油絵を描いています、けどマンガも始めました
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4コママンガ144 「細い葉の広葉樹?」

ご訪問ありがとうございます。

 

6月になりまして、ぼちぼち新緑の色が濃くなってきています。

 

 

「細い葉の広葉樹?」

 

 

 

 

びっくりしました。葉が毛虫に食べられて、軸だけになってました。
 
りんごとか桜とかに、葉が食べられているのが多いみたいです。最初は何の木か、全然分かりませんでした。きっと美味しいのでしょうね。
全部の葉が食べられている木もありますが、先っぽの一部だけ食べられているのもあります。
 
全部食べられている木は枯れるのではないかと思ったのですが、私が見た木は、翌年はちゃんとまた葉が出てきていました。先っぽだけ食べられた葉は、その後、白い蝶々が沢山飛ぶようになり、白い蝶が居なくなったらまた葉が繁って居ました。
 
ちょっと大丈夫なのか調べてみたのですが、先っぽの葉っぱだけが幼虫に食べられるのはよくある現象みたいで、1時葉がなくなるけど、また元に戻るから、問題視されないようです。
 
葉の軸とか、毛虫とか、色々びっくりしました。
 
 
 
 
 

4コママンガ143 「街路樹の剪定」

ご訪問ありがとうございます。

 

5月になりまして、札幌は桜の時期を過ぎて、ようやく新緑の時期となってきています。

 

 

「街路樹の剪定」

 

 

 

札幌の街路樹は、結構巨木が多いように思います。最初、この剪定を見て驚きました。雪が降るので、枝が長いと、倒木の危険があるので危ないのですよね。それにしても大胆です。木によっては、枝は全部落としたりしてますから。
 
あんなに切って大丈夫なのかなーと見ていると、ちゃんと夏にはきれいな樹形となります。時々、2年越しの木もありますが。

札幌は、街並みの美しさも、観光計画に入っているようなので、街路樹の手入れも結構細やかです。
 
 
 
 
 
 

解説 抽象画 「自由と制限の狭間 ーグルグルー」

ご訪問ありがとうございます。

 

紹介した抽象画の解説です。

 

 

自由と制限の狭間 ーグルグルー」油彩 SMキャンバスボード

 

自由な風情を描きたいと思いました。

 

抽象画は、学生の頃の若い時に、1枚描いたことがあります。なんたって、現代美術は、抽象画が主流ですものね。アーティストとしては、やっぱりその方向に向かわなくっちゃ、とか、気合いを持ったりして。

 

でも、描いたものは、全然納得いかないものでした。

 

自由な風情を描きたいと思ったのですが、自由に描くというのは、案外大変。描くのは簡単かもしれないけど、「自由」を描いて表現する、というのが大変でした。

 

最初の内は、待ってましたとばかり、自由に描いてみたりするのだけど、その内自由であることが何だか苦しくなってくる。自由に描いているけど、これでいいのだろうか、とか、何描いたらいいのだろう、とか、意味あるのだろうか、とか。

 

抽象画って、画面で分かりにくい分、説明が必要だと思うのですけど、若い時にトライした抽象画は、説明が自分でできないものでした。「何を描いたの?」「どうして描いたの?」と聞かれたら、「何となく」としか答えようがないものでした。

 

そういう説明ができないので、抽象画は棚上げした感じです。

 

それで、ある程度生きてきて、色々自分なりに見聞きして、検証してきて、AIが出てきたこの中において、自由について描きたいと思いました。

 

 

自由っていうけど、昔、自由に描いている内に、何だか息苦しさを感じたと言いましたが、そもそも人間の“自由“というのは、制限付きです。

 

自由にしたいー!って思っても、生きていくには、食べなくちゃならないし、寝なくちゃならない。健康でないと動くこともままならない、そもそも何かするためには、動かなくちゃならない。健康を維持しながら生きて行くことがまず結構大変。

 

時間でいうと、寝るのに準備とか入れてまず8時間位かかるし、食べるのだって1〜2時間はかかる。トイレに行ったり、お風呂に入ったり、着替えたり、この他に仕事とか買い物とか家事とかをこなさないと、生活は維持できない。そうすると、自分の意のままになる時間は大して多くない。

