あけましておめでとうございます。年末の衝撃的な逃亡劇には驚きました。最初の感想は「そういう人なんですよ。発想方法が違うのです。」というものでした。その後、少しずつ事実関係が明らかになってきていますが、私の思うところを書いておきます。

 

● 総論(整理を付けるべき事)

 まず、「カルロス・ゴーン氏が有能なビジネスマンであった事」、「カルロス・ゴーン氏が日本法に反する行為を行った事」、「日本の司法制度に問題がある事」は明確に分けるべきです。ここを混在した議論が散見されます。有能なビジネスマンであったから何でも免責されるわけではありません。また、司法制度に問題があると指摘したからと言って、日本法に反する行為が帳消しになるわけでもありません。

 

● どうやって出国したか。

 私は当初から「人間」としてではなく、「モノ」として出国したと思っていました。「(レバノン)外交官の主権免除を使って出国した」という論調もありましたが、それは外交封印袋(パウチ)にカルロス・ゴーン氏を入れるという事でしょう。さすがにそれは無理だと思います。以下を見ていただければわかりますが、カルロス・ゴーン氏の身体を入れて外交封印袋に入れてたらバレバレです。バレたら、駐日レバノン大使はペルソナ・ノン・グラータ(好ましからざる人物)として、即、日本から追い出されます。

 

【外交関係に関するウィーン条約第二十七条(抜粋)】
3 外交封印袋は、開き又は留置することができない。
4 外交封印袋である包みには、外交封印袋であることを外部から識別しうる記号を附さなければならず、また、外交上の書類又は公の使用のための物品のみを入れることができる。
5 外交伝書使は、自己の身分及び外交封印袋である包みの数を示す公文書が交付されていることを要し、その任務の遂行について接受国により保護されるものとする。その外交伝書使は、身体の不可侵を享有し、いかなる方法によつてもこれを抑留し又は拘禁することができない。
 

● レバノン政府からの申し入れ

 レバノン政府側から「カルロス・ゴーン氏をレバノンで裁くので引き渡してほしい」という要望があり、それを日本が拒否したという報道があります。報道を見る限りでは、その根拠となっているのは「国連腐敗防止条約」です。ただ、ここで言う「腐敗」とは基本的には公務員への汚職事案であり、特別背任といったような経済犯罪ではありません。

 

 しかも、この条約で定められているのは「訴追か、引き渡しか」の義務です。条約に反する腐敗行為を取り締まる時、日本が訴追しないのなら請求のある国へ引き渡せという事です。日本は既に訴追手続きが進んでいるので、仮にカルロス・ゴーン氏の行為が「腐敗」に当たるとしても、レバノンに引き渡す道理はありません。日本が拒否したのではなく、そもそも、条約の読み方としてレバノンからの申し入れは「お門違い」なのです。

 

● 法的に見た今後

 日本とレバノンの間には犯罪人引き渡し条約がありません。日本はこの分野であまり積極的ではなく、条約があるのはアメリカ、韓国との間だけです。これらの国に入ったら、日本はカルロス・ゴーン氏に対する犯罪人引き渡し条約を発動する事になります。他方、今回の逃亡に深く関与したと思われるキャロル・ゴーン氏については出入国管理法等違反での共犯の可能性が高いですが、同氏についてはアメリカ国籍を持っているので、日米犯罪人引き渡し条約によってもアメリカ政府には引き渡しの義務が生じません。

 

 したがって、カルロス・ゴーン氏がレバノンに居る限りは日本の裁判権に服することは無いでしょう。そもそも、レバノンには、テルアビブ空港乱射事件を起こした日本赤軍の岡本公三氏がまだ居るくらいですから、こういう引き渡しは絶対にやらないと見ておいて間違いないです。

 

 他方、日本は刑事共助についてはアメリカ、韓国、ロシア、中国、香港、EUとの間に協定があります。EUとの間で有名なのは、JOCの竹田会長に対するフランス検察の事情聴取です。あれは日EU刑事共助協定に基づいて行われています。仮にゴーン夫妻がEU領内に入ったら、日本はその国に刑事共助の申し入れをする事になるでしょう。そこで捜査、訴追その他の手続の対象となります。なお、ゴーン夫妻の違法行為については、同協定における共助拒否事由には当てはまりません。関係の深いフランスでも断れないでしょう。これを何らかの理由で断っていたら、竹田前JOC会長の訴追案件にまで影響しそうです。

 

 そもそも、カルロス・ゴーン氏はフランスでも訴追のおそれがあります(ヴェルサイユ宮殿における豪華結婚式の費用等)。逆にレバノン政府は「自国で裁く」と言っていますが、レバノンの刑法においては外国で行われた経済犯罪にまで適用されるほど、国外犯規定が広いとはとても思えません。何の法に基づいて何を裁くのかすら、私には分かりません。支離滅裂です。

 

 そう思うと、カルロス・ゴーン氏はそうそう国外に出られるとも思えません。フランスのパニエ・リュナシェ経済・財政省閣外担当相が「フランス国民としての庇護が与えられる」と言っているのを日本のメディアは拡大解釈していますが、よく読んでみると、彼女が言いたかったのは「他のフランス人と変わりなく扱う」という事です。つまり、「(犯罪人引き渡し条約のない)日本には引き渡さない」という事ですが、その裏には「日本からの刑事共助が来たら、他のフランス人と同じように共助に応じる。」という事も含まれるはずです。

 

● 日本の司法の問題

 これも2つの論点があります。「訴追されたら99%有罪」と「人質司法」です。私は前者については、日本の検察は極めて手堅くやっている事の証左だと思うのですね。一部、村木厚子元厚生労働事務次官のケースのように、立件したら無理に無理を重ねて証拠集めに走るという弊害がありますが、総じて「有罪にできるものしか立件しない」という手堅さの裏返しでもありますので、そこはきちんと反論すればいいと思います。

 

 一方、勾留を長引かせる人質司法については、反論は簡単ではありません。例えば、森友学園事案での籠池氏の勾留が300日にも及んだのは異常でした(私は同氏が行った行為を是としているのではありません。証拠隠滅の可能性がないのに、恐らくは政治的思惑を忖度して勾留を長引かせた事に対する問題点の指摘です。)。今の勾留の仕組みは恣意性が高く、証拠隠滅の可能性がないにもかかわらず勾留を長引かせる事は止めさせるべきです。逃亡防止については、むしろ、GPSブレスレットの導入を進めるべきでしょう。カナダで逮捕され、保釈されたファーウェイの孟晩舟副社長は足首にGPSタグを付けられています。

 

● 今後

 ゴーン夫妻は国際的な宣伝戦に出てくるでしょう。一方的な主張を振りまく可能性大です。日本は英語、フランス語で適切に反論できるようにしておく必要があります。その際、新聞、雑誌等に反論を掲載していく事は重要ですが、報道番組に出ていったりして英語、フランス語で日本の正当性を訴えていくべきだと思います。というか、それをやらないとゴーン夫妻の徹底的なメディア戦略にやられてしまいます。

 

 まず、茂木外相、森法相あたりは止めておくべきです。外国語に難を抱えていますので、無理でしょう。法務省や検察関係者も止めておいた方がいいと思います。外交官の中では、駐レバノン大使は、アラブの専門家としてとても素晴らしい方なのですが、英語、フランス語に長けているわけではありません。あと、外務省のフランス語研修組は、フランス語の下手な方がかなり居て、誰でも投入できるわけではありません(この点はかつて国会で指摘したことがあります。)。

 

 私は駐フランス大使がどんどんメディアに出張っていけばいいと思います。ただですね、今、駐フランス大使については人事の端境期でして、前大使が帰朝して、まだ、新任大使が(パリに着任しているかどうかは知りませんが)マクロン大統領に信任状を奉呈していません。新任大使は英語、フランス語共にお上手な方なので、このようなミッションに適任だと思うのですが、大使が外交活動を始められるのは、その国の国家元首に(天皇陛下からの)信任状を奉呈してからです。ちょっとタイミングが悪いなという気がします。

