去った場所 帰ってくる場所
映画な生活⑥
--------帰る場所って、何だろう。
Nuovo Cinema Paradiso
~ノスタルジア、そして色々なかたちの愛の詰まった映画~
・・・・・・・・・・
みなさんにも、お気に入りのもの、ってありますよね。服であれ、本であれ、アクセなどの小物であれ・・・それはそれで何度も使ったり読んだりしても、大事にしたいと思うはずです。
・・・
もうだいぶ前のことになりますが、江戸川区の妹分Kが深夜TVの映画枠で放送されていたある映画を見て良かった良かったと騒いでいたので、その映画について書こうかと。以前社会派の映画3作の感想を書くと書いたのですが、書くまでも無い凡作でしたのでそれは中止。今日書かんとするのは、ずっと書くのをためらっていた映画『Nuovo Cinema Paradiso』、邦題ニューシネマパラダイスです。
監督ジュゼッペ・トルナトーレ(1989 イタリア)
この映画との出会いは11、12歳の頃でした。家でテレビを見ていた時のCM・・・主人公が、オリーブ畑に切り開かれたゴツゴツとした道を、自転車乗ってくるシーン・・・そしてその音楽・・・CMに見入ったことを今でもよく覚えてます。ただ、まだ自由には映画館まで見にいくことも出来なかったお年頃(当時はシネコンなんて無かったし、映画見たらカネが無くなった頃だった)。結局見にいくことなく、その後10年間、その映画に触れることはありませんでした。
でも音楽だけは妙に耳に残っていました。何故か。分かりません。とにかくその奏でだけは覚えていました。本当にCMを通した、たった数秒だけ聞いた曲だったのに、何故か忘れることなく覚えていたのです。みなさんも、何となく聞いても忘れる事なく覚えている曲ってありませんか?とにかく、CMで出会ってからおおよそ10年後、ビデオ屋でアルバイトをしていた20の頃、ようやく本作を手にとることになったのです。
あらすじ
さて、まずいつも通りこの映画のストーリーを少し追ってみたいと思います。ネタバレを含むので、もし見て無い方や、見る予定の方、知りたく無い方がいらっしゃたら、本作を見てから、こちらを読んでくれると幸いです。
・・・・・
ある日の晴れたシチリア。とある家の白壁の窓から眺める青い海。
その家の窓辺で、母は息子に電話をしようとします。しかしその息子の姉は躊躇います。「かけてもムダだわ、忙しいのよ、もう忘れてしまったわ・・・30年も帰ってこないのよ・・・」と。母親がどうしてもかけたかったその電話とは、息子に縁のある人の訃報の伝えでした。
結局、母から息子へ直接それは伝えられることなく、人伝いで伝わることとなります。その息子「トト」は今や映画界の寵児。彼はその訃報を聞き、ベッドに横たわりながら、静かに思い出します・・・30年も帰ってないシチリアの原風景・・・“あの”映画館のこと・・・縁のある人「アルフレード」のことを・・・そしてトトはある決心をします。そんな彼を待っていたのは・・・
・・・・・
この映画は、私は20数回以上今まで見てきました。映画館で見ること4回、その他、韓国で韓国語字幕(もちろん台詞はALLイタリア語・・・笑)のVCDで見ること10回あまり、その後、DVDも手にいれたことでくり返し見ることも10回あまり・・・人に勧めては一緒に見るなど、周りへの「勝手」な宣伝活動も忘れなかったせいで、こんなに見たんでしょうかね(笑)おかげで、劇中の映画館での風景のように、私もこの映画の台詞をほとんど覚えています。もう自分も一出演者になったかのように。
さて、映画のことについて触れましょう。
映画館という空間~ビデオ,TV,シネコンの時代~
トトとアルフレードが過ごしていたシチリアのある町。1930~40年代という当時はテレビなんて無い時代。庶民の唯一の娯楽は、映画館で見る映画でした。映画館、そこは自由な場所・・・。自由に喜怒哀楽を感じ、自由にそれを発露する、色々苦笑してしまうこともありますが、本当にそこは何もが許された場所。そう、ごく普通の生活の営みの一部の場所だったのでしょう。例え、台詞を記憶するほどでも同じ映画を何度も見てしまう、それほど人々を飽きさせない場所でした。
時に、二人がともに過ごしたころは戦争が悪化し、暗い世相になっていく最中でもありました。新聞などのメディアが発達しきっていなかった頃でもあり、ニュースの役割も果たした映画は、そのまま世相を反映させてゆきました。