 

それが人間の自由。実に限られている。自由っていってもなあ…って軽く萎える。

 

人間の自由は、制限付きだから、だからきっと作品制作で“自由に“っていっても、そういう生理的な影響が出たのではないかと。自由に描くって言ったって、まずペンやら筆やらが必要だし、紙やら絵の具やらも必要。描くこと自体にもうすでに制限がかかっている。

 

でも、そもそもそんな限られた時間しかないのに、自由でいたいと希求する。しかも、“自由“を感じないと、だんだん気分が憂鬱になったりして、最悪、精神的に病んでしまったりする。

 

自由を感じることは、人間が健康に過ごすために、とっても大事な要素。

 

生成AIのイラストなどが出回って、見たりするのだけど、それらからは、完成度の高さとともに、息苦しさを感じる。人が描いたものなら、全ての作品に伸びしろを感じて、そこに自由度を感じられるのだけれども。

 

そう、その限られた時間である“自由“というのは、人間の伸びしろを模索する時間なのかもしれない。

 

例えば、仕事とか、自分の意のままにならない、制限された時間にいる中で感じた違和感などに関して、制限のない時間を使ってその違和感から、本当の自分の気持ちを考えていくといったような。

 

私は創作にあたり、「きれいだな」と思う絵を描きたいと思っていて、例えば昔の日本画の、胸がすくような画面だったり、「絵に描いたような美しい景色」に引用されるような美しい画面、といった。

 

そういう美しい画面を描くために、モチーフも花や風景を選んだりして、モチーフの力にも頼ったりしたのですが、今回は、モチーフに捉われない、抽象絵画表現で、「自由」な風情を描いてみようと思いました。

 

それで、今回の制作は、手と感覚に任せました。“なんかグルグルとした線が描きたい、明るい色使いがいいな“、と、考えたのはその位です。後は、“なんか曲線が多いので、直線が欲しいな“とか、感覚で空間を埋めていきました。

人間の制限付きの自由の中で、何が生まれるか、手に任せてみて。

 

この絵は、その若い時に描いた絵に似ています。あの頃も、そういう説明をしたかったように思います。あれから、色々絵を見たり、描いたりして、さすがに当時よりは表現の幅が広がっていて、同じように手に任せても当時よりは、画面的にも納得のいくものとなりました。

 

手と感覚に任せて描きましたが、こう見ると、古代の遺跡に描かれた模様に似てるかなと。潜在意識の中に、そういったイメージがあるのかもしれないですね…。

 

別に、目新しい表現でもなく、考え抜かれた画面構成でもないので、発表するのもどうかと思ったりもしたのですが、生成AIの出現による緊張感のある中、気負わない、自由さを表現したいと思ったものです。

 

 

 
 
 
 

抽象画に思うこと

ご訪問ありがとうございます。

 

前回、抽象画をUPしました。だいたいずっとモチーフは花を中心に描いてきました。美しい画面を描くのに、モチーフの力に頼って。

 

そういうわかりやすい美しさがある一方、20世紀に始まった、抽象絵画もあるなーとは思っていて。現代美術は抽象絵画の延長にあるわけですし。

 

学生時代の若い頃は、前衛的な抽象画は面白いと思いましたし、これからの時代を感じました。

 

でもいつしか、そういった抽象絵画は、行きすぎてしまったような、、美と掛け離れた感じを受けるようになり、さすがに、それまでの伝統的な美しい絵画画面をあまりにも片隅に追いやってしまっているのではないか、という疑問も持ち始め、それは私がブログに絵をupし始めたきっかけでもあるのですけど。

 

私の好きな絵の紹介に、日本画の他、ミュシャを挙げましたが、ミュシャはそれまでの伝統的な絵画から外れた、アールヌーボーの時代を象徴する商業絵画です。“写真“の登場によって、ヨーロッパではアカデミズム絵画に影響が出始めた時代。その時代、“美しさ“が堅苦しく蔓延していて、その概念をはみ出す物は、糾弾されるようなことにもなっていたのかと思います。