 

 という事で、あれこれと思いを書きました。書き終えて、何とももどかしい案件だと改めて思います。

 最近、「臨時財政対策債」について幾つかのニュースがありました。堅い漢字ばかりなので何の事か分からないと思いますが、簡単に言うと「国から地方にお渡ししなくてはいけないおカネが足らないので、足らざる分は地方にまず借金をしてもらい、その返済するカネを後日、国から地方にお渡しする仕組み」です。

 

 元々は国が借金をして、地方におカネを渡していました。そうした所、どんどん国の特別会計に借金が溜まっていき、51兆円まで積み上がりました。「こりゃ、たまらん」という事で、制度を見直します。まず、51兆円については、国と地方で1対2で分ける事にしました。つまり、国が17兆円を引き受け、地方が34兆円を引き受ける事にしました。国分は一般会計の借金に吸収され、地方分は国の特別会計に残っています。地方自治体の大半の方が知らない、地方が返すべき借金が34兆円あります。

 

(余計な事ですが、この34兆円を少しでもいいから返そうと、民主党政権時代に長期の返済計画を作りました。しかし、現政権でこの返済計画は事実上反故にされています。理由は簡単で、地方に出来るだけ現ナマを渡そうとしたからです。問題だと思うんですけどね、これ。)

 

 そして、平成13年から「臨時財政対策債」の仕組みが導入されます。一旦、地方に借金をしてもらい、その返済額を国が地方交付税の中で100%保証するというやり方です。20年債ですと毎年5%ずつお渡ししていけば、20年後の償還時には100%積み上がって苦労なく償還できることになりますし、30年債ですと毎年3.3%お渡していけば30年後に償還できます(金利は考慮しないものとします)。この返済のために国から貰ったカネを積み立てておく基金を「減債基金」と呼んでいます。

 

 今から5年弱前、この減債基金の積み立てが不十分な自治体があるという報道がありました。それを踏まえて、私が質問主意書を出しています(質問答弁)。答弁が極めて詳細に返ってきており、積み立て不足の道府県がはっきりと書いてあります。例えば、我が福岡県では平成25年度末時点で395.5億円の積み立て不足が出ている事が明らかになりました(当時、金額としては全国トップ)。これを踏まえ、田辺一城議員(現古賀市長)が県議会で質問をしています(ココ)。

 

 県の答弁は非常に複雑な論理なので、私なりに簡単なモデルを立てて、何故、福岡県に不足が出るのかという事を説明します。

 

 まず、200億円の臨時財政対策債を発行するとしましょう。国からやってくる返済用のカネは、「20年債:30年債=1:1」という理論値で計算されています。とすると、20年債で100億円、30年債で100億円という前提になります。なので、20年債分が毎年5億円(5%)、30年債分が毎年3.3億円(3.3%)となるので、毎年8.3億円が返済用資金として国から来ます。しかし、福岡県は「20年債:30年債=2:8」で起債しています(これ自体は悪い事ではありません)。なので、20年債が40億円、30年債が160億円となります。その上で、20年債で毎年2億円(40億×5%)、30年債で毎年5.3億円(160億×3.3%)で7.3億円だけを積み立てていたのです。今、目の前にある県債を償還するために必要な額としてはこれでいいだろう、という判断です。国から8.3億円貰うけど、積み立てるのは7.3億円、つまり毎年1億円「儲け」が出ます。福岡県はこれを別の事に流用していました。

 

 一見、この件は「今、目の前にある県債を償還するために必要な額」が積み立てられているので、尤もらしく聞こえるのです。しかし、これは20年債の償還が終わると途端に苦しくなります。上記のモデルで言うと、その時、国から来るカネはもう毎年3.3億円でしかありません。しかし、積み立てなくてはならないカネは毎年5.3億円になります。毎年、2億の不足額が出るようになります。これは別の予算を削ってやらざるを得ません。最初の20年は毎年1億円儲けを出し、最後の10年は毎年2億不足が出て、30年後にはトントンというイメージです。これを私が雑に纏めたのがこのグラフです。そして、平成13年から始まった臨時財政対策債の制度の中で、そろそろ20年債の償還が始まります。グラフで言う21年目以降に入ってくるわけでして、これから苦しくなります。

 

 そんな中、先日、NHKが本件を報じていました(ココ)。私が質問主意書を出した時に比べて、積立不足が増えている道府県が多いです。私の主意書時点(平成25年度末)と今回の報道(平成29年度末)を比較した表を作ってみました。我が福岡県は600億円超えです。なお、これだけだとよく見えて来ない所があります。人口比で見ると、東北三県(秋田、岩手、山形)、奈良、京都市あたりが積み立て不足額が大きいです。特に秋田は県民一人当たり4万円を超えており、深刻だなと思います。あと、大阪府は積立て不足を解消したのは称賛に価すると思いますが、大阪府は臨時財政対策債の発行額が全国トップで、過去10年での増加率も愛知県に次いで全国2位です(ちなみに大阪市も政令指定都市で発行額全国トップです)。データについては、この質問主意書を参照ください(質問答弁)。

 

 また、福岡県では、佐々木允県議が12月議会で本件を質問しました(ココ)。難しいのですが非常に本質を抉る問であり、全国の自治体関係者は是非これを見てほしいと思います。ここで明らかになったのは、①現在、平成30年度末で積立て不足(他目的の流用)が671億円である事、②前述の田辺質問の後、平成28年度発行分以降は福岡県はきちんと積み立てるようになった事、③ただし、平成27年度以前については放置している事、④その結果、積立て不足が当面増え続け令和5年には901億円になる事、⑤令和5年度以降は国から貰うカネよりも積み立てるべきカネが上回り令和18年度には最大132億円不足する、という事です。

 

 つまり、平成27年度までの県債について引き続き積立て不足(流用)を続ける事で、令和5年まではその恩恵に与れるけども、その後は流用分のツケが効いてきて、他の予算を削って借金返しのために積み立てなくてはならないという事です。今年は55億円程度の流用分が出ますが、令和18年度には132億円の不足が出ます。180億円以上の差です。正に年度毎にこういう差が生じないように国が渡した償還資金を積み立てておくのが最適なはずであり、政府もそういう答弁をしています。佐々木議員が指摘しておられましたが、あえて政治的な文脈に置くと、現在の福岡県知事の3期目が終わった後から程なくして途端に苦しくなります。また、引用したNHKの報道で、北海道は「計画どおりで支障ない」と言っていますが、平成29年度末で785億にまで登る積立て不足を今後、何処かで必ず埋め合わせなくてはならないわけでして絶対に支障が出ます。それ以外の自治体でも、概ね状況は同じでしょう。

 

 色々と書きましたが基本となる理屈は簡単でして、「100億円借金したら、100億円分の返済費用は国が負担してくれる。ただ、それ以上は絶対に負担してもらえない。なので、早い段階で流用して積み立て不足を出したら、後々必ず苦しくなる。」という当たり前の事なのです。そして、臨時財政対策債の制度が始まってそろそろ20年ですから、苦しくなる時期が始まるという事です。記者会見で、総務大臣は「地方交付税は一括で渡しているから、その使い道に国があれこれと口出しは出来ない。だけど、積立てやってくれないと絶対に苦しくなるから、今後とも助言していく。」みたいな発言をしていました。総務省として、この積立て不足への苛立ちが見え隠れします。

 

 この臨時財政対策債の積立て不足は見えにくいんですよね。国や県の資料を普通に見ているだけでは見えて来にくいのです。見えにくいから流用してしまうのです。ただ、理屈を知ると「典型的な将来への付け回し」である事も分かりやすいです。是非、各地方議会関係者や報道関係者には厳しい目で「積み立て不足による流用は将来への付け回しではないのか。」という視点を持ってほしいと思います。

 日韓関係の悪化は、私も文大統領の狭量な姿勢に大きな原因があると思います。

 

 そんな中、先日、韓国の国会議長が訪日した際、「基金」の案を出していました。いわゆる徴用工問題に関連のある企業の寄付を期待する内容でした。私はこれには極めて否定的です。