でも、それでも、そういうときだからこそ、みなは映画館に安らぎと笑いを求めっていったともいえました。そんな光景から、皆の映画館に対する愛が溢れています。
そうした光景をこの映画で見ていて、こんな映画館、まるで夢のようだ、と感じさせられます。日本の映画館は海外の映画館に比べて厳粛そのものといえるもの。そこでは笑い声一つすら憚られる空気すらあります(最近は少しばかり変わりつつありますが)。ただ、それも、マナーという観点から当然のこと。
でも、トトやアルフレードがともに過ごしたあの映画館の光景もまた、映画館の一つの「あるべき姿」なのかとも感じます。
最近の映画館事情は、どこへ行けど小さな映画館は閉鎖に追い込まれ、シネコン -つまり劇場・ショッピングモールなどの複合型施設の台頭が始まって久しいものとなりました。そうしたシネコン型の映画館に共通したこと、それは利便性とともに「画一化」と「秩序化」です(独特な映画館もまだ確かに残っていますが、以前ほどの勢いは無いと捉えて良いでしょう)。
映画館の雰囲気、それはどこの映画館にいけど同じもの。もちろんそれぞれの映画館に固有のキャラクターのデザインがなされ、ココロをウキウキ(死語)させるものはあります。カッコいい、それもまたあることでしょう。
でも、二つ無くしてしまったものがあるようにも思えます。一つが「“その”映画館だけが持つ、固有の雰囲気」です。そしてもう一つが、「少しばかりの自由さ」と言えるのでしょうか。
前者が欠けたことは、「あの」映画館に行きたい、という気持ちを失ったことと等しくしました。シネコンの隆盛に見られるような社会の画一化はまた、グローバル化の意味の一端でもあり、かつシネコン大手=アメリカ企業であることも考えたら、それは当たり前の流れなのでしょう。でもそれは、もはや本作で見たような空間は存在しない、そういう寂しさを感じさせる現実に思えます。
後者が欠けたことには、おそらくは、そうした背景に良くも悪くも、コミュニティーという共同性(体)のあり方や家庭のあり方の変化、そして個人主義の流れというものが事実としてあるのでしょう。コミュニティーの喪失や個人主義の台頭は、やや逆説的なことと感じるかもしれませんが、ある程度の秩序化を必要としました。
そう、自由に人々が楽しむこと・・・こんなごく当たり前のことって、意外と難しいこと、またその大切さを知る機会がないものこと、そのことを感じるエピソードが、この映画にはちりばめられているのです。
シネコンの利便性は良いことと思いますが、また小さな映画館の雰囲気の良いこと、良いこと・・・たまにそうした小さな映画館で映画と映画館の空気を楽しんだり、自分だけのこだわりがある映画館を持つということもとても良いですよ。
自分は一度行った限りですが、好きになった映画館の一つに、横浜・黄金町にある横浜日劇があります。昔、探偵濱マイクシリーズという永瀬正敏が主演した映画(知ってる人おるかな・・・)で舞台となった映画館です。あるとき、昔見たある映画を見に行きたくなった際、日劇で再上映されているのを知り、わざわざ埼玉から行ったことがあります。
でも、今日こうしてこの記事を書きながら『そういえば最近横浜日劇では何が上映しているのかな』と思い、ふとネットで検索したところ、横浜日劇は、今年の春に閉館してたのです・・・もう「日劇があります」ではなくて、「日劇がありました」が正しくなってしまったのです・・・
時代の変化は、確かに酷な側面も持っています。本作中では、次第に映画館の時代はテレビやビデオに取って替わったため、あのトトとアルフレードの思い出の場所は、活気を失い、そして消えることとなりました・・・
・・・変わるということ・・・
横浜日劇の閉館は、まるでトトが「二度」シチリアに帰ってきたときに感じたことの一端を、私に少し理解させてくれる、そんな奇遇で現実的な出来事でした。
変わるもの,変わらないもの
繰り返すことになりますが、時代が変わることで場所が変わること、そして人もまた変化を起こしていくこと・・・それをこの映画は残酷なくらいに見せつけます。手の届きそうで実際届いたりする理想、そして悲惨なくらい見せ付けられる現実、そうした現実と比較してしまう「過去」という「ノスタルジア(郷愁)」・・・。
それは本作の主題である「映画館」だけでなく、人が住む「場所」「もの」、そして「人」そのもの、それら全てに対する冷酷な実世界の姿です。
