在フランス中国大使の発言が話題になっています。ウクライナの主権そのものを否定したとの事で、ウクライナのみならず、バルト三国からも強烈に反発が出ています。実際にTF1でのインタビューを聞いてみました。

 

 結論から言うと、該当部分ではそういう趣旨の事を言っています。正確には「クリミアの帰属」について問われ、「旧ソ連諸国の主権国家としてのステータスを確定する合意はない」という言い方です。これを言われてしまうと、旧ソ連諸国はその存在意義を否定されているのに近くなりますので、激しく反発するのは当然です。

 

 プーチン大統領の対ウクライナでの発言を聞いていると、(幾ばくかの強がりを込めて)ウクライナそのものが主権国家だと見なしていない姿勢です。自国防衛できない国など「主権」を持っているとは言えない、と思っている可能性が高いです。ロシアの理屈はかなり雑です。一方、中国は「建て前」だけはきちんとしています。中国の理屈を見ていると、我々からすると受け入れられないものの、それなりに国際法を引用しながら論理を立ててきます。台湾の領有についても、このインタビューで1943年カイロ宣言、1945年ポツダム宣言などをきちんと挙げます。

 

 中国の外交官と話すとよく分かるのですが、彼らなりの理屈がしっかりしています。それは日本としては受け入れられないものが多いのですが、かと言って、中国外交官の理屈を突き崩すのは大変です。日本の政治家の中に威勢よく「中国は〇〇でけしからん」と言っている方は多いのですが、多分、大半の方は中国の外交官と議論するとコテンパンにやられると思います。なので、私はいつも中国の外交官と話す時は、事前に頭を整理して、そして話している間はとても耳を澄ませて聞き、寸鉄人を刺す気持ちで居ます。

 

 さて、話を戻します。全体として「うちの国内事情に口出すな」と「世界は多様化している」という話が多いです。そして、非常に興味深かったのは、毛沢東時代の大量虐殺について厳しく問い詰められた時です。グサッと「毛沢東は歴史上の最大の犯罪人の一人」と質問するインタビュアーにはビックリしましたが、これに対する大使の激昂ぶりはなかなかのものです。「chicaner(誤魔化す)」、「racontar(無駄話)」といったあまり外交的ではない表現が出て来て、雰囲気のみならず、語彙からもイライラ感が伝わります。そして、29:00過ぎくらいに大使が「あなた勉強した事あるのか?」、「止めろ(Stop)」と言っています。「自分は今日ここにそんな無駄話をしに来たのではない」と強めに言った後、最後窮して「そんな事を我々に言うなら、日本が第二次世界大戦時に対中国でやった戦争犯罪に対して支払いをするよう、日本に求めろ。」とも言っています。ここが弱点なんですよね。「過去に対する不可謬や現代の人権問題を突かれると、中国の外交官はキレて強引に話を打ち切ろうとする」、これが今回のインタビューからよく分かります。

 

 それにしても厳しいやり取りです。勘違いして早く帰ろうとした大使に対して、インタビュアーが笑いながら「まだ、拷問は終わっていませんよ」と語りかけています。厳しいやり取りをしていますが、一応最後は社交的な感じで終わります。ちょっと話が飛びますが、私の考える報道の公平とはこういうフランスのジャーナリストの姿勢を指します。中国が好きとか、嫌いとかではなく、厳しく問う事で真実を追求する。これは一つの報道の公平性です。今国会で大きな議論になった放送法の「政治的公平」。私も一度、一般論としてこの議論をしました。少なくとも高市大臣は概念整理は出来ていませんでした。日本の政治家で正しく理解している方は少ないのではないかと思います。

 

 なお、盧大使のフランス語は「流暢」とまでは言えませんが、使っている語彙はなかなかのものです。日本の外交官でこの水準に達しているフランス語使いがどの程度居るかというと、甚だ心許ないです。

 日本学術会議法改正案の国会提出が断念されました。学術界の反対が強い事がその理由です。私の所属する内閣委員会に付託される予定だったので、それなりに準備だけはしていました。実は今日この時点で内閣委員会には「孤独・孤立対策推進法」の審議です。もう1本「DV対策法改正」が入って、その後に日本学術会議法改正案の予定でした。衆議院で審議入りできるのは、恐らくは5月中旬以降。参議院での審議まで念頭に置くと、そもそも6月21日の会期末までに成立させるのは日程的に無理なのではないかと当初から思っていました。

 