 

 ここまで「最終的」、「完全」、「不可逆的」という多くの言葉が費やされましたが、結局ダメでした。かつて、外務省条約課課長補佐をやっていた者としては、信じられない程言葉が軽いです。政権が替わったら守られないような約束は何の役にも立ちません。そのような中、韓国国会議長が言うような基金におカネを出しても、またいつか引っくり返されるおそれは非常に強いです。

 

 そういう前提の下、例えばアメリカが仲立ちしてきて「解決」を図ろうとした際、どういう案だったら日本でも受け入れられるかなという事を考えてみました。仮に「纏める案を考えてくれ」と私が言われたら、どう考えるかという事です。

 

 精一杯頭を捻ってみましたが、私なら「これが最後のライン」と思えるのは以下の案です。

 

● 韓国政府がいわゆる徴用工に関する基金を作る。

● その財源は、韓国政府は国債を発行して調達する。そして、日本の関連企業がその国債を買う。日本企業は韓国が徴用工問題を蒸し返さない限り、当該国債を保有し続ける。

● それを以て、徴用工問題の「解決」とする。
● 将来、韓国が本件を蒸し返す時には、日本の関連企業は保有する韓国国債を市場で売却する。

 

 国債の購入であれば、日本の関連企業のバランスシート上は資産として計上されます。したがって、支出ではなくただのポートフォリオ・マネージメントの一環と見る事も出来ます。そして、最大のポイントは将来、徴用工問題を蒸し返した時に綺麗さっぱり売却できるという部分です。韓国との「解決」はこれくらいの安全策を入れないと、もう踏み出せないと思うのです。

 書いていて全然乗り気はしないのですけども、徴用工問題に限定してあえて「解決」を探るとするなら、これならばギリギリ受入れ可ではないかなと思います。というか、これ以上譲歩した案は政策的にも、国内世論的にも無理でしょう。

 いわゆる徴用工問題について、色々な論者が色々な事を言っています。「日本は絶対に勝てる」から、「いや、日本の主張には穴があるので勝てるとは言えない」、「日本は負ける」まで幅広いです。ただ、見ていて思うのは、きちんと整理して話している人が居ないのです。「個人請求権」という言葉を錦の御旗のように掲げる人が居ますが、それは間違っています。

 

 という事で、少し頭を整理したいと思います。まず、基礎知識として、1965年の日韓・財産請求権協定において、国家間の請求権は完全かつ最終的に解決したとなっています。それに対して、近年、韓国大法院が「日本の支配は違法であり、その事は協定ではカバーされておらず、解決されていない請求権がある。」という判決を出しています。

 

 韓国の主張が正しいかどうかはともかくとして(私は正しくないと思っていますが)、彼らの主張まで取り込んでマトリックスにするとこんな感じになるのだろうと思います。請求権の主体を縦、範囲を横に並べています。

 

 請求権の主体としては、国家間のものと個人レベルのものがあります。ここは日本政府も認めています。

 

 また、請求権の範囲としては、日韓財産・請求権協定で放棄した請求権と(韓国が主張する)日韓財産・請求権協定ではカバーされていない、日本の支配が違法である事に伴う請求権というのがあると整理を付ける事が出来ます。勿論、日本は後者についてそんなものは無いと言っています。

 

 まず、右上の日韓財産:請求権協定によって国家間で放棄された請求権については、さすがに韓国政府は何も言っていません。ここは完全かつ最終的に解決されています。

 

 では、①から見ていきたいと思います。日韓財産・請求権協定を読んでみると、こんなカテゴリーの請求権は無いと思います。私は現職時代に、この点についてかなり詰めて聞いています(質問答弁)。簡単に纏めると、あらゆる権利又は請求についていかなる主張もする事ができないとなります。なので、この協定の枠外に、日本による支配が違法である事に伴う国家間の請求権があると主張するのは無理です。

 

 ただ、韓国大法院は、日韓財産・請求権協定では日本の支配が違法である事については協定でカバーされていないという論拠を立てています。私によく分からないのは、そういう理屈を突き詰めるのであれば、国家間でも「まだ、解決されていない請求権がある(つまり、①のカテゴリーがある)」と主張してくる事すら可能です。ただ、現在、そこまではやってきていません。さすがにそこまでやるのは疚しいのでしょう。しかしながら、それは実は韓国側の論理としては筋が通っていないのです。

 

 次は②ですが、ここはかねてから訴訟になって来た部分です。最近は日本でも、韓国でも、この個人請求権についても認めてきませんでした。個人請求権を求める裁判ではすべて原告敗訴でした。日本政府はこれまでの国会論戦の変遷の中で、「国家間で完全かつ最終的に解決したとしても個人請求権は残る。国家間の請求権の放棄とは、個人請求権を求めた裁判で敗訴となっても、韓国政府が外交保護権を行使して、国家間で日本に解決を求める事が出来ないという事である。」という趣旨の事を表明して来ています。

 

 この論理の若干苦しい所は、「個人請求権を求めた裁判で勝訴となった時」の事を想定していないのです。近年までは、日本の裁判所も、韓国の裁判所も個人請求権について認めて来なかったので、それに対して韓国が外交保護権を行使せず、すべてが上手く回っていたわけです。その個人請求権を韓国大法院が認めたのが現在です。

 

 ただ、私が絶対にダメだと思うのが、大法院が判決を出したとしても、それに韓国政府が積極的に関与する事は協定の趣旨からして許されるものではありません。敗訴になった時に外交保護権を行使できないのと同じように、勝訴になった時に外交保護権を行使する事も出来ません。せいぜい判決に基づく執行レベルの関与があり得るだけであり、現在のように大統領を始めとする韓国行政府が本件を日韓外交のネタに持ち出している事は「協定違反」と言えるでしょう。文大統領に対しては「あんた、何を根拠にして口挟んで来てんの?」としかなりません。

 

 そして、③ですが、今回の大法院の判決の(恐らくは)カギとなる部分です。この部分を新たに韓国大法院が見つけ出して(というか、こじつけて)、それまでの敗訴の判決を勝訴に切り換えています。②の部分で勝訴判決を出すのが苦しかったので、何とかして(勝訴判決を出せる)新たなエリアを探そうとして行き着いたのだと思います。ただ、①の所でも言ったように、こういうカテゴリーがそもそもあるのか、という問題があります。論理的に考えれば「ない」はずです。

 

 とすると、③の部分の主張は、とどのところ②に吸収されていくはずです。そうやって考えると、韓国大法院の判決は新たにカバーされていない部分を見つけたわけでも何でもなくて、それまで(敗訴判決を出してきた)個人請求権裁判で審理していた範囲をグルグルと回っているとしか思えません。となると、審理しているものが同じである以上、法解釈を恣意的に変更しているのは韓国大法院ではないか、という事になります。

 

 結論としては、個人請求権に関する日本の論理は少し苦しい所があるけど、韓国の方が遥かに無理に無理を重ねた論理を展開しているという事になります。そもそも、日韓財産・請求権協定の前文に「両国及びその国民の財産並びに両国及びその国民の間の請求権に関する問題を解決することを希望し、」とあるのです。その精神を没却するような事をやるんじゃないという点は基本的な視座として持っておくべきでしょう。

 英語の民間試験導入の「身の丈」発言が盛り上がっています。これ自体は論外の発言です。「あなたの『身の丈』がどの程度なんだ?」という事です。救いようがないです。

 

 一方、現政権が掲げる受験改革の根本の部分は「理解出来ないわけではない」とも思います。下村さんが大臣をやっていた時に感じたのですが、恐らく「皆が同じ試験を受け」、「一発の試験で」、「1点差を狙う」スタイルに対して疑義を呈しているのでしょう。こういう現状に疑問を持つ事自体は理屈としては筋が通るので、(その理屈を是とするかどうかはともかくとして)全否定されるべきものではありません。

 

