ちょっと意味深なテーマです。まあ、卑近な例で言えば「昔、好きだった異性のことはいつまでも美化されて覚えている(から、今は会わない方が賢明)。」なんてことも含まれるでしょう。私がイスラムとかアフリカとかについて色々と学んでみた結果、最終的に行き着いた非常に簡単な原理が「追憶は純化される」でした。


 イスラム(原理)主義と言われる主張があります。コーランにあるような原始イスラムに回帰しようという動きだと説明されることがあります。その中で厳格にコーランを守ろうとするわけですね。まあ、それはすべて間違っているとは言えないのですが、今、イスラム主義者が実践していることというのは「『自分達が現状下において想像する原始イスラム』を現代社会に再現しようとしている」ということなのだろうと思います。そこで想像される「イスラム」の姿は、各人が置かれた状況に影響を受け、かつ想像の範疇でのみ再現されるということなので、本当にそれが預言者ムハンマドの時代を的確に再現しているかどうかというと怪しいと私は思います。


 そうやって想像、そして追憶されるイスラムは美化、純化されているんじゃないかと最近よく思うようになりました。ビン・ラーデンやアル・カーイダの主張を聴いていると、どう考えても、想像され、そして、独自の価値観で再生産されたイスラムの姿をそこに感じます。それはそれでおかしなものを感じますが、更にはそういう特異な主張の存在のみに依拠しつつイスラム全体をとらまえて、「イスラム脅威論」みたいなことを言う人達にも違和感を覚えます。 サウジアラビアにおけるイスラム、インドネシアにおけるイスラム、フランスにおけるイスラム、それぞれがその地における状況、文化に大きく影響を受け、それぞれ特異な様相を呈しています。その中で、特にイスラムがマイノリティだったり、何らかの理由で虐げられている状況下では、追憶の彼方にあるイスラムは純化される傾向にあると見ています(なお、「純化」というのは自己正当化の契機としての美化という意味合いが強いです。)。今の論調は「宗教」と「文化」を混同しているのではないかと疑問を持ちます。


 ちょっと話が飛ぶようではありますが、私は「アフリカ」についても似たようなことを感じます。


 アメリカで1992年前後に「Arrested Development」というグループが大ヒットを飛ばしました。グラミー賞も取ったと思います。リーダーのSpeechは非常にアフリカ志向が強く、アフリカへの回帰を訴える曲調をウリにしていました。当時、大学生だった私は「ああ、アフリカってのはこういうものなのかな?」と思っていましたが、社会人になり現地で過ごしてみて思ったのは、Arrested Development的なアフリカ観というのは所詮アメリカから見たアフリカに過ぎないし、彼らの曲の中には非常に純化・美化されたアフリカが展開されているということです(代表作「Everyday People」 )。彼らはテネシー出身で、やはりその描くアフリカ観は何処まで行ってもテネシーの文化がベースであり、そこから遠い追憶(それは一切のリアリティがない)だけで作り上げた感じがしました(ちなみに、彼らの出世作「Tennessee」の邦題は「遠い記憶」です。)。なお、アフリカへの回帰を訴えたSpeechは、当時アフリカへの渡航経験がなかったそうです。


 スパイク・リーについてもそうです。彼もアフリカ色が強いように見えますが、やはり彼の描くアフリカ観というのは、アメリカの地において想像され、純化されたものに過ぎないと感じます。彼の作風、生き方は、アメリカにいるアフリカ系住民から支持があるとは言えませんし、アフリカでは全く共感の対象にならないでしょう。なお、スパイク・リーが作った映画「マルコムX」に、Arrested Developmentは「Revolution」 という曲を提供しています。曲が始まる前のイントロのところは非常にアフリカへのシンパシーと共鳴を打ち出していますが、どうも私にはリアリティが欠けたというか、少なくともアフリカ側から見た時には「ああ、やっぱりアメリカから見た想像上のアフリカだよな。現実はそんなに単純でも、美しくもない。」という感じがしました。


 話が少し飛びましたが、やっぱり、宗教というものと文化というものを一緒くたにしてしまうのは、あまりに雑だと思うんですね。文化というのはそれぞれの地に根差すものであり、どんな強い戒律を持つ宗教であっても、それぞれの地の文化を受けて変容を迫られるはずなのです。同じイスラムでも、インドネシアと中東とアフリカでは全然違うことは想像できるはずです。地理的に近接していても、社会的にイスラムがマジョリティであるケースと、マイノリティであるケースでは表に出てくる時は全然違います。そういう中で、今、イスラム(原理)主義と呼ばれているものというのは、実は「本来、イスラム創始時に想定していなかったような条件下に生きるムスリムが、追憶のかなたから現代社会に『理想のイスラム社会』を再構築しようとした」ということなんだと思いますね。それは自ずと純化され、現実離れしていく。それ自体も問題だとは思いますが、我々の側でも単に「イスラムは怖い」とか思うのではなくて、今、我々が眼前にしているイスラムというのはそもそも何なのか、をもうちょっと詳しく見ていく必要があると思うわけです。


 変にアカデミアっぽい内容になりました。政策論に活かされる内容ではないかもしれませんね。いいんです、いいんです、それで。