 事の発端は、防衛研究に悉く反対を出し続ける日本学術会議に対する政府の苛立ちが背景にあります。政府はこれを認めたがりませんが、どう見てもそうです。だから、無理を積み重ねて過去の方針を変更して、菅総理が会員任命を拒否しました。そして、その延長として、日本学術会議の会員選考プロセスに政府が選んだ第三者の目を入れようとするのが今回の法改正案です。

 

(時折、保守系の方が左派系の学者の思想を「偏っている」と批判して、菅総理による任命拒否を正当化する事があります。そのアプローチが正当化されるのは、左派系の方が保守系の学者の思想を「偏っている」と批判した際にも同じ立ち位置を維持できる時だけです。それが出来ないのであれば、すべてはポジション・トークになってしまいます。当に「不公平」です。)

 

 一般論として、身内の会員だけで新会員を選考すると、時折(常に、ではありません)奇妙な事が起きます。典型的なのが芸術の世界でして、芸術家の顕彰機関たる日本芸術院(文化庁の特別の機関)の会員になるためには「1億円」が必要とされていました。選考の権限を持つ現会員にお金を渡していくのが常態化していました。私が平成27年に「外部の目を入れるべし」と指摘し、当時の下村文部科学大臣は「指摘の通り。日本芸術院に検討を求める。」と答弁します。しかし、日本芸術院側はこれを無視し続けます。最終的に(日本学術会議の話が飛び火して)ようやく令和3年に選考プロセスを見直しました。この流れを牽引したのは萩生田文部科学大臣でした。

 

 何となくそれと似ているんだよな、とは思います。勿論、芸術と学術を一緒くたにするつもりはありません。ただ、いずれも政治との距離が微妙な世界です。その上で学術界が今回の日本学術会議法改正案を政治からの介入強化だとして反対する事については、私は「先の大戦中の政治、軍と学術界の関係を見れば、そういう慎重さを持っている事は分かる。」との立場です。

 

 ただし、だからといって私は日本学術会議側にフリーハンドを与えるつもりもありません。現代社会においては、様々な研究の中に軍民両用のものが増えて来ています。その中には経済発展に大きく資するものはたくさんあります。その観点からは、汎用品、汎用性のある技術の研究をすべて拒否する事は学術界には許されないと思います。また、発注元が防衛省だからという理由のみで研究受託を拒否する事も許されないと思います(ただ、それを警戒した政府は経済安全保障の枠組みの中で経済産業省と文部科学省が共同で研究のためのファンドを作って、そこに防衛省を加えるという形にしています。昨年法案審議の際、「そこまでやらなくてはいかんのか」と思いました。)。

 

 日本学術会議は、このまま法改正を拒むのであれば、それと同時に「軍民汎用性のある研究に何処までであれば関与するのか」という方針を世に打ち出し、それを大いなる議論に供するべきです。その方針が幅広く国民各層の理解を得るかどうかとこの改正案の今後は強くリンクしていると思います。ここが明確にならないと、法改正が断念された後、安全保障関係者と学術界の間の相互不信が常に燻ぶり続けるだけです。

 次世代医療基盤法(医療ビッグデータ法)改正案が、昨日審議されました。病院等から提供された医療情報を「誰だか分からないようにしたデータ(匿名加工情報)」まで加工して、医療研究や創薬開発に利活用するという仕組みです。私は6年前この法律を作った際、野党筆頭理事として修正案を出し成立させています。なので、参議院の審議では答弁にも立っています。そういう観点から、私はこの法律作成の当事者の一人だと自負しています。

 

 ただ、この法律を運用する中で、「誰だか分からないようにしたデータ」の不都合が出て来ました。医療研究、創薬開発をする際に「個人情報保護は担保しつつ、もう少しだけ情報を出してほしい」という要望がありました。それを踏まえ、今回は「『他の情報と照らし合わせないと』誰だか分からないようにしたデータ(仮名加工情報)」まで利活用可能にするものです。勿論、要件を緩和する以上、利活用する側にもこれまで以上の制限が掛かるようになります。審議会資料法案資料はそれぞれリンクを参照ください。

 

 実はこの法律、仕組みは出来上がっているのですが、あまり活用が進んでいません。実績もあまり上がっていません。私は6年前の段階から、この問題点を指摘していました。この仕組みが回るためには、カネが回る必要があります。カネを出すのはエンドユーザー(例:製薬会社)です。そのカネが医療情報を加工する業者に行き、更には医療情報を提供する事業者に行くという事になります。そのビジネスモデルの構築が弱いよな、と6年前の審議でも指摘していたら、やはりそういう事態になっています。一般論として、厚生労働省はこういう仕組みをビジネスとして回す事に好意的ではないのですが、それがマイナス面として出たよな、と私は思っています。

