人が霊止〔ひと〕であることや、人を含めた宇宙大自然の万物万象から発せられる言霊や音霊・形霊・色霊・数霊等の存在の大元は大霊にあります。すべては大霊の現れなのです。
霊は漢和辞典には雨の下が神となっている字もあり神という意味もあります。だから神霊とか「霊験あらたか」等といった表現もあるのだと思います。つまり大霊とは"大元"霊であり大神であり、これは人を含めた宇宙大自然のすべてが神だという汎神論でもあるのです。
でも、ふつうは「そんな馬鹿な」と人は思うかもしれませんね。それは人を霊・心・体ととらえると、表面の"自我"による心がそう思うからです。
でも深層の"真我"である霊は、実は神として時空を超えて存在し続けています。地上3次元に生まれる前も死んだ後もです。体〔肉体〕は霊〔たましい〕の衣で有限ですが、霊は無限だからです。
その霊を包んでいるのが罪〔=包み〕であり分別知からなる自我の心です。キリスト教的に言えば地上3次元で「善悪を知る知恵の木の実を食べた」と象徴的に表現されていますが、善悪を知る知恵の木 tree of knowledgeとは分別知のことです。Knowledgeのknはknifeのknと同じで"切る"や"分別"の意味があります。
また、切ると言えばハサミ"sci"ssorsですが切る学問が"sci"enceつまり科学です。分別知を前提とする科学は地上天国実現のためには必要不可欠なのですが、霊を包んだままでは科〔とが〕=罪の学なのです。霊なる真我と分別知が前提の自我が一円融合することが大切なのです。知性と感性の融合です。
ところで、すべてが神であるとする大霊の思想つまり汎神論を実感し認識するにはどうすれば良いでしょうか。
「実感」は前回のブログのような形で、ある程度は実際の臨床の場で皆さんに少しずつですが感じて頂いています。表面では個別の人間に見えますが、筋力反射テストの反応からは実は皆んな真底では一体であることがわかってきます。親子で来られた方の中には驚嘆されて涙を流される方もおられます。
「認識」の方は、ミクロの世界では分子・原子・素粒子と皆んな子が付いていますが、子とは一〔初め〕であり了〔終り〕のことです。聖書で神が「我は初め〔アルファ〕であり終り〔オメガ〕である」と言うように子とは神のことなのです。そしてそれは円のことでもあります。エマーソンは「円」というエッセイの冒頭で「聖アウグスティヌスは神の本質とは至る処に中心があって何処にも円周のない円であると言っている」と語っていますが、円というのはどの点を取っても初めであり終りですから神でもあるのです。
それ故に子には神聖な意味があり、聖徳太子や皇太子、孔子・老子・荘子等の尊称にもなるのです。子供もそういう意味では尊い存在ですし、それは分別知にまみれた大人になっても根本では同じです。そもそも子供も大人も元は精子と卵子が結合した受精卵という円い神だということです。
一方、マクロの世界では、「天に在します〔天であられます〕我らの父〔神〕よ」と主の祈りの冒頭にあるように無限絶対無始無終なる宇宙が神ですが、宇宙とはuni〔一つに〕verse〔回るもの〕というように円が基本形です。ポアンカレ予想をペレルマンが解決したことからも、宇宙が概ね円いことが証明されているのです。
日本神話なら天に対して物を産み出す大地は産土神〔うぶすなのかみ〕であり大地やその源である海〔産み〕から成る地球が海原を治める須佐之男命〔すさのおのみこと〕、暦に関わる月が月読尊〔つくよみのみこと〕、天〔あま〕を照らす大いなる太陽が天照大御神〔あまてらすおおみかみ〕、宇宙全体なら天之御中主神〔あまのみなかぬしのかみ〕です。
因みに、キリスト教では天の父なる神は説いていますが、地の母なる神は説いていません。実はこれがサタンなのです。SatanのSatはSaturday〔土曜日〕やSaturn〔土星〕のSatと同じで土つまり大地を表しそれは母なる神なのです。こんなことは何処にも書いていませんが、私見ではこうなるのです。『究極の医療は円通毉療』で解説しています。悪魔は堕天使ルシファーで金星のことですが、金星を観てお釈迦さんや空海さんの悟りのきっかけになったのです。鞍馬寺の魔王尊も金星から来られています。
長くなるのでこの辺で止めますが、要するに、ミクロからマクロまで全てが円であり円い、つまり神だということなのです。
このようにして神なる大霊の体感と認識が深まるに従って、自分や他人を認め許し尊重することができるようになれると思います。
因みに、円は中心帰一の回転コマ運動をしているのですが、それを通で表したのが円通で、円通を根幹に据えた毉療が円通毉療だということです。