大橋荘で生活をするようになったのは1985年の春からであり、4月1日から放送がスタートした「夕やけニャンニャン」のレギュラーであったとんねるずは、シングル「青年の主張」のリリースを控えていた。よって、とんねるずにとって初のヒット曲(オリコン週間シングルランキングで最高19位)であった「一気!」は、すでにテレビでは歌われていなかったような気がする。
「一気!」のテレビのパフォーマンスでは、「オールナイトフジ」で石橋貴明が高額なカメラを壊してしまい、青ざめるというシーンが有名であったが、まだ人気は全国区ではなかったような気がする。とんねるずのことは「お笑いスター誕生」で観て知っていたのだが、その後、番組は私が高校生として生活していた北海道でのネットが打ち切りになったこともあったのだろうが、テレビで見かけることはほとんどなくなったような気がする(実はこの件については事情があったようなのだが、私がそれを知るのはこれよりもかなり後のことになる)。
1984年ぐらいに、とんねるずが「オールナイトフジ」に出演していて若者に人気というような記事を「オリコンウィークリー」かなにかで読んだような気がするのだが、当時、この番組は北海道ではネットされていなかったので、その実態はなかなかつかみにくいものであった。大学受験のために1985年の2月に東京のホテルに宿泊し、そこで「オールナイトフジ」を初めて観た。他に「ヤンヤン歌うスタジオ」などにもとんねるずは出演していて、確かにあの「お笑いスター誕生」に出演していたとんねるずだし、かなり勢いがあることも実感できた。その後、「オールナイトフジ」の女子高校生版というようなコンセプトでスタートした「夕やけニャンニャン」は「オールナイトフジ」よりも、より多くの局で放送されていて、これによってとんねるずの人気は全国区に拡大していったのではないかというような気がするのだが、その頃、私はすでに東京での一人暮らしをはじめていたので、その広がっていく感じについてはよく分からない。
「一気!」はコンパなどにおける、いわゆる酒の一気飲みをテーマにした曲なのだが、冒頭にとんねるずの2人による自己紹介のようなセリフが入る。「押忍!帝京高校出身 東武東上線 成増在住 石橋貴明!」「押忍!祖師谷大蔵下車 徒歩18分 木梨サイクル長男 木梨憲武!」というのがそれである。歌詞カードでは「祖師谷大蔵」となっているこの駅の正式な表記は、「祖師ヶ谷大蔵」である。成増と祖師ヶ谷大蔵というのは東京都内の地名でもそれほど有名ではなかったと思うのだが、東京で一人暮らしをはじめたばかりの私は、とんねるずが住んでいる街として、この2つの地名をすぐに覚えた。成増に至っては、3月21日にリリースされたとんねるずのデビュー・アルバムのタイトルにすらなっていた。巣鴨の西友の中にあったレコード店で、このアルバムのジャケットがディスプレイされているのをよく見かけた。
水道橋にあった研数学館という予備校でたまたま隣に座っていたことから話をするようになった生徒は千葉県の松戸に住んでいるということで、一度遊びに行ったことがあるのだが、彼に部屋に「成増」のLPレコードがあった。「振り向けば自転車屋」というタイトルの木梨憲武のソロ曲が収録されていて、松山千春のパロディーのような歌い方がされていた。作詞はアルバムに収録された他の曲と同様に秋元康であり、後に結婚することになるおニャン子クラブの高井麻巳子もまた、「会員番号の唄」において「私の実家は福井県 四人姉妹の自転車屋 どなたか養子に来てください」と歌っていた(作詞はこちらも秋元康である)。
木梨憲武の実家が自転車屋で、祖師ヶ谷大蔵駅から徒歩18分のところにあるという情報はなんとなく頭に入っていたのだが、わざわざ見にいくほどには熱心なファンではないままに年月は流れ、数年前、実は木梨サイクルが住んでいる場所や当時、働いていた場所からわりと近くにあることを知った。ある日、自転車がパンクしたようで、たまたま近くにあった自転車屋が木梨サイクルだったので持っていったところ、木梨憲武がスタッフのような人たち何名かと一緒に来ていて、ひじょうに驚いた。その後もライトが点かなくなったりタイヤの空気が少なくなったり鍵を失くしたりして、木梨サイクルには何度か自転車を持ち込んだのだが、ひじょうに丁寧な接客とやさしい価格設定で、地元から愛されている理由が分かった。遠くから来て店頭の写真を撮ったり、店の2階にあり、様々なグッズが販売されたり展示されてもいる喫茶スペース、なごみ堂を利用する人々の姿も見かけるが、基本的には街の自転車屋さんとして根づいている印象がある。
