日記「今日見た映画 2018」56『馬を放つ』 | やりすぎ限界映画入門

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ダイナマイト・ボンバー・ギャル @ パスタ功次郎

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■「自称 “本物” のエド・ウッド」


■『馬を放つ』
☆☆☆☆★★[90]

2018年/キルギス=フランス=ドイツ=オランダ=日本映画/89分
監督:アクタン・アリム・クバト
出演:アクタン・アリム・クバト/ヌラリー・トゥルサンコジョフ/ザレマ・アサナリヴァ/タアライカン・アバゾバ

■2018年 劇場公開作品 56本目

「キルギス」という国名をどこかで「うっすら」聞いたことがあったかもしれない。だが実在する国だと「今頃」「初めて」思い知って「かなり」「反省」「懺悔」「償い」。

「キルギス」という国について「何一つ殆ど砂粒ほども知らなかった」から、「見たもの全部」が「生まれて初めて見た風景」で「大きい方垂れ流し」。

あまりに「知らな過ぎた」から、見終わって調べる以外、話を理解する方法はなかった。「中央アジアの美しい国、キルギス」。「遊牧文化を基礎とするキルギスでは、無形の文化が発展してきた」ため、民族は「キルギス系」「ウズベク系」「ロシア系」「ドウンガン系」………… と混在し、言語も「国語」「キルギス語」と「公用語」「ロシア語」が混在するなど「何一つ殆ど砂粒ほども知らなかった」。「見たもの全部」が「生まれて初めて見た風景」の「ショック」「衝撃」に「大きい方垂れ流し」。逆に「今日まで」、「キルギス」をあまりに「知らな過ぎた」で生きてこれた自分自身に大きい方を漏らしたあげく「出るもの全部出て何も出るものがなくなった」。

「今日」「生まれて初めて見た風景」な国の歴史を「一夜漬け」「程度」で「てきとう」に調べたって、「ちゃんと」知れる訳がない。「映ってるもの」から、「想像」して見る以外の「選択肢」はなかった。

「遊牧民」が「遊牧しなくなった」背景は、「戦争」など何かあったに違いない。移動型民族「ジプシー」の『パプーシャの黒い瞳』を思い出し、「近いこと」があったのだろうと「想像」。

民族が「キルギス系」「ウズベク系」「ロシア系」「ドウンガン系」………… と混在するのは、「侵略」「植民地」があったのだろう。「ロシア語」が「公用語」なのに「イスラム教」。こんな国があったの「何一つ殆ど砂粒ほども知らなかった」。

■「でも いつかきっと-
  心の澄んだ男が現れ
  風のような駿馬を駆って
  月夜を走り抜けるでしょう
  カムバルアタを呼び
  許しを乞うために」

「貧富の差」が生まれた背景は、「今」の僕には解からないが、「貧富の差」が「教育の差」を生み出したのだろう。「言い伝え」「伝説」「昔話」を “本気” で信じる「アクタン・アリム・クバト」「ケンタウロス」が、盗んだ「馬を放つ」。

そんな「頭がいい」人間じゃない「ケンタウロス」が「言い伝え」「伝説」「昔話」を “本気” で信じ、盗んだ「馬を放つ」のが、「絶対悪人に見えない」。「頭がいい」「脳みそ」「想像力」を持たない人間の方が「人間らしい」という、恐るべき「極限の美」恐るべき極限のくそリアリズムを『馬を放つ』は見せた。「人間」を一括りに「絶対型に嵌めて見てはいけない」と「また」「これでもか」と思い知らされる。

「知らな過ぎた」「キルギス」にも、恐るべき “極限ダイナマイト・ボンバー・ギャル” 「ザレマ・アサナリヴァ」「妻」と、恐るべき “極限ダイナマイト・ボンバー・ギャル” 「タアライカン・アバゾバ」「浮気しかけた女」がいて「ガン見」。


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画像 2021年 11月