いつの間にか・・・
気がついたら年が明けてたのね。気がつかなかったわ。
もはや読み物としてのブログなんてコンセプトはブッチギリの無視で、日常的なことを。
今年は9年ぶりに地元(仮)で過ごした年末年始。去年は2度も身内の不幸が続いたので、そうした理由から実家に行くが、9年ぶりの実家は吐き気が起こる場所と再認識したせいもあってダースベーダー的因縁の敵である実父に回し蹴りを数発見舞わせ、それに薬師丸ひろ子バリに「快感・・・」(例えが古過ぎてわからない人が多かろうよ・・・)とか思いながら実家には数時間の滞在でさっさと撤収、後の数日を友人や親戚宅を訪問(徘徊)して滞在したりして、今の流刑地に戻ってきたら、そこは雪国・・・
・・・じゃなかった、チクショー。寒さだけはしっかりマイナス5度くらいを日々前後していて、水道管凍りかけてたりしているのに、雪なんて全く。あぁ雪降らないかな、そんな風に12月頭からずっと考えていて、同じ研究科にいる新潟娘に「雪満天の生活って良いよね、憧れるよぉ」なんて言ってたら、TVで見た新潟の風景に驚愕。同じく新潟娘である某後輩の『雪で電車に閉じ込められた』話にも驚愕。…雪国暮らしなんてしたことない素人発言デス…男ですが前言撤回デス…(写真はニュースでやってた新潟の写真デス)。
さて、今年2006年は、タスクが盛りだくさん。修士論文に就職試験…これ2つだけど、十分なタスク量だろうな…修士論文の準備で韓国出張も決定してるくらいだし…本当はDrコース進む考えもあったけれど、もう経済的に臨界点突破しすぎてしまったのと、自分の非力さを痛感したこと、あと社会性の無さを更正しなければならないこと(笑)というか働いた方が良いと自分自身に思ったこと、そんな理由で「今」Dr進学することは諦めた。でもまたいつか学問の世界には戻りたい、と思ってる。
さて、そんな今年のテーマは・・・今年は「脱プライド、脱自信過剰」というのを中心に据えて行動していきたい。
自分、常に自信無さげだけど、謙虚だけど(自分で言うことじゃないか笑)、でもどこか自信やプライドを持っているトコがある。影で「負けねぇ」とか「俺はやれる(ハズな)んだ」みたいなの。変に聞こえるかもしれないけれど、そういうプライドや自信の存在で、どこか勝負時に逃げてる自分がいたりもする。そして、その元となっているプライドや自信は、根拠が無いプライドや自信というものが多い。分からないこと、できないことはできないと認知して、その上で挑戦者としての気持ちを持って、修士論文や就職試験にどれだけ挑めるか、そこが勝負になると思う。そうしないと、恐らくどちらも通らない(今居るところは修士論文は通るの難しめな研究科ですし…就職試験も倍率100倍だっけか…)。
さぁ、そんな風なテーマを自分に据えて、今年一年頑張っていきたい・・・
・・・のじゃが・・・そんな中で葛藤の要因となるのが一つある・・・
そう、ドイツ・ワールドカップ・・・
蹴球をこよなく愛しすぎてる私にとって、3度の飯や1度の睡眠より優るもの、それが蹴球。「私とサッカーだったらどっちを取るの?」と誰かに言われた日には考える間もなく即答で「サッカー」と私に答えさせる妖しげな魅力、いや、もはやフェロモン(?)を持つもの、それが蹴球・・・そう、まるで私はお花の蜜(蹴球)に群がる蜜蜂(蹴球ジャンキー)のよう・・・。
「修士論文」や「就職試験」と同列に扱う気すら安易に起こってしまうもの、それが蹴球の世界大会であるワールドカップ・・・その時は6月・・・
・・・6月は・・・「修士論文中間審査」と「就職試験第一次試験」の時期・・・・
私、こういうとき、優先順位が付けられんのよーーーーーー・・・
今年一年、マジで己自身との血生臭い戦いの一年となりそうだ・・・
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本ブログはこれにて、いったんお休みして整理しようと思います。今や、
2つもブログ開いて、mixiまでやってるときた・・・なんか、どちらも似通って
きてて、そのコンセプトもあやふやなので、一度整理しようかと思います。
まぁ・・・最近時間無くて、更新もできてませんってのもあります。
整理つき次第、市町村合併みたいにブログ・mixi合併させる予定です。
恐らく、ここで続けていくので、お時間あったら、たまに尋ねてみてください。
旧記事は整理つくまではそのままにしていく予定です。
今日はエイプリルフール、だったはず。
クリスマス防止法改正法案、提出を指示 小泉澤首相
2005年12月22日21時32分
小泉澤首相は22日、首相官邸で与党新仏教党の政調会長と会談し、民間製クリスマス防止法の改正法案を議員立法で次期通常国会に提出するよう指示した。これを受け、新仏教党は連立与党である新神道党と改正法案の検討を始める予定。
民間製クリスマス防止法(注)が施行されたのは2000年。当時の首相であった夢ヶ森々前首相の「この国は神の国」発言を機に世論でクリスマスの可否について大きな議論となった。仏教国、神道国としての日本でクリスマスはいったい如何なる意味を持つのかという結論無き論点で国会運営が空転。結局、当時「民でしてはならないものは官で」というフレーズで世論の支持を受けて総裁選に当選した小泉澤首相が豪腕な手法でその法案をまとめ、民間製クリスマス防止法案が成立、01年以降は国内におけるクリスマス実施はキリスト教徒のみ認められ、民間によるそれに関連した事業は官主導により事実上禁止されることとなった。
しかし法案成立以降も、民間によるクリスマス事業が行われ、逮捕者が相次いでいる事実や、プレゼントをめぐる男女間の痴話事件、またクリスマス時のホテル閉鎖を強制的に試みる警察当局とそれに強く反対しデモを行うカップルの群集との衝突事件などが後を絶たないことが、首相の指示の背景にあるようだ。
これに関連し、小泉澤首相は同日、「変えるべき点、改善すべき点があるのかを与党で検討してほしい。再発防止のためにね。民間ではやっていけないことを、政府がきちんと管理する、ということです」と記者団に語った。
(痴事通信社 2005-12-22)
(注)民間製クリスマス防止法
2000年の夢ヶ森々前首相の「神の国」発言により、仏教国・神道国日本におけるクリスマス問題が提起され、紆余曲折の結果、2001年に首相となった小泉澤首相が法案通過させた.基本的には、クリスマスはキリスト教の洗礼を受けたもののみが許される行事とし、その他の教徒は原則禁止することとした.違法行為を行った場合は逮捕もあり、罰則懲役20年以上、罰金100万円以上という厳しい法律となった.また民間における関連商業も原則禁止となり、官主導による公共事業の一つとして行われるケースが現在ではほとんどと言える.ただし同防止法により官主導の事業も行われていないのが実態であり、実際関連予算がどのように利用されたかについては不明な点が多く、市民団体からの批判の対象ともなっている.