この映画だけでなく、「マレーナ」や「海の上のピアニスト」など、近年のトルナトーレの作品に共通する隠れたテーマは、そういう両極にあるもの、「理想(夢)」と「現実」という二つのコントラスト、その葛藤を描くことなのかもしれません。
時代と環境、人の変化のコントラストを最も指し示す本作の一大クライマックスともいえたシーンは2つあります。もちろん、ラストの部分であることは当然ですが、それとともに、兵役を終え、「原風景が失われた」シチリアに戻ったトトにアルフレードが語りかけるシーンがそれです。
アルフレードはトトに投げ掛け、突き放します。
アルフレード
「村を出ろ。ここは邪悪の地だ。ここにいると自分が世界の中心だと感じる。何もかも不変だと感じるだが、ここを出て二年もすると何もかも変わってる。頼りの糸が切れる。会いたい人も皆いなくなってしまう。一度村を出たらしばらく帰るな。年月を経て帰郷すれば、友達や懐かしい土地に再会できる。今のお前には無理だ。お前は私よりも盲目だ。」
トト
「誰の台詞? クーパー? ジェームズ・スチュワート? ヘンリー・フォンダ?」
アルフレード
「誰の台詞でもない。・・・私の言葉だ。人生はお前が観てきた映画とは違う・・・人生はもっと困難なものだ。」
そのように、アルフレードが「父親」とも「真の友(親友)」とも言えるような姿でトトに言葉を浴びせたのち、ひとり、トトがシチリアを離れていくことになります・・・。
列車に乗って新天地へ向かおうとするトトに、寂しい駅のホームでアルフレードは念を押します。
アルフレード
「郷愁(ノスタルジア)にまどわされるな。・・・・・自分のすることを愛せ。子供の頃映写室を愛したように。」
それが二人にとって、交わした最後の会話となりました。
30年後に、トトがシチリアに戻ってきたとき、飛行機、高速道路、亡くなったアルフレード、そして無くなった思い出の場所、年月とともに顔つきの変わった馴染みある人々、その人々のトトの呼び方----全てが変わった訳でもなく、まったく変わっていない存在もありつつ-----という、30年前とはまったく違う光景が彼を迎え、それを目にしながらというものとなりました。
場所は変化します。それを取り囲む環境も変化します。それが相互関係を持っています。そして、当然そこに住む人々も変わります。その人間関係、仕事、若さ、そして人やモノに対する愛情・・・
そんな、時に冷酷な「変化」という現実と向き合う方法が「王女と兵士のエピソード」の、あの「兵士」がとった行動に秘められている、決してアルフレードが教えてくれなかったエピソードの意味は、そんな風なところにあったように私は思えます。みなさんはいかがでしょうか。
去った場所
ところで、トトがシチリアを去る一連のシーンで思い出したことがありました。とても私個人のことになりますが、実父に言われてきた言葉です。
私は物心ついたころ・・・幼稚園以降は4年以上同じ場所に住んだことがありません。つまり多くて3年を契機に、引越しまくってきた生活を常にしてきました。その理由は、純粋に引越しの必要性が生まれたこともありましたが、親が離婚したり、親が地元から出ていく、親が海外に『逃亡』し自分自身は日本に残る、親が同じところに長く住もうとは「意図的にしない」・・・そういったことが理由でした。そんな親に、高校のころ、正直に言った記憶があります。「同じところにずっといたことがない。幼馴染というのもいない。地元が欲しい。帰ってくる場所がほしい。」と。なぜそんな話になったんでしょうね(笑)全くそれが思い出せないのですが、やはり引越しばかりしていると、子どもって結構難しくなるって聞いたことがあります。そういうのもあったのですかね(笑)いずれにしてもそういうことを発した私に対し、父はこのようなことを言いました。
「同じところにいつづけようとなんてするな。
色々なところに出て行け。広い世界を知れ。」
・・・・・
帰ってくる場所~この映画が持つ意味~
そして、今自分が居る場所。自分が立つ場所。自分が動く場所。付き合う人、友人・・・そうして自分自身を広げた時に、自分のしたいことを見つけ、そして自分のしたいことを愛することが出来ることは、その愛することに対する可能性を無限に拡げるもののような気がします。
ある人は、この映画を見て「映画のための映画も事実だが、そうというよりは、映画というものに対するアンチテーゼだ」と書きました。私はそうは思いません。友人であり、師弟であり、父子のようでもあり、そして同僚でもあり・・・そんな二人の姿を追ったこの映画は、事実映画のための映画であったことは事実です。
