2024/04/18(父の病院 40.・沿う 3.・無条件の愛 10.・還る 5.) | ブログ.

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事実は小説よりも奇なり.
Truth is stranger than fiction.

息子りんの絵と猫と, 愛する人生と.
Rin’s arts,cats,and loved life.











父が
コロナや肺炎をきっかけに入院し
もうすぐ二ヶ月になり









素人のわたしたち家族も

病院側も

もうこのまま最期を迎えるのでは…

と思う状態が続き









コロナで面会制限の厳しい中

皆仕事などでスケジュール調整が厳しい中

遠方に住む姉親子やわたしの長女も

小さな子どもを持つわたしの次女も

何度も面会に行き









皆で最期のお別れをして過ごし

わたしはもう

父に話したいことも

声をかけることも

なくなっていた















…が











先日

娘たちや母と面会に行ったとき

最近3食食べていると聞き

びっくりした 笑











でも何にでも

物凄くムラのある人なので 笑

どうなるのかわからないな…

と思っていたら










昨日

看護師長さんからの電話で

「3食食べるようになり、点滴も外しました」

と聞き

不謹慎だけど笑い 笑













この、全く読めないのは

父らしいな…面白いな… 

と笑い 笑










そして

絶対わたしたちには

これが最善なんだ…

と思った












そして

腹膜透析はしているものの

その他の治療が無くなったし

ずっと主治医が心配していた

食事の問題も安定してきたので

その病院からそろそろ出る流れで











施設に行くか

自宅に帰るか

かかりつけ医の目の前にある

系列のクリニックに入るかなどの

選択をする頃とのことで










わたしたちは

また色々考えたり

流れを感じたりして

過ごし始めた














そして

腹膜透析をし

身体障害手帳一級を持つ父の

医療費が無料の医療保険と

入院するまでは

要介護も要支援も微妙だったので

まだ認定を受けていない

介護保険の兼ね合いについては

本当に難しく











腹膜透析をしている人が

この辺りではほとんどいないので

その事をきちんと話せる医療従事者に

今まで出会ったことがなかったのだが


このわたしの過去記事の最後の方の

【腹膜透析を在宅で行うにあたって…】

その難しさなどは少し書いてある












昨日の電話で

師長さんにも

その辺りのことを話したら

初めて、やっと、その話しができて

もう、本当に、感動した














そして今日また

師長さんから電話があり

それは

「ご家族もたくさん考えてみえるだろうけど

わたしもあれから色々考えていて

あんな方法もこんな方法もあるな…と

思ったので…


それをご家族に混ざって

一緒に相談したいくらいで…


ゆっくり考えてくれたらいいからね…」

と言ってくださり












もう、それは一年前に

父の病院に関わり出してから

わたしがずっと

医療関係者の方との関係に求めてきた











〝医療関係者と患者家族という垣根を越え

本音で話す、協力し合う、共に生きる〟

ということや













  

わたしが

いつも人間関係に求める

温かさ〟だったので









そんな方と出会え

父がお世話になり

このようなやりとりが

出来たことに












もう

有り難くて、大満足で

涙が溢れた
























そして

どの選択にするか…

と母や親友とも話し

在宅介護と系列のクリニックを

考え始めた













そして

在宅介護は

三月のこの時以降
ずっとずっと考えているが



 







 

母はもう今は

自分の事で精一杯だから

父のことをサポートをするのは

もちろんだが

今の寝たきりの父を見続けることも難しく













医療保険、介護保険

どちらのサポートでも

できる限りお願いしたとしても

この寝たきりの父を

わたし一人ではもう無理で











遠方に住む姉親子やわたしの娘たちも

父がもしかしたら

後、一ヶ月くらいかも…

という三月のときは

仕事を休んだり調整をしてでも

皆が、手伝うよ!と言ってくれたが









 


今の父の状態はもちろん

父自体が全く読めない人なので 笑

長丁場になる可能性もあるから

やっぱり難しいな…と思った















また

そのクリニックで

今後また父が食べなくなった場合は

わたしは色々試してもらっても

食べなくなったり

他の状態も衰えていくなら











それは寿命だと思うし

両親とは延命治療はしないと決めているので

今後は点滴などもしなくていいかな…

と病院にも伝えているけれど












そこは

看取りの施設ではないので

もちろん

突然亡くなればそのままだが











食べなくなったら

点滴をしたり

何か処置があれば

また今の病院に入院する可能性もある

と言われた











だから

在宅介護は難しいと感じながらも

最期のその時こそ

自宅に連れて帰ろうか…

と考えたりもしたが













訪問看護の仕事を

ずっとしていた

親友は










「食べなくなったので

最期の一週間だけでも自宅に…

と思っていても


なんだかんだ

二週間や一ヶ月くらい

その状態が続くことや


自宅に帰ったらまた食べるようになり

何ヶ月もその状態が続くことも

たまにある」

と言い 笑











父なら可能性がある!