夫婦というもの。
昔、結婚について、少しだけ記事を書いた 。今日はそれの続きみたいなもの。もいっこのブログであるEpiⅡ的記事でもあるけれど、一般論に近いものなのかな、と思ったのでこっちに書き残したいと思う。
先日の記事では結婚について書いたが、今日書こうとするのは、夫婦について。同じようで、この2つは違う。結婚はその行為自体を指したけれど、今回はそれがずーーーーーーーーーーーっと続いて、その過程や結果を指すから。
この一週間という短い間で、2つの夫婦の姿を見た。2組とも、ともに何十年、夫婦生活をしたものだし、旦那が上、妻が下、そんな上下関係が見られるというところでは、コテコテ昭和の夫婦関係って匂いがする。
でも状況は、それぞれ違った。片方は夫婦の今までとこれから、というものであったし、もう片方は、夫婦の終わり、だった。そこで感じたことをつらつらと書きのこしたいと思う。
・・・・・・・・・・
ある日大学院の同じ研究科の人たちを集めて、お昼に食事会を開くことになった。
その中には60歳くらいの男性がいる。奥さんもいる方だ。銀行員としての仕事をやめられてから、大学院に入られた。でも足を不自由にされて車椅子生活なので移動も簡単じゃない。それで奥さんが毎朝、毎夕、と送り迎えされている。その光景はごくたまにしか見ることはなかったけれど、奥さん、大変なんだろうな、そんなことをふと感じていた。
食事会で、お店選びに困った。バイキングの店か、普通に注文するようなお店にすべきか。自分はその人のこと・・・というよりも、むしろ奥さんのことが気になって、バイキングには反対した。奥さんもせっかく食事会に来られるのに、みんなと話す時間だって欲しいだろうから、一々取りに行かなきゃいけないバイキング形式はやめた方が良いんじゃないかとか。でもその奥さんの了解も出て、結局バイキングになった。
杞憂、だった。考えすぎ、なのかな。奥さんはその男性のために食事を取りに行くことをぜんぜん厭わない感じだった。たまに送り迎えしているとき、控えに立って待ってる姿とか、会って会釈すると笑顔で返してくれるところ。結局、それが奥さんにとって――苦でないかどうかは決しって分からないけれど――それを自分のすべきことなんだと、しっかり受け入れているようだった。
・・・・・・・・・・
ある夫婦が終わった。終わったのとは少し違うかもしれない。夫婦ともに亡くなった、だから終わった、というのが正しい。
その夫婦とは6月末に亡くなった伯母であり、数日前に亡くなった、その伯母の夫である伯父だ。数日前、神奈川へ日帰りで行き、通夜だけ参列してきた。
伯父は私が小さいころから――もう15年も前にもなると思うが――体の調子が良くなかった。目を悪くし、他の体のどこかも悪くしていて、伯母無しでは全く何もできないという状態が長く続いてきた。小さいころ、東京中野の伯母の家に行くたびに見てきた光景は、自分ひとりでは何もできない伯父が、伯母にあれこれ言う光景であり、それに文句一つも言わずに従っていた伯母の姿だった。
伯母は、その後も子供――つまり私の従兄弟に当たる――たちが抱えた問題についても伯母一人で何とかしていった。伯父が何も出来ない以上、伯母がする他なかったというのもあった。ある部分、過保護なところもあったのかもしれない。
伯母が自分の病に気がついたときには、もう時が遅かった。末期癌でも二番目に悪い状態だった。伯母が末期になるまで自覚症状もあっただろうに、長いこと病院にいかなかったこと、これは色々理由があったのだろう。何が本当の理由か、私は分からない。ただ、常に近所に住み、伯母と会っていた私の実父や妹は、その理由は伯父にあった、と言い切っていた。伯父がいなかったら、もっと他の人生もあっただろう――伯父の世話に人生を費やすこともなかったし、他の人生の楽しみを謳歌していたはずだ――といって、伯母の死の直後、二人が別々の場所で、伯父を憎んでいる、と口ずさんだのが忘れられない。
実父や妹の言葉はともかく、伯母は、確かにその半生を伯父に費やしたというのは確かだったと思う。その苦々しい実証なのかもしれない、結局、伯父は伯母が死を迎えて、結局半年という短い期間で体調を崩し、亡くなった。まるで伯母が世話をできなくなったからか。従兄弟が先日の通夜で言ってた。「まるで追ったようだった」
確かに伯母は、半生を費やした結果、かなりのものを失った。伯母が末期癌になるまで病院へ行こうとしなかったのは、そんな急がしさもあったからというのは、事実なんだろう。でも、それに伯母は後悔していたのか、そんな風に私は最後まで思い切ることはできなかった。
あまりに痩せた伯母――なのに、その年を重ねたことで、私の祖母にあまりに似てきたという、どこかに懐かしさも感じさせてしまう姿――に、3年半ぶりに病院で会ったとき、自分が「こうなっちゃってね・・・」と悔しい言葉を発していたのは確かだった。自分も何でこんなに人のために尽くした人間が70で亡くならないといけないのは何でなのか、伯母に会ってから、死んだ後も納得できなかった。
でも、尽くしたこと自体に伯母が後悔の念を抱いていたか、それは直感的だが、大きいものではなかった、そんな風に思える。
病気になるホントに前、私の小さいころ、伯母は、よく「伯父の一族の仏壇に線香をあげて」と、私や私の妹によく言ってた記憶がある。伯母は伯父の両親にそれなりに礼、恩義を感じていたようだった。また、伯母は、確かに優しい人間だった。だから、決して、その家に嫁いだことを後悔している、そんな風には思えなかった。
夫婦になり、それが続くということ、それは自分をどれだけ相手に捧げることが出来るのか、時にそれをお互いがし合え、許せるのか、そこに鍵があるように思えてくる。
・・・・・・・・・・
これからも夫婦生活が続く夫婦、今夫婦生活を終えた夫婦、そうした違いはあるが、同じ人とずっと一緒にいつづける/いつづけたこと、という部分では変わらないし、またそこから見えてくる夫婦というものが続く鍵は、ある程度同じように思える。
先の奥さんであれ、後の伯母であれ、恐らくは自分なりに犠牲になったものもある、そう感じている部分は絶対あると思う。でもそれを軽く超えた、何か自分の決心、それが絆か義務感か分からないけれど、それがあるんだなとも感じる。
夫婦が続く秘訣としては、前のブログの記事でも書いた。「やっぱ、自分の大事にしているものを、自分のことのように大事にしてくれてるってことじゃないかしら。」という別の伯母の言葉は、また違う意味を包含しているように思えた。
相手の抱えるものを、どれだけ自分も一緒に背負っていく決心があるかというところか。
まぁ結婚とは契約だし、契約時点でそれは義務として生じるわけで、かつ離婚すればその契約も、ある程度は無効性を持つのだけれど、その決意ってすごい労力の要るものだとつくづく感じる――私の親はそれを結局貫徹できなかった人間なわけだ――しかもその決意は、人が外から見ているものより、はるかに大きいものなんだということを。それを感じさせる、2つの夫婦の姿だった。
――――――
最後に本当に個人的なことになるが――といえ、上に書いたものも十分個人的だけど…苦笑――自分は、「結婚や夫婦生活」にある「決意の強さ」は、前のブログの記事で触れた別の伯父・伯母にたいして、確かにその「確固たるもの」の存在を感じた。
でも、やっぱそんなのその伯父・伯母の例だけに過ぎない、そんな風に悲観的に冷めてみている自分が確かにいた。でも今回のその男性と奥さんの姿を見て、亡くなった伯父と伯母の一生を振り返って、もっとポジティブに捉えてもいいものなのかな、とか感じれるようになってきつつある。
――――――
今回のいずれの夫婦の姿も、それは非常に「古典的」な夫婦の姿だった。今や、確実に夫婦の関係というのは、昔とは変わった。もちろん変わっていない部分もあるが、その関係は「こうあるべき」というのはだいぶ変わった、と言っていいはずだと思う。2組の夫婦で見た、ここまで「妻」が「夫」に尽くすべき、という形は絶対ではないはずだ。どっちがどっちかを負う、そうでなく、そのときに負うことができる方が負えば良い。生き方の分担のあり方、それは確実に変化したし、その変化の流れは、私も正しいと思っている。
ただ、このことについてはまだ色々な意見があると思う。時代もまた変化する。だから、今回のことで得られたものも、また絶対的なものじゃないんだろう。
