バン・ギムン国連事務総長が、中国の抗日戦争勝利70周年記念の式典に出たことについて、日本から「中立でない」と言ったら、国連側から「うちは中立ではなく、公平公正だ。」と反論がありました。それに対して、菅官房長官がこの記事のような反論をしています。

 私は事務総長の動きを是とするものではありませんが、この官房長官の反論はポイントがずれています。それは英語の語感の問題です。官房長官の反論では、全く相手に響かないでしょう。

 日本語ではあまり分けにくい概念ですが、日本が求めているのは「neutrality」です。そして、国連側は「impartiality」が国連の原則だと言っています。この2つの言葉の違いが理解できないと、このやり取りはさっぱり意味が分かりません。英語で報道されると、更に意味不明でしょう。

 オックスフォード辞典で見てみると、こういうふうに書いてあります。
・ neutrality : Not supporting or helping either side in a conflict, disagreement, etc
・ impartiality : Treating all rivals or disputants equally

 「neutrality」だと、誰も応援しないという感じでして、「impartiality」ですとすべての関係者を平等に扱うという感じになります。国連側の反論は、「国連は誰からも距離を置くという意味での中立性を旨とした組織ではなく、すべての関係者に対して平等に接するという意味での公平性を旨とした組織だ。」ということなのです。

 これが一番よく出るのが、国連のPKOです。PKOは「neutral」なミッションではなく、「impartial」なミッションです。もう少し踏み込むと、PKOをやる時はすべての関係者から距離を置くのではなく、国連安保理から与えられたミッションを公平な視点で実施することが求められます。ここはよく誤解されるところです。

 国連PKOのサイトを見てみると、大原則としてこう書いてあります。

Impartiality is crucial to maintaining the consent and cooperation of the main parties, but should not be confused with neutrality or inactivity. United Nations peacekeepers should be impartial in their dealings with the parties to the conflict, but not neutral in the execution of their mandate.

Just as a good referee is impartial, but will penalize infractions, so a peacekeeping operation should not condone actions by the parties that violate the undertakings of the peace process or the international norms and principles that a United Nations peacekeeping operation upholds.

 概ね言いたいことは、「公平さ(impartiality)が大事。ただ、それは中立性(neutrality)や不行動(inactivity)とは別。PKOは紛争関係者に対して公平でなくてはならないが、そのマンデートの執行において中立であることはない。国連PKOの原則や和平プロセスに反する関係者の活動を唯々諾々と受け入れるべきではない。」みたいな感じです。

 こういう発想は、PKOのみならず国連のすべての活動に当てはまります。

 なので、国連は「neutrality」を求めた日本に対して、「そもそも国連という組織をよく理解していないんじゃないか?」と反論しているわけです。それを「言葉遊び」で切り捨ててしまうとやり取りは不勉強な日本の負けです。ではなくて、最初からここは「事務総長はimpartialでない。」と切って捨てなくてはならないのです。

 官房長官にこんな変な反論をさせたのは誰だ?、そもそも、国連事務総長に対する最初の批判の際に(ポイント外れの)「neutrality」批判だと受け止めさせたのは誰だ?と首を傾げてしまいます。あまりにセンスが足らないですね。