ただ1つだけ疑問があり、「一気!」の歌詞にあったように、祖師ヶ谷大蔵駅から徒歩18分もかかるとは思えないのだ。商店街を歩いて、せいぜい5~6分ぐらいだろうか。地元の人に話を聞いたところ、以前はより塚戸十字路沿い、住所としては千歳台の方にあったのが現在の場所に移転したのだという。塚戸十字路から烏山の方面に向けて歩きはじめると、やがて東京テラスという大きなマンションがあるのだが、ここにはかつて青山学院大学理工学部のキャンパスがあった。そして、塚戸十字路のところはウルトラマン商店街の最果てというか、こちら側から見ると入口でもあり、空中にウルトラマンのフィギュアが浮かんでいる。ウルトラマン商店街の街頭はいろいろなウルトラマンの顔の形をしていたりするのだが、これはかつてウルトラマンシリーズを制作していた円谷プロダクションの本社、また、円谷英二の自宅がこの辺りにあったことから2005年に生まれたもので、祖師谷みなみ商店街、祖師谷商店街振興組合、昇進会を総称したものだという。
それではかつて木梨サイクルがあった場所は一体どこなのだろうと気になって調べてみたところ、祖師ヶ谷大蔵の方から見てスーパーのサミットを超え、村田自動車の少し先、現在は駐車場になっている辺りらしい。
ところで、私が大橋荘で生活をはじめた1985年に放送された「オールナイトフジ」において、木梨憲武が木梨サイクルの斜め向かいにあるという甘ぼうさんというお店のことを話している。アイスクリームを2個しか買っていないのに、木のヘラのようなものを4個ぐらい取ると、あんまり持っていかないでね、というようなことを言われるらしい。石橋貴明がこのくだりを気に入り、木梨憲武に再現を再度促したりもしている。
現在、甘ぼうという和菓子店が経堂にあるようなのだが、これが当時、木梨憲武が言っていた甘ぼうと関係があるのかどうかは定かではない。しかし、現在、祖師ヶ谷大蔵の近くに甘ぼうという菓子店は存在しない。インターネットでいろいろ調べていたところ、電話番号の詳細情報として祖師谷の甘ぼうという菓子店が表示され、祖師ヶ谷大蔵駅から徒歩約16分ということである。おそらく現在はクリーニング店となっている物件なのだが、確かにかつて木梨サイクルがあったと思われる場所の斜め向かいである。
そして、さらにいろいろ調べていくと、木梨サイクルの村田自動車とは反対側の隣には、茶釜なるラーメン店があり、当時は地元の人たちにかなりの人気だったのだという。手打ちの太麺が特徴だったようだが、1990年代に町田の成瀬に移転した後は客足が伸びず、閉店してしまったらしい。
茶釜のラーメンは、福島県の白河ラーメンの流れを汲むものだったようだ。その後、祖師ヶ谷大蔵と同じく小田急線沿線である梅ヶ丘に茶釜と同じようなタイプのラーメンが食べられる店を発見し、茶釜の味を懐かしむ人々を感動させたらしい。やはり白河ラーメンだったのだが、実は微妙に系統が異なっていたのだという。
梅ヶ丘にあったこの店の店主は白河ラーメンの発祥といわれているらしい、福島のとら食堂に行き、その後、その分店である横浜の白河中華そばで修行をしたのだという。その後、父が営んでいた中華料理店、一番を白河ラーメンの一番・胤暢番としてリニューアルオープンしたのだという。それが2002年のことで、2008年には町田に移転し、一番いちばんという店名でかなりの人気店になっているようである。
白河ラーメンにはとら食堂の流れを汲むとら系とは別に、昭和22年創業の茶釜食堂を元祖とする、茶釜系というのも存在するらしい。かつて木梨サイクルの隣にあったラーメン店、茶釜のラーメンはつまりこれにあたるものだったと思われる。
ところで今年のはじめに、福島県にある親の実家に行っていたという若者からお土産にご当地ラーメンをもらった。よく駅やパーキングエリアで販売されているようなタイプのものである。福島のご当地ラーメンといえば喜多方ラーメンのイメージが強く、坂内食堂をルーツとするチェーン店、喜多方ラーメン板内を東京でもよく見かける。その時にもらったお土産用のラーメンは福島では喜多方ラーメンと並ぶぐらいに有名だというのだが、特にご当地ラーメンに詳しいわけではない私にとっては初めて聞くものであった。パッケージには白河ラーメン、元祖とら系と書かれていた。
自宅で調理されたものを食べてみると、シンプルなようではあるが、とても美味しいものであった。町田の一番いちばんには、機会があれば行ってみたいと強く思っている。
祖師ヶ谷大蔵はまた、シンガー・ソングライターの柴田淳が生まれ育った街でもあるという。現在、スーパーのオオゼキになっている場所はかつて長崎屋だったらしく、2階に小さなラーメン店があったのだという。お子様セットとソフトクリームが、柴田淳のお気に入りだったようだ。ここは祖師谷で初めてエスカレーターが付いた店らしく、現在も入口からすぐのエスカレーターに乗ると、2階のダイソーに行くことができる。
少し前までダイソーは、駅を超えた南側の商店街にもあった。1階がハックドラッグで2階がダイソーだったのだが、2017年に建物ごと閉店し、現在は1階がオオゼキ、2階が24時間営業のエニタイムフィットネスになっているようだ。ここは元々、1968年にオープンした西友だったのだという。