そして
2歳で障害を負った
二人の娘たちの弟である
息子は
その当時
一番機能が低下したのが
一時期全盲になった視力と
一才のときから
二人の姉たちと一緒に
椅子にきちんと座り
姉たちの邪魔を一切せず
小さい丸を紙いっぱいに描いて
お絵描きをしたり
段ボールに入っていた蜜柑の
皮と白い筋をひたすら剥くなど
物凄く器用だった
手の機能だった
だから
15歳になった息子に
爆発的な絵の才能が
現れたときに
まさかあのとき絶望した
視力と手の機能を使うことが
息子の天職に繋がるなんてと
天地がひっくり返ったことから
長女も
天地がひっくり返る
可能性はあるな
と思うようになっていった
そして
たまに長女が
レシピを見て作った
料理が
びっくりするほど
また食べたくなるほど
美味しかったり
でも彼女は
それに全く満足しないなど
アーティスト気質を
感じることが
度々現れたとき
ああ、やはり
長女には料理のセンスが
あるのかもしれない
と楽しみになっていった
そして
わたしが
「今日のメニューはこれにしようかな…」
と言うと
だんだん
時間に余裕があるときに
「一緒に作る」
「料理を教えて」
と言うようになり
そしてそれが
自分でレシピを調べて
「これを作ってみようと思う」
になり
そして
今は変わらず
一緒に暮らしているし
わたしも自分の食事は
自分で作っているので
たくさん作ったらシェアし合うが
彼女は今は
自分の食事は全て
自分で作るようになった
そして
それだけでなく
何より一番嬉しいのが
「料理を作るのが楽しい」
と言ったことで
それは
これから先もずっと楽しいかは
わからないが
でも一度でも
「楽しい」と思えたことは
人生で物凄く大切な経験で
わたしは
「わたしは家事の中でも
料理が一番苦手で好きではなかったから
料理が楽しいと思うまで
たくさん工夫も経験も試行錯誤もし
何十年もかかった
でも何十年かかっても
〝料理が楽しい〟と思えるようになったから
本当に幸せで
自分でもびっくりで
それは
料理をしている人の全てが
楽しいと思っているわけではないし
料理の楽しさも知らず死んでいく人は
たくさんいるからで
だからそれは本当にすごいことよ…」
と言うと
「お母さんが、放っておいてくれたから…
急かされたら、やろうと思わなかった」
と彼女は言い
ああ、
やっぱりこれでいいんだな
と改めて思った
そしてこれは
親が子どもへの枠を
手放したパターンだが
わたしは
親への枠も今
一瞬一瞬手放していて
それは
わたしのような
年代だけでなく
小さな子どもが
親への枠を
取っ払っても良く
誰から始めても良く
それは平等にチャンスがある
と思っている
それは
わたしの
ここまでの変化は
わたしの運命でもあるが
息子が脳障害になり
必然的に
わたしという
親への枠を手放したことによる
変化もあるからではないか
と思うからで
だから
わたしも今
子どもへも、親へも、
世の中へも、猫へも
そして何より
自分へも
一瞬一瞬
枠を取っ払いながら
今この瞬間を生きていて
もう
という言葉から
卒業してきたなと思う