でも、いや、もう少し正確に書くならば、アルフレードがトトに言ったことが普遍的なことであったように、この映画は、映画のための映画という性格とともに、ごく自然な人間のための映画を兼ね備えているのかなとも思えます。
実は、この映画の文脈からすれば、ある一つの条件を除けば、トトは最終的に映画を作る人間として成功する必要はありませんでした。他の仕事でも良かったわけです。それよりも、何が大事なのか、それはアルフレードが言ったとおり、とにかく世界に出て、そこで自分のすることを愛すること。彼は確かにそれを実践していくわけですが、その「すること」がたまたま「映画」という場所となったわけです。
ただ「ある一つの条件」、つまりラストシーンは、彼が映画を作る人間だったからこそ、成しえたラストシーンだったのは事実で、それがまたこの映画の一名シーンとなっている訳なんですが(笑)その文脈からすれば、トトが映画人として成功したのは、このラストシーンの為だけであったと言えるのかなと思えます。
さて、トトは去った場所はあるものの、帰ってくる場所は決して見つけたとはいえない終わり方でした。それはどこに居続けるか、という意味からも、また誰と共にいようとするのか、という意味からも、決して彼の「定住地」の存在は否定されたように思えます。
確かに彼は「シアター」という一つの空間に一つの定住地を見つけた、そんな見方も可能かもしれません。でも、もう彼には、シネマ・パラダイスのような、そんな「特別」の居場所となるようなシアターは、もうありません。おそらくこれからも彼は定住地を見つけられないでしょうし、見つけることもしないのでしょう。それはある真理を表しているように思えます。
足を広げて、世界を知ったようで、よりどれだけ拡げて、そしてまたもっと知ったようでいても、実はまだまだ知らないんだ。そこに可能性が埋まっているんだ。
そんな真理は、本作の重要なところの一つだったように感じます。
映画と音楽の融合,その一完成形
この映画の主役ともいえるもう一つの存在は、音楽だということは言うまでもありません。その音楽を一手に担ったのが、その後のトルナトーレ映画(「海の上のピアニスト」「マレーナ」)でも音楽を担い、また本作以前から「アンタッチャブル」などで映画音楽の巨匠として知られるエンニオ・モリコーネでした。そんな彼は可能な限り、映画の音楽をシナリオ段階から映画制作者とともに考えていきたいという思考が強い人のようです。
「ハリウッドのしきたりと異なり、彼はオーケストレーターは使わず、
ミキシングも自分で監修する。そして出来ることならシナリオの
段階から参加したいと願っている。」
(ENNIO MORRICONE in Japan 2004 パンフレットより)
続けて『その具体例が「マレーナ」であった』とパンフレットには書いてありましたが、恐らくは本作も出来る限り、そう努めた部分があったのでしょう。そうでなければ、こんな傑作は出来ない!映画の風景、そのときどきの心情・・・まるで音楽そのものすら台詞のように、強い印象を与えます。そうして本作では、モリコーネの音楽が主役の一つとなっているのです。
でも当然音楽が主役になっても、映画のストーリーと役者の演技は、それを超えたものであったことは確かです。そうして、音楽とストーリー/台詞、演技の三つがハーモナイズされることで、この映画は完成を見たのでした。
なお、モリコーネは去年初来日。今年も来日し、大阪とともに、東京では東京国際フォーラムで再演しました。・・・行けなかったことは先日報告したとおりです・・・(嗚咽)まぁ代わりに純一郎君が行ってくれたわけですが・・・(嗚咽Ⅱ)
モリコーネ様、来年お会いしましょう at 東京国際フォーラムHall A・・・いや、もう少し良い音響施設のところで(笑)
しねぱら・とりびあ
結構知られたことでもありますが、一つだけトリビア的なことを。劇中に本作の監督トルナトーレが出てくるシーンがあります。それもしっかり映ってるんですよね、2カットも。さてそれはどこでしょうか。
ちなみに、彼は若干33歳で本作を作り上げました。その若さで人生について、広い語りが出来る、こういう事実からも人間の可能性って無限だなと、つくづく感じたりします。
この映画は★★★★★満点って思うわけです。
数多くの名言とも言える台詞・・・上に挙げてきたものに加えて、あの教室での「5×5は?」(答えについては本編にて)のやり取りも含め(笑)、そして忘れられない音楽、シチリアの風景・・・そんな数多くの優れた要素によって、完成された「みんなのための映画」なのです。