 ただ、「1点差を狙う」という部分はどうやっても解消するのは難しいというのが私の意見です。どう仕組みを作ろうとも、最後に合否を決める以上は「1点差」になるのです。その部分をフワッとさせてしまうと、そこに入ってくる次の判断材料は「情実」になりかねません。 

 

 私が大学受験をした時、東京大学教養学部文科一類は630人が合格していました。一次試験は110点(換算)、二次試験は440点の550点満点でした。合否のラインの所には、1点差の所に数十名がひしめき合っていると聞いたことがあります。1点差なんて大した差ではないので、そこで合否を分けるのは切ないのですが、しかし、そこをフワッとさせた所で意味のある改革にはならないでしょう。

 

 逆に「皆が同じ試験を受け」という部分や「一発の試験で」という部分は、もう少し改善の余地があるかもしれないな、と常々思います。TOEFL、TOEIC、英検等といったタイプの違う試験でチャレンジの可能性を増やし、一発勝負というストレスを低減するというメリットはあるのです。そして英語能力を図る方法として大学入試センター試験がベストだとは限りません。TOEFL、TOEIC、英検等、それぞれにそれぞれの良さがありますし、欠点があります。重視している能力にも違いがあります。なので、自分が得意な分野でチャレンジ出来る可能性を広げるという事自体は否定されるべきものではないでしょう。

 

 ただ、既に多くの方が指摘しているように「格差がチャンスの差になる」という決定的な問題点があります。 東京在住高校生と地方在住高校生では、受験において情報格差があります。その情報格差は、受験での点数格差に繋がる事は稀ではありません。そんな中、情報格差に加えて収入格差が付いてくるとなると尚更です。ただ、仮にここが解消出来る方法が見つかるのであれば、今の政府の方針は悪くないように思います(それが見つからないのですけど)。

 

(余計な事ですが、受験における情報格差は点数格差に繋がるというのはあまり感じる人がいないかもしれませんが、紛れもない事実です。東京は情報が充実していて、最短で最善の成果を出すメソドロジーがかなり確立しています。「地方で大した情報もなく闇雲に勉強する苦労は、東京出身者には分からんだろうよ。」と、よく大学時代、開成高校出身の同級生に言っていました。)

 

 なお、指摘する人が少ないのですが、アメリカの各種試験は点数の付け方が日本とは決定的に違います。日本の試験は正解数と点数が明確にリンクしますが、アメリカの試験はパーセンタイルで切っていくので、1問正解→●点プラスみたいな事になりません。あくまでも、周囲の出来との関係で点数がつけられていきます。例えば、大学入試センター試験では、問が簡単なら高得点を取る人がたくさん出ます。しかし、アメリカの試験では問が簡単でも、高得点をとれる人数は決まっており、正答が多くても点数が伸びない事があります。

 

 前述の通り、大学受験は最後の1点の所に結構な人数がひしめき合います。例えば、東大二次試験では、440点満点で多分235点くらいが合格ラインなのではないかと思いますが、280点を超える事が出来る学生はかなり限られます。非常に狭い所で競い合います。そういう中、点数の付け方が違う試験の無理に準えた結果、1点得したり、1点損したりするのは可哀想だよなと思います。
 

 あれこれと指摘はしましたが、私は「皆が同じ試験を受け」、「一発の試験で」、「1点差を狙う」事に伴う様々な問題を解消したいという思いをすべて切り捨てる事は出来ないようにも思います。あえて言うと、今の民間試験制度導入は「鶏肋」のようなものでして、身の付き具合は良くないのだけども捨ててしまうには味があるのです。単なる民間試験導入反対だけで終わらせちゃうと、結局今のままです。反対派の方もこの問題意識を共有した上で、少しでもいいので何か出来ないのかなと思うのです(自分自身の妙案が無いのが残念ですけど)。

 なお、最後に余計な事を書きますが、メディアや国会での議論を聞いていると「あなた、民間英語試験を受けた事無いでしょ?」と言いたくなるような議論がかなり散見されます。議論を深めるためにも、一度、TOEFLにでもチャレンジしてみると良いのにね、と思います。一度受けてみると、色々な課題が見えてくるはずなのです。

 コンピレーション・アルバム集「NOW That's what I call Music!」のもじりですが、「これぞ、不平等条約というものだ!」くらいの意味です。日米貿易協定については、「ウィン・ウィン」とか、「国益にかなう」とか色々と中身のない表現が飛び交っています。私には「気合いだ」の連呼にしか聞こえません。

 

 中身に立ち入って、おかしな部分を詳細に説明する事も可能なのですが、非常にテクニカルな部分が多いので避けておきます。むしろ、今日は外形的に見て不平等だとすぐに分かる部分だけを列挙しておきたいと思います。

 

● 譲許表の厚さ

 協定全体(英文)をよく読めば分かりますが、日本の関税に関する附属書Ⅰが114ページ、アメリカの関税に関する附属書Ⅱが24ページです。その中でも、具体的な日本の関税削減表(譲許表)は51ページ、アメリカ側は9ページです。日本は51ページ分の関税削減を行い、アメリカは9ページ分だけというふうに理解してもらってOKです。譲許表以外の残りの部分についても、日本は関税割当等、非常に細かく約束させられており、その分だけ日本の約束に関する分量が多くなっています。

 

 是非、英文全部(141ページ)を打ち出してみて、日本の附属書とアメリカの附属書を比較してみてください。厚さにして5倍の違いがあります。それを見て「平等だ」と言える人は一人も居ないと思います。

 

● 関税削減の始期
 これは規定の仕方が日米で全く異なります。

 

 まず、日本側ですが、来年3月31日より後に日米貿易協定が発効した時でも、 日本の関税削減のスタートは来年3月31日発効と見なして進める、と書いてあります。予算の仕組み上、日本の関税削減は暦年ではなく年度で実施していきますので、結果として、来年4月1日からは(1年目の削減が終わった後の)発効2年目の削減が適用になります。逆に、アメリカの関税削減にはその規定はありません。2年目は発効から1年後です。

 

 具体例を出しましょう。例えば、来年5月1日に発効したと仮定します。日本は来年3月31日に発効したと見做されるので、発効直後から2年目の削減が適用された関税率になります。逆にアメリカはそういうのは無いので、1年目の削減が適用され、2年目の削減が適用されるのは再来年の5月1日です。

 

 何故、こんな規定になったのかと考えてみると、「今の臨時国会中に成立・発効せず、来年の通常国会にずれ込んでも日本は決められた通り削減しろ。」という事です。アメリカ側が、例えば今国会での解散総選挙等が入る事によるずれ込みを懸念したのでしょう。

 この部分は、協定が今の臨時国会で成立して来年1月1日に発効すれば、発動される事のない部分です。しかし、立て付けとしては明確な不平等条約です。協定の該当部分を並べて読まれた後に、「それでも平等だ」という人はまず居ないでしょう。

 ここまでの2つの指摘は、英語も合わせて読まないと分かりません。アメリカ側の附属書Ⅱの日本語訳がないので気づきにくくなっています。そして、あと1つ指摘しておきます。

 

● 国会審議の有無

 この協定は日本では国会審議をしますが、アメリカでは国会審議をしません。何故かというと、アメリカの関税撤廃は現行税率が5%以下のものばかりだからです。アメリカの通商法で、「5%以下の関税については大統領権限で撤廃できる」と読める部分があり、それが適用されるのです。もっと簡単に言うと、「その程度の事であれば、議会に諮ってもらわなくていい。」と連邦議会が考えているという事です。勿論、日本側は5%以上の関税率のものも撤廃します。

 

 トランプ大統領は、NAFTAの見直しでメキシコ、カナダに激しく押し込んで、結構な成果を得ました。しかし、そのNAFTA見直しは連邦議会を通過する見通しが全くありません。背景にはウクライナ問題等もありますが、連邦議会として「取るべきものが取れていない」という懸念がかなりあるようです。民主党のみならず、共和党からも不協和音が聞こえています。そうやって比較してみると、議会から「アメリカとして大したダメージ無いから、大統領限りでやっといて。」と言われる日米貿易協定の出来栄えが透けて見えそうなものです。