いつもと違う風景。
コンビニで買った、暖かいカフェオレを片手に、何もすることなく、
ただただ時間をつぶす、ただそのために街中をふらりとする。
カフェオレの、最後の一口を、顔を上げて、さっと飲み干すとき、
真ん丸のお月様の存在に気づく。
自分の真上には、お月様が真ん丸と居座っている。
そんな真ん丸の月は、別に何も語ることなく、ただきれいに輝いている。
真ん丸の月、それは、もう今月も半分終わっちゃったんだ、ということの印。
その月が、またどこかへ落ちるまで、自分はこの街中で時間を
つぶさなきゃいけない。
そんなことを思ったとき、昔のことを思い出す。
昔、あのつらい夜の仕事をしていたとき、この月が、早く落ちないものか、
そんな風に毎日感じていた。
月が落ちるとき、それが仕事から解放されるサインだったから。
いつもみたいに、自分の天井には、ぜんぜん星なんて光っちゃ、いない。
そこに見えるは、人工的な星、ただそれだけ。
代わりにイルミネーションが、いつもいるあの街並みのには
比べ物のならないくらい、綺麗に光ってる。
いつもの喧騒、そう、夕方に見た、あの人ごみは、まるで虚像だったかのよう。
最近見慣れぬ、あの人ごみ。自分は嫌いだし、やっぱ慣れないのだけど、
「眠らない街」、とこの街の一部を呼ぶにしては、こんな風に人が少ない街は、
なんか寂しく、より普段の虚像さを感じてしまう。
街って、人がたくさんいて、にぎやかで、何もかもがあって、いいのだけれど、
やっぱ裏には寂しさも、しっかりあるんだな、と改めて感じる。
そして結局自分は、街じゃないところが性分に合うんだな、とかも。
12.17.2005 眠らない街の漫画喫茶より。
・・・って、単純に韓国仲間との、久しぶりの再開を楽しんでいたら、電車は逃すわ、バスは逃すわ、挙句に東京で泊まれた友達の家に行く電車まで逃すわ、そんなんで、久しぶりの「漫喫」をしてしまった、ということなんですがね。
まるで、本当に韓国に居たころの生活を思い出す。今朝は睡眠2時間で大学院の同じ研究科の人たちとの食事会の後、指導教授の授業、終わって速攻東京へ繰り出し、途中電車の中で爆睡し、某韓国タウンで待ち合わせするが、珍しく自分が早く来ようものなら、恒例のようにみんなはそれぞれ多少の遅刻し放題(笑)久しぶりにサムギョプサル(豚肉であって俺の腹にあらず)をたらふく食う。でもってチョコチョコ焼酎を…友達、食べ物、飛び交う言葉、周りのお店・・・妙に人との絡みで忙しい一日。そんな「韓国式」を久しぶりに懐かしく感じる。
好きでもあるけれど嫌いでもある韓国。どっちもあって、今は結構その両方が拮抗しあってる、そんな気持ちの状態。愛着、というのも、実はそこまで感じていない。でも、その良さって確かにあるな、とそんなとこを再確認できた今日一日。
でも、もうこんな韓国式の荒れた生活は、絶対したくない(笑)
それにしても西口にある、赤い暖簾のラーメンの屋台。屋台って、とても美味しそうに見える。でも、今までラーメンを屋台で食べたことがない。一度、食べてみたい。実際、みんな美味しそうにラーメンをすすっているから。
この街は、私が今住んでいる町より寒くなかった。やっぱり都内は寒くないんだな。
でも、ホームレスのみんなには、とってもきついこの2日間になるんだろう。街に出て、いつもいる生活と大きな違いを感じるのは、こうした彼らの存在。私は決して彼らの存在をすべて肯定的に受け入れるほどの器量はないし、そうした側の人間でもない。市場主義経済の落とし子、そんな社会問題でもあるけれど、やはり彼ら自身の責任、それはまた確実に大きいと感じるから。ただ、でもこの2日間の厳しくなるという寒さを、無事に乗り越えて、とだけ思う。
・・・・・
今日は、本当に日常的なことだけど、ちょっとなんとなくEpiⅠに書いてみました。
もはや、いったいEpiⅠとⅡって、なんの違いがあるんですかね(苦笑)
もう自己満足街道まっしぐらです。そのうち、EpiⅡに移植します。
PCを買うときに・・・
いまや、PC無き生活なんてありえない、そんな風に思えてしまうようになった。PC、それはコミュニケーションツールとして、情報手に入れるツールとして、自分の仕事のためのツールとして・・・そのほかの色々なツールとして役に立っている。
S社のPCが先月壊れて、修理の見積もりをお願いしたら14万近くと言われた。当然「修理しないで良いです」と即答したわけで、結局新しいPCを買いにいった。
みんながPCを買うとき、この二つの手段を使うと思うだろう。
①電気屋さんに行く。
②ネット注文する。
②は①に比べて安い場合もあり、お手ごろだ。ただし実物が見られない、ショッピングローンが組めない(カード支払いなら別だけど)、補償が①の方が長い、などなどの課題もある。まぁ前者の問題については①で見物して②で買う、そんなやり方もあるかもしれない。
さて自分の場合、①で購入することを決めた。理由はいくつかある。PC使えないので当然ネットも出来ず、また何度もPC屋行って考えてから②で買う状況でもなく、即PCが欲しく、補償やポイントカードを上手に使いたい、そんな理由からだった。
そんな私は先日新宿に向かった。着いた時14時、新宿を離れた時間21時。つまり7時間新宿にいたわけだ。新宿で友達に会ってた?否。新宿で買い物でもしてた?否。7時間すべてPC探しと飯食う時間に費やした。
さて、今日の記事はそこで気がついたPC購入に参考になりそうなことをつらつらと書こうかと。実際、日常のことはEpisodeⅡで書いているので、EpiⅡの記事にもなりそうだが、このまま何もこのEpiⅠに記事を書かないと、このブログも閉鎖の危機を招くので、それだけは勘弁と・・・。まぁ「そんなの当たり前じゃん?」みたいなことばかり書くことになるかもしれないけどさ、いつかしら参考になればと思いまする。
さて、今回新宿で尋ねた電気屋はいたってメジャーなお店---「桜屋」「大カメラ」「淀橋カメラ」の三つ。新宿西口に集う各店舗を狙い撃ちしてやろうと意気込んで行った。ここで下手なことを書いたら風評被害!とかなるのかな(苦笑)でも私個人の感想ということで、あらかじめそこらへんご理解ください、関係者の方々・・・
まず新宿に行く前に、もちろん事前の調べをした。
<疑問> <判断基準>
①メーカーはどこが良いか? × 好み、噂、実際の傾向、予算・・・
②デスクトップ・ノートブックのどちらが良いか?× 自分の利用法、好み、予算・・・
③最低限必要とするスペック × 自分の利用法、予算・・・
それらをまずPCに詳しい友達に当たりまくり、かつPCの雑誌を立ち読みし(買えよ)、実際ネットで各社のHPで写真や情報を得て、ネット上の評価を参考にしていって・・・そうした中で自分の基準も掛け合わせていった。好み、予算、利用法・・・そうしたのを組み合わせた結果、そうしてF社のデスクトップにすることに決めた。
>>>ルール① 候補は3つくらい挙げておくべし.
一応念のため、3つほどの候補を挙げておいた。ネットで得られた情報は、実際の状態---機能、補償、値段…---と違う場合があるからだ。実際、第一候補は三店舗回ったものの、ネットで得られなかったものがあったことで結局、購入案から早速消えてしまった。
>>>ルール② 近隣別系列店舗は必ず回って比較するべし.
さて、3店舗を回る。最近のPC店は横並びなんじゃないか、そんな風に思っていた。もしくは値段が他店舗と異なれば交渉利くのじゃないかと。ところが・・・値段は違うし、配送についての応対も違うし、交渉も店によりけりだし、一緒にやってるキャンペーンや補償制度の質が異なる。これらの違いが、相当店舗間の差を生んでいる、そんな風に思えてくる。実際、今回購入を決めていたPC候補については、桜屋が最も高く(+2万)、大カメラと淀橋カメラが同じ金額だった。
こうなるには理由がある。特に新機種が出てくるペースの速い家電製品にその傾向が強い。評価が日々変わり、かつ出荷台数の変動が激しく、メーカー間の競争が激しいため、値段変動がそのあおりをモロに受けてしまいやすいようだ。
そんなのもあって、結局私が選んだのは「大カメラ」だった。配送料、配送日、値段、キャンペーン、補償・・・などなどの理由があったが、一番大きかったのは、店員という要素だったかと思う。
>>>ルール③ 出来るだけ多くの店員に当たるべし.
