翻訳会社vs.翻訳者-(2) | 特許翻訳 A to Z

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1992年5月から、フリーランスで特許翻訳者をしています。

3代目「特許翻訳の世界」 > 通訳翻訳ジャーナル連載「翻訳さんぽみち」 
 > 「翻訳会社vs.翻訳者」-2000年3月号

復刻シリーズです。

※小見出しは、2000年当時『通訳翻訳ジャーナル』での掲載時に編集部で付けて下さったものをそのまま使います。
翻訳会社vs.翻訳者-(1)」からの続きになります。

 

待遇が悪いと
有能な翻訳者は離れていく

こうした会社にもそれぞれ何らかの事情はあるのでしょうが、待遇に問題がありすぎるとせっかくの良い翻訳者までが離れていってしまうことにもなりかねません。
上手な翻訳者ほど無理をせずに食べていけるだけの仕事を確保できるので、あまりこき使われると他のクライアントに鞍替えします。
たとえば特許業界では、ここ1,2年の価格破壊と使い捨て的な状況から抜けるために、翻訳会社からの仕事は受けずに特許事務所や企業をクライアントにする動きが出ています。どこの世界にも無理難題は存在するもので、特許事務所にも翻訳者に対する待遇の悪いところはあるようですが、少なくとも間に翻訳会社を通すよりは問題が少なくてすむようです。

話は少し逸れますが、受注量を増やす上で単価の引き下げによる薄利多売が常に効果的とは限らないということは、商品を販売する店舗の例を考えると良く分かります。
これは某ビジネス誌に掲載されていた話ですが、商売の経験が浅いと、売れなければすぐに粗利を削って値引きをする傾向にあるそうです。当然ですが、値引きをしても売れなければにっちもさっちもいかなくなってしまいます。
ところが、実際には価格に問題があることよりも他の原因で売れないことの方が圧倒的に多いのです。実店舗では客単価(1人の消費者が一度に購入する金額)を上昇させるための陳列方法にノウハウがあり、この部分を工夫するだけで売上げは随分と変わるそうです。要するに、値引きをしなくても客単価を上げる工夫をすれば売上げ増につながるということです。

翻訳会社も同じで、単純に安ければよいというわけではありません。確かに、極端な低価格を打ち出して粗い翻訳で儲けを得ている会社も存在しますが、こうした低価格化の波を加速してしまうと、最終的には自分の首を絞めることになります。翻訳会社は、本来であれば個人翻訳者と翻訳文のエンドユーザーとの間のクッションになるべき立場です。翻訳者が安心して作業に集中できるようにするためには、エンドユーザーとの価格交渉などは翻訳会社側で行うべきでしょう。実際に作業をする翻訳者が労働に応じた適正な報酬を得ることができるようにするのも、エージェントとしての翻訳会社の大切な仕事ではないかと思います。

 

仕事を得ることばかり優先させたり翻訳を片手間の副業にすると
全体的なレベルが下がる

さて、翻訳会社ばかりをやり玉にあげるような記事になりましたが、翻訳業界にこのような流れが生じている背景には、発注側だけでなく受注する側にもいくつか問題があります。クライアントから提示される翻訳料や訳文の品質とは無関係に、とにかく仕事を得ることを最優先させるケースなどがこれにあたります。翻訳を片手間の副業としか考えず、学生アルバイトよりも安い料金で仕事を受注する翻訳者が増えることで、結果として全体のレベルが下がるわけです。最近は、無料で翻訳しますという個人翻訳者の広告すら見かけます(インターネット上をまわっていると、機械翻訳ではなく人間が作業するという前提で無料というところが1つ2つではありません)。

