先週、衆議院内閣委員会で「中立と公平」について質問しました。正直な所、高市大臣はこの違いをよく理解せずに審議に臨んできました。質問通告の際、私からは「この違いがとてもよく出るのがPKO。国連事務総長は明確に『PKOは公平な組織であり、中立ではない』と言う。同じ内閣府なんだから、話を聞いてみるといい。」とも伝えています。

 

 現在、高市大臣は放送法担当ではありませんので、あくまでも大臣の政治的姿勢として「中立と公平」について聞くという事も事前に伝えていました。上記リンクでかなり明確に書いていますが、私は次のように理解しています。

 

● 中立は、誰も応援しない事であり、公平は、すべての者を平等に扱う事。全く異なる。

● 公平を達成するための平等を判断する際、その基礎として何らかの価値観が必要である。例えば、国連PKOで言うと、安保理決議におけるミッションがその価値観。なので、決議違反をする者に対してまで等距離を維持するのはPKOのあるべき姿ではない。

● 公平を達成するための価値観は色々なものがあり得る。機会の平等については、名目的なものと実質的なものがある。チャレンジする回数を同一にするだけの事も、アファーマティブ・アクション的に社会の特定の層をプッシュする事も、公平の一つの姿である。

● そして、公平のあり方として、平等にすべての者を批判するというものもあるはず。なので、自分が批判されているという点のみを以て「不公平だ」と騒ぐのは全く不可。

 

 ただ、上記の質疑を見ていただければ分かりますが、高市大臣は非常にガードを上げます。言質を取られる事を懸念している事が眼前でありありと分かりました(そういう意図は無かったのですが)。そして、当ててもいない総務省局長が出て来て、放送法上の(極めて浅薄な)政治的公平の解釈を述べます。そんなのは分かっているので「不偏不党にすべての者を批判するのは公平の一類型か」と聞き直しても、ひたすら浅薄な解釈の繰り返し。終いには、与党理事から「通告がなかったと言っている」と言われました。「そもそも当方から総務省局長に当ててないし、既存の答弁(の繰り返し)に対する応用を聞いているんだから、自信を持って手を挙げた以上答弁すべし。」と突き放しました。「審議を止める意図は一切ない」、これも事前に伝えていましたが、止まってしまいました。

 

(なお、不偏不党にすべての者に批判的な立場に立つ番組として、BBCの「Hard Talk」があります。司会者のクリスチャン・サッカーはどんなゲストが来ても、必ず批判的な立場からインタビューします。私はあれはとてもいい番組だと思っています。NHKに「やってみたら?」と何度か言うのですが、恐れにも似た表情をされます。)

 

 残念だなと思っていたら、今度は立憲民主党小西議員によるサル発言。我々「有志の会」は、会派内最インテリの北神圭朗議員が憲法審査会に出ています。小さい会派ですが、北神議員の発言は色々な意味で審査会のペースセッターになっています。極めて知的な議論を展開している事、そして歯止め的役割を果たしている事は(詳細は申し上げられませんが)我々5人は誇りに思っています。それに対するサル発言は看過し難いですが、その発言を批判された小西議員の対応もこれまた報道の公平が何たるかを全く理解していないものでした。あの自己顕示欲と攻撃性、東京大学で何度か見ました。自己愛の(歪んだ)一形態なのです。

 

 結局、これだけ「公平」について議論が行われる中、誰も真面目に公平が何たるかを考えていないのです。高市大臣も、恐らく答弁変更の背後に居た安倍元総理も、小西議員も、答弁に立った総務省局長も、誰も考えていないのです。自分への我田引水的ツールとして公平(や中立)を使っているだけなのです。そういう歪さを正したいのですけど、国会内の議論はそちらには向かないのですよね。