『ランボー ラスト・ブラッド』 | やりすぎ限界映画入門

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ダイナマイト・ボンバー・ギャル @ パスタ功次郎

■「やりすぎ限界映画工房」
■「自称 “本物” のエド・ウッド」


■『ランボー ラスト・ブラッド』
やりすぎ限界映画:☆☆☆☆★★★[95]

2019年/アメリカ映画/101分
監督:エイドリアン・グランバーグ
出演:シルベスター・スタローン/パス・ベガ/セルヒオ・ペリス=メンチェータ/アドリアナ・バラッザ/イヴェット・モンレアル/ジーニー・キム/フェネッサ・ピネダ/ホアキン・コシオ/オスカル・ハエナダ


[ネタバレ注意!]※見終わった人が読んで下さい。



やりすぎ限界男優賞:シルベスター・スタローン


やりすぎ限界女優賞:イヴェット・モンレアル


やりすぎ限界女優賞:パス・ベガ


[『死神5』]




■「ジョンおじさん」
 「ここだ」






「鶏」は心の中で、『ランボー ラスト・ブラッド』のタイトルを『死神5』と呼んでる。こいつと戦って生きてた人間は「1作目」の保安官しかいない。あとは「全員死んだ」。理由はこいつが “本物” の “死神” だからだ。





[「お爺さん」の「ジョン・J・ランボー」]




「2008年」『ランボー 最後の戦場』から「11年間」を経て、「2019年」『ランボー ラスト・ブラッド』を「シルベスター・スタローン」は生み出した。




■「どうしても会いに行きたい
  なぜ出て行ったか
  お父さんに直接聞きたい」
 「クズだからだ」







「シルベスター・スタローン」「1946年」生まれ。「2008年」『ランボー 最後の戦場』の時「62歳」、「2019年」『ランボー ラスト・ブラッド』の時「73歳」。






「73歳」にもなって何で? 「お爺さん」の「ジョン・J・ランボー」を撮りたい衝動に駆られたのか? 「鶏」が「勝手な想像」でスタローンの「信念」「価値観」「倫理観」を「推測」する。だがただの「鶏」の「偏見」「先入観」「思い込み」の可能性は高い。

[「拳銃を使った奴は大抵、死に至るっていうポリシーは持ってるよ」「暴力を決して褒めているわけじゃないんだ」]



■「オイラの映画では、警察も悪いし、ヤクザも悪く描いている。拳銃を使った奴は大抵、死に至るっていうポリシーは持ってるよ。義兄弟とか義理人情を持ち上げたこともないし、汚ねえ世界を撮っている。
 暴力を決して褒めているわけじゃないんだ。だから、暴力によって不快感が残るように撮っている。フランスでも揉めたことがあって、『何でお前は暴力映画ばかり撮るんだ』って言われたの。『痛くて、嫌だろ? だからいいんだよ』って答えたよ。次の映画だって、いかに暴力で痛みを感じるかという映画を撮ろうと考えている。観た人が『ウエーッ』ってなるようなさ。それは下手すると芸術だと思っているからね」。


『週刊文春』「2011年9月29日号「ビートたけし「暴力団との交際」すべて語った」より



■「ビートたけし(70)が、米ラスベガスで米史上最悪ともいわれる銃乱射事件が起きたことを受け、「アメリカはもう腐ってるな」と銃社会を批判した」。

『日刊スポーツ』「たけし「アメリカは腐っている」銃規制進まず悪循環」より



■「「こういう暴力映画を作って、子どもが真似して悪さするんじゃないか」なんて言われるんだけど、ふざけたこと言うなって。おれの映画は痛いしカッコ悪いから、誰も真似なんかしたがらないよ、と。だいたい、ハリウッド映画なんかだと、恋人一人助けるためにジャンボジェット平気で落としたりする奴がいる。そっちのほうが誰かが真似すんじゃないかって心配だよ(笑)。ヒーローは何人でも殺しちゃうし、ビルは爆破しちゃうし。そんなのとくらべりゃ、おれはヤクザしか殺してないぞって」。

『ツイナビ』「北野武インタビュー 映画『アウトレイジ ビヨンド』ツイナビインタビュー Vol.20「全員悪人」の世界」より








『その男、凶暴につき』から『アウトレイジ』3部作など、壮絶極まりない「暴力」を見せてきた「北野武監督」だが、「創作」「映画」であること、「絶対やっちゃいけないこと」であることは「主張」。「拳銃を使った奴は大抵、死に至るっていうポリシーは持ってるよ」「暴力を決して褒めているわけじゃないんだ」に始まり、「銃規制」が進まないアメリカを「腐っている」と批判、『アウトレイジ ビヨンド』についても「痛いしカッコ悪いから、誰も真似なんかしたがらないよ」と、「アンチ暴力」な「信念」「価値観」「倫理観」を貫いてる。






「鶏」の「勝手な想像」ではまさにスタローンも、「拳銃を使った奴は大抵、死に至るっていうポリシーは持ってるよ」「暴力を決して褒めているわけじゃないんだ」という、「北野武監督」と「同じ」「信念」「価値観」「倫理観」で『ランボー ラスト・ブラッド』を生み出したように見える。




逆に「73歳」だから、「絶対『ランボー ラスト・ブラッド』を撮らなきゃ死ねない」と思ったように「鶏」には見えた。

[「ランボー」版『ゴッドファーザー PARTⅢ』]

 



