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■『バイオハザード ザ・ファイナル』
やりすぎ限界映画:☆☆☆☆★★★[95]
2016年/アメリカ映画/107分
監督:ポール・W・S・アンダーソン
出演:ミラ・ジョヴォヴィッチ/アリ・ラーター/ショーン・ロバーツ/ルビー・ローズ/オーエン・マッケン/フレイザー・ジェームズ/ローラ/イ・ジュンギ/ウィリアム・レヴィ/イアン・グレン/エヴァー・アンダーソン
■2016年 劇場公開作品 46本目
『X-MEN』シリーズと同じく「全作」見てるが全作「殆ど覚えてない」。だがなぜか見てしまう「不思議な魅力」がある。
「1作目」は恐るべき “極限ダイナマイト・ボンバー・ギャル” 「ミラ・ジョヴォヴィッチ」が、赤いスカートでスローモーションの飛び蹴りしたのを覚えてる。
「2作目」は恐るべき “極限ダイナマイト・ボンバー・ギャル” 「シエンナ・ギロリー」がいたことと、最後の敵が『ビルとテッドの地獄旅行』の「ステーション」みたいな奴だったのを覚えてる。(※「シエンナ・ギロリー」が「4作目」「5作目」にも出てた記憶はない)。
「3作目」は乗り物が『マッドマックス2』のトレーラーと同じ「機関車」の装甲がついてたのを覚えてる。(※「6作目」の恐るべき “極限ダイナマイト・ボンバー・ギャル” 「アリ・ラーター」が、「3作目」「5作目」にも出てた記憶はない)。
「4作目」は船の上で戦ったのを覚えてる。(※恐るべき “極限ダイナマイト・ボンバー・ギャル” 「中島美嘉」が、「4作目」「5作目」に出てた記憶はない)。
「5作目」は「もう殆ど何も覚えてない」。
「もう殆ど何も覚えてない」シリーズを、なぜ「全作」見てしまったのか? 恐るべき “極限ダイナマイト・ボンバー・ギャル” 「ミラ・ジョヴォヴィッチ」の「圧倒的」な「極限の美」に、夏のコンビニの「ブルーライト」に吸い込まれる「虫」のごとく「惹き寄せられた」「以外」理由はない。
だがこんな僕がとうとう「6作目」にして「覚醒」したのかもしれない。『バイオハザード ザ・ファイナル』が面白く見えてしまった。なぜ「全世界大ヒット」で「14年間」に「6作品」も作られたのか? 「『バイオハザード』シリーズが大好き」という声を多く聞いてきたが、僕自身が共感できなかったから、どこが面白いのか解らなかった。
遊園地にある「お化け屋敷」は一体なぜあるのか? 僕は臆病なので、子供の頃から「お化け屋敷」から逃げてきた。「新倉イワオ」の『あなたの知らない世界』を恐れてきた僕は、「お金払ってまで怖い思いがしたい」人間の気持ちが解らなかった。
僕にとって「怖いもの」は、「現実の人間」以外なかったのだろう。「新倉イワオ」の『あなたの知らない世界』を恐れてきたのは、極限のくそリアリズムの「人間の恨み」を一番怖いものと思ってたからだ。だが「怖い」にも種類があり、「ビックリすること」「スリルを味わうこと」を「一番怖い」と思う人がいることが解かった。
現代になっても「お化け屋敷」の「普遍性」は消えない。「お化け屋敷」があるのは、「ビックリすること」「スリルを味わうこと」を「娯楽」「楽しみ」だと考える人間がいるから。『バイオハザード』や、種類によって「ホラー映画」、「お化け屋敷」が、「ビックリすること」「スリルを味わうこと」で人を楽しませるために存在することを理解した。
となると『バイオハザード』シリーズ「全6作」は「ビックリすること」「スリルを味わうこと」の「最高峰」だ。「後ろからくる」「スリル」、「逃げられない」「スリル」、「ビックリすること」「スリルを味わうこと」を、それこそ「分単位」で「これでもか」と畳掛ける。
『バイオハザード』シリーズ「全6作」は「お化け屋敷」の「普遍性」なのだ。「お金払ってまで怖い思いがしたい」人に、「2時間たっぷり」「分単位」で「ビックリすること」「スリルを味わうこと」を楽しませる。もはや「話なんかどうでもいいこと」も理解できた。「生きる」「死ぬ」のリアリズムではなく、「後ろからくる」「逃げられない」「スリル」の体験を味わう楽しみなのだろう。突然「ポール・W・S・アンダーソン監督」が魅せる「スリル」が、「神業」「職人芸」に見えた。
さらに、恐るべき “極限ダイナマイト・ボンバー・ギャル” 「ミラ・ジョヴォヴィッチ」が、「神業」「職人芸」の「スリル」を、「どうやっつけるか?」「どうかわすか?」、『バイオハザード』のファンは「ミラ・ジョヴォヴィッチ」のカッコよさに釘付けなのだ。
恐るべき “極限ダイナマイト・ボンバー・ギャル” という言葉は、「極限の美」を持つ、この世のものとは思えない「極限美女」のことを意味する。もし、クァク・ジェヨン監督の「彼女シリーズ」が見せる「強い美女」が、この世の恐るべき「最強」の “極限ダイナマイト・ボンバー・ギャル” =「極限美女」であるなら、『バイオハザード』シリーズの「アリス」も全く同じ。「アリス」は、「極限美女」の「絶対領域」 “棲息速度域” と言って大袈裟ではない。かつて秋本鉄次氏が「アンジェリーナ・ジョリー対ミラ・ジョヴォヴィッチ」と言ってた言葉を「かなり」思い知った。
なぜここまで、『バイオハザード』シリーズの「ミラ・ジョヴォヴィッチ」は、これ以上ないまで「極限の美」に輝けたのか? 2007年「3作目」の時、「ミラ・ジョヴォヴィッチ」と「ポール・W・S・アンダーソン監督」に子供が産まれた。以後今日まで「ポール・W・S・アンダーソン監督」は、「妻」のために「4作目」「5作目」「6作目」を撮ったのかもしれない。「妻」を「もうこれ以上美しく撮れない限界点」まで「極限の美」に輝かせることなど、絶対「愛してなければできない」。『バイオハザード』シリーズが「ミラ・ジョヴォヴィッチ」と「ポール・W・S・アンダーソン監督」の「愛の映画」と思い知り、「心からうらやましくなり嫉妬した」。
「最期」など信じない。僕は「7作目」ができると思う。
だがたった一つ、僕が「崇拝」する、「日本」が誇る恐るべき “極限ダイナマイト・ボンバー・ギャル” 「ローラ」が、アンデッドにあっさり殺されてしまったことだけ、最期まで「絶対納得できなかった」。
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