 

 「自動車が・・・」、「とうもろこしが・・・」と色々と説き起こすのもいいのですが、外形的に見るだけでこれだけの不平等条約のタネがあるわけです。与党の方々はきちんと事前審査したのかね、そもそも英語は読んだか?、と聞きたくなるレベルです。

 今、書いている本向けに原稿を書いたのですが、紙幅の関係上、その内の4割くらいは使いません(涙)。ただ、お蔵入りするのも勿体ないので、少しずつ紹介していきます。

 

 今日は「GATTとWTO」です。よく新聞等を読んでいると、「GATT(ガット)」、「WTO」という言葉が出て来ると思います。大半の方には「なんだ、そりゃ?」という気になるでしょう。その成り立ちと意味合いについて、かなり省略形で書いています。本用に書いた原稿を殆ど弄らずに載せるので文章が少し硬いです。ご容赦ください。

 

1. GATTとは?

 元々は第二次世界大戦が終わろうとする昭和19年、アメリカのニューハンプシャー州ブレトン・ウッズに主要国が集って、戦後の経済秩序について議論が始まった。この成果として有名なのは国際通貨基金(IMF)の設立であるが、実はこの議論の中ではIMFを補完する国際貿易のための組織の必要性が認識されていた。

 

 ブレトン・ウッズ体制の中で、イギリスの経済学者ケインズが提唱したものは、GATTよりも幅広い形で貿易を規律するITO(国際貿易機関)の設立のみならず、貿易等の決済のために国際清算機関(ICU)や清算手段としての国際共通通貨バンコールの創設までをも含んでいた。また、貿易の理念系として、バンコールの運用を通じて貿易黒字、貿易赤字双方を事実上ゼロにするようなメカニズムを組み込んでいた。非常にザクッと言うと、貿易黒字、貿易赤字双方にペナルティを課すというもので、更には黒字国は通貨を切り上げ、赤字国は通貨を切り下げる、それでも過剰な貿易黒字が出る国が居る時はICUがその国の黒字を取り上げて国際公益のある活動に使う、そんな感じである。近年、国毎の経常収支の不均衡を是正する観点から、このバンコールの考え方を取り上げる経済学者が出てきている。複雑化した国際金融の中ですべてが可能となる事はないだろうが、ケインズのアイデアの一部なりとも取り込めないものかと思わなくはない。

 

 戦後、アメリカ主導で、貿易に関する包括的な国際ルールを規律するITOを作るための交渉が開始される。ただし、ITO交渉は難航したため、ITO交渉の関税と貿易に関する部分だけを切り離した協定の交渉も行われ、こちらが先行して昭和22年末には妥結し、昭和23年から発効する。これが「関税と貿易に関する一般協定」、通称GATTと呼ばれるものである。

 

 ただし、将来的にGATTはITOの一部として位置付けられるはずだったので、この時点では「暫定的適用」という位置付けであった。戦後の貿易体制を作るために、関税の引き下げを実現していく事の必要性が高かったため、この部分を急いだ事がよく分かる。つまり、GATTだけで長くやっていくつもりは無かったのである。

 

 ITO交渉は昭和23年3月には妥結する。キューバのハバナで採択されたのでハバナ憲章と呼ばれる条約として結実した。しかし、このハバナ憲章はあまりに包括的過ぎ、そして、当時としては、あまりに各国の国内経済に手を突っ込み過ぎていた。既にケインズは昭和21年に亡くなっているが、ケインズの理念が強く出過ぎたとも言えるだろう。また、逆側の視点からは、ハバナ憲章は多くの妥協策が盛り込まれていた事への不満もあった。結果として、このハバナ憲章がアメリカの連邦議会を通る見通しは殆ど立たなかった。当時のトルーマン大統領は何度か議会での賛成を取り付けようとチャレンジしたのだが、最終的に昭和25年には断念する。この時点でハバナ憲章は死に体となってしまった。今、ハバナ憲章を読み直してみると、失業、賃金、雇用にまで踏み込んでいたり、各国の一次産業保護の視点が読み取れたりして、追求しようとした崇高な理念と見識の高さには目を見張るものがある。

 

 ITO憲章が死に体になると、残るのは「暫定的適用」でしかないGATTだけである。これはただの関税と貿易に関する協定であり、国際機関ですらない。ただ、貿易を規律するのがGATTしかないので、事実上の国際機関として機能するようになる。事務局はジュネーブであった。

 

2. GATTの限界

 規律する範囲が狭い、組織が弱い、これがGATTの限界であったと思う。しかし、それでGATTを批判するのはお門違いである。そもそも、法的基盤がしっかりしていない存在であり、大きな荷を背負う事が出来ない状態でスタートしたのであるから、限界があるのは当然である。当初はGATTの事務局を作る事すら想定されていなかったが、ITO構想が崩壊したため、事実上の国際機関として実績を積み上げていかざるを得なかった。

 

 発足後6回のラウンド(関税引き下げ交渉)を行う中で、GATT加盟国は増え、また、自由化の度合いは高まっていった。しかし、GATTのルールでは捕捉できないような様々な貿易の妨げになる手法が横行するようになっていった。ECが農業保護に使っていた可変課徴金、余剰農産物を輸出するための輸出補助金、アメリカが要求する輸出自主規制などは代表的なものであろう。

 

 世界経済が停滞していた昭和57年のGATT閣僚宣言を改めて読み直してみた。簡単に纏めると「GATTのルールの下、一定の自由化は進んできているが、一方でムチャクチャやっている国(主に先進国)が増えてきている。しかも、GATTのルールが古臭くなってきている。ここらへんでタガを嵌めないととんでもない事になる。」という危機感が伝わってきた。先進国のムチャクチャなやり口に途上国が怒っているようにも読める。当時は2度のオイルショックを経て、高失業率とインフレの同時進行であるスタグフレーションの時代だったので、現在とは少し事情が違うが、閣僚宣言の文章を読んでいると、現在の危機的な状況への認識と大差が無いので驚く。

 

 当時は日本も輸入禁止品目や極めて不透明で輸入制限的な措置が講じられていた。コメ、小麦、大麦、乳製品の一部、でん粉、雑豆、落花生、こんにゃくいも、繭・生糸及び豚肉といった品目については、●%(従価税)、●円/kg(従量税)といった簡潔な関税構造をしておらず、何らかの不透明で輸入制限的な仕組みがあった。ただ、それが通商ルール上違法だったわけではない。

 

3. GATTウルグアイ・ラウンド

 そして、かなり包括的な交渉分野を対象とするウルグアイ・ラウンドが昭和61年にスタートする。何故、ウルグアイ・ラウンドと言うかというと、交渉を開始した閣僚会合がウルグアイのプンタ・デル・エステで開催されたからである。こうやって歴史文書等に名前を残すというのは、その後も続き、WTO協定の正式名称は「世界貿易機関を設立するマラケシュ協定(モロッコ)」、次のラウンド交渉は「ドーハ開発アジェンダ(カタール)」であった。日本が気候変動枠組み条約の京都議定書に名を残したのと同じである。

 

 7年に亘る交渉を包括的に説明する能力は私には無い。簡単に言えば、モノの貿易のみならず、サービス貿易、知的財産権、紛争解決手続、検疫、企画、ライセンシング等、当時としては相当に幅広い分野を取り込んだ交渉だった。モノの貿易については、農業交渉が特別に取り出され、国内補助金や価格支持政策、輸出補助金について初めて取り上げられた。そして、正式な国際機関たるWTOを作る事も含まれていた。ケインズが夢見たITOの包括性や志の高さに比べると、まだまだ不十分なのかもしれないが、このWTOは「50年遅れてやってきたITO」と言えるのかもしれない。

 

4.    農業(例外なき関税化、補助金への対応)