ただ回っただけでは駄目だ。なんといっても、お店はお店に並んでいるだけで判断するものじゃない。どんな店員がいるか、それが大きな判断基準になるといってもいい。つまり比較するべきは値段だとか補償だとかも大事なのだけど、一番大事なのは店員の質、といえるのかなと感じたのが今回の大きな学び。
自分は、買い物のとき店員が近寄ってくるのが苦手・・・というか嫌いだ(笑)放っておいて、って思ってるくらいだ。どうせ俺にはわからないし、俺が「これ」って言っても(似)合わないし、一人で考えたいし・・・そんなネガティブ思考がその原因なのだ(笑)
だが、今回ほど話しかけてきてくれ!ヘイ、カモーーーン!!って思ったことはない。で、それぞれのお店に行って、客の数や店舗の広さがもちろんそれぞれ違ったわけだが、三店舗の中でも最も広い淀橋カメラは店員が一度も寄ってこなかった・・・というのも敷地に多くの客が来る割に、店員の数が少ないように感じた。桜屋は店舗が狭いのだが、そのほかの要素(値段、キャンペーンなど)の問題で最初の振り落としの時点で消えていた。そして「大カメラ」が最も店員の接客が積極的だった。
積極的であることが、たとえお店の方針であっても、店員の質はそれぞれ異なる。そこで必要となるのが、出来るだけ多くの店員と話すことだ。そうすることによって、買いたいPC候補の最期の振るい落としが始まる。
ちなみに店員の傾向はこんな感じ。
「聞いたことしか説明しない店員」or「聞いてないことを説明する店員」
「メリットしか説明しない店員」or「メリットとデメリットを説明する店員」
「説明一本な店員」or「面白い小話を挟む店員」
さて、まず行ったら速攻聞かれるのが「どんなPCを購入されるお考えですか」とやってくる。そこで敢えてある店員には「全く決めてない、デスクトップにはするつもりだけど」と答える。ある店員には、PC買い替えの経緯を説明して「別の機種だったらどこが良いですか」と聞く。ある店員には「ここらへんのPCに絞っているのだけど」という。そこである程度の話を聞いていると、大体の傾向が掴めてくる。でも、そこで「考えます」と行って、場を離れる。
次にまた改めて行く。声をかけられると大体の傾向と当初の自分の候補を組み合わせた上で「これか、これで迷ってて」と、すべての店員に言う。そうすると「御用途は、主にどういうことですか」という話になる。カクカクシカジカ説明すると、その用途に合ったものを2つ程度教えてくれる。特にこの用途別で、強いメーカー、弱いメーカーがあるので、そこらへんを考えて、それをきちんと「批評」してくれる店員に当たれるまでがんばるのは大事。
ちなみにデスクトップには、一体型と分離型の二種類がある。そこで一体型と分離型の違いを聞く。特に各社によって、分離型でも個々の箇所だけ代用したりすることができない、という会社もある。そうしたことを明らかにして、一体型が良いか、分離型が良いかも考えてみる。
そうしていくうちに、自分の買いたかった候補の振り落としや店員さんの推薦など、各種条件が重なったものが絞られてくる。そして大体、自分が買いたかったものの同系統と、店員の推薦がほどよく近かったりする。
で、この問題を話す。これが一番大事なんだと私は思う。
「このPCのメリット、あとデメリットを教えてください」と。
この質問、後者の問いの方がかなり店員によって説明が異なる。特にこうした質問をする人が少ないらしい。だから結局あまり説明に出てこない店員が多い。なぜなら、店員はそれまで「これが良いですよ」と進めてきたからこそでもある。
でもそこを説明する人もいる。それを導き出すのが一番大事。結局、どんなパソコンにもよしあしが必ずある。そこが何なのか。結局、PCを使っている間に、どんどんその手の悪い部分が明らかになってくる。メリットも当然聞くが、デメリットをあくまで知った上で購入に踏み切る、それが大事だし、それを正直に言う店員がいるか、それを確信することも大事。こうした店員の発言は、嘘を言ったら罪だけど、何も言わないのは罪じゃないし、そして正直言うのも罪じゃない。だからどれだけそこらへんをはっきり言ってくる店員ってのは、大きな購入で一番大事にした方が良いかなと。
もちろん相手も商売なので、ある程度、相手の発言から差し引いた評価も大事だと思う。高いものを推薦してくるときもある。だから自分の候補を持った上で望んだ方がいいのは、ごく当たり前ですな。
結局、どんな店員会う必要があるかというと、「意外と聞いてないことまで話す店員、これは必要でこれは不要なものですと理由付けしながら品定めを説明してくれる店員、メリットデメリットを話す店員」つまり、正直な店員に会うまで粘れ、ということだす。で、正直が何かというと、それは多くの店員から話を比較する中で明らかになってくるし、彼らの多くの話が一致するのかという点からも、そこらへんが明らかになってくるんだと思う。
あとは細部の詰めってところですよね。補償期間やその種類、キャンペーンの有無などの詳しい話に移っていく。そうして決めたPCがこれ。
価格ドット混むとかで最安値が167000円程度(当時)だったが、それにほどよく近く、色々話した結果、169000円で私は購入。ちなみにほとんどのお店の平均価格は189000円(当時)だったので、かなり良い買い物かと。
ちなみに最後に一つ。
こうした大きな買い物するときには、部屋を綺麗にしときましょう・・・また確かなスペース作りをしておきましょう・・・今や、我が家は戦場です・・・このPCの置き場に困り、かつそれが収まっていた箱の置き場に困り、PCのために買ったデスクをどこに置くかに困っちょります・・・
IQ=intelligence quotient
最近もっぱら日常的なことはEpisodeⅡで書いているのだが、
そうするとこちらの更新がおろそかに。
一個下のシネパラの記事が量があまりに多かったので、それで
当分はお腹一杯、長いのは書けないなと(苦笑)
一応貯めた記事もそこそこしたら更新する予定です。
さて日常的なお話はしないと言った早々、今日は日常のお話。
今日は、IQのお話。昨日テレビでIQを測る番組がやっていた。
クイズ番組とか小さい頃から好きで、幼き頃「はらたいらに3千点!」とか
言っていた時代の生き物です、私は。ちなみに「はらたいらに3千点」の
呼び声の意味は未だ持って理解しておらず。あれって賭ける番組だった
んですかね?・・・それじゃあクイズとはちょっと違いますかね・・・
さて本題のIQ。テレ朝でここ数年、毎年やっている番組。そろそろ飽きが
きてもいいころなんだろうけど、一年に一度だから、体の衰えと脳の衰えが
比例しているか、自分で自ら人体実験できる、ってもんで、今回で3回目の
挑戦だった。
また自分の思考回路のどの部分が強いのか、そんなんも知ることが出来るし、
自分の可能性を信じたい(自己不信の塊のような自分なので、その裏返しか)
という、愚かな心から試してみたい、そんな理由もあっての3回目の挑戦だった。
さて、結果はこんな感じ。
分析能力 13/15 空間認識能力 15/15
論理力 9/15 想像力 13/15
↓ ↓
左脳分野 右脳分野
(論理的) (感情的)
記憶力 7/10
判断力 8/10 計65点
結局IQは、119だった。
その時々で環境が違うからIQ信用ならないよ、って声もあるかもしれない
けれど、IQ受けるの、これで3回目で、その3度いずれも同じような点数
なので、結構信用できるデータになりつつあると思う。
その3度の点数だけど、一回目が116か117、二回目が118だったので、
年齢と共に順調(?)に進化、それもかなり地道で遅い速度で進化して
いるってことなのかな??(笑)ってことで、来年は目指せ120!です。
ちなみに120になると、日本で上位10%に入るらしい・・・
でも119と120って、数字以上に実際はその差が大きそうだなぁ・・・。
にしても、空間認識能力がずばぬけてるなと我ながら関心。
どおりで道に迷うことが無い訳だ。「歩くナビ」って呼ばれて(自称)早8年。
でも宝の持ち腐れです・・・。
ただ、この空間認識能力、18の頃とは比べ物にならないくらい伸びた。
実は高校卒業後、ある仕事をしたかったため、国家試験を2度受けて、
2度とも落ちたんだけれど(苦笑)、その試験でもっとも大事となる部分が
この空間認識能力と暗記力だった。まぁ暗記力は相変わらず、伸びが
無いのだけど(笑)、空間認識能力は当時はヒドイものだった。試験で