 

 そして、昨日、質疑に立ちました(そんなに長い映像ではないので見ていただければと)。私からは以下のような点を指摘しています。

 

● 仮名加工情報くらいまで緩和すると、超希少疾患等の方は特定できるはず。その観点から、広義の特異値が出る方については、この情報提供から外してもらう手続き(オプトアウト)を相当に慎重にやるべき。
 

● 「集団」として特異値を出す場合(風土病、特定の会社での業務に伴う疾患)について、地方自治体、会社、学校等の集団としての人権についても配慮すべき(← これは6年前も主張しました)。
 

● 医療情報を出してくれる協力事業者は国立病院機構系を始めとして公立病院がとても目立つ。要するに民間病院はメリットを感じていない。最後はエンドユーザーが払うお金が原資。この仕組みの最後の所にもっと明確に製薬会社をくっ付けるべき。
 

● 一例として、都道府県が旗を振って、その県内でこの医療ビッグデータの収集から加工、そして創薬ビジネスの誘致までを考えるのは推進すべき。その場合、加工事業者の要件が厳し過ぎるので考えてほしい。

 

 最後のポイントについては、福岡県や北九州市を念頭に置いています。現時点で医療ビッグデータを提供する医療機関は県内で限定的です。また、地方自治体の持つデータを活用するという発想があり、青森県弘前市、神奈川県逗子市が取り組んでいます(が、要するにあまりやっている自治体が少ないという事です。都道府県レベルでやっている所はゼロです)。私はこういうツールを活用しながら、医薬品産業を誘致、発展させるという発想を福岡県や北九州市に持ってほしいと思っています。地域限定型で、行政の持つデータ活用(例:定期健診)、公立病院・民間病院の関与を促しつつ、医療ビッグデータを利活用して、最終的には創薬開発の産業誘致までをセットにしたヴィジョンを描ける力はあるでしょう。高市大臣には「全国知事会、指定都市市長会に売り込みに行くべき。」という事を伝えました。爾後、内閣府担当から「考えてみます」とのお返事も頂いています。

 

 最後に討論に立っています(これも短いです)。賛成討論ではありますが、上記のような思いを纏めて提言っぽくしています。あと、何でもかんでも附帯決議でお茶を濁すな、必要なら果敢に法案修正協議をやるべし、と野党各位にハッパを掛けました。

 最近、自分の主たるテーマとして「危険運転致死傷罪」に取り組んでいます。報道を見ていて、「聞くに堪えない事例」に接する事が多い事から国会で取り上げています()。その中で幾つか首を傾げる事案が出ています。

 

 まず、「危険運転致死傷罪」という名称。これだと「危険な運転をして他人を死に至らしめた人に対する罰」と思うでしょう。しかし、違います。これは危険な運転をすべて罰する法律ではありません。危険な運転の内、悪質なものを犯罪化する法律だとされています。被害者や遺族と接していて強く感じるのが、この法律論と国民意識の乖離です。この乖離を埋めるべきだと、私は強く主張しています。

 

 そして、構成要件、責任についていずれも信じられないくらい厳しく取られています。法律の第二条で危険運転致死傷罪の類型が定められていますが、例えば、第二号に「その進行を制御することが困難な高速度で自動車を走行させる行為」とあります。構成要件として、例えば直線の道路である事、視界を遮るものがない事、自動車の性能が高い事といった事情は、「その進行を制御することが困難」でない方向に機能します(より犯罪が採用されない方向に働くという事)。リミッターが外れた、頑丈なドイツ車でぶっ飛ばす方が、日本車よりも危険運転致死傷罪が取られにくくなると言われると違和感しかありません。

 

 また、この犯罪は故意犯なので「その進行を制御することが困難な高速度で自動車を走行させる」事を基礎づける客観的な事実の認識が必要だとされています。常識的には「そんな認識を持って運転する奴が居るのか?」と思いたくなるはずです。

 