・・・・・
なお、本作品は劇場公開版と完全版があります。私を含めたこの映画好き連中の中でも、このふたつのどちらが良いか、その論争(笑)は続いています。どちらかというと劇場公開版が評価が高いのでしょうか。そういう私もどちらかというと劇場公開版が好きでした。でも最近完全版を改めて見て(3度目)、こういうのもアリなのかなと思うようになりました。具体的にどうこうはここでは書きませんが、みなさんも是非見比べてみると面白いかと思います。どちらかを見て、その後にもう一方を見た場合、「あぁ、見なきゃ良かった」、そう思うこともあるかもしれません。実は多いにその可能性はあります。実際、そうした声も多かったのです。でも、そうした見方や感想は、年齢だったり、見たときの心境だったり、そういったもので、かなり変化するものなんだな、そう最近完全版を見た際に思え、完全版も一つの映画として好きになりつつあります。
モリコーネ映画は「理想」と「現実」のコントラスト、葛藤を描く、そういうのが一つの根底となっていると既に書きましたが、そうしたモリコーネ映画が抱える葛藤は、この劇場公開版と完全版という、一つの映画を元にした「ふたつの映画」にも、如実に現れています。こうした面白みもまた、モリコーネ映画の醍醐味といえるのでしょう。
みなさんも是非「一つの作品」から生まれた「二作品」を見比べてみてください。
☆☆☆おまけ☆☆☆
自分なりのシネマ・パラダイス“で”見よう
ちなみに、本作はやはり映画館で見るべき映画。そして映画館でこそ見られるべき映画。そうでなくとも大画面で・・・例えばプロジェクターとか使って、とにかく「スクリーンで見るべき」映画なのは確かです。まるで、夏にトトが野外で映画を上映したかのように。そしてみんなに見られるようにすべきなのです、アルフレードが「あの運命の日」映画を見れないみんなに対して映画を見せたように。
そういう意味で、たまに映画館で本作を上映してくれるということは、格別の楽しみ、幸せなことと思います。自分自身にとって。そして、みんなにとっても。単発で本作を上映している映画館は多数ありますが、不定期とはいえ、1年もしくは2年には確実に1週間ほど上映しつづけてくれる映画館が一つあります(私が3ヶ月くらいかけて雑誌「ぴあ」からインターネットから総動員して調べた限りですが)。それは高田馬場にある「早稲田松竹」。JR高田馬場駅を降り、早稲田方面に歩いていくと、向かって右手にある小さな映画館です。
私はその上映を知ったとき、とても嬉しかったこと、嬉しかったこと。一度目は本作と「マレーナ(同監督)」の二本立て。二度目は本作と「ビッグ・フィッシュ(ティム・バートン作品)」の二本立てでした。本作品上映時に限らず、いつも二本立ての映画館なのでお得ですが、とにかく小さくて、それこそまるで「あの映画館」のよう。みんなが本作のように、自由に笑え、泣ける。そんな自由な空間になってます。いや、むしろこの映画が、映画館にそんな雰囲気を呼び込んでいるのかもしれません。本作を見たことある方、無い方、いずれにしても、是非一度、本作をスクリーンで見てください!
ちなみに、二度目見に行ったときは本作より「ビッグ・フィッシュ」に大泣き!(笑)でもやっぱティム・バートンも、トルナトーレのように、みんなの「笑いのツボ」と「良い意味」での涙腺知ってるんだよなぁ。それもお薦めです。
・・・・・
はぁ・・・結局、こんなに書いてしまった・・・そう、書くのを躊躇っていたのは、書き始めると、自分の腕が止まることなく書き続けてしまいそうだったから・・・実に製作日数「3ヶ月」かかりました・・・それが一番、この映画に関する記事を「書かまい」としていた理由(苦笑)
みんな、こんなに熱中する自分に引かないでください、それが唯一のお願いです(笑)でも、とにかく本記事を、ここまで読んでくれたあなたに心から感謝します。どこまで良い文章になったか、何か伝わったり、読んでくれた人に残るものがあったかは分かりませんが、がんばりました(笑)まぁ、とにかく何が伝えたかったって、二言で言えば、「自分はこの映画が好きだ」ということと、「みんなにも見てほしい」、そんなごく単純なことなんです。
見たこと無い方は、これを読んで見たくなったら嬉しい限りです。
見た人も、これを読んでまた見たくなったら、嬉しい限りです。
Fin