 

そこに、物の形に捉われない、新しい美の形の表現が始まったことには、世の中はワクワクしたのではないかと思います。私も、その時代の絵画や、その絵画への興味から知った歴史を見ると、ワクワクしました。

 

そして、写真が出始めて、それまでの絵画表現が変化したように、コンピュータでのデジタル画が出始めると、進化したはずの絵画は、少しまた歪んできたように思います。その辺りから、伝統的な絵画表現の美意識は、より、なおざりになっていったような気がします。人の気を引くためか、極端に不安を煽るような作品が多くなって。

 

さらにコンピュータが進化し、最近は精巧なAIによるデジタル画が出始め、世の中にショックを与えています。

 

ただ、生成AIによるデジタル画を見ると、上手だなと思うけど、何処かで見たような、そして、どれを見ても似たような画面だな、とも思ったりするのですよね。

 

まあでも、案外画面の美しさは戻ってきているな、とも思っています。一頃の、人の気を煽るような不安気とか、不気味さとか、不愉快な感じはなくなっているように思います。


で、生成AIの絵の、結局既存の絵の寄せ集めのような感じではなく、もっと人間が作り出したような表現、といったことを考えた時に、抽象画が浮かんできて。

 

抽象画は、それこそカメラがどんどん普及し、写真が手軽に撮れるようになった辺りで、印象派やアールヌーボーなんかを超えて、カンデンスキーとか、ポロックとか、画面から具象が消え、分からない形とか、絵の具の飛沫とかだけの画面になったもので。その内、なんだか、いたずら書きのような、誰でも描ける落書きのような形になっていき、特に現代美術ではどんどんその傾向が主流になって。

 

私はそういった物の形の美しさから離れていくことに疑問を持ったりしたのですが、でも、ちょっと待てよと、抽象画も良いと思っていた時期、あったよねと。行き過ぎた抽象画はちょっとどうかと思うけど、カンデンスキーやら、ダリやら、モンドリアンとか、面白いなーと思ってたなと。

 

で、実際、私が20歳くらいの時、なんか部屋に絵を飾ろうかな、と思って何気なく買ったのは、カンデンスキーの複製画の入ったパネルでした。なぜあの時カンデンスキーだったのかな、と思い返すと、画面には具体的な形のない、記号のようなモチーフが描かれ、その画面を見ると、世の中の意味をリセットされたような、世の中の定型的な美しさに捉われない、自由な感覚を感じたのですよね。

 

そこでね、ピンときたのですよ。生成AIのデジタル画は、案外型に嵌った感じがあり、堅苦しさを感じるんだなと。マンガを描こうと思った時に、絵は情報の伝達の役割がある、ということを書きましたが、生成AIのデジタル画は、その、情報伝達感が強い気がして。生成AIが提示する、厳格な美意識に固められているような感じ。

 

それで、かつて抽象絵画から感じた「自由」な風情と、開けたようなワクワク感を感じたいなと。

 

そんなわけで抽象画を描いてみました。

 

次回は描いた絵の説明をします。

 

 

 
 
 

新作 抽象画 「自由と制限の狭間 ーグルグルー」

ご訪問ありがとうございます。

 

お久しぶりです。久々の油絵の新作です。

最近、マンガをUPすることが多かったのですが、油絵を手がけていました。

 

で、油絵も、風景とかお花の絵を描くことが多いのですが、珍しく抽象画を描きました。紹介します。

 

 

自由と制限の狭間 ーグルグルー」油彩 SMキャンバスボード

 

 

私は創作にあたり、「きれいだな」と思う絵を描きたいと思っていて、例えば昔の日本画の、胸がすくような画面だったり、「絵に描いたような美しい景色」に引用されるような美しい画面、といった。

 

そういう美しい画面を描くために、モチーフも花や風景を選んだりして、モチーフの力にも頼っています。

 

今回は、モチーフに捉われない、抽象絵画表現で、「自由」な風情を描いてみようかなーと思いました。

 

 

 
 
 
 

4コママンガ 「冬の終わり頃の雪」

ご訪問ありがとうございます。

 