意味不明でパニック起こしていた記憶がある。それに比べれば、
この能力ついたなぁと思う今日この頃。能力って、伸びるものなんだね。
良い意味での驚きです。
話を戻しましょう。
分析能力と論理力が右脳力を、空間認識能力と想像力が左脳力を
表しているようなんだけれど、若干どちらもどっこいどっこいだが、ふむ、
どちらかと言ったら右脳派な人間なんだね。自分は左利きで、
左利き=右脳を使う
っていうお話も、やっぱどこか影響しているのかな??また左利きなのに、
力が入るのも右手・右足だってのも、どこか左脳の育成に役にたってるって
ところなのかな。だからか分析能力は少しだけ高くなってる。
にしても意外だったのが、論理力に欠けているところ。自分ってそこが
強いのかなって思ったのに、それはそれでショックだった。
さらに意外だったのが、「適職」について。
今回のIQでは「適職」も調べられるってものだったのだ。
今回の結果、出てきた私の脳みその「性格」がこれ↓
『勘が鋭く、直感的に物事を捉えることが出来ます。
また想像力に富み、感受性豊かな表現力を備えています。』
?????・・・ぜ、絶対嘘だ・・・
実父の職業(建築・インテリア)を根から否定したのは、俺に
こうした能力=創造性が無いと自覚していたからなんだけど・・・
『人と接することが好きで、特に人との関わりの中で、自分の能力を
発揮して行くことを得意とします。』
?????・・・ぜ、絶対、またまた嘘だ・・・
人と接することが苦手なんすけど・・・
・・・で、信じられない中、「私に合う仕事」一覧として出てきたのが
これ↓
『従って、あなたに向いている職業は…
ミュージシャン、映画監督、プロデューサー、デザイナー、
お笑い芸人、介護士、保育士、カウンセラー、スタイリスト 』
・・・撃沈。めちゃめちゃクリエイティブな仕事ばかりじゃないですか(笑
サークル時代の友達に「NSC(吉本新喜劇の学校で、どんな馬鹿でも
受かるという伝説の学校)、来年受けようかな」って言ったら(もちろん
冗談でですよ)、その友達が失笑のごとく笑って、「お前には無理だ」って
言われたのに・・・そんな俺の適職が「お笑い芸人」ですか(笑)
だいたい人前苦手、口下手なのに(泣)
大学院なんて、さっさと退院=やめて、めざせ、アンタッチャブル、
そんな日々をはじめるしかないですか、こりゃ。
ってか、その前に相方見つけへんとあかんかぁ・・・
・・・・・
さて、目指すか悩み中のお仕事との適合性はいかがなもんなんでしょう。
外交官向けなのは左脳派で、かつ人と接するのが好きというタイプの人、
研究者も論理的で捉える左脳派と感情的にoutputする右脳派の混合型で、
かつ人より物に接しているタイプが適しているとのこと・・・
典型的右脳派の俺には、共に全く合ってない、ということですね・・・
・・・・・
とまぁ、色々と自分のことについて書いてしまったが、IQとは知能指数と
いえど、自分の「どの部分が強いのか、どこで勝負することが出来るのか」
っていう意味で、IQの数字が全てでないってもの。
そういう意味で、単純にIQを知るだけでなく、自分の知らない部分を知る、
そんな感動もあって、とっても面白かった。また、単なるクイズとして
楽しむってもありなものかなと思った。まぁ2時間半、ずっと集中して
試験受けるのは、どんな試験よりも、面倒でつらいかもしれないけど(笑)
ちなみにIQには年収も性別もほぼ関係ないらしい。去年だったか、
東大生と医者がずば抜けたIQはじき出してて、さすがに彼らは別物
なのかとは感じたが、同学校出身のホリエモンだって、IQ98だった。
やっぱIQって判断が難しい数字だねぇ。
(ちなみに、どうも地域格差は多少あるらしい。)
・・・・・
ちなみにEQも測ってみたいものである。
EQ、そうつまりerotic quotient、つまりエロ指数。
私は無駄に高そうな自信があります。目指せ200です。
またIQとEQは関連するのか、たとえば研究者向きな人は
「変体」か「変態」が多いとよく耳にします(何となく聞く)。
その関連性とか知りたいと・・・本気で思ってる訳じゃないけど、
少し気になる。
ってか、EQってどうやって測るねんって。
いつか、深夜番組でやりそうなネタではありますけど。
去った場所 帰ってくる場所
映画な生活⑥
--------帰る場所って、何だろう。
Nuovo Cinema Paradiso
~ノスタルジア、そして色々なかたちの愛の詰まった映画~
・・・・・・・・・・
みなさんにも、お気に入りのもの、ってありますよね。服であれ、本であれ、アクセなどの小物であれ・・・それはそれで何度も使ったり読んだりしても、大事にしたいと思うはずです。
・・・
もうだいぶ前のことになりますが、江戸川区の妹分Kが深夜TVの映画枠で放送されていたある映画を見て良かった良かったと騒いでいたので、その映画について書こうかと。以前社会派の映画3作の感想を書くと書いたのですが、書くまでも無い凡作でしたのでそれは中止。今日書かんとするのは、ずっと書くのをためらっていた映画『Nuovo Cinema Paradiso』、邦題ニューシネマパラダイスです。
監督ジュゼッペ・トルナトーレ(1989 イタリア)
この映画との出会いは11、12歳の頃でした。家でテレビを見ていた時のCM・・・主人公が、オリーブ畑に切り開かれたゴツゴツとした道を、自転車乗ってくるシーン・・・そしてその音楽・・・CMに見入ったことを今でもよく覚えてます。ただ、まだ自由には映画館まで見にいくことも出来なかったお年頃(当時はシネコンなんて無かったし、映画見たらカネが無くなった頃だった)。結局見にいくことなく、その後10年間、その映画に触れることはありませんでした。
でも音楽だけは妙に耳に残っていました。何故か。分かりません。とにかくその奏でだけは覚えていました。本当にCMを通した、たった数秒だけ聞いた曲だったのに、何故か忘れることなく覚えていたのです。みなさんも、何となく聞いても忘れる事なく覚えている曲ってありませんか?とにかく、CMで出会ってからおおよそ10年後、ビデオ屋でアルバイトをしていた20の頃、ようやく本作を手にとることになったのです。
あらすじ
さて、まずいつも通りこの映画のストーリーを少し追ってみたいと思います。ネタバレを含むので、もし見て無い方や、見る予定の方、知りたく無い方がいらっしゃたら、本作を見てから、こちらを読んでくれると幸いです。
・・・・・
ある日の晴れたシチリア。とある家の白壁の窓から眺める青い海。
その家の窓辺で、母は息子に電話をしようとします。しかしその息子の姉は躊躇います。「かけてもムダだわ、忙しいのよ、もう忘れてしまったわ・・・30年も帰ってこないのよ・・・」と。母親がどうしてもかけたかったその電話とは、息子に縁のある人の訃報の伝えでした。
結局、母から息子へ直接それは伝えられることなく、人伝いで伝わることとなります。その息子「トト」は今や映画界の寵児。彼はその訃報を聞き、ベッドに横たわりながら、静かに思い出します・・・30年も帰ってないシチリアの原風景・・・“あの”映画館のこと・・・縁のある人「アルフレード」のことを・・・そしてトトはある決心をします。そんな彼を待っていたのは・・・
・・・・・
この映画は、私は20数回以上今まで見てきました。映画館で見ること4回、その他、韓国で韓国語字幕(もちろん台詞はALLイタリア語・・・笑)のVCDで見ること10回あまり、その後、DVDも手にいれたことでくり返し見ることも10回あまり・・・人に勧めては一緒に見るなど、周りへの「勝手」な宣伝活動も忘れなかったせいで、こんなに見たんでしょうかね(笑)おかげで、劇中の映画館での風景のように、私もこの映画の台詞をほとんど覚えています。もう自分も一出演者になったかのように。
さて、映画のことについて触れましょう。
映画館という空間~ビデオ,TV,シネコンの時代~
トトとアルフレードが過ごしていたシチリアのある町。1930~40年代という当時はテレビなんて無い時代。庶民の唯一の娯楽は、映画館で見る映画でした。映画館、そこは自由な場所・・・。自由に喜怒哀楽を感じ、自由にそれを発露する、色々苦笑してしまうこともありますが、本当にそこは何もが許された場所。そう、ごく普通の生活の営みの一部の場所だったのでしょう。例え、台詞を記憶するほどでも同じ映画を何度も見てしまう、それほど人々を飽きさせない場所でした。