 結果として、大別して2つの問題があります。まず、「何故、この行為が危険運転致死傷罪になり、あの行為はならないのか」がよく分からないのです。一つ一つの判例ではなく、判例の積み上げを見ていくと、刑事法における「明確性の原則」を欠いているよなと思うのです。これは憲法裁判にすらなり得るものです。そして、危険運転致死傷罪が取られないと過失運転致死傷罪になるわけですが、何処からどう見ても悪意か重大な不注意の塊である運転者の暴走で親族が亡くなった方から、「何故あれが過失なのですか?」と言われた事は一度や二度ではありません。「危険な運転の内、悪質なものだけを犯罪化した」という説明を受け入れた上でも、「あれは悪質ではないのか?」と思っている方はたくさん居られます。

 

 私はこの法律は法秩序への信頼という観点から危険な要素を孕んでいると思います。常識的な国民意識と法律のあり方、解釈、運用があまりに掛け離れています。担当した方の胸先三寸での裁量が大き過ぎます。そして、危険運転致死傷罪を取らない検察実務、判決等が積み上がっていくと、この犯罪を採用するハードルが上がって来ています。「危険運転致死傷罪で起訴しても勝てないから」と、検察官から説得された遺族のお話は枚挙にいとまがありません。

 

 「法改正の検討だけでもいいからやってくれないか」と齋藤大臣に食い下がりましたが、あまり芳しい答弁ではありませんでした。ただ、この手の話はしつこく言い続ける事が必要です。しつこくやり続ける決意を持ちながら、これからも取り上げていきたいと思います。

 私の強い信念として「子育て支援と少子化対策は(結果として連関性はあるものの)まずは切り離して考えるべき。」というものがあります。その観点から「子育て支援で鳴らしている自治体の取組を国レベルで持て囃してはならない」と思っています。これは説明が必要です。

 

 私は、例えば兵庫県明石市の子育て支援の取組は素晴らしいと思います。それによって若年層の流入から人口増にもなっています。投資的経費(水道事業)等を削り込みながら財源を捻出し、様々なアイデアを出して来た泉市長の手腕は地方自治の一つのあるべき姿です。ただし、ああいう人口増の政策が可能なのは巨大な神戸市が隣にあるからです(ただ、神戸市は人口減が著しく、数年前には川崎市に抜かれました)。彼我の差を見せ付けて、自市に人口を引き付けるやり方は大都市が近くにある都市のみがやれます。北九州市が明石市みたいな事をやったら、(北九州市より人口減少が激しい)周辺の市町村が大打撃を受けてしまいます。

 

 また、明石市のような「彼我の差を見せ付けるやり方」は、都市間競争が可能な地方自治体だからやれるのです。国レベルではそれはやれません。言い換えると、地方自治体による子育て支援充実による人口増の効果は、①子育て支援そのものによる安心感から来る出生増、②他の自治体との比較で若年層を誘致する効果の2つに分解出来ると思いますが、国レベルでは①のみがあり、②はありません。

 

 だから、明石市長の取組を見て、「これを国レベルでやれば少子化解消は可能だ」と思うのは間違いです。よく政治関係者が同市を訪問していますが、「都市間競争のない国」レベルで判断しなくてはならない国会議員は無邪気な称賛に留まるべきではありません。そこに留まるのであれば、むしろ危険です(明石市と同じ事を国でやっても、明石市と同じ効果にはならないので)。故に私は「子育て支援でない少子化対策」を強く主張しているのです。

 

 「子育て支援でない少子化対策」は、耳障りのする話が必ず含まれるので口にするのが辛いのです。「子育て支援充実」だけ言っておけばいいのならどれだけ楽か、と思います。今回の岸田総理の少子化対策のたたき台をみて、「これまで食べていた牛丼を3倍肉増しにして『どうだ、異次元だろう!』と言っている」ように見えるのです(なお、私はチェーン店系の牛丼はとても大好きであり過小評価する意図は一切ありません)。

 

 「子育て支援と少子化対策を一旦切り離し、少子化対策に真正面から向き合う」という視点に立たないのであれば、これからの取組は絶対に失敗します。岸田政権になって、今秋で2年になります。政局優先で2年の時間を徒過したとすら言えます。これ以上、亡国の歩みを続ける事は出来ないとの切迫感を持っています。

 私は福岡県選出ですが、今国会、結構詰めた議論をしているのが「乳製品の輸入」についてです。今、乳製品の過剰と減産が深刻になっています。主力の北海道のみならず、全国各地の酪農家が困っています。そういう中、今、日本は生乳ベースで13.7万トンの乳製品を輸入しています(実際には生乳を輸入できるわけではないので、バター、チーズ、脱脂粉乳、ホエイ等で輸入しています)。これはWTO協定にて、1986-88年の輸入量平均相当分の輸入機会を提供する事が求められている事(カレント・アクセス)があります。現在、国内で減産・廃業が出ている中、この生乳ベース13.7万トンの輸入は必要なのか、という議論は当然のように出て来ます。

