、後にメジャーレーベルのRCAにその権利を売るのだが他の業界人も指をくわえて見ていたわけではない。ドット•レコードは新人の登竜門となるタレント•コンテストで優勝したパット•ブーンを起用して黒人のR&Bを次々と歌わせ、白人マーケットで大ヒットさせた。

この件については黒人アーティストの中でも評価が分かれている。「パット・ブーンは我々黒人の音楽を横取りしてスターになった奴だ」と罵る者が居る一方で「パット•ブーンのお陰で我々の音楽が白人のマーケットでメジャーになれたんだ」と、むしろ歓迎する者も居る。名をとるか実を取るか、評価は分かれて当然かもしれない。

 

そして当時のドット•レコードの音楽監督がビリー•ヴォーンだった。

彼は除隊後に大学時代の仲間達と男性コーラスグループ「ヒルトッパーズ」を結成し黒人のザ•プラターズに対抗しヒットも飛ばした。ドット•レコードの社長ランディ•ウッドはすぐ彼と契約して音楽監督に抜擢し、パット•ブーンなどのディレクションを彼に任せたのだ。
 

従ってパット•ブーンに限らず、ゲイル•ストームフォンテーン•シスターズなど、この時期のドット•レコードのヒット曲のバックバンドは、殆どがいわばビリー•ヴォーン楽団だったのであり、「彼が音楽界に残した業績はそこ(ビリー•ヴォーン楽団としてリリースされた楽曲)だけではない」というのは、そういう意味でもある。

 

確かにパット•ブーンはリトル•リチャードやファッツ•ドミノなど黒人のR&B曲をカバーして何曲も大ヒットを飛ばした。だが彼の最大のヒット曲となった「砂に書いたラブレター」(1957年)は黒人のR&Bではなく、1931年のポップソングのリメイクであり、ビリー•ヴォーンがアレンジも演奏も手掛けて、5週連続で全米No.1に輝いている。

 

ビリー•ヴォーンは古い曲をリメイクすることにかけては名手である。自身の代表作である「波路はるかに」(1957年全米5位)も20年前のビング•クロスビーのヒット曲(邦題「銀嶺こえて」)のリメイクであり、1954年に全米2位となった「愛の調べ」に至っては、なんと半世紀も前の1903年に作られた古い曲のリメイクだった。

さて、一時は「危険な不良の匂いがするエルヴィス」と「良家の子息で優等生タイプのパット」は女子の人気を二分するほどだったが、1950年代は白人のカントリー(ヒルビリー)音楽と黒人のR&B(リズム&ブルース)が融合して「ロックンロール(ロカビリー)」が誕生し、最終的にはその王座にプレスリーが君臨した。

 

そして1950年代後半から60年代前半にかけての音楽シーンは新しい音楽を模索し続けた混迷期だった。ここも結論から言うとその決定打はザ•ビートルズだったのだが、彼らが台頭する60年代半ばまでは、カンツォーネの「ヴォラーレ」(1958年)や坂本九の「上を向いて歩こう」(1963年)など国外からの異色の音楽が全米No.1になっている。そしてビリー•ヴォーンのカバー盤もアルバムチャートで前者は全米5位後者も全米15位にランクインしている。

 

現在、オールディーズと呼ばれている1950~60年代前半迄(すなわちビートルズ出現前)の音楽を私は愛して止まない。そして、この時代におけるビリー•ヴォーンとは、(単なるムード音楽の楽団の一つではなく)言うなれば「裏プレスリー」であり、また「ビートルズ以前の音楽」の象徴的存在だったという事を音楽ファンの方々には是非認識しておいて戴きたいのである。

 

Saigottimo