 前述の通り、GATTウルグアイ・ラウンドでは、農業分野だけを切り出した交渉が行われた。これ自体が画期的な事であった。取り組まれた事の中で特徴的なのは「例外なき関税化」と「補助金」である。1980年代、ともかく農産品貿易の状況は荒れていた。ECとアメリカは、関税以外の特殊な手法で国産農産品を保護するのみならず、補助金についてはジャブジャブで攻撃的な輸出戦略が採られた。アメリカは直接的には輸出補助金を出していなかったが、国内の補助金やローンは事実上輸出を促進する効果があった。

 

 その中で出てきたのが、「例外なき関税化」という考え方である。これは何かというと、どんな特殊な保護の仕方をしていようとも、すべて関税での保護に転換しなさいというルールを意味する。ここで言う関税とは、前記の通り、●%(従価税)、●円/kg(従量税)というのが基本である。言い換えると、関税化とは簡素で分かり易い仕組みで保護するという事だと私は理解している。

 

 日本はコメとの関係で「例外なき関税化反対」を最後まで言い続け、最後までこれで突っ込んで例外措置を勝ち取った。勝ち取ったはずだが、よく気が付いてみると大損をする内容であり、WTO協定が発効して4年で「やっぱり関税化します」と方向転換している。当時の雰囲気からして「例外なき関税化」回避が至上命題だったが、それで突っ込んで大失敗した例として記憶されるべきものである。そして、コメ以外の品目、つまり小麦、大麦、乳製品の一部、でん粉、雑豆、落花生、こんにゃくいも、繭・生糸及び豚肉についてはどんな形であれ関税化した。

 

 また、補助金について切り込んだ貿易協定は、これまでWTO農業協定だけである。どんなに貿易自由化しても、先進国が補助金ジャブジャブで自国を守り、ましてや他国の農産品市場を荒らしてしまえば、自由化の意義は減殺されるという問題意識である。特にEUが出している輸出補助金に対する目線は厳しかった。ここでよく考えなくてはならないのは、この世界の農業補助金に対する世界共通のルールはWTO協定で止まっているという事である(勿論、各国とも財政状況が厳しいので独自に補助金改革は進めている。)。TPPが進もうとも、日EU経済連携協定が進もうとも、日米貿易協定が進もうとも、補助金にはメスは入らない。二国間や複数国間の協定で補助金を削減する国はない。「WTOなど要らない。有志でやっていけばいい。」という考えを最近よく聞くが、絶対にWTOでしか取り組めない分野がある事を忘れてはならない。

 

5.    WTOという国際機関

 そういうウルグアイ・ラウンド交渉を経て、作られたWTO協定は平成5年末に妥結、平成6年4月に署名、そして、国会審議等を経て平成7年1月1日に発効する。協定の発効とともにWTOという新しい国際機関が発足した。

 

 発足当初はGATT事務局長を務めていたピーター・サザーランドが暫くWTO事務局長を務めていた。ただし、事実上の初代事務局長は、イタリアの元対外通商大臣であったレナート・ルッジェーロ。この事務局長選考プロセスは日本にとって痛いものであった。詳細は書かないが、韓国に二枚舌ではっきりと裏切られたのである。大学時代に読んだイギリス人外交官ハロルド・ニコルソンの「外交」という本には、「外交においては正直が一番大事だ。嘘をつくと長期的には損をする。」といった趣旨の記述があった。そう信じて外務省に入った私には、この事務局長選挙での韓国の立ち振る舞いは一発目の強烈なパンチだったように思う。あの時以来、こういう時の韓国は信頼が置けないと思うようになった。とても残念な経験であった。

 24日から日米貿易協定の国会審議が始まるようです。ところで、条約の作られ方について知っている方はそう多くは無いでしょう。今、書いている通商関係の本に一応原稿を書いたのですが、この部分は本には掲載しない事にしました。勿体ないような気もするので、ここに掲載しておきたいと思います。

 

 なお、内容は基本的に「手続論」です。長いですけども、そこそこ面白い部分もあると思います。

【条約の出来るまで】

 非常に簡単に条約の作り方から国会審議、そして発効についてまで説明しておきたい。WTO協定もTPPもすべて国際条約(国際約束)である。国際約束とは何かと言うと、「国と国とが合意するもの」である。必ずしも「条約」という名称が付いていなくても、国と国とが合意するのであれば国際約束である。そして、合意した以上は法的拘束力がある。

 

 まず、当たり前であるが、条約交渉をしなくてはならない。交渉をする最初の段階では、お互いが対等の立場である事が大前提である。最近、TPPや日EU経済連携協定の交渉では相手が「前払い」を求めてくる事が多かった。TPPは国民的関心が高かったので前払いについては比較的厳しい目が注がれていたが、実はEUとの交渉では、日本がかなりの前払いを出していた事には大きな注目は集まらなかった。原理原則の問題としてああいう事は避けるべきであったと思う。

 

 交渉が纏まると、「署名」のために条約文が開放される。これは「この条約はこの文言で確定します。」という同意を与える事である。二国間だと合意イコール署名になる事が多いが、多数国間条約だとそういうわけでもない。ただし、署名だけでは必ずしも条約に拘束される事を意味しない。また、署名しないと、その条約に加わる事が出来ないというわけでも必ずしもない。多種多様なバラエティが存在する。

 

 どんな条約でも、条約が確定するとまず「訳」を作る。たかが「訳」と思われるかもしれないが、これが結構大変である。どの用語にどういう訳語を充てるかというのは、中身にも関わる大事な部分であり、外務省にはこういう事についてのミソみたいなものがある。通商交渉関係でかなり揉めたものとして、WTO協定を訳する際の「知的所有権」と「知的財産権」の訳語問題があった。実はこれは深遠なテーマを孕んでいる。「Intellectual Property Rights」という権利について、特許庁は「この権利は性質上『所有権』というより『財産権』に近いので、『知的財産権』と呼ぶべき。」と主張し、外務省は「これまでずっと『知的所有権』という言葉を充ててきたので変えるべきではない。」と主張した。つまり、「知的所有権という名の財産権」という位置付けである。その時は前例主義が勝り、内閣法制局は外務省の訳を採用した。ただ、特許庁の方が理屈としては遥かに筋が通っているため、その後「知的財産権」という言葉が広く使われるようになっている。なので、近年は知的財産権という用語が法令でも多用されているが、古い条約になると知的所有権という言葉がそのまま使われており、現在でも混乱を生じさせる状況である。

 

 訳を作るのと同様に、条約で掛かる義務をどうやって国内で実施していくのかという事を綿密に検討する。既存の法律で対応出来るものばかりであれば、後述の行政取極に該当するため、行政部内ですべてが終わる。そうでなければ、その条約を実施するために国会で法律を作ったり、改正しなくてはならないという事になる。後者については、条約そのものが国会承認が必要になる。この2つのタイプの違いは、掛かる手間の多さから言うと段違いである。

 

 実はここからが大変であり、内閣法制局という部局の審査を経なくてはならない。法の番人とも言える存在で、条約の訳、条約で掛かる義務と国内法の対応等、それはそれは細かく見られる。そして、想定される質問とそれに対する答弁、いわゆる「想定問答集」も作って、その一部は内閣法制局で審査されるのが常であった。通常の通商協定では電話帳3冊分のような厚さになる譲許表は条約の一部であるため、訳をきちんと作って、内閣法制局審査では、その電話帳のような譲許表の用語を一つ一つ審査していくのであり、その作業たるや膨大なものになるというのはお分かりいただけるだろう。なお、より正確に言うと、例えばTPP11ではすべての加盟国の譲許表が条約の一部を構成しているため、真の意味でのTPP11の協定というのは、本体部分+11か国の譲許表という事になる。多分、積んでみれば1.5メートルくらいになるはずである(ただし、他国の譲許表の訳は作らない。)。内閣法制局は絶対に妥協しないので、審査が終わらなければ、重い荷物を持って何度も何度も日参する事になる。すべてのお役人が絶対に怖れる組織、それが内閣法制局である。

 