 

 私は過去から現在に至るまでずっと通商政策・通商法を専門にしておりまして、(現場に詳しいわけではないけれども)通商法側からこのような分野には強い関心を持っています。という事で、2月2日の予算委員会で野村大臣に怒涛の押しをやっています。まず、私から「WTO協定で求められているのは、輸入機会の提供義務であって、輸入義務ではないですね?」という事をしつこく聞いています。野村大臣は鹿児島出身のため、畜産には関心がありますが、酪農にはあまり関心がありません。しかも、やり取りをしていると分かるのですが、自身が最高責任者という意識が低いです(自民党の農林インナー幹部の意識のままです)。なので、議論が行ったり来たりしていますが、「輸入義務ではない」という事は明言しました。

 

 しかし、日本は決められた13.7万トン分を全量輸入しています(事実上の輸入義務)。これは何故かと言うと、国内の需給に影響を与えないためという理由で、国が一元的に管理輸入しているからです(国家貿易)。日本の理屈は、国家貿易をしているから全量輸入しなくてはいかんのだ、というものです。これはコメも、小麦も、乳製品も同様です。しかしですね、昨今のアメリカでの物価上昇によって内外価格差が無くなってきています。実際に入札に掛けると、最近はコメも、乳製品(脱脂粉乳)も不落が連発しています。つまり何が言いたいかというと、「国内の農産品は高い。競争力がない。なので国家貿易でガチガチに管理しなくてはならない。」という世界観が変わってきているので、今の仕組みを見直したらどうか?と質問しているわけです。

 

 日本は全量輸入に自縄自縛なので、入札で不落を出した後も、アメリカには「売ってください」と言い、国内事業者には「何とか買ってください」と振り向け、何とか入札が成立するように精一杯の努力をしています。「輸入機会の提供は一度出せばよくて、一旦不落を出したら打ち切るべきではないか。」とも指摘しています。この「不落を出したら打ち切れ」の指摘は相当に農林水産省に効いているようで、昨年度末、乳製品の輸入の仕組みを少し変更しました(なお、コメについても昨年の通常国会で私がガンガンやったため、入札不落を出さないよう慎重にやっている事を窺わせます)。

 

 まあ、こんな感じの事を予算委でやったのですが、野村大臣はずっとポイント外れでした。なので、質問主意書で課題をガチガチに詰めました。答弁書では「農水省として出来れば言いたくなかった事」を概ね言っていただいています。ただ、不明確な点があったので再質問主意書を出し、先日答弁書が返ってきました。要点を纏めると、

 

● 入札不落を出した後も何回も入札をして枠を満たす努力をする必要があるのは、国家貿易品目(コメ、小麦・大麦、乳製品等)のみ。
● 国家貿易は「品質の差異を考慮」と言っているから、外国産と国産にどのような品質の違いがあるのか、と聞いたら答えず(注:答えにくいはず)。
● 「国家貿易なら全量輸入」という解釈はWTO加盟国で共有されているかについて、答える立場にない(注:日本独自の解釈である事を窺わせる)。
● 全量輸入をしなくていい「客観的に輸入が困難な場合」は、日本の事情ではなく、相手国(アメリカ)の事情を指す(注:これには驚きました)。
 

 極めてテクニカルなのですが、法的な論点整理は概ねこの辺りまでで尽きていると思います。あとは現場感を踏まえた議論を、酪農地域選出の議員に頑張ってほしいです。ただ、私も引き続きコミットしていきます。北海道の酪農地域にも行ってみようと思っています(どうも高校同級生が道東で酪農をやっているという話も聞いていますし)。

 

 先週、衆議院内閣委員会で「中立と公平」について質問しました。正直な所、高市大臣はこの違いをよく理解せずに審議に臨んできました。質問通告の際、私からは「この違いがとてもよく出るのがPKO。国連事務総長は明確に『PKOは公平な組織であり、中立ではない』と言う。同じ内閣府なんだから、話を聞いてみるといい。」とも伝えています。

 

 現在、高市大臣は放送法担当ではありませんので、あくまでも大臣の政治的姿勢として「中立と公平」について聞くという事も事前に伝えていました。上記リンクでかなり明確に書いていますが、私は次のように理解しています。

