前回、医学・生物学的観点からの相似象について記しましたが、これは受精卵と個々の細胞そして全身との関係だけでなくて、全身とその部分的領域との関係においても見て取れます。図1、2はブログ末尾の文献1からの抜粋ですが、舌も腹も顔も脈もすべて全身の部分的領域であると同時に全身をも表しているのです。なので、舌診も腹診も顔面診も脈診もすべて全身を診る方法であって、これが道教・儒教、特に『易経(えききょう)』を土台とする真の東洋医学の診察法なのです。このような相似象の発想は西洋医学には無く、東洋医学においてもこれらの診察が行われるものの、意外に相似象の発想自体は乏しい或いは無いように思います。

図1 舌・腹・顔・脈は全身の相似象      

     

図2 脈は全身の相似象

 

また、当院では易学診といって生年月日から患者さんの性格・体質・バイオリズムを割り出し、それに基づいて生活習慣の傾向とリズムをとらえ病の成り立ちを分析しますが、これが生まれた日である星(生+日)の裏(=心=うら)を縄を綯(な)うように占う(裏綯う)占星術です。これは時間的な相似象の活用です。この易学診はとても重要且つ有益なのですが、やはり相似象の発想が無いためか一般にはほとんど用いられていません。

 

この分野については、小林三剛著『東洋医学講座』や小林三剛・村田晴彦共著『東洋心理学講座』から学びました。村田先生は以前からお付き合いがあり、ずいぶん前に先生のご紹介で生前の小林先生(関東鍼灸専門学校創設者)ともお会いしてお話を伺ったこともあり、私の東洋医学には不可欠な書物です。これらの本(シリーズもの)がもっと広く読まれるようになれば現在の東洋医学もガラッと変わるのではないかと思います。このあたりについては文献2に詳述しています。

東洋医学における空間的・時間的相似象の観方・考え方は当然ながら道教・儒教、特に『易経』の発想が土台になっています。上記の書物には当たり前に扱われていますが、東洋医学関連の学会を含めて、日本における漢方の世界では易経分野のことはほとんど話題になりません。むしろ、日本で易のことを話題にすると、異端児あつかいにされかねません。

でも、中国では五術といって易学的な命(めい)・卜(ぼく)・相(そう)と道教の仙(せん)・医術の医(い)の五つを一体的・総合的にとらえる派があるほか1989年刊の図3『中国医易学』、1993年刊の図4『中國八卦醫學』、1998刊『まんが易経入門ー医易同源、中国医学の源がわかるー』等の書があります。他にも、一時期日本の一部で注目された1993年刊『医理真伝』、『医法円通』等の易を土台とする火神派(かしんは)の中医学も日本で広く消化吸収されることはありませんでした。最近では、東洋医学の基礎となる『黄帝内経』と道教や易との関係が記されている吉元昭治著2018年刊『図説 道教医学 東洋思想の淵源を学ぶ』があります。

図3 中国医易学      図4 中國八卦醫學   

                   

 

今から35年ほど前に中国の成都から中医学の大家である陸幹甫先生が来日された時、私が易学思想を簡潔に図示した太極図説に関する研究を発表したのですが、参加者の中には「易を云々って何それ!?」的な方もおられましたが、陸先生は懇親会でその発表を皆さんの前で改めて評価し励ましてくださいました。要するに、日本では一部を除いて最重要な易が「猫に小判」状態なのです。

実はこれ、東洋医学の世界だけではありません。因みに、図4の表紙カバーの後ろ袖を広げた時に全体が目に入る方円図(〇の中に□が入っている図)は八卦×八卦=六十四卦が方形と円形に描かれている図ですが、和同開珎(わどうかいちん:図5)といった銭貨や龍安寺の手水鉢(りょうあんじのちょうずばち:図6)、源光庵の方円の窓(○が悟りの窓、□が迷いの窓:図7)の形も、私見ですが易の方円図に基づくものだと考えます。

図5 和同開珎          

  

図6 龍安寺・手水鉢

  

図7 悟りの窓と迷いの窓

 

日本文化の理解にも易は必須なのですが、残念ながら関係者に尋ねた範囲ではこれらに対する易学的な解説はありませんでした(詳細は文献1、2、3参照)。東洋医学においても日本の文化の理解においても、易学的な思想は文明開化さらには戦後教育に至るにつれて忘れられてしまったようです

さて、既述の太極図説は図8・右側のような図ですが、1番上の円が「無極而太極=無極にして太極」を表します。これは2番目の陰陽に分かれる以前の、「何も無いけれどもすべてある」という元初めの世界です。0にしてすべて、無一物中無尽蔵(むいちもつちゅうむじんぞう)の世界とも言えます。

2番目は陰陽です。陰は静で陽は動であると書かれていますが、これも私見では古事記の国生み神話での伊邪那岐(いざなぎ:男神・陽神)と伊邪那美(いざなみ:女神・陰神)の天之御柱(あめのみはしら)の周りでの回転コマ運動と相似象だと考え、2番目の陰陽図を図8・左側のような回転形にして六角田中医院バージョンとして提示しています(なぜコマ運動なのかを含めて詳細は文献2、3参照)。

3番目は陰陽から五行(五行:木・火・土・金・水)の生成を表しています。五とは「二(天と地)+×(交わり)」で、天の四氣である木・火・金・水(春夏秋冬・朝昼夕夜等)と地(土也:つちなり)の一氣である土の天地交流の中での万物の死生と循環を表します。4番目はその中で人類男女の生命の、5番目は万物化生の営みを表しています。

