善処の誤訳説は、何に由来するか | 特許翻訳 A to Z

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1992年5月から、フリーランスで特許翻訳者をしています。

一昨日の朝日新聞「天声人語」に、「善処」という言葉が出ていました。
日米首脳会談での通訳に関する話題です。


この「天声人語」から、一部を抜粋します。
(※ここでは、前後を削っています。全文は、朝日新聞デジタルもしくは本紙を参照してください。)
 

1969年、日米首脳会談で佐藤栄作首相が「善処します」と発言。通訳が「アイ・ウィル・ドゥ・マイ・ベスト」と訳したとされる。ニクソン大統領は輸出規制の確約を得たと受け止めた。この「誤訳」が両国の関係悪化を招いたと語り継がれてきた。筆者も今年1月10日の当欄で紹介した▼米政府の公文書に「善処します」発言はありませんでした――。元時事通信記者で翻訳家でもある檜誠司(ひのきまさし)さんから貴重なご指摘をいただいた。英文記録を精査すると、「善処」どころか、首相は「私は誓う」「信じてほしい」と言葉を重ねて確約していたという▼だとすれば、なぜ誤訳説が生まれたのか。

  朝日新聞 『天声人語』2017年4月17日  →朝日新聞デジタル「善処します」の歴史研究


背景には、政治家の使う「善処」が、ときとして「何もしない」という含みを持つという事情があります。

そして檜氏は、会談の歴史的な考察を主目的とした論文をまとめています。

 

  「善処します」発言の誤訳問題の一考察

ここで彼は、交渉の失敗と発言の訳語とは無関係であることを示した上で、訳語をめぐる議論があまり意味を持たなくなったとしています。
たしかに、歴史的・政治的な観点に立つと、そのとおりかもしれません。
ただ、一連の話には、いくぶん不自然さも残ります。

ひとつは、「英文記録を精査」という部分です。
日本語の会談記録を精査したわけではないのに、なぜ、件の発言がなかったと言えるのか。

「善処」に近い英文が記録になくても、それがすなわち、発言がないとする根拠にはならないと思います。

 

もうひとつは、「誤訳説」です。

総理が確約していたのであれば、それ自体は「I will do my best」とさほど大きく外れません。
同じではないですが、「大問題の」誤訳と言われるほどかけ離れているわけではないでしょう。
にもかかわらず、語り継がれたと言われるほど誤訳伝説が広まったとすると・・・・。

実は誤訳でも何でもなく、日本語の意味のほうが現代とは違っただけではないでしょうか。

善処発言そのものは、あったのではないか、ということです。
 

仮に、昔は「善処」の意味が「I will do my best」と等価だったとします。
ところが時代を下るにつれて、日本語の意味が変化した。

そして後世の人々が、変化して生まれた新たな意味を古い記録に「そのまま」あてはめて解釈し、それが原因で誤訳伝説が生まれたとしても、何ら不思議はありません。
 

もしそうだとすると、英文記録だけを調べても、問題となった「善処」に相当する表現は見つからないでしょう。

 

そもそも、佐藤首相は1924年に東大(当時の東京帝国大学法学部)を卒業後、1934年から在外研究員として2年間の海外留学をしています。
研究題目は「欧米における運輸について」、拠点はニューヨークとロンドンつまり英語圏です。

 

会談では通訳をつけたとはいえ、自身もそこそこ英語ができたはず
「I will do my best」の意味がわからず、誤訳のまま会談が進んだというのは、非常に考えにくいのです。

 

また、当時の通訳者は、赤谷源一氏とのこと。
赤谷氏といえば、日本初の国連事務次長を務められたほどの英語の達人です。

首相と通訳者のバックグラウンドに照らしても、通訳者が「正しく」訳したものを、後の人々が誤訳だと「誤解釈した」と考えるほうが、よほど筋が通るようにも思います。

 

そこで、この仮説を検証するために、国語辞典をあたってみました。

 

現代の国語辞典で善処を引くと、「うまく処置すること」に類する意味が最初に掲載され、2番目に仏教用語の「善所」と同じだとする意味が出てきますので、古いほうは両方の側面から確認しています。
結果を、以下に示します。1920年代以降は、掲載のなかった辞書は割愛しています。

 

【1910年以前】
山田美妙 (武太郎) 編 『日本大辭書』 日本大辞書発行所 1893(明26)年
  掲載なし。

大和田建樹 編 『日本大辭典』 博文館 1896(明29)年  p. 1767
  極樂世界。四方樂淨土(佛敎)
  →国会図書館デジタルコレクションで閲覧可能。いろは順で、957コマ目。
  
林幸行 著 『國語辭典』 修学堂 1904(明37)年
  掲載なし。

【1910年代】
上田万年, 松井簡治 著 『大日本國語辭典 第3巻す~な』 金港堂書籍 1917(大6)年
  掲載なし。

【1920年代】
落合直文 著 『言泉 日本大辭典 第3巻』 大倉書店 1922(大11)年  p.2409
  人界(ニンカイ)・天上又は諸佛の淨土。ぜんしゅ(善趣)參照。
  →国会図書館デジタルコレクションで閲覧可能。292コマ目。

【1930年代】
大槻文彦 著 『大言海 第3巻せ~は』 富山房 1935(昭10)年  p.83
   (一)佛敎ノ語。ぜん志ュ(善趣)ニ同ジ。(二)最善ノ方法ヲ以テ、處置スルコト。
※志=「し」の変体仮名の代用文字  
  →国会図書館デジタルコレクションで閲覧可能。45コマ目。
   