でも、よく考えてみて下さい。翻訳者という職業は専門職、つまり「プロフェッショナル」です。あまり自分を安売りしすぎずに、プロとしての自覚と意識は持つべきでしょう。翻訳者の求職広告を見ていると、仕事に対する意識の違いや自分に対する価値の置き方の違いが顕著に見られます。仕事に対する考え方の甘い人はともかくとして、今まではそんなことはなかった人までが苦労を強いられる状況は、避けられるのであれば避けていきたいですね。仕事に対する意識は経験や自信などにも左右される要素だとは思いますが、価格破壊を仕掛ける翻訳会社と何でも良いから仕事を受ける翻訳者とが作り出す波にのまれ、後で苦い思いをしないように注意しましょう。

もちろん、適正な報酬を得るためには常に自分を磨く努力と謙虚さも必要です。プロなのだからと傲慢にならずに、周囲にアンテナを張り巡らせて常に自己研鑽に勤しむ必要があるわけです。翻訳者は、異なる言語を母語とする人々の橋渡しをする立場なのですから、両者の間をしっかり取り持つ必要があります。大きな川の両岸に住む2つの民族が互いにコミュニケーションしようと思っても、橋がボロボロではそうそう相手のところに出向いていくこともできません。でも、橋がしっかりしていれば、毎日行き来してコミュニケーションすることができます。橋は安定しているに越したことはないのです。

ついでながら、納期でガチガチに固められては思うように勉強もできません。このため、受注量とのバランスをとりながら自分の時間を確保する必要があります。翻訳者を酷使しすぎると品質のみならず仕事に対する取り組み方や意識まで変わってしまうのだということを、すべての発注者が理解してくれればよいのですが、現実にはまだまだ難しいようです。
でも、だからといって現状に身をまかせているだけでよいかというと、そういうものではないでしょう。怠け癖がつけばいずれは腕が鈍ってしまい、いざやろうと思っても良い翻訳はできなくなります。そうなれば、最後は自分につけがまわってくることになるでしょう。品質を高める努力は、何もクライアントだけのためにするものではないのです。自分自身にとっても大切なことなのだということを忘れないようにしましょう。

 

現在のスタイル改善を求む

以上、厳しいことをいくつか書きましたが、最終的には考え方の問題だと思っています。翻訳という作業をどう捉えるか、自分自身あるいは自社の立場と価値をどう見るか。品質を無視した低価格競争はいずれは破綻します。物を製造する場合のように、製造原価を下げる工夫をすればある程度の価格までは落とせる業界もありますが、翻訳は人間が携わる分野です。人海戦術に大規模な製造原価の引き下げは有り得ません。翻訳会社は、価格を下げれば品質が悪くなることをエンドユーザーに理解してもらうよう努力し、適正な価格を維持する。翻訳者は相応の品質を維持し、エンドユーザーの満足度を高められるよう努力する。こうした互いの努力と協力があってこそ、本来の正しい形が維持できるのではないでしょうか。
どうにも後戻りができないほど悪くなってしまう前に、何でもよいからとにかくさばく、何でもよいからとにかく受けるという現在のスタイルを、もう一度よく考え直してもらえればと思います。国家資格こそなく、その気になれば誰でもすぐに参入できはしますが、それでも翻訳者は「プロフェッショナル」なのですから。

 

 

【2017年の目線から】
前回、この記事の前半をアップしたときに、「17年前と比べて翻訳業界がどうなっているかといえば悪化しているとしか言えない印象を拭えない」ということを、添えました。
これは主に翻訳会社に対する目線での話でしたが、翻訳者のほうも、悪化している側面は、確実にあると思います。

先に事情のほうをあげておくと、特許翻訳業界の色が変わった要素のひとつとして、リーマンショックがありました。
このとき、IT分野の翻訳に極端な値崩れが発生し、ITだけでは食べていくことのできなくなった翻訳会社が、いくつも特許に参入しているからです。

たとえば、「特許だけは絶対に手を出さないつもりでいたけれど、そうも言っていられなくなって…」とおっしゃっていたIT系翻訳会社の社長。
リーマンショックのあと、こういう話をいくつも耳にしました。

統計をとったわけではありませんが、本来は特許翻訳と非常に相性が悪いはずのTRADOSを、いち早く特許翻訳に取り入れはじめたのも、おそらくはITに強い翻訳会社だろうと思います。