図8 太極図説  周濂渓・右側オリジナルと六角田中医院バージョン・左側


大事なのは、5つの図はすべて重ね合わせて理解することです。視点が異なるだけで、1番目の図は、そこからは次元は下がりますが2番目、3番目、4番目、5番目の図でもあるのです。1番目の円を空(くう)とすると以下の4つは色(しき)と観ることもでき、太極図説は般若心経の色即是空・空即是色を表すと観ることもできます。また、1番目の図はエネルギー(E)・波動の世界、2番目から5番目までは物質(m)・粒子の世界で、全体としてはアインシュタインのE=mc2(cは光速)を表すと観ることもできます。

太極図説のポイントは、上下5つの図はすべて基本形は回転性の円(3番目も円が原型)であり、前回のブログで述べたウロボロスの蛇にも通じる構図です。とすると、人類も万物も宇宙(universe:uni一つにverse回るもの)のすべてが相似象的には一つの回転性の円であり且つ一体のものであり、個々の人類・万物の寿命は長短さまざまのように見えても、それらは見かけ上のことで全体から見れば新陳代謝の姿であり、無極にして太極である全体としては死というものは無いと観ることができるのです。

ところで、太極図説の中で、最も注目すべきは2番目の太極円通図で図9の左側です。この太極円通図の陰陽の回転コマ運動を横軸に伸ばすと図9の右側のような波動図になります。太極円通図を粒子と見なすとそれは同時に波動でもあるということで、これは量子物理学の世界を表現するものでもあるのです。また、粒子の世界を物質の世界であり三次元の世界とすると、波動の世界は心・たましい(たましひ:玉し霊)・言霊・音霊・形霊・数霊等の世界であり三次元以上の時空を超えた世界でもあります。波動は三次元世界では伝搬するというイメージでしょうが、三次元以上の世界では時空を超えて共鳴するというイメージが主になるかと思います。

図9 太極円通図と波動図

太極円通図               波動図

  

 

この三次元以上の時空を超えた世界とは、例えば易の世界では生年月日とか今とか今日を観ることによって過去や未来を垣間見ることができます。また、今の心である念を変える(観自在によって)ことによって過去や未来を変えることも可能になります。易・占星術を基に成立したユング心理学のシンクロニシティー理論も、ユングとアインシュタインの弟子でノーベル物理学賞学者パウリとのやり取りも、同じくアインシュタインの弟子で量子物理学の巨匠ボームと脳神経生理学者プリグラムによるホログラフィー理論も理解できるようになります(図1、図2の下部にホログラフィーと記載)。また、空間を超えた形霊の共鳴とも考えられるシェルドレイクの形態形成場仮説も納得できます。当院では言霊・音霊・形霊・数霊・融通念仏等が時空を超えることも実際に体感していただいています。これらについては文献2、3に書いています。

さらに面白いのは、これらの太極円通図に象徴される道教(タオ)や儒教関連の相似象の世界の源はなんと日本発のカタカムナだったということです。カタカムナについは書籍もたくさん出ていますが、特に興味深いのが実藤遠氏の『超古代の叡智「カタカムナ」と「0理学」』、『聖なる科学』、『死後の世界の謎』その他の著書です。

ただ、易もカタカムナも素晴らしいのですが、その有効活用に際して最重要なことが抜け落ちているのではないかと思われるのが「心の持ち方」です。そのヒントはまさに図9の太極円通図が示しています。無極にして太極の心、つまり陰陽・善悪に象徴される二元論にとらわれのない円滑・円満な無の心が最重要だということです。

そのためには万物万象は陰陽で成り立っていますが、太極円通図で示されているように、陰陽が一つになって無極にして太極の領域に至るということを理解することです。そして、粒子・物質とエネルギー・波動で主となるのは後者で、大切なのは今の心である念(今+心)であり、それも一に止(とど)まる正(一+止)しい念つまり正念だということです。ピンチはチャンス、苦難は幸福の門、艱難汝を玉にす等の言葉がありますが、正反対のものが実は一つなんだということです。西田哲学流にいえば、「絶対矛盾の自己同一」です。

当院では図10~13をよく患者さんにお見せします。図10は観方次第(観自在)で若い貴婦人にも老婆にも見えますが、両者は互いに化身で一つです。他にも、図11は慈悲深い聖観音と恐い馬頭観音、図12は優しいお地蔵さんと恐い閻魔さん、図3は慈悲深い大日如来と恐い不動明王等々、みなお互いに化身で一つなのです。白隠禪師には「地獄大菩薩」の書があります。地獄のような状況こそが大いなる慈悲と救いの菩薩だということです。

図10貴婦人と老婆     

       

図11聖観音と馬頭観音(互いに化身)

  

図12 地蔵と閻魔(互いに化身)   

  

図13大日如来と不動明王(互いに化身)

 

お釈迦さんが悟りのために説かれたのが八正道ですが、その中で最重要なのが正念であり何時も正念を持つように努めましょうというのが白隠禪師の正念工夫という言葉だと思います。なかなか難しいですが、正念工夫ができた分だけ易もカタカムナも真に生きてくると思います。

 

文献

1、田中実:『生命毉療は円の毉療ーカゴメ歌の謎解きと医療哲学ー』、2007年

2、田中実:『究極の医療は円通毉療』、2015年

3、田中実:『太極円通図から理解する般若心経と理趣経』2021年