そして
その一年半は
いつも一緒に見ていた
夕焼けを見て
と思ったり
この現実に
全くの別人を見て
と思ったり…
息子のことを
思わない日は
一日も無いけれど
穏やかに過ごす時期かあったり…
息子がいつ帰ってきてもいいように
たまに布団を干したり…
こんなに息子のことを
共有してきた母から
息子のことで
有り得ない言葉を言われ
「りんに会ったらどうなるだろうか…」
と思ったら
「りんに会いたい…」が
「りんに会ったら、会えた…」に
変わってきたり…
初めて母の前で
「りんに会えたら…」と
でもやっぱり
息子に会いたくて
と頭が真っ白になったり…
と思ったり…
という日々を
送っていた
そして
やはりこのことは
想像以上に素晴らしかった
とだんだんわたしの全てで
思うようになっていった
それは
ああ、わたしは
一人でゆっくりしたかっし
一人で集中したかったし
一人一人が集中すべきときだったんだ…
と気づいたからだった
またそれは
わたしは
二人の娘たちのことも
わたしなりに一生懸命
向き合ってきたが
でも
息子が障害を負ってから
絵の才能が
現れるまでと現れてから
と
息子のことに
一番多くのエネルギーを
注いできたし
わたし自身
こんな個性や生き方なので
自分のことに
生きることに
必死すぎたので
息子のいない時間は
これまでの時間を埋めるかのように
二人の娘と
しっかり向き合う時間になり
それも想像以上に
泣くほど素晴らしかったからだった
また、それは
息子とはずっと
このようにお腹にいるときから
繋がった感覚があり
生まれてからはもちろん
障害を負ってからはさらに
物理的にも精神的にも
繋がりが深くなり
そして
息子が
爆発的な絵の才能を
発揮し
それと共に
わたしのなかで
破壊と創造が爆発的に進み
人生に目覚め
感覚が研ぎ澄まされ
絵を描く以外の息子にも
彼の言葉も
どんどん純粋な彼らしさが
爆発してくると
彼がお腹にいたときのような
一切分離の無い
共有だけを生きるように
なっていたが
この一時的な別れにより
人生がより
整理整頓され
お互いの〝個〟が
物凄く鮮やかに立ち
それも物凄く物凄く
素晴らしく
彼はこれを分かって
出て行ったことも分かった
でもわたしは
毎日、朝から晩まで
息子や息子の絵を
載せない日がないほど
ブログを書き続けているので
息子とは
物理的な接点は
一切無かったが
精神的には
接点しかなかったので
この
一般的には
とんでもない別れや悲しみは
わたしが、元夫が、息子が
起こしたことでありながら
わたしの人生に
起こってきたことで
狂うほど苦しかったけど
唸るほど素晴らしい
運命だった
と爆発的な感謝しかなくなり
今、息子を思い泣くことは
一切無くなった