『私の叔父さん』 | やりすぎ限界映画入門

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ダイナマイト・ボンバー・ギャル @ パスタ功次郎

■「やりすぎ限界映画工房」
■「自称 “本物” のエド・ウッド」


■『私の叔父さん』
やりすぎ限界映画:☆☆☆☆★★★[95]

2012年/日本映画/99分
監督:細野辰興
出演:高橋克典/寺島咲/松本望/山田キヌヲ/草野康太/長谷川初範/鶴見辰吾/松原智恵子

2012年 第28回 やりすぎ限界映画祭
2012年 ベスト10 第9位:『私の叔父さん』
やりすぎ限界男優賞/やりすぎ限界女優賞/やりすぎ限界監督賞/やりすぎ限界脚本賞:『私の叔父さん』


[ネタバレ注意!]※見終わった人が読んで下さい。



やりすぎ限界女優賞:寺島咲


やりすぎ限界男優賞:高橋克典


やりすぎ限界男優賞:鶴見辰吾


やりすぎ限界男優賞:長谷川初範


やりすぎ限界女優賞:山田キヌヲ


■第4稿 2020年 5月15日 版

[「近親婚」「良識という名の嘘」]



■「もっと速く走って」
 「何だって?」
 「死のうよ!
  あのダンプに突っ込んで」
 「バカ言うな」
 「兄ちゃん死ぬしかないじゃない
  金もないし 女にもてないし
  夢も壊れたし どん底じゃない
  小さい時世話になったから
  私一緒に死んであげるからさぁ!」


「近親婚」は法律で禁止されてる。「遺伝子疾患」を持つ子供が産まれる確率が高いことが、一番大きな理由だろう。

「良識」とは「物事の健全な考え方」「健全な判断力」。人間社会では「やって良いこと」と「やって悪いこと」がある。「近親婚」はこの世の「良識」において絶対「やって悪いこと」。だが夕季子(寺島咲)と構治(高橋克典)は「良識」に逆らえず「死別」する。夕季子の死因は「交通事故」だが、どんな事故か解からない。「自殺」の可能性を感じた。



「死別」と「近親婚」以外の道はないのか? 極限のくそリアリズムで「もし自分だったら」と考える。「遺伝子疾患を持つ子供は作らない約束」「法律上の婚姻はしない」など、「死別」と「近親婚」以外にも、二人が生きる道はあったかもしれない。だが「世間体」という「良識」からどんな中傷を受けたか解からない。それでも「死別」よりは絶対「正しい」。

人間が死んでまで「近親婚」は「間違ったこと」なのか? 「良識」が本当に「正しいこと」か「間違ったこと」かを『私の叔父さん』が抉る。「細野辰興監督」に「良識という名の嘘」が何かを思い知らされた。

[「本命ではなかった人間」]



布美雄(鶴見辰吾)が他人に見えなかった。女性が魅力的だった場合、当然言い寄る男は大勢現れる。だが結婚は一人の相手としかできない。「選ばれなかった人間」は、あきらめて他の相手を探すしかない。

僕の人生は「選ばれなかった人間」の「悔しさ」ばかりだった。「モテる男」と比較され、どれだけ「敗北」を思い知らされたか知れない。フラれる度に「人格否定」された心境に陥った。だが冷静にフラれるのは自業自得。自分に「魅力がない」以外の理由はない。



もし「魅力がない」僕が、夕季子と構治のように、本命の相手と意思に反して「破局」しなければならなかった女性と結婚したとする。「本命ではなかった人間」の僕は、本当に幸せになれるのだろうか?

夕季子と布美雄の娘、夕美子(松本望)が、母親が死んで「20年」も経ってから、「叔父さんは 母さんを愛しとったけど抱けんかったから 代わりに私を抱いた」「叔父さんは母さん愛してたし 母さんだって 父さんのこと裏切って叔父さん愛してたのよ」と言い出す。

描かれてないが、母親の生前、娘を「不安」「心配」させた挙動不審な行動があったのかもしれない。「腑に落ちなかった」娘が、忘れられず真相を調べたとしたら、「絶対ありえない」話に見えなかった。

最初は開き直ってた構治が、夕美子に「破壊」される。20年前の真実を全部暴かれてしまう。



「もし」、『トワイライト・サーガ』シリーズで、エドワードが身を引いて破局し、ベラとジェイコブと結ばれたとする。ベラはエドワードを完全に忘れることができるだろうか?

「もし」、ジェイコブと結ばれた後ベラが「自殺」したら、ジェイコブはどうなってしまうだろう? 「自分がエドワードから奪わなければベラは死ななかった」と、「自分を死ぬまで責める」「後悔」を「生涯背負って生きる」ようになるかもしれない。



強引な「破局」を強いられたカップルが、実際「自殺」を計った話を、子供の頃から僕の身の周りでも多く聞いた。実際に「自殺」する可能性が、「絶対ありえない」と思えないのが怖い。「本人のため」「世間体」「良識」で、強引に「破局」させた結果「自殺」してしまったら、「幸せ」どころか「本末転倒」。もはや「何で別れたのか」、これほどバカな話はない。

現実に、本命の相手との意思に反した「破局」は、関わる人間を全員不幸にするように思える。「本命ではなかった人間」の僕がそんな女性と結婚できても、「絶対」幸せになれると思えない。互いに「不快」な気遣いをする結婚はしたくない。

「隠し切れなかった」夕季子と構治の極限のくそリアリズムに「震撼」「驚愕」「絶句」。涙が出た。結局「あの時ああしてたら……」という後悔を、関わる人間全員が生涯背負って生きねばならなくなる。『私の叔父さん』は、「本心」ではないカッコつけた「遠慮」「謙遜」で身を引いても、生涯後悔を引きずることを思い知らせた。

[絶対あってはならない「墓の前で笑うこと」]



絶対あってはならないことは「墓の前で笑うこと」。墓の前で笑わないために夕季子と構治はどう生きるべきだったか? 「しょうがない」で終わらせるか、「世間体」「良識」に挑み妥協案を模索するべきだったか。

構治の「墓の前で笑うこと」が「正しいこと」か「間違ったこと」かは見る観客に委ねられる。僕は絶対完全な間違いだと思う。死んでしまったら「本末転倒」。「死ぬ」くらいなら、人に中傷されても生きてた方が絶対いい。「良識」が「良識」ではなくなる現実、「良識という名の嘘」が何かを思い知った。




画像 2019年 3月