となり 笑








 


母のことを考えると

父を在宅で介護するのは

一週間が限界かな…と思っているし

父は元気になるかもしれないが 笑

母が弱りそうなので

やはりその選択は難しく











三月から

何度も何度も何度も何度も

在宅介護のことを考えているが








   




このように

なかなかその流れにならないので

それならそれがいいんだ…

と思うようになった












そして

今何より

父や母などに

何をしてあげるかという流れが

どんどんうまくいかなくなり











それより

“自分がどう在るか”

“自分が幸せかどうか”

“皆が穏やかかどうか”

などの『在り方』にしか

焦点が合わなくなってきており










父が病院にいることで

父は家にいるときより

穏やかな顔をしているし

それは母もわたしも皆もだし











わたしの人生が今

どんどん楽な方、楽な方に

流れているのも感じているし










そして何より

父のサポートをし続けたこの一年が

大満足、やり切った

というのも大きく












その穏やかな状態を一番大切にしたい…

その流れを大切にしたい…

この一年よく頑張った…

というのが皆で一致したので

今のところ

系列のクリニックへの転院を決めた













そしてふと

転院した先で

もし父が食べられないようになり

また点滴をしたり

また今のかかりつけ医に入院になっても

「その流れもありか…」

と思った













食べられなくなった身体に

また点滴をして

消えゆく命に

煽るようなことをするのは

わたしは不自然だと思っているが











でも

やはり人生は

〝起こってくることが絶対なので〟

もしそれが起こるなら

それが読めない父の運命なので 笑











かかりつけ医とクリニックを

行ったり来たりしながら

命の波が小さくなっていくのも

もちろん波が大きくなっていくのも 笑

炎が大きくなっていくのも 笑

ありか…と思った













そして

もちろんわたしは今は

父のリハビリなども

考えていないが












もし、父が

手足を、体を、動かしたいから

リハビリをしたいと言えば 笑

したらいいな…

とも思い











でも父は

三日坊主どころか一日坊主だし 笑

一日坊主どころか

言うことがコロコロ変わるので

全く読めないのだが 笑











それでももし

病院がそんな父に

付き合ってくれるなら 笑

それをしたらいい…









ああ、もう

どんな父にも

どこまでも付き合おう…

沿っていこう…

面白がろう… 

と思ったとき











父の透析の話が出る直前に書いた

自分のこのブログや

主治医から透析の話をされた翌日の

自分のブログと

〝よりあいの森〟という介護施設の

このYouTubeを思い出した


















そしてわたしは

「ああ、本当はずっと

どんな父にも沿いたかった…

どんな父も面白がりたかった…」

と涙が溢れた











でもこの一年

なるべく

今この瞬間を、無限を過ごしていたが










わたしはやることがあり過ぎたし

でも介護はしていないし

母は細かい書類関係以外は

ほぼ自立をしているが

両親のサポートはワンオペ状態だったので

正直余裕があまりなかったし


〝よりあいの森〟が一人一人の今に沿えるのも

スタッフがたくさんいるからだと思う












どんな父にも沿おう…

と思いながらも

「最期まで一人で食べられて歩けて

トイレに行ってほしい…

という母の願いも

本当にそうだな…と思い












どんな父にも沿うという

無条件の愛と

その願いとの間を

行ったり来たりしていた











でも父が 

今の状態になり

その願いが無くなったからこそ










そして

父が病院に入ったり

両親の終活などもやり尽くしてきたからこそ

やっとわたしに余裕ができ









 


どこまでも〝沿いたい〟という

無条件の愛と

どんな父も面白がりたいという

本音に戻ってきて











父にも今

〝最期の瞬間を

好きにわがままに生きて!!〟

という思いが爆発していて


例え最期の瞬間でも

〝どう生きるか〟というのは本当に大事だと思う










それは

自分の人生も

どんどん爆発しているからで











ああ、

ありのままの自分に

還ってきたな…

と涙が溢れ










やはり今回のことも

本当に最善でしかなかったな…

と思った














父の病院 39.


父の病院 41.








沿う 2.








無条件の愛 9.


無条件の愛 11.








還る 4.


還る 6.