日本学術会議法改正案の国会提出が断念されました。学術界の反対が強い事がその理由です。私の所属する内閣委員会に付託される予定だったので、それなりに準備だけはしていました。実は今日この時点で内閣委員会には「孤独・孤立対策推進法」の審議です。もう1本「DV対策法改正」が入って、その後に日本学術会議法改正案の予定でした。衆議院で審議入りできるのは、恐らくは5月中旬以降。参議院での審議まで念頭に置くと、そもそも6月21日の会期末までに成立させるのは日程的に無理なのではないかと当初から思っていました。

 

 事の発端は、防衛研究に悉く反対を出し続ける日本学術会議に対する政府の苛立ちが背景にあります。政府はこれを認めたがりませんが、どう見てもそうです。だから、無理を積み重ねて過去の方針を変更して、菅総理が会員任命を拒否しました。そして、その延長として、日本学術会議の会員選考プロセスに政府が選んだ第三者の目を入れようとするのが今回の法改正案です。

 

(時折、保守系の方が左派系の学者の思想を「偏っている」と批判して、菅総理による任命拒否を正当化する事があります。そのアプローチが正当化されるのは、左派系の方が保守系の学者の思想を「偏っている」と批判した際にも同じ立ち位置を維持できる時だけです。それが出来ないのであれば、すべてはポジション・トークになってしまいます。当に「不公平」です。)

 

 一般論として、身内の会員だけで新会員を選考すると、時折(常に、ではありません)奇妙な事が起きます。典型的なのが芸術の世界でして、芸術家の顕彰機関たる日本芸術院(文化庁の特別の機関)の会員になるためには「1億円」が必要とされていました。選考の権限を持つ現会員にお金を渡していくのが常態化していました。私が平成27年に「外部の目を入れるべし」と指摘し、当時の下村文部科学大臣は「指摘の通り。日本芸術院に検討を求める。」と答弁します。しかし、日本芸術院側はこれを無視し続けます。最終的に(日本学術会議の話が飛び火して)ようやく令和3年に選考プロセスを見直しました。この流れを牽引したのは萩生田文部科学大臣でした。

 

 何となくそれと似ているんだよな、とは思います。勿論、芸術と学術を一緒くたにするつもりはありません。ただ、いずれも政治との距離が微妙な世界です。その上で学術界が今回の日本学術会議法改正案を政治からの介入強化だとして反対する事については、私は「先の大戦中の政治、軍と学術界の関係を見れば、そういう慎重さを持っている事は分かる。」との立場です。

 

 ただし、だからといって私は日本学術会議側にフリーハンドを与えるつもりもありません。現代社会においては、様々な研究の中に軍民両用のものが増えて来ています。その中には経済発展に大きく資するものはたくさんあります。その観点からは、汎用品、汎用性のある技術の研究をすべて拒否する事は学術界には許されないと思います。また、発注元が防衛省だからという理由のみで研究受託を拒否する事も許されないと思います(ただ、それを警戒した政府は経済安全保障の枠組みの中で経済産業省と文部科学省が共同で研究のためのファンドを作って、そこに防衛省を加えるという形にしています。昨年法案審議の際、「そこまでやらなくてはいかんのか」と思いました。)。

 

 日本学術会議は、このまま法改正を拒むのであれば、それと同時に「軍民汎用性のある研究に何処までであれば関与するのか」という方針を世に打ち出し、それを大いなる議論に供するべきです。その方針が幅広く国民各層の理解を得るかどうかとこの改正案の今後は強くリンクしていると思います。ここが明確にならないと、法改正が断念された後、安全保障関係者と学術界の間の相互不信が常に燻ぶり続けるだけです。