「(500)日のサマー」について。 | …

i am so disapointed.

「(500)日のサマー」という映画は2009年8月7日、つまり夏真っ盛りの時期にアメリカで公開されたらしく、タイトルに「サマー」が入っていて海外メディアなどの夏の映画リストなどに入っていることもある。とはいえ、「(500)日のサマー」の「サマー」というのは季節の夏というわけではけしてなく、ヒロインの名前なのであった。タイトルがあらわしているように、500日間のことが取り上げられているのだが、そこにはもちろん春夏秋冬がある。それでもなんとなく夏が来ると見たくなる。特にあのダリル・ホール&ジョン・オーツ「ユー・メイク・マイ・ドリームス」が流れるシーンである。

 

私が全米ヒット・チャートを追いはじめた頃、「キッス・オン・マイ・リスト」が1位になっていて、純粋に良い曲だと思ったのでシングルを買った。「ユー・メイク・マイ・ドリームス」は同じアルバムからシングル・カットされ、これも全米シングル・チャートで最高5位のヒットを記録した。しかし、秋には新曲「プライベート・アイズ」がリリースされ、全米シングル・チャートで1位を記録したため、「ユー・メイク・マイ・ドリームス」の印象はなんとなく薄くなっていた。

 

「(500)日のサマー」において「ユー・メイク・マイ・ドリームス」は主人公のトムが好意を寄せている相手との関係が深まり、ひじょうに満ち足りた気分で晴れた街路を歩く時のBGMとして流れる。道行く人々はまるでミュージカルのように踊り出し、アニメーションの青い鳥まで現れる。現実的にこのようなことは起こりはしないのだが、たとえば恋をしている時、世界はこんなふうに見えることがある。この映画を見てから、「ユー・メイク・マイ・ドリームス」が大好きになった。

 

とはいえ、映画のはじめの方でナレーターのような人が語っているように、この作品はボーイ・ミーツ・ガールの話ではあるが、ラヴ・ストーリーではない。

 

主人公のトムはグリーティングカードの会社で働いている。世の中の多くの労働者たちと同様に、本当はそれほどやりたくもない仕事をしていて、日常に退屈というかもしかすると軽く絶望しかけているのかもしれない。一方で運命の出会いなるものに期待をしているというか、運命の人が現れない限り、根本的にしあわせにはなれないとすら考えているようなところがある。そして、イギリスの暗いインディー・ポップを愛好しているようにも紹介される。

 

通勤時、オフィスのエレベーターの中でヘッドフォンから流れるザ・スミスを聴いている。ザ・スミスを好んで聴いている人達には、ある特徴があるように思える。同じ会社で秘書として働きはじめたサマーがエレベーターに乗ってきて、トムのヘッドフォンから漏れてくる音楽に気づく。そして、ザ・スミスを自分も好きだということを伝える。それは運命だと錯覚されて、そこから物語がはじまっていく。

 

オフィスパーティーのカラオケでトムはピクシーズの「ヒア・カムズ・ユア・マン」を、サマーはナンシー・シナトラの「シュガー・タウンは恋の町」を歌う。

 

トムは運命だと信じているが、サマーにはそもそもその考えがない。それでも、楽しみは共有できる。家具店のシーンなどは特に最高である。しかし、もちろん長くは続かない。憧れや欲望にまつわる甘くて苦い記憶がよみがえってきたり、かさぶたを無理やり剥がすかのような絶妙な快感がこの作品にはある。そこにはいつかの自分自身や記憶の中の彼女たちがいたりいなかったりもする。

 

映画の中で500日はけして順番に描かれているわけではなく、過去と未来を行き来するのだが、その構成もなかなかおもしろい。最後のシーンでトムは新しい女性と出会うのだが、彼女の名前というのがまた洒落ている。