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事実は小説よりも奇なり.
Truth is stranger than fiction.

息子りんの絵と猫と, 愛する人生と.
Rin’s arts,cats,and loved life.















そして
それは






 



一般的には
障害者と
判定されている
息子との関わりだけでなく












普通学級に属してきた
分けるとしたら
健常者という分類に入る
二人の娘との関わりも
同じだった








 

例えば
それは









長女も次女も
小さいときから
好奇心旺盛
何でもやりたがったので










包丁で何かを切りたい
と言った
2、3歳頃から 










安全な環境で
包丁を持たせ
料理なども
一緒にしてきて











次女は
その後もそれが続き
大人になっていった










でも長女は
包丁を持ったら
満足したのか
その後は
あまりしたがることもなく











わたしがずっと
専業主婦だったし
元夫も
料理をするひとだったし










長女が5年生のときに
わたしの両親と同居したことや
彼女が一度も家を出ていないことなど
料理をしなければいけない
環境になかったこともあり









あまり料理に興味がなく
することもなく
大人になっていった









だからそれを
20歳を過ぎたり
25歳を過ぎたくらいから









わたしも常識的に
「そろそろ料理をしてみない?」
「そろそろ料理をした方がいいんじゃない?」
と何度か言ったことがある






 



でも彼女は
特に反発することも無かったが
動くわけでも無く
そんなやりとりを何回かした後











ふと、わたしは
「ああ、わたしはまた長女を無意識に
常識という枠に収めようとしていた…」
とハッとした












そして
「ああ、これは健常も障害も関係無く
いかに、子どもへの枠を取っ払うかだ…」
と改めてハッとし










「もし料理をしない人生なら
それならそれが最善

食事を買うお金や能力があることや
作れる人と一緒に住むということや
作ってくれる人を雇うということも
能力で

それも料理を作るという能力と同じくらい
素晴らしい能力で

わたしは息子はそう思って関わってきたが
ああ、長女も次女も同じだ…」
とハッとした
























そして

2歳で障害を負った

二人の娘たちの弟である

息子は











その当時

一番機能が低下したのが

一時期全盲になった視力と









一才のときから

二人の姉たちと一緒に

椅子にきちんと座り












姉たちの邪魔を一切せず

小さい丸を紙いっぱいに描いて

お絵描きをしたり











段ボールに入っていた蜜柑の

皮と白い筋をひたすら剥くなど

物凄く器用だった

手の機能だった










だから

15歳になった息子に

爆発的な絵の才能

現れたときに









まさかあのとき絶望した

視力と手の機能を使うことが

息子の天職に繋がるなんてと

天地がひっくり返ったことから









長女も

天地がひっくり返る

可能性はあるな

と思うようになっていった










そして

たまに長女が

レシピを見て作った

料理が












びっくりするほど

また食べたくなるほど

美味しかったり










でも彼女は

それに全く満足しないなど

アーティスト気質を

感じることが

度々現れたとき










ああ、やはり

長女には料理のセンスが

あるのかもしれない

と楽しみになっていった











そして

わたしが

「今日のメニューはこれにしようかな…」

と言うと









だんだん

時間に余裕があるときに

「一緒に作る」

「料理を教えて」

と言うようになり












そしてそれが

自分でレシピを調べて

「これを作ってみようと思う」

になり









そして

今は変わらず

一緒に暮らしているし

わたしも自分の食事は

自分で作っているので

たくさん作ったらシェアし合うが










彼女は今は

自分の食事は全て

自分で作るようになった












そして

それだけでなく

何より一番嬉しいのが

「料理を作るのが楽しい」

と言ったことで









それは

これから先もずっと楽しいかは

わからないが










でも一度でも

「楽しい」と思えたことは

人生で物凄く大切な経験で











わたしは

「わたしは家事の中でも

料理が一番苦手で好きではなかったから

料理が楽しいと思うまで

たくさん工夫も経験も試行錯誤もし

何十年もかかった


でも何十年かかっても

〝料理が楽しい〟と思えるようになったから

本当に幸せで

自分でもびっくりで


それは

料理をしている人の全てが

楽しいと思っているわけではないし

料理の楽しさも知らず死んでいく人は

たくさんいるからで


だからそれは本当にすごいことよ…」

と言うと












「お母さんが、放っておいてくれたから…

急かされたら、やろうと思わなかった」

と彼女は言い











ああ、

やっぱりこれでいいんだな

と改めて思った










そしてこれは

親が子どもへの枠を

手放したパターンだが










わたしは

親への枠も今

一瞬一瞬手放していて









それは

わたしのような

年代だけでなく









小さな子どもが

親への枠を

取っ払っても良く











誰から始めても良く

それは平等にチャンスがある

と思っている










それは

わたしの

ここまでの変化は

わたしの運命でもあるが









息子が脳障害になり

必然的に

わたしという

親への枠を手放したことによる

変化もあるからではないか

と思うからで











だから

わたしも今

子どもへも、親へも、

世の中へも、猫へも









そして何より

自分へも







 


一瞬一瞬

枠を取っ払いながら

今この瞬間を生きていて










もう

障害〟や〝健常〟

という言葉から

卒業してきたなと思う