 

● 中立は、誰も応援しない事であり、公平は、すべての者を平等に扱う事。全く異なる。

● 公平を達成するための平等を判断する際、その基礎として何らかの価値観が必要である。例えば、国連PKOで言うと、安保理決議におけるミッションがその価値観。なので、決議違反をする者に対してまで等距離を維持するのはPKOのあるべき姿ではない。

● 公平を達成するための価値観は色々なものがあり得る。機会の平等については、名目的なものと実質的なものがある。チャレンジする回数を同一にするだけの事も、アファーマティブ・アクション的に社会の特定の層をプッシュする事も、公平の一つの姿である。

● そして、公平のあり方として、平等にすべての者を批判するというものもあるはず。なので、自分が批判されているという点のみを以て「不公平だ」と騒ぐのは全く不可。

 

 ただ、上記の質疑を見ていただければ分かりますが、高市大臣は非常にガードを上げます。言質を取られる事を懸念している事が眼前でありありと分かりました(そういう意図は無かったのですが)。そして、当ててもいない総務省局長が出て来て、放送法上の(極めて浅薄な)政治的公平の解釈を述べます。そんなのは分かっているので「不偏不党にすべての者を批判するのは公平の一類型か」と聞き直しても、ひたすら浅薄な解釈の繰り返し。終いには、与党理事から「通告がなかったと言っている」と言われました。「そもそも当方から総務省局長に当ててないし、既存の答弁(の繰り返し)に対する応用を聞いているんだから、自信を持って手を挙げた以上答弁すべし。」と突き放しました。「審議を止める意図は一切ない」、これも事前に伝えていましたが、止まってしまいました。

 

(なお、不偏不党にすべての者に批判的な立場に立つ番組として、BBCの「Hard Talk」があります。司会者のクリスチャン・サッカーはどんなゲストが来ても、必ず批判的な立場からインタビューします。私はあれはとてもいい番組だと思っています。NHKに「やってみたら?」と何度か言うのですが、恐れにも似た表情をされます。)

 

 残念だなと思っていたら、今度は立憲民主党小西議員によるサル発言。我々「有志の会」は、会派内最インテリの北神圭朗議員が憲法審査会に出ています。小さい会派ですが、北神議員の発言は色々な意味で審査会のペースセッターになっています。極めて知的な議論を展開している事、そして歯止め的役割を果たしている事は(詳細は申し上げられませんが)我々5人は誇りに思っています。それに対するサル発言は看過し難いですが、その発言を批判された小西議員の対応もこれまた報道の公平が何たるかを全く理解していないものでした。あの自己顕示欲と攻撃性、東京大学で何度か見ました。自己愛の(歪んだ)一形態なのです。

 

 結局、これだけ「公平」について議論が行われる中、誰も真面目に公平が何たるかを考えていないのです。高市大臣も、恐らく答弁変更の背後に居た安倍元総理も、小西議員も、答弁に立った総務省局長も、誰も考えていないのです。自分への我田引水的ツールとして公平(や中立)を使っているだけなのです。そういう歪さを正したいのですけど、国会内の議論はそちらには向かないのですよね。

 

 異次元の少子化対策という言葉が躍るようになって久しいです。嫌な予感がしているのが「少子化対策と子育て支援を同一視した議論が横行するのでは?」という事です。子育て支援予算を倍増したら少子化は解消するのかというと、それが解消のトレンドに機能する事は間違いありませんが、どの程度の推進力となるかは確信を持てません。国会の議論を聞いていると、予算倍増ばかり言う方は、それさえ言っていれば少子化対策をやっている体裁は整えられるという意味において、実はただの無責任なのではないかと思いたくなる事があります。

 

 という事で、最近、「あえて異次元の方向に突っ走ってみたらどういうアイデアがあり得るか」について断片的に考えてみました。いずれも大反対の方々が居られる内容です。言わずに済むのであれば私だって言いたくないのですが、ありとあらゆるツールを動員すべきという視座から「考えるヒント」として提示してみたいと思います。

 

① ライフスタイルに中立でない税制

つまりは子どもが増えると、税金をまけるという税制です(典型的なのはフランスのN分のN乗税制ですが、あれは仕組み上日本ではやれません)。このライフスタイルに中立でない税制を効果的にやるためには、「まける」ための財源が必要です。効果を出すためには累進性がシャープであり、かつ、広く恩恵を及ぼすためには「(税がマイナスになった方には払い戻す)給付付き税額控除」にまで踏み込む必要があります。したがって、所得税増税とセットです。恐らくは「独身税」という批判になると思います。