平凡社 編 『大辭典 第十六卷』 平凡社 1936(昭11)年 p.16
  (一)人界・天上或は諸佛の淨土。極樂。淨土。善趣。(二)最善の手段を講ずること。
  →国会図書館デジタルコレクションで閲覧可能。14コマ目。
   
【1940年代】
新村出 編 『辭苑』 博文館 1943(昭18)年 p.1209
  機宜に應じてうまく處置すること。

金田一京助 編 『明解國語辭典』 三省堂 1943(昭18)年  p.597
  うまく処置すること。

宮崎靜二 編 『日本語辭典』 研究社 1944(昭19)年 
  zen sho   Taking proper measures,   ~suru,  to manage tactfully

【1950年代】
新村出 編 『広辞苑』 岩波書店 1955(昭30)年 p.1226
  機宜に応じて、うまく処置すること。

金田一京助 監修 『明解国語辞典』 三省堂 1958(昭33)年 p.474
  うまく処置すること

大槻文彦 著 『新言海』 日本書院 1959(昭34)年 p.976
  ①(仏教用語:説明割愛)  最善の方法で処置すること

佐伯梅友, 金田一京助 著 『新撰国語辞典』 小学館 1959(昭34)年 p.472
  つごうよくとりはからうこと

【1960年代】
中山久四郎監修 『言海国語辞典』 言海社 1962(昭37)年 p.401
  よいようにしまつをつけること

西尾実, 岩淵悦太郎 編 『岩波国語辞典』 岩波書店 1963(昭38)年 p.565
  ①適当に処置すること。うまく、かたをつけること ②【善所・善処】 以下略
 


以上のとおり、明治・大正時代には仏教用語として一部の辞書に掲載があるのみです。
昭和になると、仏教用語に加えて「最善を尽くす」に類する意味を載せた辞書がではじめました。

ただ、この時代でもまだ、調べたかぎり小さな辞書には載っていません。
『大言海』は4冊組、『大辭典』は26冊組の大規模辞典で、このレベルになってようやく見つかります。
明治・大正時代に仏教用語として善処の見出し語があったのも、いずれも1000頁を超える辞典でした。

 

(平凡社『大辞典 第十六卷』 より -- 同書は著作権保護期間の切れたパブリックドメインです) 


ところが1940年代に入ると、どういうわけか、「最善」が「うまく」や「機宜に応じて」に変化しています。

以後、現代に至るまで、同じような定義が掲載されているのです。

これがなぜなのかは別にして、問題の「誤訳説」のほうを、もう少し調べます。

 

檜氏の論文には、「機密解除公文書に基づきこの遣り取りの分析に取り組んだ学術研究は管見の限り、信夫(2006, 2012)以外ないように思われる」として、次の参考文献があげられていました。

 

  信夫隆司(2006)「佐藤総理の"善処します"伝説」『政経研究』 43(2): 113-140.日本大学法学会
  信夫隆司(2012)『若泉敬と日米密約:沖縄返還と繊維交渉をめぐる密使外交』日本評論社

これらの資料を参照したところ、「佐藤総理の"善処します"伝説」に、興味深い記述が見つかりました。
会談当時、在アメリカ大使館経済班長を務められた菊地清明氏の言葉です。
以下、一部を抜粋します。強調は、こちらで付しました。

 

この首脳会談の際、佐藤総理がニクソンに繊維問題の解決を約束したかどうかについては、僕も関係者の一人として大分聞かれた。赤谷さんも佐藤総理はニクソン大統領に何と言ったのですかと聞かれて、「いや、僕は、善処しますと総理が言うから、"I will do my best"と訳したんだ」というわけです。赤谷さんとしては、当然でしょう。だから、僕はそれを赤谷さんに直接聞いているから、そういう話をずっとしてきた。
   信夫隆司 著 『政経研究』 43(2)  p. 124~125

 

菊地氏は、「当然でしょう」と言っています。
推測の域を出ませんが、総理が昔の意味で「善処」を使い、赤谷氏と菊地氏も昔の意味で理解していたとすると、一応の筋が通るのではないでしょうか。

 

また、「佐藤総理の"善処します"伝説」には、当時自民党の参議院議員だった石原慎太郎氏の赤谷氏のやり取りも掲載されています。
そこにも「確か、"I understood what you mentioned, so I will make my best effort"とかいったものだった」とあるのです(p. 126)。


こうした関係者の証言に照らすと、やはり「善処」発言そのものは実際にあり、通訳も正しく訳したと考えるほうが自然な感じがします。


たしかに、政治家は、善処という言葉を曖昧に使うのかもしれません。

上述の信夫氏も、次のように書いています。

 

通常、日本の政治家が "善処します" と述べる場合、話は承ったが、実際には、希望通りには行きませんよ、あるいは、何もしませんよ、というニュアンスが含まれる、ということがある。したがって、本来、善処が有している意味、つまり、「物事をうまく処理する」という意味合いからはほど遠い意味で使用されていることになる。
   信夫隆司 著 『政経研究』 43(2)  p. 135


ただし、会談以降に活動した政治家が「通常」このような曖昧な使い方をするからといって、会談当時も同じかどうかは別問題です。
仮に当時も同じだとして、それはあくまで「通常」にすぎず、そうでない場合もあるはずです。

さらに、善処という言葉そのものが、「最善」の意味で国語辞典に掲載されていた時代もありました。

このあたりについて、善処の意味が変化した経緯を含めて、翻訳に絡めながら検討します。


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