3月になりまして、札幌は真冬を過ぎて、通常の冬の季節の時期となっております。本州では、3月は春の範疇だったような気がしますが、そこは北海道。油断できません。北海道は、3月、特に初旬は立派な冬です。雪もたっぷりあります。

 

 

「冬の終わり頃の雪」

 

 

 

 

ただ、雪はたっぷりありますが、真冬と違って、雪質は大分変わってきます。
 
3月になると、日中の最高気温がプラスになる日も増えるので、溶けることも多くなります。でも、夜はもれなくマイナス気温です。そうすると、日中溶けた雪は凍ります。朝の道路は、凍ってツルツルです。
 
そうして雪は、溶けては凍り、溶けては凍りを繰り返し、積もった雪は地層のように雪層ができて、屋根からずり落ちそうな形で、固まっています。
 
ケーキのクリームみたいに見えますが、柔らかくなく、固いです。言ってみれば、バタークリームみたいです。
 
道路脇の雪も、溶けてえぐれたりしていますが、雪に見える部分は、ほとんど氷です。その氷の上に、新たな雪が積もったりして、柔らかそうな雪に見えたりします。
 
この時期は、ホント、雪が溶けるのが待ち遠しいです
 
今は、3月も半ばを過ぎたので、水たまりと、ようやく歩道にもアスファルトが覗いています。
 
 
 
 
 

東日本大震災から13年

ご訪問ありがとうございます。

 

2011年3月11日から13年です。

14:46。あの時は金曜日で今年は月曜日です。

13年だなんて、もうそんなに経ったのかと、唖然とします。

 

今年は、お正月に能登半島で大きな地震があり、大変な災害でした。震源地近くは、直下型地震に近かったので、建物の被害が甚大でした。地震直後の建物被害の映像を見ましたが、古い建物はあっという間に崩れ、ショックを受けました。もう少し、地震発生前の余裕のあった時に、耐震基準に厳格な措置を取っていたら…と思いますが、どうだったのでしょうか。新しい耐震基準でもあそこまで瞬時に崩れるものなのかどうか。直下型地震は、阪神淡路大震災も、建物に大きな被害が出たものでした。

 

地震が発生して、縦揺れだったら、すぐに外に出られる場所に行かないとダメだと思うのですが、地震の大きさによっては、体がバウンドして、移動すらできない状況になったりするのでね…。もう少し建物が耐えてくれていたら、被害も少なかったのではないかと思います。残念です。

 

それから、昨日、テレビの番組で、珠洲市の原発建設を止めた住民の話を放映していて、ほんっとに、原発建設反対してくれて良かったなーと思いました。

 

現在は、千葉で地震が頻発し、不穏な状況となっています。このブログ内にマンガで、私が遭遇した地震の様子を描きました。私は津波被害には遭わなかったのですが、それでも都市部ではライフラインが壊れたことにより大変な思いをしたので、今年も避難の際、準備していたほうがいいと思った事を再掲します。

 

 1、1週間位暮らせるような食糧、水の確保、(飲み水は1日1人2リットル)

 2、ラジオ、懐中電灯、電池、ろうそく、カセットコンロの準備、
 3、生活用水(手洗い、トイレなどの水)としてお風呂に少し水を入れておくこと、

  (ペットボトルでは1日1人2リットル×4本)
   おむつや生理用品も足りないと困った人が多かったです。

   簡易トイレもあった方がいいかも。
 4、避難経路、避難所の確認
 5、家具が倒れないように工夫すること、大事な食器は壊れないようにしておくこと、
   重いものを棚の上の方に置いておかないこと、
 6、災害時連絡方法を確認しておくこと
 7、被害状況をカメラで写しておけるようにカメラを準備しておくこと
  (保険や罹災証明の発行の際役立ちます)
 8、手元現金をある程度用意しておくこと

 9、スマホの予備電源バッテリーを準備しておくこと

 

災害の備えは、余裕のある時にちょっとずつ揃えていくようにするのがいいと思います。

 