 

② 婚姻に拘らず、かつ婚外子に完全中立的な社会

婚姻の先にある「イエ社会」が嫌だから結婚しないという人が社会に一定数居られる事は事実です(現在、日本社会では結婚と出産に強い連関性があるため、結果として少子化に繋がっています)。その「イエ社会」のくびきを大いに外してしまおうという事です。法的な結婚は希望しないけど、パートナーとの間に子どもを持ちたいと思う方の歩みをこれまで以上に社会全体で支えるというイメージです。論理的帰結として、「婚外子」という概念が事実上存在しないようになるはずです。ただ、こういう発想が保守系の一部の方から激しい嫌悪感を持たれる事はよく分かっています。

 

③ 卵子・精子の老化を中高できちんと教える

性教育をタブー視するのではなく、学校教育の枠内できちんと教える事は少子化対策の中でとても大切です。国会審議で、私の質問に対して野田大臣が「毎月生理があれば子供が産めるというような間違った認識」と自身の事を振り返っておられました。正しい情報を持つだけで改善する事があります。そして、あまりお金の話ばかりしてはいけませんが、最もカネの掛からない少子化対策でしょう。

 

④ 未受精卵子の凍結

若い女性が未受精卵子を凍結保存する事を認め、将来の出産可能性を高めるという事です。今はがん患者の妊孕性を維持するための凍結保存に限定されています。若い時代、キャリアパスを追いたい方が将来的に出産する可能性を高めるための凍結保存です。倫理上の問題、医療上の問題がある事は知っています。勿論、産婦人科学会が「推奨しない」と言っている事も知っています。

 

 しつこいですが「言わずに済むなら私だって言いたくない」類の話が多いです。ただ、社会的にタブー視されてきた話にまで踏み込むくらいしないと、もうダメなのだという切迫感が背景にあります。そして、異次元とは予算増ではないだろうと思うのです。あえて用語に乗ると、予算大幅増は同次元の世界での規模拡大に過ぎないでしょう。

 

 子育て支援倍増を口にしていれば少子化対策に熱心なのである、という無責任国会議員にならないためには、こういう様々なアイデアを出していくべきだと思っています。異論・反論、大歓迎です(が、罵倒・冷笑は歓迎しません)。

 今日の午後は内閣委で一般質疑に立ちました。

 

 まず、高市大臣の政治姿勢というテーマで、「公平と中立」のあり方について質問しました。この2つは全く異なる概念です。まず、中立というのは「誰も応援しない」という事であり、公平というのは「すべての人を平等に扱う」という意味です。混同されますが、この2つは一緒にしてはいけません。

 

 したがって、中立を達成する方法はそれ程バラエティがあるわけではなく、基本的には「関わらない」方向に収斂すると思うのです。一方、すべての人を平等に扱う時、その平等を判断するためには一定の価値観が必要です。機会の平等という時、名目的な平等と実質的な平等(アファーマティブ・アクション的なものを含む)の考え方があり得ますが、どちらも公平の達成の仕方としてあり得るはずです。拠って立つ価値観が異なれば、公平への道のりも、到達点も異なるはずです。問題が生じるのは、その価値観が極めて偏っている場合のみになると思います。

 

 その上で、例えば「すべての者に対して批判的な視点で接する」とか、「司法の独立、学問の自由を侵害する者を許さない」とかいった立ち位置も公平の一つのあり方のはずです。したがって、「自分を批判している」という点のみを以て、相手が不公平だという事にはならないというのが私の思いです。

 

 そういう私の認識をベースに質問したわけです。事前レクである程度、上記のような法哲学的な事を話していました。私は全くドタバタ劇をするつもりがありませんでしたが、高市さんはあまり事前に勉強して来られませんでしたね。また、参議院予算委員会でかなり絞られたせいか、「言質を取らせまい」という意図もひしひしと感じました(別に言質を取ろうという意図は無かったのですが)。更に酷かったのが、総務省の情報流通行政局長(私は「当てるつもりはないですが、来たければどうぞ」くらいの感じで総務省に伝えていました)。ひたすら既存の解釈を壊れたテープレコーダーのように繰り返すだけで、その応用としての「すべての者に対して批判的な視点で接する」が公平の中に入るかどうかについては全くダメでした。決まりきった国会答弁の繰り返しで対応できる程、「公平」という概念は安っぽくはありません。

