『アウトレイジ ビヨンド』 | やりすぎ限界映画入門

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■『アウトレイジ ビヨンド』
やりすぎ限界映画:☆☆☆☆★★★[95]

2012年/日本映画/112分
監督:北野武
出演:ビートたけし/西田敏行/三浦友和/小日向文世/加瀬亮/桐谷健太/新井浩文/松重豊/中野英雄/名高達男/光石研/田中哲司/高橋克典/中尾彬

2012年 第28回 やりすぎ限界映画祭
2012年 ベスト10 第10位:『アウトレイジ ビヨンド』
やりすぎ限界男優賞/やりすぎ限界監督賞/やりすぎ限界脚本賞:『アウトレイジ ビヨンド』


[ネタバレ注意!]※見終わった人が読んで下さい。



やりすぎ限界男優賞:ビートたけし


やりすぎ限界男優賞:小日向文世


やりすぎ限界男優賞:松重豊


やりすぎ限界男優賞:中野英雄


■第3稿 2018年 7月20日 版

[北野武監督第16作目]



北野監督初の「続編映画」『アウトレイジ ビヨンド』。「続編映画」を撮りたくなるほどアイデアが浮かんだのだろう。『ダークナイト ライジング』『ヒミズ』『007 スカイフォール』『トワイライト・サーガ ブレイキング・ドーン Part2』『私の叔父さん』の時代。『パイレーツ・オブ・カリビアン デッドマンズ・チェスト』か『エイリアン4』か……。「実は生きてた」という映画らしい強引な展開がうれしかった。

[「絶対助からない」]



こんな「悪人」本当にいるのか? 1作目で死ななかった「石原」(加瀬亮)「加藤」(三浦友和)「木村」(中野英雄)、そして刑事の「片岡」(小日向文世)、新たに1作目には登場しなかった「舟木」(田中哲司)達に、「自分が他人にしたことは、いずれ全部自分に返ってくる」壮絶な最期がくる。「絶対助からない」恐怖を「これでもか」と思い知らされた。だがただ「悪人」が「死ぬ」だけの話には見えなかった。

[「貴様こそ本当の悪党だ」]


■『許されざる者』より

■「なぜおれが-
  こんな最期を
  新築してたのに」
 「貴様こそ本当の悪党だ」




「警察」という「正義」のはずの片岡を見て、『許されざる者』の「貴様こそ本当の悪党だ」が重なった。「賞金稼ぎ」を捕まえる建前のもと、「リンチ」や殺した人間を「さらし物」にする保安官のやったことは、もはや「賞金稼ぎ」になる人殺し達と同じこと。「法律に守られて」、人間を殺すのを楽しんでるように見える。大勢の人間が死ぬのを見ても平気でいられる片岡は、「正義」の枠をはみ出てしまった。



現実に山王会を壊滅させるには、『アンタッチャブル』のエリオット・ネスと同じことをしなければできないかもしれない。だが片岡とエリオット・ネスの違いは、片岡はヤクザを人間だと思ってるように見えない。自分の出世のためには何人死んでも気にならない。正義のはずの警察が恐るべき「悪人」となった。「最初」石原の事務所に撃ち込んだのは、もしかしたら「片岡」かもしれない。

[「敵討ち」]



「やられた悔しさ」は僕も人間なので理解できる。「敵討ち」せずにいれないのが人間。実際自分がやられる立場になった時、僕はきれいごとを言えるだろうか? 木村に共感するかもしれない。自分も同じかもしれないとも思う。



だが「敵討ち」とは「自分が他人にしたことは、いずれ全部自分に返ってくる」こと。「復讐」は一度始めたら永遠に終わらない。「やったらやり返す」。「自分が他人にしたことは、いずれ全部自分に返ってくる」事件で、僕の最も強い印象に残ってる事件は「911」。「国」規模の「敵討ち」だった。

[「任侠道」]



■「で なんで木村のこと
  しゃべらなかったんすか?
  先輩も反省したわけですか?
  木村に悪いことしたって」
 「どう考えたって
  こっちの方が悪いだろ お前
  筋通しに来たヤツの顔
  切っちまったんだからよ」
 「やったやられたは
  お互いさまでしょ
  ヤクザなんだから」
 「ヤクザにも守んなきゃいけない
  道理があんだよ」


「国定忠治」「森の石松」の時代の日本のヤクザは、「義理」「人情」の「任侠道」を貫いた。「弱きを助け強きを挫く」という「堅気には手を出さない」イメージ。それが戦後には『仁義なき戦い』まで大きく変化した。「仁義」が死んだヤクザが「現代ヤクザ」のイメージとなった。1作目はその極限の酷い話まで到達したかもしれない。



『アウトレイジ ビヨンド』はまだ「任侠道」を貫こうとする人間、大友(ビートたけし)と木村を見せた。だが木村も、1作目からかなり人間を殺してきた。一見正義のように見える大友と木村だが、わずかな「任侠道」だけで過去の罪は消えない。木村が迎えた最期が北野監督の残酷な答えとなった。



『忠臣蔵』のような美談もあるかもしれない。「任侠道」で「敵討ち」に出た木村は「大友の視点」では「正義」。だがいかなる理由があっても人間を殺しては絶対いけない。「敵討ち」で殺し返せば、結果は殺した人間と同格の人間になってしまう。どこかで止めなければ「敵討ち」はどこまでも続く。

[「正義」と「悪」の判断]



「警察」の片岡。「任侠道」の木村。「視点」によって二人は「正義」でもある。



だが絶対騙されてはいけない。この世は「警察」だから「正義」とは限らない。何を持って「正義」と「悪」を判断するのか? 自分自身の「信念」「価値観」「倫理観」が何かを、『アウトレイジ ビヨンド』は問い掛けてるのかもしれない。




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『アウトレイジ』

画像 2018年 7月