ただ、東日本大震災後、熊本でも大地震があり、北海道でも大きな地震があり、能登でも大地震がありました。あと、被害が少なかったので話題になりませんが、東日本大震災後、宮城に震度6の地震が2回もありました。今後、南海トラフも来ると言われています。

 

それだけ大きな災害が頻発している昨今ですから、個人の備えだけではなく、大震災クラスの地震や災害が発生した後の避難について、今までのような場当たり的な対応ではなく、しっかりとした対策が、国策として必要なのではないかとも思います。東日本の時は、確かに“想定外“と言えたと思うけど、東日本クラスを経験したら、もう想定外という言い訳は立たないと思います。災害の専門家チームを作って、災害が起きた時、誰がどう動くか、避難行動ルートを明らかにして、国民にも充分に知らせる、っていうことが必要なんじゃないかなと思います。

 

1000年前の貞観地震の時は、9年後に関東地震、その9年後に南海トラフ。

 

でも、国を上げて災害対策をキッチリ対応して欲しいとは思うけど、中々そうはならないと思うので、まずはそれぞれ個人で油断せずに備えていかなければならないと思います。

 

 

 

 

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4コママンガ 「−7℃の気温」

ご訪問ありがとうございます。

 

本日は2月4日、立春で、札幌雪まつりが始まりました。

立春というと、日差しに強さを感じ出すのですが、大寒の1月20日から昨日の節分までは、まさに寒い北海道らしい、真冬の時期です。

 

「ー7℃の気温」

 

 
最初、洋服屋さんで、これを聞いてびっくりしました。本気なのか強がりなのか、今でもちょっと分かりません。
 
確かに、この店員さんの言うとおり、外は寒いけれど、デパートや地下街なんかは暖房が強く入っているので、暑い位なんですよね。だから、外を歩く人も、意外とダウンコートじゃない人も多いのですよ。
 
でも、ー7℃って、どう考えても寒いですよね。
 

ただ、ある意味、気温に麻痺しちゃう感覚はあります。例えば、ー5℃って寒いけれどー10℃ほどじゃないしなー、とか。

 

こちらに住んで10年経った感覚として、大寒から節分辺りまで、札幌ではー15℃はさすがに寒い、ー10℃はだいぶ寒い、ー5℃はまあ寒い、ー3℃は寒い、0℃はあったかいかも、3℃は、えっ冬だよね?って疑いたくなる位高い、っていうところです。

 
立春を過ぎると、3℃の最高気温も増えていきます。

 

 

 

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2024年 お正月

明けましておめでとうございます。

 

最近は、あまり作品を制作できなかったりするので、ちょっとそわそわしているのですが、何とかまた美しい1枚を生み出せたらいいなと思っています。

 

元旦は北陸で大きな地震があり、驚きました。寒い中、避難が大変だと思います。津波被害が小さかったし、コロナも収まっているのが、何よりです。風邪などの2次被害に気をつけてお過ごしいただきたいと思います。

 

今年もどうぞよろしくお願いします。

 

 

 

 

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2023年初雪

ご訪問ありがとうございます。お久しぶりです。

北海道、札幌、今年2023年は11月12日に初雪が降りました。

 

今年の初雪は、お昼頃にパラパラっと降りました。

 

今年の夏は9月になっても30℃超えの日が続く猛暑だったので、本当に寒くなるのかな?と思ったものですが、やっぱり寒くなりました。

 

今年は、太陽の地球への影響を大きく感じました。

例年8月のお盆の頃から涼しくなるので、日照時間の影響を感じなかったのですが、今年は、秋分位から涼しくなって、”あ、そっか、太陽の時間が短いから寒くなるんだ”と実感できました。

 

随分前からオゾンホールが大きくなっていると聞きますが、太陽の影響が調節地球に降りかかるとすると、温暖化というよりも、夏はすごく暑く、冬はすごく寒い環境になっていくのかもな…。

 

2週間前くらいから雪虫が飛んでいたので、11月の前半には雪が降るのかなと思っていたのですが、やっぱり雪が降りました。今年は雪虫が大量発生したので、雪の多い冬になるかもしれません。

 

 

 

 

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