自分に適した「グリーフケア」の選び方② | ペーパー社会福祉士のうたかた日記

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社会福祉士資格をとるまでと、とったあと+α。浮世のつれづれ、吹く風まかせの日々。

前回の内容は、

グリーフケアはグループワークが多く、

複数で「悲嘆を共有する」ことになる。

 

1対1のカウンセリングみたいなのを

想像して、そうしてもらいたい場合は、

そういうケアをしているかどうか、

団体さんに確認しましょうというもの。

 

今日はその次の段階の基準として、

その団体のケアの目的は何か

ホームページに書かれている説明を

よーくよーく読んでみることを推奨。

 

長くてわかりにくいのが多いけど、

自分の心の問題に関わることなので、

頑張って読んでみた方がいいと思う。

 

その中で、

ケアの根拠にしている学説があれば、

それはいつの、誰の説なのか、

これもすんごい大事なことになります。

 

たとえば、

この界隈でよく知られている、

デーケンとかキューブラー・ロスは、

回復の過程をいくつかの段階に分け、

階段を登るように回復すると考える。

 

いわゆる段階説であるが、

この説に沿ったケアをします、となると、

わしはちょっとかなり尻込みしてしまう。

 

なぜなら、

死別悲嘆からの回復の過程は、

階段を登るようにはできていないから。

 

グリーフケア研究は日々進化しており、

21世紀の令和の御代ともなると、

デーケンやロスはもはや"古典"の域。

 

しかもお二人とも西洋人ですからね。

キリスト教が加味されているので、

真正日本人、信仰心ナシのわしには、

説明がピンとこないことも多々ある。

 

介護や看護のケアの術式だって、

褥瘡のケアとか歯磨きの仕方とか

ボディメカニクス、ユマニチュード、

年々、新しくなっているでしょう。

あれと同じで、段階説は古いんである。

実際、段階説でケアに弊害も起きる。

 

わしがかかわったあるご遺族の方、

とある団体のグリーフケアを受けたら、

そこのファシリテーターが言うには、

 

「悲しみの途中でジタバタせずに、

逆らわず、底まで沈んでいきなさい」

「沈み切ったら、その底を強く蹴って、

浮上してくることができるんです」

「自然に上ってこられるんです」と。

 

その方、いったんは納得しかけたが、

暮らしの中でこれを思い返してみると、

どうも腑に落ちない。どうも解せない。

 

底までいけば後は上がるだけという、

これほどわかりやすい説はない。

ないのだが、いまいち実感がわかない。

なぜだろう?

 

なぜなら、遺族の実感として、

死別の悲嘆には底がないから。

 

日々、昨日より今日の方が深くなる。

死別直後に感じていた深さ重さよりも、

一周忌過ぎてさらにしんどさは増す。

 

悲しみは日に日に薄くなる、どころか

だんだん濃く強く、鮮明になっていく。

上昇していくきっかけがない。

 

言われた通り、黙って沈んでいても、

あら?いつまでたっても底に届かない、

底がないから蹴ることもできないわ。

 

時薬ってなんなの?ウソなの?

私、このまま一生回復しないんでは?

と、かえって不安が募ることにもなる。

 

現在のケアに有効とされている説は、

二重過程モデルといわれているもの。

 

↑↑この「二重」とは、自分の中に、

「悲しくて悲しくて、一生、もうずっと、

このまま悲しんでいたい」自分と、

「悲しみから一刻も早く立ち直ろう、

元気にならなければ」という自分と、

両極端の自分がいることをさしている。

 

そして、

常にその間を揺らいで過ごしている。

 

問題は、

この2つの行き来は不規則、予測外。

自分ではいっさい制御できないこと。

 

ひょんなことで再建志向に傾いたり、

ナンカの拍子で喪失志向に傾いたり、

自分では落ち着けることができない。

 

必要に応じて、

よっしゃ今日は再建志向で頑張るど、

そんで明日は喪失志向にしとこっと、

みたいな調整はできないんである。

 

そう、遺族がつらいのは、

底の底に沈んでいることではないし、

階段とやらを登れないことでもない。

 

泣き続けて一日終わる日もあれば

少し元気が出る日もあり、

また次の日は身を起こすのもつらく、

仕事を休んだり、家事をさぼったり、

出来はヤル気がある日の半分以下。

 

そういう自分をだらしないと責めて、

カラ元気を出してみてはどっと疲れ、…

毎日「波」に揺られて消耗すること。

これが死別悲嘆のキツイところだ。

 

なので、遺族の反応として、

「今、底にいる感じですよね」というと、

「え?いや違います」となる人もいるが、

(↑「底ではなくて闇です」とか言う)

 

「調子のいい日とよくない日があって

その波がつらいんですよね」というと、

「そうそう、そうなんです!」となる。
言い方あれだけど、百発百中である。

 

これはほんと。

自分の実感としてもそうだし、

ケアの体験としてもそう。

 

遺族の抱える悲嘆の苦悩や葛藤は、

悲しみを肯定も否定もしていること、

そういう背反する自分がつらいのだ。

 

そんな相手に、

「今は底だからいずれ上がれますよ」

「階段を順調に上ることが回復ですよ」

こんなこと言ったら余計つらくさせる。

 

もし、ご自分の周りに遺族がいて、

回復について話をしたいんだったら、

底とか上とかの高低を持ち出したり、

そのうち頂上に出るとか言わないで、

 

極と極の間の往来に翻弄されている、

そこに深い共感を寄せた上で、でも、

どっちも本音のあなただということ、

 

傾いたら傾いたきりでいいんだよ、

寝たり泣いたり、起きたり働いたり、

どちらも責めたり否定しないでねと、

ぜひ何度でも言ってあげてください。

それだけで充分、遺族は安らぎます。

 

そんでは、今日のおまとめ。

段階説は古い説なのでNO、

二重過程モデルはYES。

 

自分がケアを受けるべき団体を選ぶ、

重要な判断基準にしてくださいまし。

 

あら、

長くなったので、「目的」は次回に。

思いがけず引っ張ってすんません。

 

皆さま、よき日になりますように。

ricorico1214