『マッドマックス サンダードーム』 | やりすぎ限界映画入門

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ダイナマイト・ボンバー・ギャル @ パスタ功次郎

■「やりすぎ限界映画工房」
■「自称 “本物” のエド・ウッド」


■『マッドマックス サンダードーム』
やりすぎ限界映画:☆☆☆☆★★★[95]

1985年/オーストラリア映画/107分
監督:ジョージ・ミラー/ジョージ・オギルヴィー
出演:メル・ギブソン/ティナ・ターナー/アンジェロ・ロシット/エドウィン・ホッジマン/アングリー・アンダーソン/ロバート・グラッブ/ヘレン・バディ/トム・ジェニングス/ジョージ・スパーテルズ/フランク・スリング/ブルース・スペンス/アダム・コックバーン/ロッド・ズァニック/ポール・ラーソン/キャサリン・カレン

D.B.G.生涯の映画ベスト50
第22位『マッドマックス』
(『マッドマックス2』『マッドマックス サンダードーム』『マッドマックス 怒りのデス・ロード』の全4部作を含めて)



[ネタバレ注意!]※見終わった人が読んで下さい。



やりすぎ限界男優賞:メル・ギブソン


やりすぎ限界女優賞:ティナ・ターナー


やりすぎ限界女優賞:ヘレン・バディ


■第3稿 2021年 11月28日 版

[ “家へ帰ります” ]




■「 “では 1ページを開いて”
   “一緒に ボンジュール”
   “お早う”
   “どちらへ?”
   “家へ帰ります”
   “家へ帰ります” 」







『マッドマックス サンダードーム』の「全て」が、“家へ帰ります” の台詞に向かって収斂されてるように見える。人間は再び「文明」と「秩序」を取り戻す道へ向かう。“家へ帰ります”。人間が人間らしく生きる元の世界へ、マックス(メル・ギブソン)と共に帰る時がきた。






結局人間は「法律」「警察」がないと生きれないことに気づく。『マッドマックス サンダードーム』を見て「圧倒的」「決定的」「絶対的」に思い知らされる。






「1作目」「今から数年後」、「2作目」「パニックの時代」、「3作目」「世界の終り」。「ジョージ・ミラー監督」が生み出した「警察が消えた世界」「暴力が支配する世界」が最期に到達したのは、人間が人間らしく生きる元の世界への「帰郷」。もう一度「文明」と「秩序」が復活の気配を見せる。

[「神の視点」「一大叙事詩」]






「警察が消えた世界」「暴力が支配する世界」では、「他人のことを考えない人間」だって「安心」して生きれない。「不安」に怯えてたら「熟睡」だってできないはず。「他人のことを考えない人間」にも限界はある。「警察が消えた世界」「暴力が支配する世界」に疲れた人間達の恐るべき極限のくそリアリズムを『マッドマックス サンダードーム』に見た。






「2作目」の後「 “ドカン!” と世界の 終わりが来て すべて消えた」。多分「核戦争」で「全世界壊滅」した。生き残った人間、アウンティ(ティナ・ターナー)達が「バーター・タウン」で生み出したのは「掟」だった。






「核戦争」で「崩壊」した世界を「復興」させた「人間」の姿を見つめる「ジョージ・ミラー監督」の視点が、「神の視点」から人間を見つめる「一大叙事詩」に見える。




『マッドマックス サンダードーム』が「神の視点」「一大叙事詩」に見えるのは、『マズローの欲求5段階説』「そのもの」に見えるから。古代から現代まで、人類が「想像力」を持ってどのように歴史を築いてきたかに見える。1段階「生理的欲求」2段階「安全欲求」が満たされると、アウンティやマスター・ブラスターのような3段階「社会的欲求」4段階「尊厳欲求」を抱く「支配者」「独裁者」が現れた。

[「支配者」「独裁者」の「都合がいい政治」]




■「争いは殺し合いを招き
  戦争を呼ぶ
  戦争は何を招いたか?
  我々は このザマで
  放射能の雨に打たれてる
  その苦い体験で
  バーター・タウンは学んだ
  争い事はすべて
  ここで始まり ここで終わる
  2人が入り 出るのは1人」


