2024/03/31(父の病院 39.・破壊と再生 9.・雲の上 16.) | ブログ.

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事実は小説よりも奇なり.
Truth is stranger than fiction.

息子りんの絵と猫と, 愛する人生と.
Rin’s arts,cats,and loved life.
















父は
このように入院し
もう40日になる










そして
コロナや入院や寝たきり
という言葉だけを聞くと
それはネガティブなことのようだが










わたしは



光と闇を越え、統合した先にある
光でしかなく


という感覚と次元で
どんどん生きているし











この一年近くはこのように

一瞬のようだったけど

10年分くらいあったような

とんでもない時間を過ごし

大満足をしていたので













三人や他の家族にとってそれは

もちろん想定外の出来事だったが

絶対に、これは素晴らしいと

ワクワクしていたら












それはもう本当に

想像以上に

素晴らしく










それは

ああ、もう、頑張らなくていい…

ああ、もう、全てお任せできる…

とやっと一息をつけた瞬間だった











だからこれまで

眠れない時間や

神経がピリピリする時間や

責任を感じる時間を

たくさん過ごしていた分










父が入院してからの

この一ヶ月以上は

どこまでもいつでも眠り続けたり

時間も父のこともあまり考えなかったり

母と出来合いのご飯を買ったり

パンばかり食べたりと楽をしていた 笑


母は、父の、緻密な腎臓病食を

10年近く頑張って作り続けていた











だからそれは

わたしも母も

休養のようで

ご褒美のような時間で

もう、感謝と大安心しかなく











また、その

一般病棟から移った療養病棟が

まさに地上天国のようで

看護師さんらが天使、神様のようで

父もそこでは本当に穏やかな顔をしていて












だからそれは

わたしの人生の中で

頑張った後にいつも

地上天国に辿り着いていたことと

同じだった
























でも

一か月以上経ち

心身共に元気になってきて

ふと










ああ、

父の最期を家で看取る

という選択もあるのかもしれない…

と思い始め










母も同じようなタイミングで

同じことではないが

似たようなことを言い始めた











でも

入院前と

父の状態が

全く変わってしまったし











母は

父を一瞬でも

自宅に連れて帰りたい

気持ちはあるものの










一旦楽をして

気が、力が抜けたような母は

自分のことで精一杯で

もう、父のことは

一切看れない状態だったし










父は

要介護、要支援も

ギリギリ認定されておらず


コロナに罹る直前まで

物忘れなどは年相応に進んでいったが 

一人で食べられて、歩けて、トイレも行けていた











また

腹膜透析をしており

身体障害者一級だった父は

医療保険と介護保険の

兼ね合いも難しく











その辺りのことは

ケアマネさんでも知らない人が多いようで

だから準備も楽ではなく

また一からで










だから

父を自宅で看取る準備をする

ということは













一旦更地にしたところに

前ほどではないにしろ

また砂の城を建てるような

ことだった












そしてもう

状況も全く変わったし

わたしも頑張れなかったし

わたしの学びや時代の変化もあり

今どんどん一人で頑張るのではなく

仲間と協力して生きる流れが

加速しているので











例え

サポートが充実していても

わたしだけでは

絶対に無理だと思っていたので

どうしようかと











父を自宅で看取る可能性を

考えていることを

娘たちや、家族のような看護師の親友と

遠方に住む姉たち家族に

伝えると











皆も大変な生活の中

想像以上に近い遠い関係なく

一人一人ができる範囲で協力すると言ってくれ

それはもう有り得ない奇跡で











それは、このとき

「ここに父もいたらな…

と思っていたので

その夢が叶うかもしれない

という瞬間で涙が溢れた












だから

その後どんな結論になるのであれ

もう、この時点で

大満足だった










そしてやっぱり

そうは言って

簡単には決められないと

感覚も思考もフル回転させながら










一歩一歩着実に

調和を大切にしながら

歩き続けていた






























そんなある日












2歳のときに脳障害を負い

その後世界一ハードなリハビリをしたり

診察のために渡米したり











そしてその後も

「この子には

世界に通用する才能がある気がする…」

と必死に命懸けで育て

16歳直前で爆発的な絵の才能を

発揮するようになり













現在25歳で

三年前に突然いなくなり

その後一切会っても連絡もとっていない

息子りんに












「会いたい…」

という思いが爆発した
















その、

息子に会いたい気持ちは

もちろん毎日あり

もちろん爆発も年に何度もあり

でも今までは目の前のことが忙しすぎて

すぐに現実に引き戻されてきたが










もう、

今年に入ってから

父のことがどんどん落ち着いてきた
と同時に












その気持ちが

じわじわじわじわと

我慢できないくらいに

爆発してきたのを感じていて











それはもう

個人のことでありながら

宇宙の流れで

地球規模での破壊と再生だった










だからそのように

何かが生まれてきたから

野良猫タヌちゃんの死

父の今回のような

突然の爆発が起こってきた

と思っていて












タヌちゃんのことも

父のことも

「もう自分のことに集中しなさい」

と背中を押されているようだと

思っていた













だから
父を自宅で看取るための
細かい準備を
始めようとしていたが











その爆発により
ああ、やっぱりもういいんだ…
と思った











だからわたしはもう
子どものように
「もう、凜に会いたいの…
もう、どんどんそっちに
エネルギーを使っていきたいの…」
と家族の前でも泣き









それはただ
息子に会いたいだけでなく
自分の爆発するような能力をもっと発揮し
ありのままの自分を生きたい…
もう、自分を誤魔化せない…
という叫びでもあった

両親のことはそれはそれは緻密に
能力をどこまでも発揮しやってきたが
でもここでは能力をこれ以上は爆発させられない…
ここではありのままで生き続けられない…
という限界も常に感じていた












だから
母に泣きながらそれを伝えると
「そりゃそう…
もう、いいの…充分やってくれたの…」
と泣いていた









だから
姉にもそれを伝えたら
姉はどんな結果になっても良かったが
でもどこかホッとした…と言い 










ああ、やっぱり
入院したときの
あの大解放の通りで良かったんだ…
と思った














チビッコ、スタバデビュー 笑











でも昨日

わたしの誕生会をしてもらったら

また迷い始めた 笑












それは

次女の子どもを見たら

父はこの子が大好きだったし

この子もじいじが大好きだったから

「もう一度会わせてあげたい…」

と思ったからだった


赤ちゃんや子どもは面会ができない状況














そしてまた

母と二人の娘たちと

グルグルグルグル考え始めた  












でも結局は

パーティーでまた

父のこともぶっ飛んだり

皆で話していたら

靄が晴れてきて













ああ、やっぱり

父は病院にお任せしていいんだ…

この流れは完璧なんだ…と思い











だから人は

こうして

迷ったり悩んだりしながら

螺旋を上がっていき











迷いや悩みのない

雲の上だけで

完全に生きて行くんだ…

と思った