特許翻訳をするには、(1)外国語、(2)科学技術、(3)法律的な知識が必要です。
そして、以前に「特許翻訳者に商標法や意匠法は必要か」でも書いたように、商標や意匠も無関係ではないと思いますが、百歩譲って最低でも日米欧の基本的な法律、施行規則、審査基準は「知らない」ではすまないはずなのです。

ところが、生き延びるために他分野から参入してきた翻訳会社(あるいは翻訳者)は、このあたりを軽視している印象があります。
きちんと特許を扱っている翻訳会社であれば、コーディネータのレベルでも、この単語をこう訳すと36条で・・・といった会話が成立するのに、見よう見まねの参入だと(ほぼ)できない会話・議論ですから、少し話せば何を重視してどこを観ているのかだいたい予測がつくわけです。

以上は一例ですが、翻訳会社・翻訳者の別を問わず、教育・学習・研鑽などに時間やお金を投資すれば、一定以下に単価を下げることは困難になります。
逆に、こうした要素をすべて削れば、単価を下げること自体は可能でしょう。

翻訳者サイドからも、「2桁の単価に乗っていれば、一応食べていける」という声があります。
2桁つまり1ワード10円を超えていれば、という意味ですが、「食べていける」かどうかと、十分な学習時間を確保できるかどうかは、別問題

食べていけるかどうかと、「職人」として適正な扱いを受け、プロ意識を持っているかどうかも、別問題です。


たとえば、プロ野球のイチロー選手が、日本円換算で年俸1500万円もあれば「食べていけるから」と、低価格契約の交渉に応じると思いますか?
そんなことを試してみようと考える球団があるのかどうかもわかりませんけれど、仮にあるとして、そして実際にそういう交渉をしたとして、メディアが報じたら周囲の反応はどうなると思います?
たぶん、相当な批判が出るでしょう。

イチロー選手クラスの人と比べてどうする、という主張もあるかと思いますが、程度の差はともかくとして、「発注側」がスキルを適正に評価することや、「受注側」がプロとしての自覚を持ってスキル向上の努力を怠らない意識・姿勢でいることは、職人仕事の最低ラインではないかと思うのです。

翻訳は、機械で大量生産できる工業生産品では、ありません。
人間の翻訳者が担う、職人仕事です。

発注側、受注側の両方に、こうした意識が欠落しすぎていることが、17年前と比べて悪化しているとしか言えない状況を生んだ一因・・・・・ではないかなと。

その意味ではどっちもどっちなのですが、あえてどこに最も原因があるかといえば、おそらく翻訳会社だろうと思います。

翻訳会社にとって、翻訳者は命綱。
企業生命を維持するために絶対に欠かすことのできない、生命線でもあるわけで、その翻訳者の利益を守るためのクッション役としての役割を果たせずに、低価格路線に迎合するような形になっているのは、どう考えても専門企業なのだという「プロ意識」が欠けている・・・・

ただし、こういう翻訳会社の声を実際にヒアリングすると、元請け企業の理解のなさが浮き彫りになるという事情も、少なからず存在します。
10社に聞くと、8~9社から同じような不満(?)が、出てきますし。
そして元請けになるような企業の知財部に聞くと、それはそれで言い分があるわけです。

いわゆる「失われた20年」の構図と非常に似ているというか、この20年+αの間に、たとえば労働法制が後手後手になったしわ寄せが2017年の現代に噴出しているのと同じで、翻訳業界も、重要なことが後手後手になってきた結果なのではないかなと。

こうなると、もはや誰が悪いとか何が悪いとかいう問題では、なくなりますよね。

翻訳会社vs.翻訳者-(1)」でも書いたように否定や批判をしても始まりませんし、これから先をどうするかということを真剣に考え直さなければならない「転機の時期」に、さしかかっているように思います。

17年前にどうだったかを客観的に見て、確実に「悪化した」部分から優先して立て直しをしていく必要が、あるのでしょうね。

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