時に、二人がともに過ごしたころは戦争が悪化し、暗い世相になっていく最中でもありました。新聞などのメディアが発達しきっていなかった頃でもあり、ニュースの役割も果たした映画は、そのまま世相を反映させてゆきました。
でも、それでも、そういうときだからこそ、みなは映画館に安らぎと笑いを求めっていったともいえました。そんな光景から、皆の映画館に対する愛が溢れています。
そうした光景をこの映画で見ていて、こんな映画館、まるで夢のようだ、と感じさせられます。日本の映画館は海外の映画館に比べて厳粛そのものといえるもの。そこでは笑い声一つすら憚られる空気すらあります(最近は少しばかり変わりつつありますが)。ただ、それも、マナーという観点から当然のこと。
でも、トトやアルフレードがともに過ごしたあの映画館の光景もまた、映画館の一つの「あるべき姿」なのかとも感じます。
最近の映画館事情は、どこへ行けど小さな映画館は閉鎖に追い込まれ、シネコン -つまり劇場・ショッピングモールなどの複合型施設の台頭が始まって久しいものとなりました。そうしたシネコン型の映画館に共通したこと、それは利便性とともに「画一化」と「秩序化」です(独特な映画館もまだ確かに残っていますが、以前ほどの勢いは無いと捉えて良いでしょう)。
映画館の雰囲気、それはどこの映画館にいけど同じもの。もちろんそれぞれの映画館に固有のキャラクターのデザインがなされ、ココロをウキウキ(死語)させるものはあります。カッコいい、それもまたあることでしょう。
でも、二つ無くしてしまったものがあるようにも思えます。一つが「“その”映画館だけが持つ、固有の雰囲気」です。そしてもう一つが、「少しばかりの自由さ」と言えるのでしょうか。
前者が欠けたことは、「あの」映画館に行きたい、という気持ちを失ったことと等しくしました。シネコンの隆盛に見られるような社会の画一化はまた、グローバル化の意味の一端でもあり、かつシネコン大手=アメリカ企業であることも考えたら、それは当たり前の流れなのでしょう。でもそれは、もはや本作で見たような空間は存在しない、そういう寂しさを感じさせる現実に思えます。
後者が欠けたことには、おそらくは、そうした背景に良くも悪くも、コミュニティーという共同性(体)のあり方や家庭のあり方の変化、そして個人主義の流れというものが事実としてあるのでしょう。コミュニティーの喪失や個人主義の台頭は、やや逆説的なことと感じるかもしれませんが、ある程度の秩序化を必要としました。
そう、自由に人々が楽しむこと・・・こんなごく当たり前のことって、意外と難しいこと、またその大切さを知る機会がないものこと、そのことを感じるエピソードが、この映画にはちりばめられているのです。
シネコンの利便性は良いことと思いますが、また小さな映画館の雰囲気の良いこと、良いこと・・・たまにそうした小さな映画館で映画と映画館の空気を楽しんだり、自分だけのこだわりがある映画館を持つということもとても良いですよ。
自分は一度行った限りですが、好きになった映画館の一つに、横浜・黄金町にある横浜日劇があります。昔、探偵濱マイクシリーズという永瀬正敏が主演した映画(知ってる人おるかな・・・)で舞台となった映画館です。あるとき、昔見たある映画を見に行きたくなった際、日劇で再上映されているのを知り、わざわざ埼玉から行ったことがあります。
でも、今日こうしてこの記事を書きながら『そういえば最近横浜日劇では何が上映しているのかな』と思い、ふとネットで検索したところ、横浜日劇は、今年の春に閉館してたのです・・・もう「日劇があります」ではなくて、「日劇がありました」が正しくなってしまったのです・・・
時代の変化は、確かに酷な側面も持っています。本作中では、次第に映画館の時代はテレビやビデオに取って替わったため、あのトトとアルフレードの思い出の場所は、活気を失い、そして消えることとなりました・・・
・・・変わるということ・・・
横浜日劇の閉館は、まるでトトが「二度」シチリアに帰ってきたときに感じたことの一端を、私に少し理解させてくれる、そんな奇遇で現実的な出来事でした。
変わるもの,変わらないもの
繰り返すことになりますが、時代が変わることで場所が変わること、そして人もまた変化を起こしていくこと・・・それをこの映画は残酷なくらいに見せつけます。手の届きそうで実際届いたりする理想、そして悲惨なくらい見せ付けられる現実、そうした現実と比較してしまう「過去」という「ノスタルジア(郷愁)」・・・。
それは本作の主題である「映画館」だけでなく、人が住む「場所」「もの」、そして「人」そのもの、それら全てに対する冷酷な実世界の姿です。
この映画だけでなく、「マレーナ」や「海の上のピアニスト」など、近年のトルナトーレの作品に共通する隠れたテーマは、そういう両極にあるもの、「理想(夢)」と「現実」という二つのコントラスト、その葛藤を描くことなのかもしれません。
時代と環境、人の変化のコントラストを最も指し示す本作の一大クライマックスともいえたシーンは2つあります。もちろん、ラストの部分であることは当然ですが、それとともに、兵役を終え、「原風景が失われた」シチリアに戻ったトトにアルフレードが語りかけるシーンがそれです。
アルフレードはトトに投げ掛け、突き放します。
アルフレード
「村を出ろ。ここは邪悪の地だ。ここにいると自分が世界の中心だと感じる。何もかも不変だと感じるだが、ここを出て二年もすると何もかも変わってる。頼りの糸が切れる。会いたい人も皆いなくなってしまう。一度村を出たらしばらく帰るな。年月を経て帰郷すれば、友達や懐かしい土地に再会できる。今のお前には無理だ。お前は私よりも盲目だ。」
トト
「誰の台詞? クーパー? ジェームズ・スチュワート? ヘンリー・フォンダ?」
アルフレード
「誰の台詞でもない。・・・私の言葉だ。人生はお前が観てきた映画とは違う・・・人生はもっと困難なものだ。」
そのように、アルフレードが「父親」とも「真の友(親友)」とも言えるような姿でトトに言葉を浴びせたのち、ひとり、トトがシチリアを離れていくことになります・・・。
列車に乗って新天地へ向かおうとするトトに、寂しい駅のホームでアルフレードは念を押します。
アルフレード
「郷愁(ノスタルジア)にまどわされるな。・・・・・自分のすることを愛せ。子供の頃映写室を愛したように。」
それが二人にとって、交わした最後の会話となりました。
30年後に、トトがシチリアに戻ってきたとき、飛行機、高速道路、亡くなったアルフレード、そして無くなった思い出の場所、年月とともに顔つきの変わった馴染みある人々、その人々のトトの呼び方----全てが変わった訳でもなく、まったく変わっていない存在もありつつ-----という、30年前とはまったく違う光景が彼を迎え、それを目にしながらというものとなりました。
場所は変化します。それを取り囲む環境も変化します。それが相互関係を持っています。そして、当然そこに住む人々も変わります。その人間関係、仕事、若さ、そして人やモノに対する愛情・・・
そんな、時に冷酷な「変化」という現実と向き合う方法が「王女と兵士のエピソード」の、あの「兵士」がとった行動に秘められている、決してアルフレードが教えてくれなかったエピソードの意味は、そんな風なところにあったように私は思えます。みなさんはいかがでしょうか。
去った場所
ところで、トトがシチリアを去る一連のシーンで思い出したことがありました。とても私個人のことになりますが、実父に言われてきた言葉です。
私は物心ついたころ・・・幼稚園以降は4年以上同じ場所に住んだことがありません。つまり多くて3年を契機に、引越しまくってきた生活を常にしてきました。その理由は、純粋に引越しの必要性が生まれたこともありましたが、親が離婚したり、親が地元から出ていく、親が海外に『逃亡』し自分自身は日本に残る、親が同じところに長く住もうとは「意図的にしない」・・・そういったことが理由でした。そんな親に、高校のころ、正直に言った記憶があります。「同じところにずっといたことがない。幼馴染というのもいない。地元が欲しい。帰ってくる場所がほしい。」と。なぜそんな話になったんでしょうね(笑)全くそれが思い出せないのですが、やはり引越しばかりしていると、子どもって結構難しくなるって聞いたことがあります。そういうのもあったのですかね(笑)いずれにしてもそういうことを発した私に対し、父はこのようなことを言いました。
「同じところにいつづけようとなんてするな。