「ロッキー・バルボア」と「ジョン・ランボー」は「超対称的」「真逆」。人間の「光」と「闇」、「表」と「裏」、「陰」と「陽」。






「もしも」ロッキーもランボーも「実在の人物」だったとしたら、ロッキーは「善人」だが、ランボーは「悪人」とは言い切れないが、「絶対善人と言うのは難しい」。ロッキーはスポーツ選手として歴史に残る「偉人」「英雄」だったが、ランボーは戦争で「何百人」殺したか推定できない「軍人」。さらに警察官を殺して服役した前科もある「犯罪者」。中には「正当な理由」の殺人もあったかもしれないが「絶対全部じゃない」。「絶対許されない」「拳銃を使った奴は大抵、死に至る」ことをしてきた。




その「軍人」「犯罪者」が、「4作目」『ランボー 最後の戦場』の「最期」、「1作目」『ランボー』以来アメリカの「父親」 “R・ランボー” の農場に「帰郷」。「ベトナム後遺症」に侵され “精神異常者” と化した心の傷が「回復」「救済」「鎮魂」されたのか? 過去の「全人生」「全生涯」を「反省」「懺悔」「償い」+「ごめんなさい」「本当に申し訳ありませんでした」「心から謝罪致します」で悔い改め、「人生再出発」「やり直し」の決意のような姿に見えた。






だが人間「自分が他人にしたことは、いずれ全部自分に返ってくる」。「何百人」も殺した「軍人」「犯罪者」は「絶対許されない」「拳銃を使った奴は大抵、死に至る」。「今頃」悔い改めても「絶対全部チャラにならない」。






「何百人」も殺した「軍人」「犯罪者」の「最期」は、「マイケル・コルレオーネ」のごとく「この世で一番最愛の者の命を奪われる」。『ランボー ラスト・ブラッド』こそ「ランボー」版『ゴッドファーザー PARTⅢ』だと「推測」した。

[「絶対メキシコ行かないで!」]




ジョン・ランボー(シルベスター・スタローン)が「娘」のように育てた、恐るべき「極限の美」恐るべき “極限ダイナマイト・ボンバー・ギャル” 「ナタリー・ポートマン」に似たガブリエラ(恐るべき「極限の美」恐るべき “極限ダイナマイト・ボンバー・ギャル” 「イヴェット・モンレアル」)が出てきた「瞬間」、もはや「ざっくり」「最期」どうなるか? 「99.9999………… %」「マイケル・コルレオーネ」のごとく「この世で一番最愛の者の命を奪われる」の「確定」。




■「俺は復讐したい
  死が迫っていることを
  思い知らせたい
  どうあがいても
  死を止められないことを
  俺たちと同じ悲しみを
  それを奴らに
  最後に思い知らせてやる
  あんたもそれを望んでる」


「鶏」は「超心臓に悪い」「超怖さ」「超ショック」「超衝撃」にビビって震え上がり「泣きながら」、「マイナス方向」に「震撼」「驚愕」「圧倒」「絶句」でなす術を失い、大きい方を漏らしたあげく「出るもの全部出て何も出るものがなくなった」。






“本物” の “死神” と関わった人間の運命か? 『ダークナイト』で「レイチェル」が「爆死」したのと「同格」。「鶏」が心の中でいくらガブリエラに「絶対メキシコ行かないで!」と叫んでも、もはや「絶対届かない」「絶対止められない」。

[「やれ! ただのクソおやじだ!」「11年間」掛けて仕掛けた「罠」]










「やれ! ただのクソおやじだ!」

……………………「絶対哀れ」。「マルティネス兄弟」は、こいつの「正体」が “本物” “死神” だと「何一つ殆ど砂粒ほども知らなかった」。








■「やれ! ただのクソおやじだ!」





「もしも」「実時間」だとすれば、『ランボー 最後の戦場』から「推定」「11年間」掛けて、ランボーは「トンネル」=「罠」を仕掛けた。







■『ランボー』より

■「お前なんか殺すのは簡単だ
  この山じゃ 俺が法律なんだ」






「この山じゃ 俺が法律なんだ」。

“俳優に見えない” “目” “叫び声” “精神異常者” “バイオレンスの限界” “極限の怒り” が、『ランボー 最後の戦場』を超え「さらに」「10乗」 “棲息速度域” まで到達「だけ」「じゃない」。もはや「リミッターを振り切ってる」「シリーズ極限領域」。“本物” “死神” 「グリーン・ベレー」「戦争の英雄」が、「11年間」掛けて仕掛けた「罠」って、一体どんな「罠」なのか?












「絶対一人も助からない」。












「33人皆殺し」。












「拳銃を使った奴は大抵、死に至るっていうポリシーは持ってるよ」「暴力を決して褒めているわけじゃないんだ」。

“極限の怒り” 「復讐」「だけ」「しか」の「人生」「生涯」だった人間の「最期」、「何百人」も殺した「軍人」「犯罪者」の「最期」が、「この世で一番最愛の者の命を奪われる」という「無間地獄」に堕ちることで、ある意味「やりすぎ限界反戦映画」なのかもしれない。








■「俺の怒りを思い知れ
  俺の憎しみを
  この手でお前の心臓を-
  えぐり取ってやる!
  お前が俺にしたように」
 「いい気味だぜ
  あのメス豚も」





■「命が惜しければ
  ライトを頼りに走れ」






「刺激」「かなり」「超」「強め」。

……………………これじゃ「絶対幸せになれない」。












これが「やりすぎ限界映画」だ。









『ランボー』
『ランボー 怒りの脱出』
『ランボー3 怒りのアフガン』
『ランボー 最後の戦場』[前][後]

日記「今日見た映画 2020」2『ランボー ラスト・ブラッド』

画像 2024年 6月