「○○だから、仕方がない」は、本当か? | 特許翻訳 A to Z

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1992年5月から、フリーランスで特許翻訳者をしています。

前回の「翻訳会社vs.翻訳者-(1)」に、いつになく多くの「いいね」を頂戴しています。
綺麗な文章とは言いがたいのを承知の上で理由があって引っ張り出してきたため、この反応は、まったく予想外でした。
どこが響いたのかはわかりませんが、せっかくなので、少しプラスαで広げてみようと思います。
 
テーマは、

  「○○だから、仕方がない」は、本当か?

という、ここです。
仕事かプライベートかの別を問わず、日々生活をしていると、いろいろなことが起こります。
そういう中には、「仕方がない」と思えることも、山ほどあるでしょう。

我が家でもつい数日前にレポートの提出期限ギリギリの息子が図書館まで本を借りに行ったところ、なんと月に一度の蔵書点検で休館日。
「困った・・・でも仕方がない」と、こぼしていたことがありました。

目的の本が決まっていて、地元の大型書店は、だめ。図書館も、だめ。Google Booksにも、ない。
タイムリミットまであと数時間で、どうにもならないと思ったようです。
 
 
これに対する私の対応は、「そんなに簡単にあきらめて、どうする」でした。
目的は、特定の本を読むことであって、手段は問いません
手にとって持つことができなくても、読むことさえできれば良いのです。

最終的にどうしたかというと、Kindleで無事に全文を取得。
本を読む手段を片端から総当たりしただけなのですが、同様のことは、日常の様々な「仕方がない」に当てはまります。

どうにもならないと思えることにも、実は解決策があったりするもの
子どもは、こうした場面でうまく解決策を見つけることができるかどうかは、持っている引き出しつまり手段となり得る選択肢をどれだけ知っているかに左右されると思うことが多いようです。

ところが実際は、持ち駒の問題「ではない」と思うのです。
なぜなら、解決できると思えていて、なおかつ解決しようとする気持ちがあるならば、その時点で手段がなくても探せばよいからです。

翻訳をするときに必要な技術知識が必ずしも頭の中に入っていなくてもそのつど調べても構わないのと同じで、ある時点で持っているかどうかは、あまり重要ではないのですね。

もちろん、あるほうがないよりもラクだということは起こり得るとは思います。
でも、せいぜいその程度でしょう。

ただし、仕方がないと諦めてしまったら、そこで止まります
だからこそ、『「○○だから、仕方がない」は、本当か?』と疑ってみることが重要だろうなと。

たとえば、辞書の二度引きが多い・単語を覚えられないのは仕方がない・・・ではなく、自分が覚えられないならコンピューターに覚えておいてもらえばよい
用語一括置換マクロ誕生の舞台裏
とか、
見直しに時間がかかるのは仕方がない・・・ではなく、「翻訳ソフトに」見直しを手伝ってもらえばよい、
とか。

カシュー塗料「27件の」特許番号を特定! 」や「1861年の新聞広告とウイスキー」で示したように、手がかりなど無いに等しいと思うような情報も手に入る時代ですし、一昔前なら高額で手が出なかったハードウェア、ソフトウェアも、非常に安価になりました。

それこそ、手段は有り余るほど溢れている時代です。
仕方がない・・・・かどうかは、わからないですよね。

先入観を取り払って手段を探せば、たいていのことは、どうにかなると思います。
2017年は、2016年の常識を非常識に変えるくらい、プラスの変化を起こすことができたら良いですね。