子どもが学校の定期テストなどで(本人の)思ったような点数を取れず、落ち込んで帰宅することは、わりとよくあります。
そういうとき、私は「できることがまたひとつ増えて、よかったね」と声をかけ続けました。
高校2年、3年と学年があがり、受験を意識するようになればなるほど、小テストでも模試でも、とにかく子どもが「間違えた」と話してきたときは例外なく、「できることが増えて、よかったね」と。
できていないことに対する指摘は、一切、していません。
間違えようと思って意図的に間違えているわけではないため、わざわざ言われなくても、本人がいちばん分かっているはず。
分かっていることを外から指摘されるのは、苦しいものですし。
だから、たとえ全く勉強をしなかった結果だとしても、そのことには言及せず、
間違えた問題→これからできるようになる問題
と、受け止め方を変え続けたのです。
こんなの単なる言葉遊びにすぎないと言う人も、いるかもしれません。
でも、そのうち子どもも慣れてきて、今日はこういう問題が出て・・・という説明とともに、「ここ、間違えた。これでまた、できるようになることが増える」と自分から言うようになりました。
そして「できることが増える」材料ですから、やらされ感なく、自主的に勉強します。
すると成績があがって自信がつき、好循環が生まれます。
何事も、こういう無理のない自主性こそ、重要だろうと思うのです。
ここで、翻訳者という職業は、毎日が勉強の連続です。
とすると、いかに「~すべき」を排除し、学びの自主性を保つかを考えるのも、ある意味で仕事のうちだと言えるでしょう。
この場合、本来できる「べき」なのに、できていないというマイナス意識から取り組むのと、
今はできていないけど、これからできるようになる材料だというプラス意識から取り組むのでは、結果が大きく変わるように思います。
たとえば若干進歩したときに、「まだまだ足りない」と感じるか、「すでに、これだけできるようになった」と感じるか。
どちらが、自然に「もっとやろう」という気になりやすいかは、言うまでもないですよね。
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