回顧録「いつか見た映画 1991」65『12人の優しい日本人』 | やりすぎ限界映画入門

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■『12人の優しい日本人』
やりすぎ限界映画:☆☆☆☆★★★[95]

1991年/日本映画/116分
監督:中原俊
出演:塩見三省/相島一之/上田耕一/二瓶鮫一/中村まり子/大河内浩/梶原善/山下容莉枝/村松克己/林美智子/豊川悦司/加藤善博

■1991年 劇場公開作品 65本目

とにかく「不真面目」で、「逃げて逃げて逃げまくった」「日本映画」への「罪悪感」「トラウマ」が「今」も消えない。「罪悪感」「トラウマ」を消すには、『エイリアン2』のリプリーのように「対決」するしかない。「超話題作」『12人の優しい日本人』をとうとう「初めて」見た。「ツケ」をまた「返済」した。

『十二人の怒れる男』の「オマージュ映画」「パロディ映画」だと知り、「オリジナル」『十二人の怒れる男』の「どこをどう変えたか?」を「確認」した。これは「オリジナル」『十二人の怒れる男』を見てから「リメイク映画」『12人の優しい日本人』を見た方が面白いはず。

「リメイク映画」『12人の優しい日本人』が「かなり」面白かったのは、『十二人の怒れる男』がどれほど面白いかの証明。だが「もし日本にも陪審制があったら?」という「架空の設定」の創作は、こんなの「絶対ありえない」はずだが、「もし日本にも陪審制があったら?」「日本人ならどうなるか?」という、完全な真似ではない、極限のくそリアリズムが面白かった。

『十二人の怒れる男』と全く同じにしないための「ひねり」が凄かった。「三谷幸喜監督」「中原俊監督」の凄さを「今頃」思い知り、「震撼」「驚愕」「圧倒」「尊敬」「絶句」。おしっこ漏らして「反省」するしかなかった。

「他人のことを考える人間」「他人のことを考えない人間」のテーマが『十二人の怒れる男』より「露骨」。ラストは「オリジナル」あっての面白さだが、それを超える「やりすぎ」な表現が僕好みだった。「豊川悦司」が何ですごいのか? 「今頃」思い知るしかなかった。何が「オマージュ」「パロディ」なのか、「日本映画」「三谷幸喜監督」「中原俊監督」の凄さを「今頃」思い知り、また「深く」「深く」「反省」するしかなかった。




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「いつか見た映画 1991」64『波の数だけ抱きしめて』
「いつか見た映画 1991」65『12人の優しい日本人』
「いつか見た映画 1991」66『ピストルと少年』
「いつか見た映画 1991」67『ステート・オブ・グレース』
「いつか見た映画 1991」68『ホット・スポット』
「いつか見た映画 1991」69『ぼくの美しい人だから』
「いつか見た映画 1991」70『テラコッタ・ウォリア 秦俑』
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画像 2020年 2月