「2人が入り 出るのは1人」の「掟」がもの凄い「教訓」に見えた。「争い事」の芽を全部潰してしまえば「絶対戦争は起きない」。また「サンダードーム」は人間の「闘争本能」を潰す役割も果たす。「争い事」を起こすなら「死」を覚悟しなければならない「掟」。さらにローマのコロッセオのように「争い事」を「残虐な娯楽」にして見せることで、人間が持つ「闘争本能」を「アクション映画」を見て「心の中で消滅させる」のと同じ効果も果たした。






だが「絶対だまされてはいけない」。「サンダードーム」に「裁判」はない。




■「きたない取り引きだ」

マックスは「文明」と「秩序」があった時代の「信念」「価値観」「倫理観」が消えない。「知的障害者」、「刑事責任能力」がない人間を「死刑」にできない。「やっぱり」「警察官」だった。マックスは「警察官」である「宿命」から逃れられない。




■「2人入って 出るのは1人」
 「静まれ!
  静まれ!
  あたしの掟だよ
  あたしに任せておくれ
  彼は掟を破り
  約束を全うしなかった
   “運命のルーレット” で
  片をつけよう」







「サンダードームでいいのか?」 「古墳」や「ピラミッド」の時代級「支配者」「独裁者」の「都合がいい政治」で、「他人のことを考える人間」が死に「他人のことを考えない人間」が生きる可能性が高い「掟」は、「絶対人間らしくない」。「裁判」は「法律」「警察」「正義」を「さらに」際立たせる存在、「想像力」を持つ「人間らしさ」を表現する存在であることを、「サンダードーム」は思い知らせた。

[「知ってた」「知らなかった」]






“死の追放” からサバンナ(ヘレン・バディ)に助けられたマックス。砂漠に水が湧き出るオアシスへ導かれる。「ウォーカー機長」の帰りを待つ、「大人がいない」「子供だけの部族」がどうやって「核戦争」を生き残ったかは解からない。






「ジョージ・ミラー監督」の「怖さ」に「泣きながら」ビビって震え上がり、「震撼」「驚愕」「圧倒」「尊敬」「絶句」+「敬意」「賞賛」「崇拝」で大きい方を漏らしたあげく「出るもの全部出て何も出るものがなくなった」のは、「ジョージ・ミラー監督」が創造した『マッドマックス』旧3部作「圧倒的美術」「狂気の世界観」が、「サンダードーム」とか「子供だけの部族」とか、「核戦争後」の世界が「本当にこうなりそう」「本当にそう見える」恐るべき極限のくそリアリズムの “極限領域” に到達してたから。





偶然辿り着いたオアシスで『青い珊瑚礁』のようなことが起きたのかもしれない。恐るべき極限のくそリアリズムを見たのは、「ここで静かに 長く暮らす」マックスの提案にサバンナが「疑問」を抱くこと。




「文明」を「知ってた」人間じゃない、「知らなかった」人間にも「疑問」が生まれる。「ここで静かに 長く暮らす」ことができない人間もいる。「想像力」の生み出す「疑問」「感情」から「絶対逃れられない」ことも「人間らしい」。結局「法律」「警察」「正義」、「文明」「秩序」を生み出した、「教え」「教育」なくして、人間は生きれないことを思い知るしかなかった。

[「メル・ギブソン」「俳優生命限界点」「伝説」]






『マッドマックス 怒りのデス・ロード』に繋がる「圧倒的美術」「狂気の世界観」は『マッドマックス サンダードーム』で「完全完成」した。「ジョージ・ミラー監督」が創造した『マッドマックス』旧3部作「圧倒的美術」「狂気の世界観」が『北斗の拳』に与えた影響は計り知れない。






『マッドマックス』旧3部作とは、「警察が消えた世界」「暴力が支配する世界」の「絶望」の中で、「半分に分ける」「他人のことを考える人間」、最も「人間らしい」、「崇高」な「志」の「信念」「価値観」「倫理観」を貫いた「警察官」の物語。そして「法律」「警察」「正義」こそが「人間らしさ」を「表現」するという「ジョージ・ミラー監督」の「教え」。






「メル・ギブソン」版『マッドマックス』旧3部作ここに完結。「80年代」の歴史にその名を刻んだ偉大な「大スター」は『マッドマックス』旧3部作で確実な何かをこの世に残した。「メル・ギブソン」「俳優生命限界点」に到達した『マッドマックス』旧3部作は、永遠に語り継がねばならない「伝説」となった。




『マッドマックス』
『マッドマックス2』
『マッドマックス サンダードーム』
『マッドマックス 怒りのデス・ロード』

画像 2021年 11月