2022/11/09(生まれた・エゴからの解放 1.) | ブログ.

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事実は小説よりも奇なり.
Truth is stranger than fiction.

息子りんの絵と猫と, 愛する人生と.
Rin’s arts,cats,and loved life.

















両親とは
10年以上かけて
ここまで会話できるようになり










今もまだ
たまに
「年を取ったら、愛子に迷惑をかけて…」
「寝たきりになって、介護されて…」
と言うことはあるが











わたしが
「わたしは、
介護をしたくない、しないとは思わないが
介護するようにはならないと思っているし

延命してまで長生きする時代から
今は健康で長生きの時代になり

さらにわたしは
お年寄りも死ぬまで働いて
世の中の役に立って
自分も世の中もそれが喜びで

一切介護もされず
喜んで眠るように死んでゆく

という世界を見たいから
そんな世界を創りたいと思っているよ
と言うと












「ありがとう…ありがとう…
お母さんも本当にそうしたい…」
と言う


















でも
同時に
母は物凄く不安が大きい人だし
わが家は不安定な状況続いているから
気持ちは本当によくわかるが











この数ヶ月は
それが限界にきたのもあり













ここまで変化してきた両親が
0に戻るどころか
マイナスになったと感じるような
出来事もあり
それは父もだった










だからその心配は
今夏
最後の鬱の症状が
出ていたわたしを









もう
精神障害者のようだと
周りに相談するくらいで









それは
今に始まったことではなく










両親は主に
見えるものを信じるような人で
自分たちが見ようとしないものも
〝無い〟と思いこむようなところもあり










だから
どれだけわたしが
2000以上のブログを書き
書いている話をしても









そのときは
「凄いね…」 
と言ったり
感動することもあるが










母を見ていると
そういう感動はすぐ忘れるが
ネガティブな思い込みほど
握りしめて離さない
という傾向があり











ああ、これが世の中の
洗脳されている人
洗脳を許している人
洗脳されていることにも
気づいていない人の
過去のわたしの
脳の状態か…とよく思う











だから
両親にとって
わたしのブログなどは
見ようとしないし
見ていないから
それは〝無い〟に近く










だから
「愛子はただ、仕事もなく、仕事もせず
資格もなく、年は取り、パートナーもおらず
体も強くなく、お金も車もなく 
家もどうなるかわからず
携帯代や、年金や国民健康保険も払えず


息子はいなくなり会いたくても会えず
猫と遊んでばかりで、何もせず

でも、何かはやっているようだし
普通の人とは違うのはわかるが

心配で仕方ない」

と思われていた

もちろんわたしも一つ一つ手放すたびに
不安な瞬間はあったが
結局どれを手放しても問題があるものは何も無かった

そして、両親のこの、わたしへの心配は
21年前に息子が障害を負い
一時期全盲で自閉傾向があり
コミュニケーションが一切取れず
最重度の知的障害者と判定されたときの

一般的に、幸せに生きるためには必要な全てを
息子は何も一切持っていないと言われ
それが悪いと思っていたときの
わたしの不安と絶望と同じだなと思い
だから、母の気持ちもよくわかる(

























それは

子どもの頃から

よくあることで










父はわたしを

溺愛していたところも

あったし











母も

姉に比べてわたしは

物凄くわがままだったので

許さざるを得ないところも

あっただろうが












基本

両親にも姉にも

真には理解はされていない

と思っていたし










母には

心配されたり

世間の目を気にして

足を引っ張られることもよくあり











だからいつも

それらを跳ね除け

必死で生きてきたところもあり













わたしはいつも

なぜこの人たちが、わたしの家族なのか…

と思い生きてきた















それは

結婚しても同じで

わたしがしたいことへの

元夫抵抗はいつも
それはそれは凄まじく









だから
元夫といても二人の娘といても

「なぜ、この人たちがわたしの家族なのか…」

といつも思っていて


息子には特に何も思わなかったけど

後にわたしより先に

目覚めて生きていたことがわかり(


わたしは息子に

「なぜ、この人がお母さんなんだろう…」

と思われていたのだろうなと思った


大体、こうして、加害者と被害者はセット











それは家族が皆

〝眠っている

〝目覚めていない〟

埋もれている

ありのままで生きていない〟

からで












だからあるとき

「わたしたちには

肉体的で物質的な両親とともに
と聞いたときは
ハッとし










それからは
精神的な両親、家族を
感じながら
物質的な両親、家族と
生きるようになった


































でも

それは

わたしもで











わたしも

眠ったり

埋もれたりして

生きていたときは

たくさんあったので












無意識に

子どもたちにも

自分にも他人にも

足を引っ張ったり

抵抗したりをしてきた












それは

2歳で病気で突然

障害を負った

息子へは特にで










わたしは

常に息子のことが

純粋に知りたい思って

生きてきたが










それでも

障害者や

息子に対しての

思い込みは想像以上に大きく

理解は想像以上に少なく











だから

こうして

時間はかかったが












一つ一つに向き合いながら

埋もれている自分から目覚め

三人の子どもたちを自分を

真に理解していった


































そして

2022年7月半ば









もうこの

理解されつつあるが

まだ完全ではない

この家族との関係から











さらに

幸せになるときだ…

と思い












それは

元夫と離婚

決めた時のような

大きな変化だった










そして

10月初旬

もう、完全に

物質的な両親との有限な関係

卒業すると決め












だから

それからは

より自分の人生だけに

集中をしてきた
























そして

その約1か月後の











この

母の前で

ありのままの自分を

思いっきり表現できたことが

物凄く大きく












わたしはそれからも

ずっと雲の上にいて











母に話しかけられても

無視はしないが

微笑むだけしか出来ず











ああ、やっとここまできた…

と何度も泣いた
























それは

他人の目を気にしない

ということで










子どもにとって
一番毒にも薬にもなる
母の目から卒業した
ということで










それは
自分の目
自分のエゴからの解放
だった

























だから今朝から

「ああ、わたしは生まれた…

生まれ変わったんだ…」

と発狂し

のたうち回っていて













これはその後

「この子には、障害も健常も関係のない

世界に通用する、無限の才能があるのではないか…」

と思った息子に











爆発的な

芸術の才能が現れ











導かれるように出会った

まつやま絵画教室

初めて向かう車の中で











わたしが

安心して泣いていたら












息子が

「お母さん、僕、嬉しい…」

と言ったのと

同じ喜びだ

とハッとした





























だから

ああ、もう

息子の絵のように











他者がなく


わたしの

全てで思い











嬉しい

というより

ホッとして泣いた











ああ

精神だけでなく

肉体だけでなく









こうして

少しずつ環境も












雲の上に 

出始めたな… 

とホッとして泣いた
























生まれた・エゴからの解放 2.