色々なところに出て行け。広い世界を知れ。」
・・・・・
帰ってくる場所~この映画が持つ意味~
そして、今自分が居る場所。自分が立つ場所。自分が動く場所。付き合う人、友人・・・そうして自分自身を広げた時に、自分のしたいことを見つけ、そして自分のしたいことを愛することが出来ることは、その愛することに対する可能性を無限に拡げるもののような気がします。
ある人は、この映画を見て「映画のための映画も事実だが、そうというよりは、映画というものに対するアンチテーゼだ」と書きました。私はそうは思いません。友人であり、師弟であり、父子のようでもあり、そして同僚でもあり・・・そんな二人の姿を追ったこの映画は、事実映画のための映画であったことは事実です。
でも、いや、もう少し正確に書くならば、アルフレードがトトに言ったことが普遍的なことであったように、この映画は、映画のための映画という性格とともに、ごく自然な人間のための映画を兼ね備えているのかなとも思えます。
実は、この映画の文脈からすれば、ある一つの条件を除けば、トトは最終的に映画を作る人間として成功する必要はありませんでした。他の仕事でも良かったわけです。それよりも、何が大事なのか、それはアルフレードが言ったとおり、とにかく世界に出て、そこで自分のすることを愛すること。彼は確かにそれを実践していくわけですが、その「すること」がたまたま「映画」という場所となったわけです。
ただ「ある一つの条件」、つまりラストシーンは、彼が映画を作る人間だったからこそ、成しえたラストシーンだったのは事実で、それがまたこの映画の一名シーンとなっている訳なんですが(笑)その文脈からすれば、トトが映画人として成功したのは、このラストシーンの為だけであったと言えるのかなと思えます。
さて、トトは去った場所はあるものの、帰ってくる場所は決して見つけたとはいえない終わり方でした。それはどこに居続けるか、という意味からも、また誰と共にいようとするのか、という意味からも、決して彼の「定住地」の存在は否定されたように思えます。
確かに彼は「シアター」という一つの空間に一つの定住地を見つけた、そんな見方も可能かもしれません。でも、もう彼には、シネマ・パラダイスのような、そんな「特別」の居場所となるようなシアターは、もうありません。おそらくこれからも彼は定住地を見つけられないでしょうし、見つけることもしないのでしょう。それはある真理を表しているように思えます。
足を広げて、世界を知ったようで、よりどれだけ拡げて、そしてまたもっと知ったようでいても、実はまだまだ知らないんだ。そこに可能性が埋まっているんだ。
そんな真理は、本作の重要なところの一つだったように感じます。
映画と音楽の融合,その一完成形
この映画の主役ともいえるもう一つの存在は、音楽だということは言うまでもありません。その音楽を一手に担ったのが、その後のトルナトーレ映画(「海の上のピアニスト」「マレーナ」)でも音楽を担い、また本作以前から「アンタッチャブル」などで映画音楽の巨匠として知られるエンニオ・モリコーネでした。そんな彼は可能な限り、映画の音楽をシナリオ段階から映画制作者とともに考えていきたいという思考が強い人のようです。
「ハリウッドのしきたりと異なり、彼はオーケストレーターは使わず、
ミキシングも自分で監修する。そして出来ることならシナリオの
段階から参加したいと願っている。」
(ENNIO MORRICONE in Japan 2004 パンフレットより)
続けて『その具体例が「マレーナ」であった』とパンフレットには書いてありましたが、恐らくは本作も出来る限り、そう努めた部分があったのでしょう。そうでなければ、こんな傑作は出来ない!映画の風景、そのときどきの心情・・・まるで音楽そのものすら台詞のように、強い印象を与えます。そうして本作では、モリコーネの音楽が主役の一つとなっているのです。
でも当然音楽が主役になっても、映画のストーリーと役者の演技は、それを超えたものであったことは確かです。そうして、音楽とストーリー/台詞、演技の三つがハーモナイズされることで、この映画は完成を見たのでした。
なお、モリコーネは去年初来日。今年も来日し、大阪とともに、東京では東京国際フォーラムで再演しました。・・・行けなかったことは先日報告したとおりです・・・(嗚咽)まぁ代わりに純一郎君が行ってくれたわけですが・・・(嗚咽Ⅱ)
モリコーネ様、来年お会いしましょう at 東京国際フォーラムHall A・・・いや、もう少し良い音響施設のところで(笑)
しねぱら・とりびあ
結構知られたことでもありますが、一つだけトリビア的なことを。劇中に本作の監督トルナトーレが出てくるシーンがあります。それもしっかり映ってるんですよね、2カットも。さてそれはどこでしょうか。
ちなみに、彼は若干33歳で本作を作り上げました。その若さで人生について、広い語りが出来る、こういう事実からも人間の可能性って無限だなと、つくづく感じたりします。
この映画は★★★★★満点って思うわけです。
数多くの名言とも言える台詞・・・上に挙げてきたものに加えて、あの教室での「5×5は?」(答えについては本編にて)のやり取りも含め(笑)、そして忘れられない音楽、シチリアの風景・・・そんな数多くの優れた要素によって、完成された「みんなのための映画」なのです。
・・・・・
なお、本作品は劇場公開版と完全版があります。私を含めたこの映画好き連中の中でも、このふたつのどちらが良いか、その論争(笑)は続いています。どちらかというと劇場公開版が評価が高いのでしょうか。そういう私もどちらかというと劇場公開版が好きでした。でも最近完全版を改めて見て(3度目)、こういうのもアリなのかなと思うようになりました。具体的にどうこうはここでは書きませんが、みなさんも是非見比べてみると面白いかと思います。どちらかを見て、その後にもう一方を見た場合、「あぁ、見なきゃ良かった」、そう思うこともあるかもしれません。実は多いにその可能性はあります。実際、そうした声も多かったのです。でも、そうした見方や感想は、年齢だったり、見たときの心境だったり、そういったもので、かなり変化するものなんだな、そう最近完全版を見た際に思え、完全版も一つの映画として好きになりつつあります。
モリコーネ映画は「理想」と「現実」のコントラスト、葛藤を描く、そういうのが一つの根底となっていると既に書きましたが、そうしたモリコーネ映画が抱える葛藤は、この劇場公開版と完全版という、一つの映画を元にした「ふたつの映画」にも、如実に現れています。こうした面白みもまた、モリコーネ映画の醍醐味といえるのでしょう。
みなさんも是非「一つの作品」から生まれた「二作品」を見比べてみてください。
☆☆☆おまけ☆☆☆
自分なりのシネマ・パラダイス“で”見よう
ちなみに、本作はやはり映画館で見るべき映画。そして映画館でこそ見られるべき映画。そうでなくとも大画面で・・・例えばプロジェクターとか使って、とにかく「スクリーンで見るべき」映画なのは確かです。まるで、夏にトトが野外で映画を上映したかのように。そしてみんなに見られるようにすべきなのです、アルフレードが「あの運命の日」映画を見れないみんなに対して映画を見せたように。
そういう意味で、たまに映画館で本作を上映してくれるということは、格別の楽しみ、幸せなことと思います。自分自身にとって。そして、みんなにとっても。単発で本作を上映している映画館は多数ありますが、不定期とはいえ、1年もしくは2年には確実に1週間ほど上映しつづけてくれる映画館が一つあります(私が3ヶ月くらいかけて雑誌「ぴあ」からインターネットから総動員して調べた限りですが)。それは高田馬場にある「早稲田松竹」。JR高田馬場駅を降り、早稲田方面に歩いていくと、向かって右手にある小さな映画館です。
私はその上映を知ったとき、とても嬉しかったこと、嬉しかったこと。一度目は本作と「マレーナ(同監督)」の二本立て。二度目は本作と「ビッグ・フィッシュ(ティム・バートン作品)」の二本立てでした。本作品上映時に限らず、いつも二本立ての映画館なのでお得ですが、とにかく小さくて、それこそまるで「あの映画館」のよう。みんなが本作のように、自由に笑え、泣ける。そんな自由な空間になってます。いや、むしろこの映画が、映画館にそんな雰囲気を呼び込んでいるのかもしれません。本作を見たことある方、無い方、いずれにしても、是非一度、本作をスクリーンで見てください!