 前述の通り、国会で承認してもらう条約とそうでない条約とが日本では明確に分けられている。すべてが国会で承認してもらわなくてはならないわけではなく、既に政府が持っている権限、予算の範囲内で実施できるような軽い条約については、国会の承認は要らない事になっている。そういう軽い条約については、内閣法制局の審査が終わったら閣議決定で日本の意思を確定し、署名イコール発効という事になる。実は日本が締結する大半の条約はこの軽い条約に属しており、専門用語で行政取極と呼んでいる。例えば、日本が締結する国際約束の大多数は実は経済協力の交換公文である。これはすべて行政取極である。

 

 逆に締結する時に、法律改正が必要だったり、予算措置が必要だったり、非常に重要なので天皇陛下による批准を要件としている条約は、国会の承認が必要になる(このルールを決めた時の大平正芳外相の名を取って大平三原則と言う。)。近年は租税協定、投資協定、社会保障協定(年金や保険料の二重払い防止)がとても多いようである。日本企業や日本人の海外での活動が増える事によって、こういう国際条約の必要性が高まってきているのである。

 なお、「天皇陛下の批准を要件」としているにもかかわらず、国内法改正が全くない条約というのは珍しいが時折ある。気候変動枠組みパリ協定がそれに当たる。あれは国内法改正が一切無くとも国内実施が可能であるが、批准が要件になるため、国会承認条約であった。これは何を意味するかと言うと、国会審議で環境大臣が絡まないのである。すべて外務委員会だけで終わる。パリ協定の国会審議の際、当時の山本環境相が「出番が無いんだよ」とつまんなさそうにしていたのを覚えている。

 

 通商系の条約というのは、どんなものであっても、国会承認を要する条約になる。日本では「税を課すのは法律に依らなくてはならない」というルール(租税法律主義)があり、通商系の条約はどんなものであっても、国内法による関税の見直しが入る以上は、条約そのものは必ず国会に承認してもらわなくてはならない。

 

 訳も国内法もすべて整ったら、閣議決定をして、条約を国会に提出する。条約については、通常は「外務委員会(参議院では外交防衛委員会)」、国内法についてはそれぞれの委員会での審議となる。例えば、特許の関係の条約であれば、条約そのものは外務委員会、国内法については経済産業委員会という2つの審議が必要になる。この「どんな条約でも、条約である限りは外務省ががっちり握る」というのは、省庁間権限争いの火種になる事が多い。財務省は、税関係の条約はすべて自分達でやりたいと思っており、厚生労働省は、社会保障系の条約について同じ事を思っているが、長年に亘ってすべて外務省に拒まれている。そして、外務省贔屓になるかもしれないが、外務省が絡まない形で条約を作るのは絶対に止めた方がいい。

 

 ここで法律と条約の違いが出て来る。日本国憲法上、条約締結権は内閣(行政府)の専権事項であると書いてある。そして、国会においては、政府が署名してきた条約を承認するかどうかだけであって、法律案のように修正することは出来ない。つまり、国会に求められるのは「Yes or No」を言う事だけである。条約審議については、法律案であれば生じる修正協議に伴う苦労が一切ない。私は何度も法律案の修正協議をやった事があるのでその違いがとてもよく分かる。これが、国会において外務官僚は態度が不遜である、と言われる一因だろう。しかも、予算と同様に、衆議院で可決して30日後には自動承認である。外務省の中には、緩やかにではあるが「条約締結は内閣の専権事項だから、交渉中にあまり外からガチャガチャ言わないでほしい。最後に『はい』か『いいえ』かだけを言うのが国会の役割。」という感情は確実に存在している。

 

 ここまで準備しておいて残念であるが、大半の条約は、国会審議で大した質疑にならない。内閣法制局と詰めに詰めた想定問答集も大して使わない。テクニカルな租税条約、投資条約、社会保障条約を真面目に読んでいる国会議員を私は殆ど知らない。また、中身に入って質問している国会議員に至ってはほぼゼロである。大平三原則で国会承認条約になるものと、国会で関心を呼ぶものとの差はかなり大きいと思う。

 

 なお、私は外務省時代、国会議員から「明日条約審議なんだけど、何質問していいか分からないので考えてもらえないか。」という要望を受けた事がある。おまけに「できればどんな答弁になるのかも教えてほしい。」という要望すらあった。発注通り、質問と答弁を全部自分で作成して、その議員にきちんとブリーフに行った。当日の質疑時間は、脚本・監督すべて私のドラマのようであり、自分の課で中継を見ながら「はい、〇〇議員、次の問2、キュー」、「そこで政務次官答弁、キュー」とか言っていた。そういう事例は極端だとしても、1問だけ条約関連で質問したら、全く別のテーマに進んでいくというケースは稀ではなかった。大平三原則がある事から国会承認条約として提出されるが、殆ど誰の関心も呼ばず、単に与野党の国会対策上の日程闘争のコマに過ぎなくなってしまう条約は結構多い。電話帳3冊分くらいの交渉をやって、国会承認に上げた通商関係の自由貿易協定で殆ど質疑が出ないというのは、担当している側としては実はちょっぴり寂しいものである。

 

 それでも、国会承認は国会承認であり、衆議院、参議院の本会議で採決されると、当事者はとても嬉しい。承認されたことが嬉しいというよりも、自分の苦労の積み重ねが報われたような気持になる。その後は、日本国として条約に拘束されますという正式な通知をする事になる。批准、承認、受諾、加入と多様なやり方があるが、ここではその細部には入らない。条約の発効については条件が付いている事が多く、その条約が意味のある形で機能する条件が整わないと発効しないようにしているわけである(例えば、TPP12では、日本とアメリカが加わらないと発効しない事になっていた。)。

 憲法改正について、今起こっている事の幾つかがおかしいような気がします。 

 

 まず、憲法改正を議論するのは、憲法が国民に与えた権利です。なので、改正を提起する事自体を批判するのは適当ではありません。批判の対象は、あくまでも改正案の中身であるべきです。そして、憲法第99条に「憲法尊重擁護の義務」という規定がありますが、憲法改正との関係で言うと「クーデターのような手法で改正してはいけない」という事です。憲法第96条の改正手続きに則った改正を提起する事は、尊重擁護義務に反するものではありません。

 

 しかし、改正すべきでないという主張も当然、憲法が国民に与えた権利です。その主張に基づいて、何らの改正案も出さない事自体は批判の対象とすべきではありません。批判として提起してもいいのは、改正しない事による問題点です。

 

 日本国憲法が予定する議論のあり方としては、「改正案を出す」事も「出さない」事も対等の立場のはずです。この基本的視座が今の日本では失われがちです。改正を目指す事自体を「けしからん」と批判するのも、主張に基づき何の改正案も出さない事を「対案が無い」と嘲笑ったりするのも、いずれも健全ではありません。

 

 そして、「案」についても対等であるべきだと思います。

 非常に誤解されがちですが、一切の改正不要とする立場の方は案を持っています。「今の憲法のまま」という案です。条文としてすべて存在しているので、最も具体的な案と言えるでしょう。この「今の憲法のまま」という案に対して、対等の位置に立つためには、改正を目指す方は具体的な案を出すべきです。そこでようやく立ち位置が対等になります。

 

 残念ながら、憲法改正を目指す政党からは「考え方」は何度も聞いた事がありますが、まだ、正式な組織決定を経た案は出て来ていません。例えば、自由民主党の憲法改正推進本部のサイトを見てみると、一番最近、具体性を持った考え方を示そうとしたのは平成30年3月のこのペーパーです。平成30年3月に議論の状況を取り纏めた後、1年半経っているのですが、具体的な改正案に結実していません。

 

 日本の憲法改正に関する論壇においては、改正派の方々が護憲派に対して「対案を出すべき」と主張する事が多いようですが、現状を注視してみると「今の憲法のまま」という具体案に対して、改正派の先頭に立つ自由民主党の方々がきちんと具体案を出さないと、議論のスタートに立てないと思うわけです。漏れ聞こえる所では、前記の取り纏めペーパー以降、党内で具体案のコンセンサスが得られないので、考え方の段階で止めているとの事のようです。しかし、党内すら取り纏められない状態で、憲法改正を進めようと言っても誰も相手にしないと思います。