 

 図らずも審議が止まってしまいました。如何なる意味においても、止めたいと思って質疑をしたわけではありません。知的な議論をしたいと思っただけです。

 

 仕方ないので、次のテーマである海洋調査に質問を移しました。2001年に日中間で「海洋調査活動の相互事前通報の枠組みの実施のための口上書」を交わしています。東シナ海において、中国が「日本側が関心を有する水域である日本国の近海」で、日本が「中国の近海」で海洋調査をする際は、調査開始予定日の2か月前までに相手国に事前通報する制度です。ここまでで分かると思いますが、通報しなくてはならない対象海域の表現が日中間で異なります(なので、この口上書はウェブ上何処を探しても出て来ません。表にすると都合が悪いからです。)。しかも、この口上書に基づき、中国が日本近海で調査をしたケースは山のようにありますが、一方で日本が中国近海で調査をしたケースは20年以上に亘ってゼロです。

 

 本当はもっと質問事項を用意していたのですが、上記のやり取りで時間を使い果たしてしまい、折角谷大臣にお越しいただいている中、当てないと悪いよなと思ったので、(ピンポイントで通告していたとまでは言えないですが)谷大臣に「中国近海で海洋調査やってはどうか?」と振ってみました。中国がたくさん日本近海で海洋調査をやっているのに、日本が中国近海で戦略的に調査をやらない理由は無いと思います。ただ、多分これも深く考えた事がないテーマなので応用が利かないのでしょう。実のある答弁ではありませんでした。

 

 きちんとした真面目な議論をしたいと思うのですけどね...。

 長らくこのブログをお休みしており、何度か再開しようとしましたが、上手くやれませんでした。それ程頻繁にはならないかもしれませんが、徐々に再開していこうと思います。

 

 今日はインフル特措法等改正案の審議・採決でした。長らく質疑に臨んでおりまして、これまで3回の質疑をしてきました()。ここまで色々な事を聞いておりますが、大きく分けて以下のような内容でした。

 

● 内閣官房の肥大化:今回の法律には焼け太り的に、将来、内閣官房が法改正無しに肥大化できる仕組みがあります。それはダメだ、と強く主張しました。

 

● 危機管理統括庁の指揮命令権限:感染症対策強化のための危機管理統括庁を作るわけですけど、その担当大臣は官房長官。法律にガチっと、官房長官・副長官・副長官補のラインでの指揮命令権限が書いてあります。では、コロナ対策担当相(現在は後藤大臣)はどう位置付けられるのかがよく分からないのです。

 

● これまでの医療提供体制:病院の役割の明確化と機能分担、連携が進んでいなかった事、かかりつけ医機能が発揮されなかった事への所見を質問しています。コロナ禍とかかりつけ医機能の関係については、厚生労働省がどう考えているか、ついぞ分かりませんでした。

 

(その他にも、例えば県と政令指定都市との権限関係の整理が付いていない事も指摘しています。感染症法ではこの整理を付けたのですが、インフル特措法では放置したままです。要するに福岡県と北九州市の権限関係の整理が付いていないという事です。インフル特措法以外の分野でも、例えば、休校措置の期間が県立学校と市立学校でずれる時どうするの?という点は、ここまで文部科学省は何もしていません。)

 

 今日は岸田総理大臣が入っての審議でした。少数会派ですのでわずか4分ですが、危機管理統括庁の指揮命令権限について人事権者である岸田総理に突っ込んで聞いています(極めて短いですが、結構本質的な問です)。結局、危機管理統括庁のトップとなる官房長官とコロナ政策担当相である後藤大臣とがどういう関係に立つのかは、総理に聞いても分かりませんでした。この仕組みでは、現在の内閣官房との組み合わせが悪く、絶対に指揮命令系統が混乱します。

 

 採決前に討論に立ちました。淡々とではありますが、幾つか気になる点を述べています。最近感じるのですが、与党の事前審査制があまり機能していないのではないかと思います。例えばですが、今回の法改正で、緊急事態時に休業命令を出す際の勘案事項がすべて政令に落ちていました。審議で私が「人権制限に繋がる事柄を発動する要件が国会審議に掛からないのはおかしい」と強く指摘したら出て来ました。この程度の事は与党の事前審査でどうにかしてほしいものです。

 

 その他、討論では反対の立場から思いをそのまま述べています。一部ウケている部分がありますが、反対のための反対をしたつもりはありません。3分弱と短いですので、是非視聴いただければ幸甚です。