時間がない・・・は、本当か | 特許翻訳 A to Z

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1992年5月から、フリーランスで特許翻訳者をしています。

ひとつ前からの続きです。


今回の連載では最初に、実は善処発言があって通訳も正しく訳したのに、のちに誤訳と「誤解釈」されたのではないかという仮説を立てました。
そして「何もしない」という意味をあとから加えて、1つの語に真逆の2つの解釈を同時に持たせたことが誤訳説の発端ではないかとしたところで、調査を終えています。

ここまでの内容を翻訳実務にあてはめて、まとめます。

 

 

 

【疑問を呈して、考える】

一連の話は、英文記録に善処発言がなかったという主張に疑問を持ったことが、はじまりでした。

そこから仮説を立て、檜氏の論文を見つけて信夫氏の記事に至り、また仮説を立て、別の資料を参照し・・・ということを、繰り返しています。

ただ、これらの仮説が正しいかどうかは、あまり重視していません。
論文を書くとかいうのであればきちんと検証しますが、そういうわけでもないですし。


重要なのは、、世の中で事実だとされている物事、当たり前になっている物事でも、視点を変えると別の面が見える場合がある、ということです。

実際、善処の誤訳説にも、既存の論説とはまったく違う見方がいくつかできました。

それは翻訳のための調べ物しかり、日々の学習しかり。


たとえば翻訳業界には、根拠のない「都市伝説」が、いくつもあります。
何かに書いてあった、誰かに言われた、教わったなどの理由で、深く考えることなく「そういうもの」と受け入れている人も多いです。
こうした言い伝えに疑問を持って考えるだけでも、日々の業務が激変するかもしれません。


物事を常に疑いの目で見ることを是とするわけではないですが、どんなことにも、疑問を呈して考え抜くことでしか見えてこないものが、あるだろうと思うのです。

 

 


 

【辞書に載っていた・・・は、責任放棄と紙一重】

翻訳学習者に訳語の問題を指摘すると、辞書に載っていたと言われることが、ときどきあります。
最近だと、「英辞郎」に載っていた、「Weblio」に載っていた・・・でしょうか。

 

でも、「辞書に載っている」という事実は、訳語選択の理由(根拠)にはなり得ないと思います。
訳が間違っていた場合はもとより、正しい場合も同様です。

第一に、辞書によって少しずつ記載が違う中、複数の辞書のうち「たまたま」自分が選んだ1冊あるいは数冊が「適切」かどうかは、わかりませんよね。

辞書といえど間違いはありますし、正しくても、古い辞書と新しい辞書で語義が違うこともあります。

同じ時代のものでも、たとえば現代の国語辞典で、善処に「I will do my best」とほぼ等価な「最善・・」の語義を記載していたものは、「うまく・・」に比べると非常に少なかったです。

こういうことも、あるわけです。

あるいは、学校では英和辞典を「単語の意味」を調べるものと言いますが、あれは意味ではなく「よく使う訳語の例」にすぎません。
その「よく使う例」の中に、自分の原文に最適な訳が含まれていると言える理由も、ないでしょう。
 

こうした辞書事情は、専門用語でもまったく同じです。


辞書に載っている情報を手がかりにして、「他の手段で」確認をするというのなら、よいのです。
この手がかりを増やし、なおかつ偏りを減らすためにも、1冊ではなく複数引くことも、重要です。
今回の連載でも、複数の辞書を引くことで、考えるための材料を得ました。
翻訳者にとっての辞書は、使うなら、こういう使い方だろうと思います。

辞書にあることを訳語選択の理由にするのは、訳語の責任を辞書に押しつけて、適否を自分で判断するのを放棄しているのと同じ・・・・ではないでしょうか。

 

 


【漢字に、注意する】
善処の例では、国語辞典における語義の変化から、人々の解釈を推測しました。
これにかぎらず、「なんとなく」使われている言葉というのは、非常に多いです。
日常会話なら構わないとして、翻訳者の仕事は、同じようにはいきません。
摺動の例であげたような技術用語はもとより、日常語に近いことばでも、同じでしょう。
 

漢字は利点も多いですが、「わかった気になりやすい」欠点もあります

 

たとえばコンピューターのプロセスフローの説明で、determineで書かれた工程が「判定」と訳されていることが、よくあります。

でも、「判定」というのは「判断して定めること」であって、「判断」と「決定」の2工程を含みます。
 

特許翻訳だと、原文が1工程なのに翻訳者が勝手に2工程で訳すのは、大問題。
深く考えずに何となく「~を判定するステップ」と訳しては、いけないわけです。


逆もまたしかりで、日英翻訳時に原文に「判定」とあったとき、書き手が2工程で使っているのか1工程で使っているのかは、きちんと考える必要があります。
ほかにも、「選択」「選定」「選別」、「検出」「検知」「感知」など、類例は枚挙にいとまがありません。

漢字の並びが原文と翻訳文で等価(に近い状態)になっているか、翻訳者は、常に注意する必要があると思います。
 

以上、善処の誤訳説から見えることを、翻訳実務の視点で整理してみました。
そして最後に、総まとめです。

 


【時間がない・・・は、本当?】
今回は数日という短い日数で、それも仕事の合間に調べていますので、いくぶん詰めが甘い部分はあるだろうと思います。
それでもあえて「そのまま」あげたのは、意識的にやろうと思えば、隙間時間でもこのくらいは可能だということを示す意図もありました。

 

翻訳者からよく聞く悩みのひとつに、「(調べ物をする)時間がない」ということが、あります。
実務は時間との闘いですし、この気持ちは、とてもよくわかります。
でも、一昔前ならいざ知らず、現代は「できること」が格段に増えているのもまた事実です。

 

たとえば前回、政治家の川崎秀二氏が政治家の目で若槻禮次郞の「善処」に言及したくだりを1971年の書籍から拾っていますが、こういうことは、「印刷物の本で」総当たりしていた時代には(ほぼ)不可能でした。
できたとしても、相当な日数と根気が必要だったことでしょう。

かたや一連の調べ物では、デジタル手段を使って自宅にいながらにして「おそらくこのあたりだろう」という手がかりの絞り込みをした上で、図書館で実物を確認しました。

それも政治や言語学の専門図書館ではなく、地元の公立図書館と大学附属図書館、そしてごく一部、国会図書館です。

「時間がない」と思っていたら、その時点で止まってしまうでしょう。
でも、「どうすれば、できるか」と考えることで、なかったはずの時間が生まれます


「品質を上げれば速度が落ち、速度を上げれば品質が落ちる」というのが翻訳作業の常識だった20年前、パソコンとの役割分担によって、品質と速度を同時かつ大幅に向上させることに成功しました。
人間とコンピューターが、各々得意なことを役割分担して、作業の流れを変えたのです。
(参考:用語一括置換マクロ誕生の舞台裏


考え方は、これとまったく同じ。

手がかりの絞り込みはコンピューターに任せて、実際の書籍での確認と判断は、人間の担当
コンピューターに任せるときも、たとえば翻訳ソフトを「翻訳用」ではなく「チェック用」や「見積用」に使うというのと同様、表向きの機能や用途にとらわれないことが重要です。

時間がないからといって、インターネットに頼りすぎると、今度は玉石混交の情報からいかに正しいものを拾うかという問題が発生します。
だから、デジタルとアナログの役割分担をしたのです。

いずれにしろ、時間がない「から」できないというのは、多くの場合は思い込みにすぎないでしょう。

   どうすれば、できるか---。


「できない」を「できるかも」に変え、「できた」に変える原点は、常にここにあるように思います。

(完)

 

 

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