 

 例えば、「今の年金制度は改正すべき」と主張する勢力が、具体案を持つ事なく、漠然と「より負担が公平な年金制度にすべき。」という考え方だけ述べて押してきても、政府・与党は相手にしないでしょう。それと同じです。「考え方」だけで改憲を訴えても、「今の憲法のまま」という案を持っている方からすれば相手にする道理はありません。

 

 そして、具体案が出てくれば対等の立ち位置に立つわけですから、他党は議論にしっかりと応じるべきでしょう。

 

 今日のエントリーは、中身に立ち入る事なく、あくまでも「議論の作法」に関するものだけです。私の憲法改正に対する考え+具体案は徐々に書いていきます。自由民主党の「考え方」の中には、賛同するモノ(89条改正)、ゴールは共有するけど論理は全く共有しないモノ(合区解消)、全く気乗りがしないモノ(緊急事態条項)、何がしたいのかよく分からないモノ(9条加憲)とそれぞれありますので。

 TPP11、日EU・EPA、日米貿易協定を通じて、国会議員、報道関係者、業界関係者のすべて、そして恐らくは官僚の大多数の方が悉く勘違いをしている分野があります。それは「豚肉」に関する交渉結果です。多分、因果関係が正確に理解できているのは内閣官房や農林水産省で交渉を担当した人だけではないかと思います。非常に難解なのですが、出来るだけ分かり易く書きますのでご容赦ください。

 

 豚肉の輸入制度は差額関税制度と言われます。説明すると長いのですが、グラフにするとこんな感じです。低価格の豚肉(524円/kg以下)は、546.53円/kgとの差額をすべて関税で持っていかれ、高価格の豚肉(524円/kg以上)は4.3%の関税を取られるという仕組みです。

 

 ただ、この仕組みには裏のカラクリがあります。例えば、300円/kgで輸入して246.53円/kgの関税を払う人は居ません。高価格の豚肉と低価格の豚肉を組合わせて、必ず輸入価格を524円/kgになるようにして輸入しています。524円/kgで関税を払うのが一番安いからです(4.3%)。この仕組みをコンビネーション輸入といいます。なお、こうやって低価格と高価格の商品を組合わせて輸入する事を広く認めると脱税の温床になるので、このようなやり方が認められているのは豚肉だけです。ちなみにTPPが妥結するまでは、この仕組みを外に対して説明する事は殆どなかったのですが、今は積極的にカミングアウトしています。

 

 そして、累次の交渉における結果はこんな感じです。今は差額関税部分が非常に分厚いのですが、協定発効後に125円/kgまで下がり、5年後には70円/kgとなり、10年後には50円/kgとなります。非常に差額関税部分が薄くなるので、日本の豚肉が保護されなくなるのではないかという懸念が表明されています。それに対して農林水産省は「コンビネーション輸入は続く。何故なら、差額関税部分が薄くなっても、コンビネーション輸入で524円/kgで輸入すると関税が最も安くなるからだ(関税ゼロ)。バラして輸入すると、高価格帯は関税ゼロになるが、低価格帯は50円/kgを払わなくてはならない。であれば、コンビネーション輸入を続ける方が有利。」と説明しています。尤もらしく聞こえますね。しかし、違います。

 

 論を進めます。輸入豚肉の中で、国内で非常に需要が高いのは低価格の豚肉です。ハム、ソーセージ等に使う部分が該当します。そして、トンカツ等に使う高価格の輸入豚肉は国産と競合しており、そこまで引きが強くはありません。ただ、差額関税制度の下では低価格と高価格の豚肉の組み合わせで輸入するのが関税が安くなるので、そこまで引きの強くない高価格の豚肉がセットで輸入されてきます。日本の養豚関係者は「差額関税制度で自分達は守られている」という信仰を持っていますが、むしろ、本来引きが強くない高価格の豚肉までもが輸入されてきて、自分達の生産する豚肉と競合しているというふうに考えた方が良いものです。つまり、あまり国産豚肉を守っていないという事です。

 

 そして、現在、カナダ、メキシコ(TPP11)、スペイン、デンマーク等(日EU)から輸入されてきている豚肉の関税は、差額関税がかなり薄くなった125円/kgが適用になっていますが、現時点ではまだコンビネーション輸入が続いています。つまり、高価格と低価格の豚肉をセットにして524円/kgの価格帯で輸入しています。課税額は4.3%から半分程度に下がっています。そして、現在、アメリカから輸入されている豚肉はまだ自由貿易協定の恩恵を受けておらず、通常の仕組みの中でコンビネーション輸入で入って来ており、課税額は4.3%です。

 

 この程度の差だと、実はTPP11や日EU・EPAが発効している国とアメリカとの間に大した競争条件の差がありません。報道では「TPP11や日EU・EPAが発効したせいで関税の差が産まれ、アメリカン・ポークが劣位に置かれている。」という前提で書かれているものばかりですが、コンビネーション輸入を前提とする限りは間違っています。

 

 ただ、たしかに今、アメリカン・ポークは日本市場でシェアを減らしてきている事は事実です。それは別の事情があるのです。

 

 それは「アメリカン・ポークが安過ぎる」せいなのです。コンビネーション輸入するためには、524円/kgに輸入価格を設定しなくてはなりません。しかし、アメリカン・ポークは圧倒的な競争力があるため、ハム、ソーセージ用の低価格帯は250円/kgくらいになります。それとセットで524円/kgの輸入価格を作ろうとすると、800円/kgもする豚肉を探してこなくてはなりません。そんな豚肉をアメリカ市場で大量に探す事は無理でして、限りなくグレーな価格設定でもやらない限りは無理です。しかし、それがバレたら高額の追徴課税が待っています。であれば、524円/kgの価格を組みやすい、アメリカよりは競争力が低い(豚肉価格が高い)国からの輸入の方が安心してやれるのです。「安過ぎて輸入するのを躊躇ってしまう」という異常な状態が豚肉輸入にはあります。日米貿易交渉におけるアメリカ側の交渉官はこの現状を分かっていたのかな、と若干首を傾げます。

 

 では、農林水産省の言うように「(発効後10年で)50円/kgになってもコンビネーション輸入は続く」のかと言われると、これも続きません。まず、消費税の事を勘案すると、コンビネーション輸入で輸入する低価格の豚肉と単体で輸入する低価格の豚肉との差はかなり縮まります。機械的に計算してみた所、差は32円/kgくらいまで縮まります。それに加え、コンビネーション輸入をする煩雑さに伴うコスト、それ程引きの強くない高価格の豚肉を在庫で抱えるコスト、追徴課税を受けるリスク等を考えると、50円/kg払ってでも低価格の豚肉を単独で輸入するというふうになるでしょう。

 

 多分、この「コンビネーション輸入をする方が有利な状況」から「低価格の豚肉を単独で輸入する方が有利な状況」に転換するポイントは、70円/kg(5年後)⇒50円/kg(10年後)の間の何処かだろうと私は見ています。つまり、アメリカン・ポークの視点から見ると、日米貿易協定が発効してもすぐにはシェアの回復は出来ない(安過ぎてコンビネーションが組みにくいので)、ただ、5-10年のタームで見ていると、ある日突然、コンビネーション輸入の仕組みが壊れてしまって、堰を切った様に低価格のアメリカン・ポークの圧倒的な優位性が確保されるようになる、こんな感じになるはずです。ただ、その時はコンビネーション輸入が崩れているので、高価格のアメリカン・ポークについては今よりも売れなくなります。

 

 報道されている話とは相当に違いがある事にお気付きいただけるでしょう。差額関税制度(+コンビネーション輸入)なんてのは、誰の幸せにもなっていません。本当であれば制度自体は廃止すべきものです。本件はもっともっと奥が深いのですが、紙幅の観点からこの辺りで止めておきます。報道関係者の方、与野党国会議員の方、農業関係者の方、個人的にコンタクトしていただければ何時でも説明します。