息子のいない世界 5. | ブログ.

ブログ.

事実は小説よりも奇なり.
Truth is stranger than fiction.

息子りんの絵と猫と, 愛する人生と.
Rin’s arts,cats,and loved life.































そして
その一年半で













やはりこのことは
想像以上に素晴らしかった
とだんだんわたしの全てで
腑に落ちていった















それは
ああ、わたしは
一人でゆっくりしたかっし
一人で集中したかったし
一人で集中すべきときだったんだ…
と改めて気づいたからだった












またそれは
わたしは
二人の娘たちのことも












わたしなりに









でも
もちろん
そうでないところも
たくさんたくさんあったし

彼女たちの人生やペースもあったし













息子障害を負い
世界一ハードだと言われる











「息子には何か
世界に通用する才能がある気がする…」
とそれを必死に探し 












そして
それが現れてからも
ずっと













息子のことに
一番多くのエネルギーを注ぎ
二人三脚で生きてきたし










わたし自身
こんな個性や生き方なので
自分のことに、生きることに
必死すぎたので










息子のいない時間は
これまでの時間を
埋めるかのように












二人の娘

しっかり









両親とも
じっくり共に生き












それも想像以上に
泣くほど
素晴らしかったからだった



























そして

息子のいない世界は

身が引き裂かれるほど

こんなにも苦しかったが












でも

息子とはこれまで
ずっとこんなにも
中心で繋がっていたからこそ











その周りで
これが起こったし
これをどこか冷静に
経験し尽くせたと思った












それは
息子とは












不思議なくらい
怖いくらい
お腹にいるときから
繋がった感覚があったり













生まれてからはもちろん
障害を負ってからはさらに
物理的にも精神的にも
繋がりしかなく













息子が
爆発的な絵の才能を
発揮してからは









息子の絵や

息子の描く無限の芸術の世界や

まつやま絵画教室
松山広視先生という











純粋に
善悪を越えた
無限を生きる世界や存在に
触れるたびに
わたしは











価値観がひっくり返り
破壊と創造が起こり
人生に目覚め
感覚がどんどん
研ぎ澄まされていき











さらに
息子と共有する世界
どこまでも
広がっていったからだった











また
そのことにより
と思うようになっていった
わたしは









息子が絵を描くときに
生み出されるものを
待つように











重度の知的障害者
と判定されている
絵を描く以外の息子にも
息子の言葉や行動にも
先入観やイメージを取っ払っていった










そして
それどころか 
だんだんと
どこか神聖な気持ちで
それらを待つようになり









その結果
息子の言葉行動
息子の絵のように










宇宙の叡智そのもののような
一瞬の爆発的なセンスが
現れるようになっていき











その共有は
どこまでも広く
どこまでも深く 
どこまでも美しく
広がっていったからだった


























だから
離れている間は
発狂するような悲しみを
これでもかこれでもか
と味わったが









これまでの
人間として
これ以上無い喜びの
命や魂や本質の結びつきや









どこまでも向き合い、楽しみ
それを越えてきたような
これまでの美しい体験や人生があり
そこからお互い学んできたからこそ















その悲しみは
最低限であったと思うし 
普通に、そしてこの体験を楽しんで
生きてこられた
思った












また
わたしは
毎日、朝から晩まで
息子や息子の絵を
載せない日がないほど
ブログを書き続けているので









息子とは 
物理的な接点は
一切無かったが
精神的には
接点しかなかったので








これは
一般的には
とんでもない、有り得ない
別れではあったが










あまり
離れている感覚がしない
というところもあった












だから
その感覚が
根底にあったからこそ












この別れにより
人生が












どこまでも気持ち良く
親子として人間として存在として
より自立できたことや









それにより
お互いの〝個〟が
より鮮やかに立ったことや













〝息子に会いたい〟

ということは

〝ありのままの自分に会いたい〟

〝そこに還りたい

ということだと

より分かっていったことも











想像以上に想像以上に

素晴らしかった












だからこれは
人間にとって
喜怒哀楽や善悪を越えた











芸術的で
小説より
豊かで
ドラマティックすぎる
体験だった











だからこれは
わたしが、元夫が、息子が
起こしたことだったが
同時に起こったこと











息子の障害もだが

この別れも

運命で









そして、今

わたしは

この体験や、この人生や

こうして

人生に起こってくることが











もう、もう、想像以上に

壮大すぎて、奥深すぎて
美しすぎて苦しすぎて

発狂して泣くようになり

















息子は

これをどこかで

分かって行ったのだ…

と思い















そして、今

息子を思い

悲しくて泣くことは

無くなった