ちなみに、二度目見に行ったときは本作より「ビッグ・フィッシュ」に大泣き!(笑)でもやっぱティム・バートンも、トルナトーレのように、みんなの「笑いのツボ」と「良い意味」での涙腺知ってるんだよなぁ。それもお薦めです。
・・・・・
はぁ・・・結局、こんなに書いてしまった・・・そう、書くのを躊躇っていたのは、書き始めると、自分の腕が止まることなく書き続けてしまいそうだったから・・・実に製作日数「3ヶ月」かかりました・・・それが一番、この映画に関する記事を「書かまい」としていた理由(苦笑)
みんな、こんなに熱中する自分に引かないでください、それが唯一のお願いです(笑)でも、とにかく本記事を、ここまで読んでくれたあなたに心から感謝します。どこまで良い文章になったか、何か伝わったり、読んでくれた人に残るものがあったかは分かりませんが、がんばりました(笑)まぁ、とにかく何が伝えたかったって、二言で言えば、「自分はこの映画が好きだ」ということと、「みんなにも見てほしい」、そんなごく単純なことなんです。
見たこと無い方は、これを読んで見たくなったら嬉しい限りです。
見た人も、これを読んでまた見たくなったら、嬉しい限りです。
Fin
売れない芸人風生活の果てに
ついにPCが壊れた。下斜め35°あたりから見るとボンヤリ画面が読み取れる、そんな状況である。もはや買い替えの時期なのか。そんな悩みを抱えながら、東京まで行き、東京滞在一時間という、あまりに無意味な上京に、どこか悶々としつつ、PCを修理に出した。10日後くらいするとPCの修理見積りがやってくるという。5万くらいいくのかな。5万いったら、もう新PCを購入することにしている。何にしようかな♪なんて軽口叩きたいものだが、実際問題、それ以外の支出に支障を来たすのは避けられない。あぁ、あれも、これも、それも、どれも、俺の手から遠のいていくぅ・・・これもそれもSony Timerという伝説の生き物のせい。そいつに出会って衝撃を受けた私は、次のPCはいよいよSonyから脱するべきなのだろうか。
PCがクラッシュした影響は、社会というにはあまりに狭い、私の家という狭いコミュニティに大きな影響を与えたようだ。Blogはあまり更新ができない状態になったのは言うまでもなく、その他には、レポートができないわ、インターネットはすべて携帯で解決しようとしてパケット通信料の膨大増加は避けられないわ、その他もろもろ、ここには書けること書けないこと(?笑)など、いろいろと散々である。
ただ唯一よかったことと言ったら、それは勉強する時間が増えたというところか。とにかく本読んで、カリカリとペンがすすむ(この日本語の表現、正しいのか?)。それだけがPC故障の唯一の希望のようだ。何か自己矛盾も孕んでいるような気もするけれど。
まぁそういうわけで、溜まるに溜まっている記事は、当面更新できない見込みだ。映画、漫画、政治、などなど・・・でもPC修理の見込みも合わせて、今月末をメドに書き上げてみたい・・・。
さて今日は、そんな私の近況報告をしてみたい。振り返ってみると、最近のここ15日間、それなりに忙しく過ごしていたと感じる。その移動距離を見ていると、特に10月下旬は、それこそ、ずっと仕事なかったけれど、急に地方営業が、それもまた微妙な数が入った、売れない芸人の姿のようだ。
ざっと、ここ最近の自分を振り返ってみよう。
・・・・・
10月 Home:茨城の片田舎
20日・木 午後 埼玉 後輩と飲み 埼玉泊
21日・金 一日 埼玉 大学訪問 夜茨城戻るとPCクラッシュして、慟哭其の一
22日・土 一日 茨城 集中授業(10:00~18:00)
23日・日 一日 茨城 集中授業(同上)
24日・月 一日 茨城 寝る
25日・火 午前 茨城 演習その他授業 午後 神奈川へ 神奈川泊
26日・水 一日 愛知 日帰り弾丸ツアー 神奈川泊
27日・木 一日 新宿 姉へのプレゼントで新宿を駆けずり回る 夜茨城戻る
28日・金 午後 茨城 キレの欠けた恩師の授業でウトウト
29日・土 午後 都内 恵比寿で姉の結婚祝いパーチー 夜終電で茨城戻る
30日・日 一日 茨城 掃除・洗濯で一日費やす
31日・月 一日 茨城 寝る
11月
01日・火 午後 茨城 授業・授業・授業・・・
02日・水 午後 茨城 学会業務とラケルのオムライスに尽きた一日
03日・木 一日 茨城 前日からの腰痛で眠れず、ベッドの上で過ごした一日
04日・金 午後 茨城 授業 20時東京駅PC修理申込 滞在1時間で茨城へ
05日・土 一日 茨城 集中授業(10:00~18:00) 腰の痛みに慟哭其の二
06日・日 一日 茨城 集中授業(同上)外交の議論に萌え。先生に進路相談
・・・・・
10月末は忙しかった分、寝てる日もなかなか多いようだ・・・10月20から23日まで、26日、11月については後日書くこととして、まず今日は29日から31日のことについて書いてみたい。
先日の記事で書いた姉のお祝いは、上の店で開いた。高そうできれいなお店も意見に出たけれど、庶民派の姉とバス男だからこそ、ここがよいかなと(俺も庶民派だけどね)。またプレゼントで相当予算食ったのも実際にはあったりして(笑)低予算でも北京ダックが食べられるお店を探すに探してきた。そしたら、どこぞの鬼面をかぶったようで本当は優しい人(maybe)である某御方がこのお店を教えてくれて、ここに辿り着いた訳だ。
確かに安いが、味は良い。それは確かだ(というほど、中華に精通してる訳でもないんだけど)。まぁ自分自身幹事で、電話しにいったり恵比寿の駅に迎えにいったりなど、あまり味を楽しむ時間も無かったっていうのが本当のところだった(笑)
でもメデタク結婚した二人の姿が見られれば、それだけで良い。
素直にそう思える。
次のお祝いは、誰かの結婚祝いか、はたまた、誰かの出産・御懐妊祝いかなぁ。
ちっちきちー
さて、埼玉、茨城、神奈川、愛知、神奈川、茨城、東京、茨城・・・と約10日の間に茨城の片田舎から外出し放題、行ったりきたりした私は、あることを忘れていた。でもまぁ、実際はごく日常的に忘れやすいものでもあるのだが・・・そう、お・へ・やの管理が適当にも程があるという状態に成り果てたのである。
た、たいした汚染度ではないが・・・無いと言いたいが、年のため写真を撮ったものの、プライバシーと私の面子の問題もあるので、一応モザイクを掛けてみた。どうだろう。まぁ、地上というか『下の世界』=床が見えるのが分かるだけにまだまだ綺麗な方かもしれん(他人を見ても自分の経験上からも)。でもこの家に引っ越して以来という限りにおいては・・・一番汚染度Max・・・それはまるで売れない芸人生活の果てのようでもあった。
そんな事実に気がついた私が何もかもが終わった途端、焦って大掃除をし始めたのは言うまでもない・・・。
あ、今はキレイキレイですよ、たぶん。たしか。おそらくは。
たぶん、つづきまする。
愛 地球博
今から、ちょっくら愛知まで行ってきます。
もちろん、きりぞー?きりっこ?ともりぞー?もりっこ?に
会いに行くためである。
当然、愛 地球博は終了しているので、跡地を見にいくのであるが・・・
あ、もちろん、本当の理由は別ですよ。
まぁともかく、そのうちそのことについても報告します。
ご報告。
私、結婚します。
皆さんには全然お伝えしていませんでしたし、このような場を使うことは決して良いことと思いませんが、後日改めてきちんとした形でご連絡することとして、この場を借りて、私の結婚の報告をさせていただきます。
・・・と、書く・・・いや、書かないが、言うのはいつのことになるだろうか。もしくは、無いだろうか。まぁそれは何とかぞ知るみたいなもの。いやいや、いつのことになるんだろうね、と自問自答。
さて、姉から郵便物が今朝届いた。中に入ってたのが↑なわけです。もちろん自分と結婚するわけでもない。姉がオランダの彼氏と結婚することになったので、その『証人』になってくれと。
証人といっても、法的拘束力はほぼないようです。姉か彼氏か、どちらかが、いや両方が犯罪起こそうとしても私には関係ない・・・はずです。身元引受人にもならない・・・はずです。まぁ、離婚訴訟とかになったら、何かしら呼び出しとかあるのでしょうが。でもまぁ、そうしたスリルも面白そうだなとか思いながら(不謹慎)、二つ返事で「是非、やるよ!」って返事して、今回、保証人欄に名前とか現住所、本籍地、捺印などしてったということなわけなのです。
こんな経験、初めてです。もちろん婚姻届自体に何かしら書くこと自体も初めて。何となくですけれど、いいですね、これ。この感覚。みなさん、結婚の際は私が証人になってあげますよ。結婚式の司会とか挨拶とかは絶対無理(やらせないほうが無難-問題発言するから-)だけど、証人ならなります。
でも、『緑色』の書類についてはお受付しておりませんので、ご注意下さいね・・・














